第壱話 死を越えた先にある理想郷
※本作について
「幕間の章 ディープガバメント」シリーズは、この建国されたモッツアレラ帝国における政治、経済、外交、社会の通史を「御伽家」と言う主人公から外れて見る物語です。
「本編では語られなかった裏側をより深く堪能したい人」「各部の間に起きた大きな出来事を知りたい人」の為の深く掘り下げた内容。本編よりも難しい内容になります。本編よりディープな「大人の為の『僕らの愛しきユートピア』」を是非ご堪能下さいませ。本作品は「第一部 第七篇 理想郷建国編」から「幕間の章 星雲の学園」までの内容となっております。本作品を見なくとも、第二章を見る分には支障はございません。
この世に起きた事象は必ずしも簡単な物ではない。様々な原因が積み重なって生まれた偶然の産物だ。それが意図的でも恣意的でも、そこに至るまでの道中には必ず偶然が存在する。
そしてこの日は、偶然にも雨が降っていた。しかも冬の寒く冷たい雨。冬と言えば過酷な雪のイメージだが、冷たく刺さる冬の雨は体力と心を蝕んでいく。少し濡れただけで呪いのように冷たさが継続する。
「和義さん、お父様、残念でした……」
家の屋根がギリギリで雨を退けてくれる場所で荒川和義は外の雨を眺めていた。雨音共に声をかけたのは糀谷三郎。傘を持って迎えに来たような様子だった。
荒川は糀谷を少し見て、屋根から滴り落ちて掘られた穴に再び雨粒が入る様子を見ていた。特別この光景が好きなわけではない。
「冬の雨は濡れると風邪をひきます。戻りませんか?」
「……もう親父が死ぬぐらいに年を取ってしまったのか」
「時の流れは早いものですね」
四肢の裾は既に濡れてしまった。手の赤さからも、この場所にどれぐらいの時間居たのかを表現している。これだから冬の雨は嫌いだ。ローシャング王国からのお土産として頂いたタバコでも吸おうとポケットから箱を取り出す。既にタバコは一本しか残っていなかった。
最後のタバコに火をつけた時の着火音。この音と共に糀谷の後ろからもう一人の男が傘をさして現れる。その姿は御伽莽薙。当主の割に泥をものともせずに歩いてくる。
「莽薙様もおいでになって、大層な場所になってしまいましたな」
「長い間主催者が居なくなると流石に気になるものでしょ」
冬のこのような寒い日に吐くタバコの煙はいつもよりも白く、よく出てくれる。吸っているこちら側の身としても吸い甲斐があると言うものだ。だが、こんな年下の二人から慰められるのは不甲斐ない。荒川は目線を二人には絶対に向けなかった。
「……この一本を吸ったら戻るよ。本当だ、もう箱には入ってないからな」
「そうか」
「……では僕は莽薙様に任せて帰りますね」
莽薙は歩いて帰る糀谷の背中を呼び止める。糀谷はその場で止まり、背中を見せながら莽薙に向けて答える。
「お二人には主従関係がありますし、何にしろ莽薙様は『親に先立たれた』と言う点では荒川さんの先輩にあたりますから」
そう言って糀谷は歩いて去ってしまった。糀谷の姿は雨粒に少し濡れていながらも、政府の中では一番スーツの似合う人物になってしまった。その他の人間、特に荒川はただのコスプレのように見えてしまう。やはり若いうちに色々しておくのは重要だったみたいだ。
「まぁ、ひと世代上の先輩ではあるが、世界を知る当主様に意見を聞くのはいいのかもしれない。」
「そんな、和義は経験豊富で僕の知らないことまで知っている。兄のような存在だよ。」
世間体から見れば莽薙の方が経験豊富に決まっている。そんな人物に兄のように慕われている。何とも見栄は良いがその分肩身の狭い肩書だ。できればすぐに手放したい代物だ。
「アドバイスするならば……、『誰かの死は何かの始まり』と考えると気が楽だよ」
「そうかい、莽薙様が仰るなら本当の事なのでしょうね」
そんな言葉で立ち上がれたら、こんな場所に自分は居ない。莽薙様の後押しは俺にとっての一歩にはならない。だが、一歩出そうとする動きを見せることはできる。
「しかし、今日のタバコは火の持ちが悪いな」
「良く吸っているのか、おじさんが止めてるのか、どっちかじゃない?」
「バカ言え、そんなことあるまい」
上司に向かって思わず「馬鹿」と言ってしまったが、その上司は逆に嬉しそうに笑みを浮かべる。腑に落ちない気持ちを胸に吸殻を捨て、傘を持って一歩踏み出した。
結局一歩踏み出してしまった。素振りだけしようとしていたのに。これが新年を迎える直前、十二月の話だった。
しかし、父の残した重責を担わなければならないともなると、その点でも親父を必要としてしまう。不思議な物だ。親父からの重圧に耐えかねて「自由思想」を持ち始めたのに、今となっては完全に親父を恋しく思ってしまう。
「憲法について何か言う事は?」
「私は君たちのように世界を見てきていない。糀谷、御伽、大石、亜歴で作って頂いて構わない。私は完成品を見て微笑む事にするよ。」
荒川は亜歴にそう伝えた。今この政府で同世代なのは彼だけ。一つ上の世代には長柄、山本、東、大石。その更に上の世代が莽薙の母瑠璃様と俺の親父、颯垣隆雄さんと柊さんぐらい。
今となってはそのどれでもない世代がこの政権の中核を担っている。私より世代が一つ低い莽薙様の世代。彼らの世代の行動にはいつも驚かされる。
逆に俺らの世代はその踏み台となったわけだ。俺らの世代に居るのは時代をしのぐために生きてきたもの達が多い。現状を変える力を持つ彼らとは違う。
だから俺らの世代がするべき事は、莽薙様の世代が生み出したものを、新時代をしのぐための物として長く使えるようにする事だ。
「そうかい、そんじゃあ憲法審査会の会長はどうするよ」
「室戸がやり続けたいなら、急いで大石さんにしなくてもいい。」
「分かった。その方針で考えとく」
そう言えばこの荒川屋敷はもともと神社だったという話だ。このように洋式の応接間を新調したのだが、それは果たしてこの屋敷にとっていい事だったのだろうか。まぁ、親父が最期に残したものだし、良いこととしよう。
「レモン水か、巷ではコーヒーだというのに」
「ああ、テミスリンブルクではこれが主流だ。私もこの味に慣れてしまったよ」
「千鶴神宮はどうなってる?」
「あれは来月には完成するようだ。千鶴の街に来れば分かる。」
昔から根付いている「神蕩」を、この時代に目を付けられるのは元宮司の荒川家にとっても喜ばしい事だ。親父の代は完全に宮司が居なかったみたいだが。
亜歴はレモンティーを飲みながらゆっくりと背もたれに掛かる。その動じない姿。とりわけ背広と大きく生やした髭が貫禄を出している。テミスリンブルクでの手入れが面倒だったらしいが、それが却って俺の事を突き放して一人にさせているような感覚にする。
「明日の会合はどうするよ」
明日は親父が居なくなってから初めての政府の会合。俺の初めての表舞台という事にもなる。そこで問われる議題は勿論この先の事。
しかし、裏の議題は「俺が後継に足る男かを見定める」と言う物だ。少しでも隙を見せれば後ろを刺して権力を奪おうとするだろう。それは断じてさけなければならない。
「特に考えていない。逆に何がしたい?」
「憲法制定までの時間稼ぎだ。憲法制定に颯垣や長柄の外地の者を入れてはならない」
一番危惧すべきなのは一つ上の世代である長柄世代が「下剋上」をしてくる事。彼らは地方の権力、投資拡大を目論む。更に彼らは「強力な強権的政府」を望んでいる。
親父はこの地方出身者の意見に同意しながらも、当主である莽薙とも共鳴する言わば「双方の橋渡し」だった。
対して俺は言わば政権の中で唯一明確な意思表示をしていない人物だ。しかし、内心では莽薙達の民衆政治に共鳴するところがある。親父とは真反対。その為一番に危惧すべきなのは「下剋上」だった。
「そうだったな、そのように取り計らう。どのくらいに時間を使う?」
「まぁ、半年もあれば大枠はできるさ。関連する諸法の整理も加えて正式な制定は一年かかるだろう。」
「……そうか、早めにしてくれよ」
「ああ、最善を尽くすさ」
亜歴はそう言う。簡単な言葉を吐けるのはいい気味だろう。その間、一世代上の人達を前に自制を促しながら宥めるのは俺だというのに。そんな嘆いていても明日はやってくる。
「それでは会合を始めたいと思います」
会合はいつものように御伽屋敷別館の大広間。大きなテーブルを囲み要人が木製の椅子に座り込む。俺から見て右から糀谷、御伽、菊水、亜歴と現役若者世代が。正面の山本吉郎をから左に大石、長柄、颯垣、東と高い世代で地方出身の人物が現れる。
「その前に」
そう手を上げたのは長柄であった。或東出身の肋骨服に身を包む生粋の軍事人気質の人間だ。彼が所謂地方派閥のリーダー格的人物だ。だが、彼を指す事しか今はできない。
「荒川実義氏が莽薙の出発に伴い、政権運営担当になったのは問題ない。しかし、それが莽薙が帰った後であっても、本人が没した後も担い続けるのには同意できない。ここは一つ、政権運営担当を入れ替えるのはどうかと思う。」
「では、莽薙様に返還いたしましょうか」
「いいや、ここはこの中で唯一発展していると言っても過言ではない或東の代表者であるこの私が担いましょう。」
「では、多数決でもしてみたらいかがでしょうか。でなければ誰も同心しない。」
地方出身の人物はこちら側よりも少ない。多数決の結果は目に見えていた為に長柄は何も言わずに席についた。莽薙は誇らしげに荒川を認めていた。
結局あの会議では何も言われず、引き続き憲法制定がなされるまで現体制を維持することで合意した。この様子からして長柄が政権を取る事は無いだろうと安堵するに至った。その時に全ての鬱憤が晴れたような気がした。それでも尚、気が緩めないのがこの地位だった。




