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転身物語(ある田舎における)  作者: 入江晶
3. あるカラオケボックスの一室
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3-10. 別れのさえずり

 橋を渡って通り過ぎる河原にも、思い出はある。その場所で再会したことで、私と彼女の関係は始まったのだから。しかしそこにある、もうしばらくしたら地域を挙げたイベント(彼女が酷評して、不穏な記事の書かれていたアレだ)の舞台になる、まだ咲いていない桜並木やその記憶は、捨ててしまっても全く惜しくないように思えた。

 それは、今私が目にしているこの姿が原因なのではない。つまり、花もなく、ライトアップに使われることになるらしい無骨な機材がいくつもただ転がっていて、川面も暗くぼんやりとして、ずっと向こうで鉄道橋を渡る電車が漏らす光が通り過ぎていくという、この状態のせいではなかった。たとえ夕闇の中に、照らし出された花びらが舞い散り、その下を行き交う人々や屋台が賑わせる、とっても美しい光景が今ここにあったとしても、私の感じ方は変わらないだろう。去年と同じように。そこに彼女がいれば別かもしれない。去年と同じように。

 この町全部がそうだった。特に、河のこちら側、並木のある側は。

 そもそも何もなく、あるいはむしろ最低限のものが半端にあるせいで余計に不便に感じるこの町のこちら側。あるべき物が他にいくらでもあるのに、ガールズバー(それが何なのかは知らない)やら風俗(こっちは多少は知っている)やら何やらのあるこちら側。別世界に通じる大きくてまっすぐな道が川向こうのすぐそばにあるはずなのに、素通りされるだけというあり方を続ける町。そして、地元に残るように求める肉親の圧力も無くなって、彼女も去り、よからぬ方法で私が利益を得る機会もなくなる町。そうすると、もう戻ってくる理由も無い場所ということになるかもしれない。私はそれでも全然平気なのだった。

 不意に、どこからともなく、鶯のさえずりが聞こえた。季節はともかく、こんな夜中にそれが聞こえてくるというのは、おかしな気がした。夜鳴きの鶯という、その気まぐれな不良の鳥に、私は彼女へのお別れの挨拶を、伝言として頼むことにした。彼はそんな私の心の中の声を聞き届けてか、静かに短く鳴いて、飛び去っていったらしい。枝が揺れる音を聞いただけで、その姿を見たわけではないけれど。とにかくこれで、この町に思い残すことは本当に無くなった。ということにしておく。

 葉擦れの余韻も消えてしまった後、あまりにも静かな周囲を、私は見回してみた。ただひたすら真っ暗で、何の音も聞こえない。しかしふと、ちょうど私の歩こうとする道を塞ぐ形で、見覚えのある人影が私をにらみつけていて、そしてその手には刃物が握られているのに気づいた――なんていうこともない。残念ながら。ここはそんな世界だ。退屈で、平板で、幸不幸も善悪も、あえて演じきることもあえて徹することもなく、生ぬるい形としてしか表れることがない。それを屈折した形で純粋にやりおおせた存在は、だからこそ、それだけ特別なわけだ。

 見上げてみた夜空は、私の周囲の夕闇と、よっぽど明るく、にぎやかだった。どこを探しても――たいして広い範囲が見えるわけでもないけれど――、月は見えなかった。そして雲もない中、名前も分からない星が、ずっと遠くにあるはずなのに、輝きと存在感を示し、私のところにまで届かせている。神々の恩寵を賜って天に昇る僥倖に与った星辰(自分でも何を言っているのかよく分からない)が満たしているらしい夜空を、私は見上げていた。たぶん、地平線の下に退場している、半分ぐらい欠けているはずの月と、同じようにして。


<完>

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