92.エピローグ
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「ヘルデンベルク子爵」
王宮の石畳の廊下の先。にこにこしながら手を振っているのは、すっかり世話になっている兄弟子だ。
今日は剣術大会である。こちらは色々と準備が忙しいのだ。偉い人間は余計なことをせずに引っ込んでいてもらいたい。
「その呼び方、やめてくださいよ、フォルクライ侯爵」
「そっちこそ。にいちゃんて呼んでくれてもいいんだよー」
たはは、と、誤魔化すような笑い方は変わらない。しかしどんなに美形でも、おっさんはおっさんだ。
それに自分も大人になった。色々なことを知った。もう、侯爵をにいちゃんとは呼べない。
「失礼します、仕事がありますので」と、ノアは丁寧に頭を下げて通り過ぎるが、ヴィンツェルはついてきた。
「本当に弟なんだからいいじゃないか」
「……」
我ながら、物語のようだと思う。十七年前、東の森の魔物の暴走事件。森全体の狂化を消す大掛かりな魔術を、ほとんど一人で構築したノアは、魔術の才能を認められ、フォルクライ家の魔術の教育を受けさせてもらうことになった。
そこでヴィンツェルの妹と出会い、身分違いの恋に落ち……いろいろな政治的な思惑もあり、とんとん拍子に上手く行ってしまった。結局ノアがヘルデンベルク家の養子となってアレクシスの後を継ぎ、軍部のサポートをしている。
「今日、来るんだろ。久しぶりで楽しみだな」
「ああ、私も久しぶりです。師匠に会うのは」
ノアには師が二人いる。一人は東の森でともに戦った魔法の師匠。もう一人は──
ヴィンツェルは何かを探すように空を見上げる。ノアもつられて見上げた。
冬の終わりの青い空に、ぼんやりした雲が薄くかかっている。
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「フェアンヴェー、もう少し速く」
愛竜は、不満そうに雑に羽ばたいた。敬意を表すべき飛竜と言えど、長年付き合っていると気安くなるものだ。
上下に大きく揺れて、腰が浮いた。
「ごめんって。ちょっと出るのが遅くなっちゃったからさあ」
東の森の城から王都まで、飛竜だと半日もかからない。だからいつでも行けると思って、逆に足が遠のいてしまった。結婚当初は、どっちに住んでるのか分からないくらい、行ったり来たりしていたのだが。
「おお、見えてきた。間に合ったー」
訓練場に急降下する。ノアとヴィンツェルが出迎えてくれた。
「師匠、お待ちしてました」
「ああノア、久しぶり。ヴィンツェルもわざわざありがとう」
「竜騎士リーゼロッテは今や王都の名物だよ。近くで見なければ」
「竜騎士ではないって」
そうはいっても、飛竜と個人的に契約しているのは大変珍しい。訓練場には、私とフェアンヴェーを一目見ようと、野次馬が押しかけている。
「リーゼ先生ー!!」
きゃー!と、声が聞こえる。その中に見知った顔。……なんでアリシアはあんなところにいるんだ? ヴィンツェルと一緒に中に入ればいいのに。
……まあ、彼女なりの楽しみ方があるのだろう。
後でお茶でも誘うか。アリシアは今や私の数少ないママ友である。
「ノア、シュタインは?」
「お嬢様についてますよ。もう、どっちが出場するんだかわからないくらいそわそわしてます」
「うざがられてる?」
「うざがられてます」
今年15になった娘は、今日剣術大会に初出場する。優勝できるほど甘くないと思うが、筋は悪くない。駄目でも騎士団に入って鍛えるのだと本人は言っている。
数年前に王宮騎士団に女性部隊ができた。ぜひ隊長にと望まれたが、自由に慣れた身ではどうもやる気にならず、指南役として立ち上げだけ手伝った。娘はそれを見ていたから、愛着があるのだと思う。
「師匠も控室に行きますか?」
「いや、いいよ。観客席から応援する」
「せめて関係者席に。観客席にいられるとそっちが盛り上がっちゃうんで」
「わかった」
大人しくノアについていく事にする。
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「あっ、リーゼ」
久しぶりに会った夫はそわそわと落ち着かない。
「稽古見てやってたんだろ、なんでそんなにそわそわしてるの」
「最近どうも距離を取られていて」
しゅんと眉毛を下げるシュタインに、懐かしさを覚える。随分前は私にもこんな顔を見せていたな。
「はは、構いすぎなんだよ」
「道場でも、たまにノアが来るとそっちに行ってしまう」
「いいじゃないか、人気者がいて。あの子だけじゃないでしょ」
「そうなのだが」
「イケメン魔法剣士・ノアのおかげで、経営は安泰だ」
ヘルデンベルク家はノアが継いだ。クラウゼヴィッツ家はシュタインが継いだが、道場は私がもらったことになっている。
最初は、私が王都で道場をやって、シュタインは基本領地にいる方針だったのだが、逆のほうが上手く行った。なので結局シュタインは騎士団に復帰し、私が城の主のような顔をしている。
とはいえ、ジークお兄様が有能なので、私は結構自由だ。パトロールと称して東の森で魔物を狩ったり、城に道場の支部を作って、魔法が使えない者を集めて鍛えたりしている。
「リーゼももっと顔を出してくれ。英雄の道場は今や竜騎士リーゼロッテで名前が売れているのだから」
「うん。そうだね」
「そう言ってあまり来ないじゃないか」
「うん、と言ったときは、本当に行くつもりなんだよ」
その他にもいろいろ面白いことがあって……つい。落ち着いているところは後回しにしてしまう。毎回、反省はするのだが。
「お、始まった」
「ふおおおおおお」
剣術大会が始まり、シュタインはバッと、武道場の柵に張り付く。もう私のことなど忘れてしまったかのように、食い入るように見つめている。
娘は父の暑苦しい視線と応援を無視して、ちらりと王の横に立つ聖冠騎士に目をやった。
良い騎士になるだろう、と言う気持ちと、あまりつらい目には合ってほしくないな、と言う気持ちが同時に来る。──ふと、母の顔を思い出した。
end
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
長くなってしまいましたが、完結できて感無量でございます。
自由なリーゼと真面目なシュタイン、可愛いノアにチャラ眼鏡のヴィンツェル、もう少し出すつもりだったアリシア、こんなに出てくる予定でなかったフェアンヴェー、アイゼルやゼノンやデュラン、お父上達などなど、どんどん思ってもいなかったエピソードが生まれて、とても楽しかったです。
是非、評価の星を押していただけますと幸いでございます。そうするとポイントが入りまして、ランキングに入ったりいたします。
そうするとまた、見てくださる方もいるかもしれないので、ここまで読んでくださった方にお願いするのも大変恐縮ではあるのですが、是非、よろしくお願いします。
星、五個はつけられないなーと言う感じでしたら、一つでも二つでも構いません。ここまで読んでくださっただけでもう、神ですから。
ここまで読んでくださったあなたに、全ての良いことが押し寄せてきますように。




