090.侵入者
春の夜風がまだ肌寒い。
高層ビルの屋上から見下ろすと、賑やかで華やかな夜の街。
視線の先にはツインタワーが、光の粒を積み上げたような姿でそびえ立っている。
その周囲は無数の灯りが星のように散りばめられて、遥か彼方まで広がっていく。
夜空を背景に無数の光がきらめいて、とてもきれい。
この景色がとても好きだった。
平和な街の美しい風景。
光の一つ一つがそこに暮らす人々の営み。
ただ見ているだけでいられたら、どれだけよかっただろう。
だけどわたしにはやるべきことがあった。
いまここのいるのも、そのため。
決して楽しいことではないのだけれど。
目を閉じて意識の中から外乱を排除する。
感覚を研ぎ澄ませて、外部世界からの干渉の微かな痕跡を辿る。
わたしにしかわからない、わたしにしかできない、集中力と根気のいる作業。
探しているのは、嫌なこと。
でもやらなきゃ。
この世界とみんなのため。
目標を見つけた。
わたしは立ち上がって駆け出すと、輝く翼を広げてきらめく摩天楼の狭間へ飛び込んでいく。
光の束が次々と視界の両側を後方へと流れる。
光の粒の海を泳いでいるような感覚。
巨大なガラスの壁に沿って旋回し、ゆっくり高度を下げる。
地上に舞い降りると、薄暗い路上には一人の男性。
40歳ぐらいだろうか。絵に描いたようなくたびれた会社員の風貌。
わたしはこの男性のことを人としてはなにも知らない。
外部世界からの干渉の痕跡を解析した結果、侵入者であることがわかっただけ。
「ごめんなさいね。あなたの人格にはなんの罪もないのだけれど…」
炎の翼を広げるわたしの姿を見て、その男性は身動きができないほど気が動転しているようだった。
驚きと恐怖で表情が歪む。
声が出ない。全身が震えている。
足が動かず逃げることもできない。
「痛みはないから。ただ消滅するだけ」
羽ばたいた翼から放たれる大量の火の粉が渦を巻き、男性の全身を包み込む。
やがてそれが解かれた時には、男性の姿はもうどこにもなかった。
侵入者の発見と削除。
これがわたしの役割。
この姿は、わたしが意識した相手にしか見えなかった。
誰かに知られることもない。というか知られてはいけない。
わたしの姿は人に恐怖を与えてしまうから。
男性には友人や同僚がいただろう。
恋人がいたかもしれない。
あったであろうその人生について考えると、心が痛む。
明日には新たな失踪者としてニュースになる。
男性を知る人たちは、うろたえ悲しむことだろう。
遠くから聞こえる雑踏の音。
帷が降りた夜の街。暗闇がわたしを包む。
無意識に漏れる深いため息。
わたしはなにをやっているのだろう。
繰り返し去来する整理のつかない気持ちをいつも抱えていた。
その度にただそれを抑え込む。考えないようにしていた。
この作業は、慣れることがなかった。
どれだけ繰り返しても、いつも心が蝕まれる気分。
罪悪感が蓄積していく。
やるべきことをやっているはず、なのに。
いろんな人がいた。
太った人に痩せた人。
真面目そうな人にガラの悪そうな人。
お金持ちに貧乏人。
男性も女性も、お年寄りや小さな子供だっていた。
そんな人たちをわたしは消してきた。
幼い男の子を消した時は、母親らしき女性が激しく動揺して取り乱していた。
おばあさんを消した時は、夫婦らしきおじいさんが呆然としていた。
侵入者なのに、本来はこの世界にいないはずの存在なのに、なぜそのような親しい人々がいるのだろう?
わざわざそんな書き換えまでやるのだろうか?
何のために?侵入者がこの世界に馴染むように?
理由などないのかもしれない。
外部世界のやることはわからない。
どうであったとしても、わたしのすることが悲しい不幸をもたらしていた。
だけどそれも、もっと大きな不幸を防ぐために必要だから。
間違った事はやっていない。
これは正しいこと。やるべきこと。
そう信じてはいるけれど。
時々、無視したくなる考えが脳裏に浮かんだ。
(もし、身近な人を消さなきゃいけないことになったら…?)
それについては考えることを拒否していた。
理屈の上では当然、それは起こり得る。
だけど都合の悪いことは自分達には起こらないと、何の根拠もなく思いたくなるバイアスが無意識に生じる。
確率的にはとても低い。
これまでに多くの侵入者を消してきたと言っても、この街の全人口と比較すれば微々たるもの。
ビンゴも当てたことのないわたしなら、そんな低い確率で引くはずがない。
きっと大丈夫。そんなことは起きない。
そう思っていた。そう思いたかった。
だけど、悪い予感は当たるもの。
昨年の秋の花火大会の夜。
高台のカフェで不完全な崩壊が起きる。
帰り際に駅までの坂道を降りて行きながら、周辺に痕跡が強く残っていることに気づいた。
わたしたちの近くに原因となった侵入者がいることを示していた。
その後、それが同じ学校の同じ学年の生徒であることがわかる。
直接わたしが交流のある人物ではなかったけど、知っている人ではあった。
深草謙心くん。北山くんの友人。
面識のある人物が対象になるのは、これが初めてだった。
消してしまえば、同級生たちや北山くんはどう思うだろう。
感情が良心が、わたしの役割を果たすのを邪魔した。
でも、やらないと。
週末の目立たない時間帯に本人が外出するのを見計らって、わたしは実行した。
予想していた通り、学校では大きな話題になり、生徒たちの間で不安が広がっていく。
誰もわたしを疑ったりはしないが、それでも居心地のいいものではなかった。
北山くんもそのことをかなり気にしていた。
自由研究のパートナーでもあった友人が、一連の失踪事件に巻き込まれたのだから当然のこと。
外部世界からの干渉が関係している可能性に彼は気づいていたけれど、まだ本当のことは話せなかった。
知っていることを話せないのは心が傷む。
相手が強く不安に感じていることであれば尚更だった。
わたしはいつまでこんなことを繰り返すのだろう。
この世界が続く限り、この作業も続くのだろうか。
経路を封鎖すれば干渉は止められるけど、外部世界が新たな経路を作ればまた同じことになる。
希望が見えない未来。
わたしはそれが嫌だった。
希望とはどこかに隠されて存在して、それを探し出すものなのか。
しかしそれだと元々存在するのであれば、それは誰かに与えられるようなもの。
誰かに用意されたものではなく、自分の希望は自分で作りたかった。
決められた境遇に従うだけなのは納得いかなかった。
自分の意思で、自分の未来を作りたかった。
未来というもの自体が、曖昧な世界ではあるけれど。
だけどそんな気持ちも挫いてしまうようなことが起きる。
わたし自身の大切な友人を、消さなくてはならなくなった。
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