041.記憶の喪失
中央駅に向かう大通り。いつも通りの街並み。
車道を行き交うクルマの列と、広い歩道を足早に進むたくさんの人たち。
道沿いには洒落た路面店とオフィスビルが建ち並ぶ。
街路樹が落とした枯れ葉が地面を覆い、時折り吹く風がそれらを舞い散らせる。
背後には色づいた山並みがずっと遠くまで広がっている。
平和な晩秋の午後。
下校する生徒たちがぼくの横を通り過ぎていく。
友人と楽しそうにおしゃべりしたり、一人で音楽聴いたりしながら中央駅までの道を歩いている。
連れ立ってお店に寄っていく生徒たちも多くいた。
これから繁華街に出て遊ぶのか、列車に乗ってどこかに行くのか、それともまっすぐ帰宅するのか。
いずれにしても、いつも通りの放課後の風景だった。
しばらく前までならぼくもその一人だっただろう。
そんな中で水菜月とぼくの二人だけは、落ち着かない雰囲気を漂わせていた。
予兆を感じることがあると彼女は言っていた。
はっきりとは言わないけれど、きっとそれでぼくに連絡してきたのだろう。
今日これから、それが来るのだろうか。どうなるんだろう。
水菜月は隣でうつむいたまま黙ってぼくの横を歩いている。
「どうしたらいいかな?」
悲しげで不安そうな表情でこっちを見る。
「一緒にいてくれれば、それでいいよ」
そう言ってぼくの手を取る。
ぼくも彼女の手を軽く握り返した。
一緒にいてくれれば。
それはつまり、いまはもうやれることはなにもない、という意味なのかもしれない。
女の子と手を繋いで下校なんて、普通なら楽しい状況なのに。
街路樹の下を歩くそのような二人組も、ちらほら見かけるのに。
とてもそんな気分ではなかった。
沈んだ表情で歩くぼくたちは、他の人には不自然に映ったかもしれない。
人が溢れる中央駅の構内を通り抜けて繁華街側に出る。
デパートの大きな建物や、オフィス街の高層ビルが目に入る。
横断歩道を渡ると、アーケード付きの商店街の入り口が見える。
歩道には地下街へ降りていく階段。
どこかのお店に入るという適当なプランだったが。
「どこにしよう?なにか食べたいものとかある?」
水菜月は俯き加減で、少し間を開けて答える。
「もうちょっと歩こうか。公園の方まで」
ぼくたちはそのまま大通りを海沿いの公園へ向かっていく。
視線の先には雲ひとつない青い空。
あの空の向こうになにがあるのだろう。
常識的には宇宙が果てしなく広がっていることになっている。
夜に見える星空はそれが正しいことを示している、はず。
しばらく前まではそんなこと気にも留めなかったのに。
いまはこの世界の存在自体が不安定なものに思えてきていた。
あの空の向こうに外部世界があるのだろうか。
それともこの世界とは平行に存在していて、ぼくたちのすぐそばにあるのだろうか。
外部世界がこの世界に干渉しているという。
何度か目撃した一時的になにもかもが消えてしまう現象。
たびたび発生している失踪事件も関係しているのかもしれない。
予兆現象と水菜月が呼んでいたものだけでも、冷静に考えればかなり衝撃的なことだと思う。
人やものが普通じゃあり得ない動き方をしていた。
しかもそれが水菜月とぼくにしか見えないという事実。
—— それはもう騙されているってことじゃないか?あまりに不自然だ
全く不自然だ。だけど誰に騙されているのだろう?
水菜月がぼくを騙して何の意味がある?怪しげな壺でも買わされるのなら別だけど。
そしていま、さらに大きななにかが起きようとしている。
それが来るのなら防ぐこともできないのなら、ぼくはまた記憶を失うのだろう。
何ヶ月か前の状態に戻るのだろうか。そうだとしても、きっとそれに気づきもしない。
再び彼女に会えるとしても忘れてしまっているのなら、いま伝えておかなければいけないことがある。
広い歩道の上。ぼくたちは無言で歩いていた。
彼女はまっすぐ前を向いて、なにかを考えているようだった。
「七月の初めに横断歩道で会った時、確かにぼくはきみのことを覚えてはいなかった」
話し始めたぼくの方を、水菜月は少し驚いたような顔で見る。
「微かな既視感があったのは確かなのだけど、きみの名前もなにも知らなかった」
「不思議な出来事ときみの語る不思議な話。それまでの平穏で平凡な日常がいきなり揺さぶられたような感じだった」
「理屈ではとても信じられるような話ではなくて、はじめのうちはきみのことを怪しい新興宗教の勧誘かと思ったりもした」
「だけどきみの話すことを否定しきれないのと、真剣なきみの姿となぜかぼくを必要としている様子を見て、ぼくはきみと向き合わなければならないと思うようになった」
「きみはきっとなにかに抗っていて、それは大切なものを守ろうとしているのか、だけどそのことを共有できる人はいないのか、それとも…ぼくがそれを出来るはずなのか」
「わずかに残る記憶の残渣のようなものなんだけど、きみはぼくにとって必要な人だったんじゃないかという気がしていて」
「ぼくに出来ることというは、なにがあるのか、いまはわからないけれど、きみのために出来ることなら、なんだってしてあげたいと思っている」
「残念なのは、それを約束するって言えないこと。いまのぼくはそう思っていたとしても、記憶を失った次のぼくがどう考えるかは、わからない」
「思い出さないと、いけないのだけど…」
それ以上は言葉を続けられなかった。
水菜月はじっとぼくの方を見ている。
立ち止まると、繋いだ手に少しだけ力が入る。
そして視線をぼくから逸らして、街の方に向けた。
日の光が西の方へ傾き始めて、街を橙色に染めようとしている。
若い女性がベビーカーを押しながら、小さな男の子の手を引いて歩いていく。
歩道脇のベンチには年配の男性が腰を下ろして、古い石造りの建物を見上げていた。
目の前の視界が変化していくのに気がついた。
最初はめまいのような、そしてそれが明らかに異常が起きていることを理解する。
道路が、街路樹が、建物が、鉄道の高架が、歪んでいく。
「ごめんなさい。今度も間に合わなかった。いくらかはやれたんだけど…」
「間に合わなかったというのは?やれたってなにを…」
なにをしようとしてたのだろう。
動揺するぼくの横で、彼女はどこか冷静だった。
街中が揺れている。不気味な低音が響いてくる。
ぼくは彼女の手を握りしめたまま、ただ茫然と立ち尽くすだけだった。
「何度も失敗したけれど、いつか必ずあなたを救うから」
その声を聞くのを最後に、ぼくは意識を失った。
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