112.病室の窓から見えるもの
気持ちのいい初夏を思わせる陽気。
週末の午後。
お店の扉が開いて水菜月が入ってくるのが見えた。
いつもの窓際の席に座るぼくを見つけて手を振っている。
珍しく濃いめの色合いの花柄のブラウス。
「ごめん、待った?」
「少しだけ」
いつものようにテーブルに向かい合って座る。
目が合って思わず逸らしてしまう。気まずい沈黙が流れる。
有希葉のことが頭をよぎり、どんな顔して話せばいいのか考えの整理がつかない。
きっと水菜月も気にしている。ぼくよりも気にしている。
とりあえず当たり障りのない話題から入ろう。
「歩いてきたの?」
「今日はバスなの。坂道が辛そうだったから」
普段は雨の日以外はバスを使わないのに。
疲れが溜まっているのだろうか。
それはあるかもしれない。幾分顔色が悪いようにも見える。
特に精神的な負担は大きいはず。
「疲れてない?」
「え?ああ少しそうかも。色々あったから」
水菜月が目を伏せがちに話し始める。
「大沢さんのこと…」
「それは…わかっているよ。ぼくも理解しているから」
口頭ではそう言っても、心の中では整理がついているわけではなかった。
だけどそんなこと言ったら、水菜月の負担になってしまう。
つとめて平静を装おうとはするけれど、きっとうまくいっていない。
橘香さんが飲み物を持ってきてくれる。
いつもの癒しの笑顔。
でもぼくたちの不自然な様子には気づいているだろう。
「ごゆっくり」
「ありがとうございます」
それからしばらく取り留めのない会話が続く。
水菜月の気を紛らわせてあげればいいのだろうか。
それとも有希葉のこととか、真正面から向き合って話し合うべきなのだろうか。
ぼく自身がそれをできずにいるのだけれど。
天気がいいのが、せめてもの救い。
平常心を保つ努力をしつつも、居心地の悪さを感じてしまう不器用な時間が過ぎていく。
「ちょっと待ってて」
「うん」
水菜月が席を立つ。たぶんお手洗い。
だけどそんなこと聞いちゃいけない。
窓の向こうには、真っ白な日差しに照らされた明るい街並みが広がる。
建物の合間や道沿いに並ぶ新緑が眩しい。
だけど透き通る青い空に、むしろ悲しいものを感じてしまう。
お店の横の木の枝に鮮やかな白と黒のシジュウカラが止まる。
(見た目は平和な世界なのに…)
その裏ではなにが起きているのやら。
店の奥からなにかが床に落ちるような鈍い物音が聞こえた。
振り向くと店員さんたちが駆け寄るのが見える。
「水菜月さんっ?!」
橘香さんの叫ぶ声が響いた。
◇
「おそらく過労ですね。過労にしては重症ですけど。特に異常は見当たらないし、病気や怪我はなさそうなので心配ないと思います」
初老の医師がキーボードを叩きながら水菜月の容態を説明するのを聞いていた。
「数日安静にしていれば元気になるんじゃないですかね」
水菜月は病室で点滴を受けて眠っている。
彼女はお店でお手洗いに行く途中、床に倒れて意識を失っていた。
店長が呼んでくれた救急車に乗せられてこの病院に運ばれた。
付き添いに橘香さんとぼくも一緒に来ていた。
「きみがお連れさん?なんかあったときの連絡先はきみでいいかな?」
「ええ、まあ、はい。ぼくでいいです」
水菜月の身内ってよく知らないけど、多分いない。
ぼくが彼女の入院手続きなどをすることになった。
「かわいい彼女ね。これはチャンスよ。ここで優しくて頼りになるところ見せたら、もっと仲良くなれるわよ」
手続きを手伝ってくれた看護師のおばさまが軽口を叩いている。
◇
一通り手続きを済ませると、橘香さんと一緒に水菜月の病室に寄った。
ベッドの上で静かに寝息を立てて目を閉じている水菜月。
窓から入る自然の光に、白い肌が照らされている。
(ここしばらく、気持ちが休まる暇なんてなかったんだろうな)
ここしばらくだけじゃない。いままでずっとかもしれない。
そして、これからもずっとなのでは。
「水菜月さんはなにか、大きなものを背負っているんじゃないですか?」
橘香さんがぼくの横で静かに話す。
「…はい。とても大きなものを背負っています。しかも人に言えないようなものです」
「七州さんはそれをご存知なのですか?」
「ある程度は。でも十分には理解できていないです。それは、彼女以外には理解しきれないものです」
「いつもそのことを二人で話していたんですね」
「彼女とぼくの関係は、いまでもよくわからないんです。友達とか恋人とか、普通の関係とはまた違うつながりがあるようなんですけど、なんて言ったらいいのか。だけど、ぼくは彼女を支えないといけないと思っています。それは誰かに決められたことではなく、自分の意思で決めたことです」
橘香さんは黙って聞いている。
「そのためにも、全てを思い出さないといけないのだけれど…」
スマホの着信音。
店長がクルマで迎えにきて、橘香さんはお店に戻って行った。
ぼくはそのまま病院に残った。
目の前で水菜月が眠っている。
この世界は誰かが作った箱庭世界。
そこにいるぼくたちも作られたもの。
知識として知っている世界観とは合わないものがあるのはそのため。
ぼくたちの記憶も役割も誰かに決められたこと。
過去の記憶も作られたもの。同じ時間を何度も繰り返している。
そして水菜月のことを、ぼくは忘れてしまう。
この世界を作った誰かにとっては、水菜月はぼくには必要のないものだったのだろうか。
それともなにかの不都合で、記憶が消えてしまっているだけなのだろうか。
いずれにしても、そのことはとても耐えがたいことだった。
ぼくにとって水菜月は必要だった。なにものにも代え難いほどに。
◇
翌日。再び病院を訪れた。
水菜月は目を覚ましていた。
ぼくに気づくと、ベットの上で体を起こして手を振る。
だいぶ回復したようだ。
ベッド脇にあったスツールに腰をかける。
「気分は、どう?」
「まだ体が重いけど、大丈夫」
「ご飯は食べれてる?」
「うん」
「数日休めば元気になるって先生が言ってたから。ゆっくりしてたらいいよ」
「ごめんなさい。みんなに迷惑かけちゃって」
「別に謝るようなことじゃないよ。なにがあったか聞いた?」
「看護師さんから少し。あのお店で倒れて救急車でここに運ばれてきて、北山くんと橘香さんがいろいろ手続きとかしてくれたって」
「ちょっとびっくりはしたけどね」
水菜月はすまなさそうな表情。
「最近いろいろあったから、きっと疲れとか心配ごととかが積み重なっていたんじゃないかな」
「…うん」
「気づいてあげられなかったのは、申し訳なかったと思ってる」
ちょっと驚いた顔。
「どうして北山くんが謝るの?」
「水菜月のことでなにか気づくのって、ぼくができないといけないことだと思うから」
「それは…」
「水菜月を支えてあげたくて」
赤い顔して俯いてしまった。
「あ」
水菜月がぼくの肩越しになにかに気づく。
振り向くと病室の入り口に看護師さんが立っていた。
「お熱いところ邪魔してごめんなさいね。検温の時間だから」
あわててベッドから離れる。
別にやましいことをしていたわけじゃないけれど。
看護師さんが検温をしている間、ちょっと気まずい気分。おとなしく黙っている。
体温を確認してなにか変わりはないか尋ねた後、看護師さんは手に持ったタブレットになにかを入力して去っていった。
「じゃ、ごゆっくり〜☆」
いやそういう場所じゃないし。
水菜月がくすくす笑ってる。元気そうでよかった。
「ねえ」
「はい」
「このまま寝てたから髪の毛がくしゃくしゃなの」
右手で髪をいじりながら話してる。
確かに手入れができてなさそう。
「お願いがあるんだけど」
「なんでしょう」
「髪をといて」
「え?」
サイドテーブルの上にブラシが置いてあった。
あれで水菜月の長い髪をとけと。
しかし男性が女性の髪をとくなんていうのは、美容師でもない限りなかなかしないのでは。
少なくともよっぽど親密な関係でなければ。
「あの、水菜月さん。それは…」
「わたしの世話をしてくれるんでしょ?さっき支えてあげたいなんて言ってなかった?」
はい言いました。
「は・や・く」
水菜月にしては珍しいおどけた口調。
ブラシを手渡してくる。
水菜月がベッドの中ほどで体を起こして座り、ぼくは枕元の横あたりに腰をかけた。
真後ろから間近に見る艶やかな栗色の長い髪。触っていいのだろうか。
よく見ると毛先の方がだいぶ絡まっている。
いきなりブラシを使うよりまずは手で髪をほぐした方が良さそう。
「先に手ですくね」
「うん」
ベットの上にブラシを置くと、うなじのあたりで奥から手前に手で髪をすくうように指を入れて、毛先の方まで髪をすいていく。
ときどき髪が絡んで引っかかるのを指先で丁寧に解いていく。
「くすぐったくない?」
「気持ちいい。もっとして」
少し甘えたような声。
両手で手ぐしをとおして、引っかかりがなくなるまで繰り返す。
次に左の手のひらで奥から髪をすくって、右手で持ったブラシをあてて髪先までゆっくりすいていく。
長いつやのある髪が真っ直ぐに並んで白い光を反射している。
(間近で見ると本当にきれいだな)
女の子の髪にまともに触れるのって初めてだけど、楽しいかも。
「痛くない?」
「大丈夫」
一通りブラシでとかした後、左右に広がった髪を両手で整える。
「こんな感じでいかがでしょうか?」
「うん。ありがとう」
満足そうな笑顔でこちらを振り返る。
「またしてね」
やっている方は結構恥ずかしいんですけど。
病室の窓の外。取り囲む新緑が眩しい。
透き通る青い空の色も、清々しい。
◇
その後は何事もなく順調に回復し、一週間足らずで退院した。
水菜月は看護師さんから睡眠・食事・適度な運動と、悩みごとは溜め込まずに誰かに相談するようにみっちり指導されていた。
若いのに過労で倒れるなんて無理し過ぎでしょ。美容にも良くないし。あなたとってもきれいなのに、もっと気を使わなきゃだめよ。
とかなんとか。
きみも彼氏なんだったらもっと彼女を大切にしてあげなさい。
いやそういう関係では。
入院中の世話をするほどの関係なんでしょ?
ええまあそうだったかもしれません。
でもたしかに相談にのれるのは、おそらくぼくぐらいしかいない。
水菜月のこと、しっかり見てあげなきゃ。なんて偉そうなこと思ってた。
本音は、水菜月に頼って欲しかったし、役に立ちたかった。
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