番外編 騎士と侍女の話
第二王子ルイスに仕える護衛騎士――サイモンという名の男は、騎士としては異例の経歴を持っていた。
貧しい家に生まれ、厳しい幼少期を過ごして、町の自警団に入団した。
偶然、王族の前で剣を振るう機会があり、そこでルイスに剣の腕前を気に入られ、護衛騎士となった。
王族の身辺に付き添う護衛騎士は、貴族の子息がなることが多く、身分の低い出自のサイモンは珍しかった。
慣れない城の慣習は苦労することも多かった。
自分の剣の腕を気に入ってくれた主のために、謂れのない中傷にめげず自分の役目に誇りを持った。
ルイスは幼い頃から大人びいた無口な子供だった。
それは第二王子という立場のせいだっただろう。
年功序列のこの国では、兄である第一王子が世継ぎとして早くから認識され、第二王子はその補佐になるべく子供のころからそう躾けられる。
両親である国王夫妻も兄弟間で差別はしなかったが、やはり世継ぎの兄王子への期待の方が大きく、第二王子としての立場を早くに理解して立ち振る舞う癖を身につけた。
少し冷めた感情を抱えて諦めるところを、サイモンは常に心配した。
この先、この小さな主は自分の望みを言わないで生きていくのだろうかと。
その後、第三王子が生まれると、ルイスも少し年相応の子供らしさが出るようになった。
世継ぎとして区別されていた兄王子とも、弟の第三王子の前ではただの兄同士として振る舞うことができた。
そのことにサイモンは少し安心した。
そしてルイスが十一歳になったときに婚約者ができた。
その相手である公爵家令嬢のエステルは、サイモンの目から見ても変わった少女だった。
ルイスとは違った意味で、どこか年相応ではない子供という印象を感じた。
王子の交友づくりのために、城には同年代の子供たちが集められることが時々あった。
そんな時、貴族の子息も令嬢も、親から言いつけられているのか王子に対して必要以上に愛想よくすることが多かった。
それは傍から見ても、同等の友人とは程遠かった。
本人もそれを感じ取るのか、ルイスは彼らと仲を深めようとはしなかった。
周囲からは無口だ愛想が足りないだと言われているルイスだったが、実は人見知りだった。
整った顔のせいで不愛想な印象を与えるが、話すことが苦手でどちらかといえば内気な性格だとサイモンは知っていた。
多くの貴族令嬢はルイスの不愛想な対応に嫌われたと思い込んで泣き出すか、未来の王子妃を夢見て媚び続けることが多い。
そんな中で、エステルだけはそのどちらでもなかった。
適度に距離を保ちながら、あまり構いすぎることなくもよく気にかけていた。
その距離間が良かったのか、最初の頃は返事も少なかったルイスも、一年、二年とたつうちに普通に話すようになった。
周囲から見ればそれでも愛想の少ないルイスだったが、自ら彼女の屋敷にある書庫に行きたいと言ったり、毎月行われる彼女とのお茶会にだけは素直に応じた。
そんな変化に、サイモンは良い影響だと安堵した。
町の自警団に入団しても貧しさに変わりなかったサイモンの境遇は、ルイスに仕えるようになったことで大きく変わった。
その機会を与えてくれた主に感謝し、この先も変わらない忠誠を誓った。
あの出会ったとき、控えめながらもきらきらとした瞳で強いんだなと言った小さな主のためならば、自分の喜びや幸せは必要ないと思っていた。
ある日、ルイスとエステルが恒例の茶会の後に庭を散策していると、彼女の二番目の兄の姿を見かけた。
エステルはそれを見つけるや否や、顔色を変えてその場を走り去った。
公爵令嬢とは思えない速さで飛んでいったエステルの後を、彼女の侍女が慌てて追いかける。
その後ろ姿に呆気に取られていると、ルイスがサイモンに指示を出した。
「……追ってくれ」
「はい」
周囲にいた騎士にルイスの護衛を頼み、サイモンは二人が走っていった方角を追いかける。
侍女の方はすぐに追いついた。
普段走ることなどしない侍女職には、急に走るなど体がついていかないはずだ。
どちらかというと、公爵令嬢の体力の方にサイモンは驚いた。
肩で息をしている侍女に声をかける。
「侍女殿、大丈夫ですか?」
「騎士様……! 私は良いので、お嬢様を追ってください……っ」
息切れながら訴える侍女に、サイモンは姿が消えていった方向を見やる。
「心配いりません。他の騎士がすぐに護衛についているはずです」
そもそもこの平穏な城内で、公爵令嬢が危険な目に遭う恐れはない。
ルイスが追いかけるように言ったのは、エステルに捲かれるだろうと予想した侍女の方だ。
案の定、体力不足で早々に力尽きた公爵令嬢付きの侍女をサイモンは見た。
ふらふらしていて今にも倒れかねない。
「とりあえず、座れるところに移動しましょう」
座って落ち着いた方が良いかもしれない。
東屋の方へ彼女を誘導してから、サイモンは飲み物を取ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
侍女は礼を言って受け取り、それを喉に流した。
少しすると落ち着いたらしく、サイモンの方へ向き直した。
「騎士様、ご迷惑をかけて本当に申し訳ありません」
丁寧に頭を下げる。
まだ若い顔立ちに、黒髪がさらりと音を立てて陰影を落とした。
その時になって、初めてきちんと顔を合わせたことをサイモンは知った。
これまでそれぞれの主に付き添い、同じ場に居合わせることは多かったが、話をすることなどはなかった。
「我々は一緒にいる機会が多かったのに、まだ名前も知りませんね」
「そうですね。私はソフィアと申します」
「サイモンと言います」
侍女――ソフィアは穏やかな微笑みを浮かべた。
まだ若いだろうが、落ち着いた雰囲気だとサイモンは思った。
「そろそろ戻りましょうか。門の方で待っていれば、他の騎士がご令嬢を送り届けるでしょうから」
「はい」
戻る道すがら、他愛ない会話などを交わした。
だがサイモンもさほど多弁な方ではなく、話は共通点のあるお互いの職務のこととなった。
「公爵家では働いて長いのですか?」
「四年になります。男爵であった父が亡くなって困窮していたところを運良くお嬢さまの侍女にして頂いて、本当に感謝しております」
そう言うソフィアの声は本当に感謝していることが伝わるほど真意で、彼女の真面目さが伝わった。
何不自由ない男爵家令嬢として生まれただろうに、自ら働くことになっても不満を言わず熱心に働いていることは、時折り顔を合わすだけの間柄であるサイモンの目から見てもよく分かった。
最初の頃は失敗も多かったのだと恥ずかしそうに笑うソフィアに、サイモンも小さく笑みを浮かべる。
「そういえば、殿下が公爵家の書庫へ伺った時は、よく眠いのをこらえていましたね」
「お恥ずかしい限りです……。静かだとつい眠たくなってしまって……」
白い頬を紅潮するソフィアの表情は、公爵令嬢つきの侍女として振る舞っている時よりも少し子供っぽく映った。
けれど、普段の落ち着いた様子から考えると、それは悪い印象ではなかった。
「私もです」
「サイモン様もですか?」
「体を動かしていないと、落ち着かないもので」
「まあ」
サイモンの言葉にソフィアはくすくすと笑う。
門へたどり着くまでの時間は、距離があったはずなのにすぐに感じられた。
それから、互いの主に付き添っている時に顔を合わせると、笑顔で会釈する間柄になった。
仕事中なので会話をすることはほとんどなかったが、別れるときにはまた笑顔を交わすというそんな関係がそれから数年続くことになった。
華やかに装った人々で溢れかえる会場内を警備して回りながら、令嬢たちの付添いが待機している一角の中に、見知った顔を見つけたサイモンはそちらへ足を向けた。
「ソフィア嬢」
声をかけると、ソフィアは普段の柔らかい表情を少し曇らせていた。
サイモンが心配して訳を聞くと、彼女の女主人のことでだった。
「お嬢さまの付き添いで来たのですが、このところお嬢さまの元気がないので心配で……」
「ああ……」
今日はエステルが社交界デビューの日で、先ほどルイスと一緒にダンスに行ったはずだ。
サイモンも近くにいたのでその時の二人の様子は見ていたが、確かにソフィアの心配通りエステルは元気がなさそうだった。
その原因をサイモンは知っていた。
ルイスがエステルに対してそっけない態度をとっているためだ。
その理由もサイモンは知っている。
この日のために用意していたネックレスをエステルに断られて、ルイスは拒否されたと思っているのだ。
エステルがルイスに対して好意的なことに甘えて、ルイスは言葉が足りないのだ。
その上、これまでだったらエステルの方から時間を置いて歩み寄ってくれていたが、今回は彼女の方も何か悩んでいるようで、そのことにルイスが余計に落ち込んでしまった。
「二人が解決することです」
「そうですが……」
ソフィアも自分が介入すべきことではないと弁えているのだろう。
それでも、女主人を心配して彼女まで元気がなかった。
そんなソフィアを見かねて、後日サイモンはルイスに苦言を呈した。
言葉にしなければ伝わらないのだと自分の主に告げると、ルイスはばつが悪そうな顔をして言葉なく頷いた。
本来であれば一介の護衛騎士にすぎない身分で言っていいことではないが、忠誠を誓っているからこそあえて言った。
そしてルイスも長年側にいる護衛騎士が自分のために言ってくれていることを分かっていた。
それから一年近く経て、ようやく二人の仲は元に戻った。
危うくエステルから婚約を解消されそうになったルイスが、やっと自分の気持ちを伝えて二人は互いの思いを知ることができた。
自分のことのように安心しているソフィアとサイモンは、顔を見合わせて微笑んだ。
「――ソフィア嬢?」
城の中で、一人で歩く後ろ姿を見つけて声をかけた。
声をかけられた主は、知った顔を見て安心したように表情を崩した。
「サイモン様」
「このような所でどうされたのですか?」
エステルの侍女をしている彼女は常に女主人に付き添っている。
けれど今は側にその姿はなく、一人っきりのようだ。
「お嬢様が殿下とのお茶会で来たのですが、お二人がその……私は席を外した方が良いかと思って……」
「殿下……」
ソフィアが少し困ったように口ごもった様子に、サイモンは全てを聞かずとも察した。
エステルに自分の思っていることを告げてから、ルイスは少しばかり積極的になった。
とはいっても、結婚前の節度は厳しく教え込まれている。
婚約者としての適度な距離を護りつつ、以前と変化したこと。
ルイスが思いを言葉にするようになったのだ。
それは側で聞いている方が赤面するほどに。
エステルもそれを真面目な侍女に聞かすのは不憫に思い、退席を促したのかもしれない。
ほどほどにしてください、殿下。
サイモンはそう心の中で自分の主に言った。
届かないだろうけど。
やはりもっと早く感情を表に出すように教えとくべきだったかもしれないと、少し後悔する。
ルイスがようやく素直になった後、おめでとうございます、と言ったら彼はちらりとサイモンに視線を向けてこう返した。
おまえも自分の気持ちに素直になったらどうだ、と。
そのことを思い出して、サイモンは少し眉を寄せて考えた。
ソフィアへと声をかける。
「茶会が終わるまでの間、城の中をご案内しましょうか?」
「そんな、ご迷惑では……」
サイモンの申し出に、ソフィアは恐縮した様子で首を横に振る。
「構いませんよ。今は私も休憩中ですから」
「よろしいのですか……?」
「はい」
サイモンの言葉に、ソフィアが少しほっとした表情を浮かべたところから察するに、やはり一人で城の中にいるのは落ち着かなかったらしい。
城の中を回りながら、ソフィアはサイモンの説明に真剣に耳を傾け、興味深そうに周りを見ていた。
途中で騎士団の練習場の近くを通る。
見知った同僚たちに出くわし、その中にいた団長が笑顔を浮かべながら声をかけてきた。
「綺麗な女性連れだな。おまえの婚約者か?」
「団長。からかわないでください」
その言葉に、ソフィアが白い頬を真っ赤にしている。
彼女は長く公爵家で働いていて、こういった冗談には慣れていないのだろう。
サイモンは同僚たちを適当にあしらってその場を過ぎながら、ソフィアに声をかけた。
「申し訳ありません。騎士団は男ばかりなもので女性への配慮に欠けていて……」
「い、いいえ。私のせいで、サイモン様の恋人に誤解されてはご迷惑をかけてしまいます」
まだ赤い顔を俯かせながら、いつもより速い口調でそう言った。
「私に恋人などいませんよ」
「けれど、騎士様は女性から人気が高いでしょうから……」
「あいにく、私は殿下に仕えることだけを考えてきたので」
サイモンは決して女性に人気がないわけではない。
何よりも騎士という職は華やかだし、主人に忠誠を誓う姿は評価も高い。
ソフィアもサイモンのそんな評判はよく耳にした。
そして思っていた。
会えるのは、自分の主に付き添っている時だけ。
それ以上の話をできる方ではないのだと。
俯くソフィアの、黒髪に縁どられた紅潮した横顔をサイモンは見つめる。
話をするようになり、彼女の人となりはよく知っていた。
真面目で仕事熱心で、自分の女主人のことを一番に思っている優しい性格だ。
決して派手な美人ではないが、清楚な雰囲気は彼女の内面を表しているようだ。
エステルに付き添って城へ出入りをすることも多く、城で働く男性陣から密かに人気がある。
自分の職務に忠実な彼女は、主の付き添いで城に行きながら結婚相手を見繕うなんて真似はしないだろうが。
けれど、今日みたいに一人でいれば男が近づいてくることもあるかもしれない。
そうなっては遅いと、サイモンは思った。
ルイスに言われた言葉が脳裏をよぎる。
人のことを言えないのかもしれない。
思っていることは、口に出さないと相手に伝わらないのだ。
「私は、団長に言われたことを迷惑だとは思っていません」
サイモンはソフィアの前に立ち、真っ直ぐに見つめた。
ソフィアの白い頬が先ほどよりも赤く染まっていく。
「常に一生懸命なあなたをいつも見ていました。私はそんなあなたを素晴らしく、同時に美しいと思います」
ずっと、自分の剣を強いと褒めてくれた主のためだけに生きていた。
そんなサイモンの生活に、常に真面目に働く清楚な彼女が現れた。
彼女と目が合い笑顔を交わすようになってから、自分がそれを楽しみにしていることには気づいていた。
「サイモン様は殿下の信頼も厚く将来有望な方です。没落した元男爵家の娘などでは、今後サイモン様のご出世に影響が出てしまうでしょうから……」
「身分ならば、私は平民です。釣り合わないのは私の方です」
「そんなことは……。サイモン様は素晴らしい方です」
「私もあなたを素晴らしい女性だと思います。もし、身分ではなく私自身を見てくださるのなら、私の手を取ってください」
ソフィアの前に、サイモンは片膝をついて跪いた。
そして彼女に手を差し出す。
「この先、生涯あなたを護る役目を私にくださいませんか?」
ソフィアの目に涙が浮かんだ。
顔を手で覆いながら、もう片方の手をサイモンの手に重ねる。
サイモンはその手を引き寄せると、そっと甲に唇を落とした。
立ち上がると、優しくソフィアを抱きしめる。
「殿下たちに報告に行きましょうか」
「はい」
嬉しそうに微笑むソフィアの手を握り、自分の主に報告するためゆっくりと歩きだした。
二人が結婚を報告した時、エステルが嬉しそうに叫んだ。
「私、あなたを不幸にしてしまう設定も回避できたのね!」
悪役令嬢になった時のバッドエンドフラグこれにて全て回避終了です。
ありがとうございました!




