4-2
インターネットで自分の名前を検索にかけたことはあるだろうか。
私は小学生の頃、パソコンの扱い方を習う授業中にやったことがある。今にして思うと、何でそんなことをしたのか分からないが、おそらくなんでもいいからパソコンを使ってみたかったのだろう。知らない単語を調べればよかったのだろうが、何が知らないのかさえ曖昧な年頃だ、自然と身近な自分の名前を打ち込んでいた。
もしかしたらパソコンに聞けば自分がどういう人間なのか分かる気がしたのかもしれない。検索に引っかかったのはいやらしいビデオに出ている同姓同名の女優さんだったけど。当時の私が授業中に画面いっぱいに肌色を表示させた時は担任の教師も焦っていた。
今も自分自身のことを理解できていないのだから、ネットに聞いても返ってくるはずがないのに。
もし調べればなんでも答えが返ってくるものがあったとして、私は何を調べるだろう。テストの答えだろうか。葵祭の優勝者だろうか。
知りたいことはある。でも知ることが必ずしも正解でないことも分かるようになってしまった。それを成長したというのか、臆病になったというのか分からなかったけれど。
その臆病者が携帯の前で完全に停止していた。
霧隠彩葉。手に収まるほどのデバイスに、その名前を入力した瞬間にすぐに電子の海はレスポンスしてきた。ヒット数約一万。始めは同姓同名を疑った。しかし一番に上に彩葉くんをそのまま幼くした想像通りの姿の画像を見つけ、彼自身の知名度の高さを思い知る。そして一番上にあった記事へと飛んだ。
……天才少年の没落?
そのページを広がると一面に広がったのは、一つの掲示板だった。トップには彩葉くんについて。彼が中学生ながらにして有名な画家であったことがつらつらと書かれていた。記事を拡大し、ゆっくりスクロールしていった。
――――――――――――――――――
時間が、停止した。数秒いや数十秒、呼吸を忘れ、言葉を忘れ、それに見入っていた。
目を、意識を、心を奪われ。
酸素を欲した体が、ぜいぜい呼吸を荒げ始め、意識がやっと我に返った。
それは、絵。
画面一杯に広がっていたのは彼が描いたと思しき絵の数々だった。
これ彩葉くんが……?
信じられないと思うと同時に彼らしいなとも思った。しかしその絵の下に出てきたのは不吉な文字の羅列。高速道バス事故。唯一の生き残り。天才の狂気。――人殺し。
………………
………………………………
〈高速道バス事故だって〉
〈乗客全員が死んだって話だろ?〉
〈こいつだけ、生きてたんだけ?〉
〈天才だとかもてはやされてたんでしょ? ざまあみろ〉
〈実はこいつが殺したんじゃねww〉
〈それはねえべ〉
〈でも生き残ったのがたった一人っておかしくね?〉
〈偶然でしょ〉
〈ま。もう絵は無理っしょ? そもそも下手くそじゃん〉
〈これも親とかに描いてもらったんじゃねw〉
〈あ。自分も小学校の頃、それでコンクール入賞したわ〉
〈こんな奴のためにスレ開くのも無駄〉
〈お前何なんだよww〉
………………
………………………………
――これって。
その事件のことは私も知っていた。この間も三年経ったということで追悼番組がやっていたのだ。
彼があの事件に関わっていたなんて。
ネットの心無い声に私は思わず唇を噛み締める。彼はそんな人間ではない。そう擁護したいが、私は彼のことを何も知らない。知らなくても弁護できるほど弁が立つわけでもない。感情に任せて他人像を妄想するほどタチの悪いものもない。
それでも、これはあんまりだろう。
天才が天災に変わり、神童が鬼の子に変わる。
勝手に期待されて。勝手に裏切られたと言われ。
彼はきっと、ただ絵が好きだっただけだろうに。
この数年で抜きんでて凄惨な事件だった。それでも一年後にはほとんどの人の記憶から薄れていた。
だけど、彼の心には残り続けている。心ない言葉だけが、評価だけが、後味の悪い結末だけがいつまでも消えずに残っている。
誰も咎めない罪を彼は未だに背負っているのだ。
同情がないと言ったら嘘になる。だけど、それ以上に――羨ましいと思えた。
だって彼は好きなものが分かっているのだから。分かっていれば、進むことができる。
今の彼はきっと、立ち止まっているだけ。
彼の背負っているものを下ろせとは言えない。それは彼を否定することでしかない。
そもそも私には誰かを説教する資格なんてないのだ。
自分自身のことさえ知らないのだから。
私にも趣味と言えるものはある。読書。執筆。歌。それらは確かに好きだ。だけど、そうではないのだ。彼ものとはまるで違う。
私は、何がしたいんだろう?
私は手元にあった劇のイメージ絵に目を落とした。目の前にある画像に比べれば色もなく、線も荒い。素人目に見ても腕が落ちたと評価されるだろう。
でも。
私にはそれが、とっても楽しそうな絵に見えた。
だから彼に描いて欲しいと、私は思った。
彼なら、私の知らない、私の世界を描いてくれるのではないか。
そんな、淡い期待を抱いてしまったから。




