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人間、悩みがあってもなんとかなるもので、さまざまな方法で凌ぐことができる。
解決であれば最善だろうし、そうなくともやる気回復のためのいい息抜きになる。
その最たるものは食であり、さらに言えば女の子であれば大抵の場合、甘い物を食べればその機嫌だけは回復する。その例に漏れる人はいるだろうけれど、生憎とその例にすっぽりと入ってしまっている私は、ウキウキしながらメロンパン屋の前で包装されるのを待っていた。
学校近くの公園によく売りに来る移動式パン屋。トラックの側面の看板にはマスコットと思しきキャラクター。オレンジ色の夕張メロンだったけど、売り物のメロンパンはどう見ても無果汁。夕張どころか、メロン果汁が入っていないのは問題にならないのだろうかと思いつつも、果汁入りのはべちゃべちゃして好きではなかったので、指摘はしなかった。
今日も長い長い一日が終わった。朝から役者は台本片手に通し練習を行い、大道具は金槌片手に土台をせっせと組み立て、そしてなぜか私はいつの間に脚本だけではなく監督の地位まで獲得したようであり、あらゆる場所で引っ張りダコとなった。演技指導や設計ができるわけでも重い物が持てるわけでも裁縫ができるわけでもないけど、私が話を考えた以上、意見を聞きたいらしい。意見を問われても、私としては困ってしまうのだけど。
私はお話とキャラクターを作っただけに過ぎない。それに命を与えるのは他でもないそれを動かす者達なのだ。私が好きなように動かしていいものではない。
だとしたら。私が、お話を掻く意味なんて、どこにもないんじゃないだろうか。
自分の言葉なんて、どこにもないんじゃないだろうか。
そんなことを考えても決して答えなんかでないのだけど。……いや。
出しちゃいけないの間違いか。
……それが違和感なのかな。
この数日で抱いているみんなとのズレ。
私のもとから私の心が離れてしまっているかのような感覚。
遙は気にしすぎって言ってたけど。
その遙は部活の方のミーティングあるらしく、途中で別れてしまった。今の時間だと、他のクラスメイトもそれぞれの寄り道をする人は多い。辺りを見渡せば他にもアイスやクレープを片手にわいわいしているカップルやらプチ女子会を開いているのが見える。葵祭のシーズンは非日常の雰囲気もあってか、開放的になる生徒が多い。まあ、そのせいで不純異性交遊を敵視した教師の巡回がたまにあるわけなのだけど。
お嬢ちゃんおまたせ一人でもてるかい。
皺の多い優しげな顔をしたパン屋のおじさんに、伏せ目がちのままで代金を支払うと、メロンパンが一杯に入った紙袋を手渡してきた。受け取ると、ほんのりとした温かさが伝わってくる。夏ではあるけれど、温かいパンがおいしいのはどの季節でも同じことだろう。
抱きしめた紙袋から漂うバターの香りが鼻孔をくすぐり、口の中で唾液が分泌される。
甘い香りによる幸福感に浸っていると、
うまそうじゃのう。
いつからだろうか。気づいたら、隣にはその少女がいた。
横から私の持っていた紙袋を覗き込んでいる。目と鼻の先に綺麗な顔があって驚いた。大人びた見た目の少女は指をくわえて羨ましそうに私を見上げた。ずるいほどに様になった上目遣い。グラマーな胸が強調されていたけど、本人は気づいていない様子。
うーんどうしようかのう。
眉間にシワを寄せ、今度はパン屋さんを見る。ちょうど上目遣いのままで。絶妙なオネダリポーズである。
どうだいお嬢さん。うむ一つ貰うとするかのう。
そう言ってその女の子は懐から巾着を取り出した。小銭しかないのか、しばし硬貨を取り出すのに悪戦苦闘してから笑顔で、これをもらおう、と握り締めた拳を突き出していた。見た目に反して大変に幼い仕草。そのギャップにやられたのか、はいよ、とおじさんはデレデレと紙袋を渡した。おまけしといたよ。パン屋さんの言葉に美人は得だなあと別段羨ましがらずに思った。大変なことも多そうだし。
メロンパンを嬉しそうに受け取った女の子はこちらに振り返り、ニカと童女のように笑った。その綺麗な笑顔に女の私も思わずドキッとしてしまった。眩しい笑顔が直視出来なくて俯いてしまう。
数も多いし、食べながら帰ろうと、逃げるようにその場を後にしようとすると、腕を掴まれた。振り返れば先ほどの女の子が目を輝かせ、ベンチを指差している。一緒に食べようということなのか。単に待ちきれないだけの様子だけど。
引っ張られるままに私は彼女と隣り合わせでベンチに腰を掛けた。初対面と話すのは得意ではなかったけれど、その場を逃げ出す口実を思いつくほど私は利口ではなかったし、そして何よりどこか不思議な彼女をもう少し見ていたい気持ちになった。
いただきます。二人で声を合わせ、メロンパンを頬張り始める。
うまいのう。
身を悶えさせながらその味に感嘆する少女。私はそんな彼女を横目で観察する。
同級生では見たことない顔だ。雰囲気からして上級生だろうか。化粧っ気がないのに、はっきりした顔立ち。高校生とは思えないほどに色気を漂わせながらも、ちぐはぐなまでに無邪気な笑顔とその行動。とても同世代には思えない。
可愛らしい、といえば哀川さんを思い浮かべるが、愛嬌のある顔というよりはどこか近寄りがたささえある神秘的な造形だった。その美術品と言われれば納得してしまう人間離れした美しさに、パンを齧りながら観察していると、口元にパンくずをつけた少女が話しかけてきた。
こんなにも美味い物を食うっておろうに浮かない顔だのう。
自分の顔は分からない。返答の代わりにメロンパンに齧り付く。
お主音楽が好きなのか。
少女の話題に私は首を傾げる。その耳当ては聞くための道具なのだろう、と私のヘッドホンを指差す。そうでもないと首を振る。これは私自身つけていることを忘れる。気にってはいるが、音楽を聴くためではないのだ。すると、不思議そうな顔になる。
ふぁしょん、という奴か。
まあそんなところです。
本当の理由は言わなかった。このヘッドホンは飾りだ。一人でいる時、一人でいたいというポーズに役に立つ。雑踏の中でお手軽に孤独になれる。おすすめはしないけど。
女の子は辺りを見渡すとおやつを片手に葵祭についての話をしているのが聞こえる。舞台はどうするやら予算は足りないやら主役がダイコンやらそのほとんどが愚痴だった。人の美点よりも悪口の方が盛り上がるらしい。
賑やかじゃな。
あ、葵祭が、近いですしね、と多少つっかえながら応じる。
お主も準備しておるのか。
首肯。そうでもなければ部活でもないのに、夏休みに来るようなことはしない。冷房の効いた図書館に行く。あなたもですか、と他の話題も思い浮かばない私はそう尋ねる。
そうじゃなあ。楽しみにはしておるよ。
遠足前の子供のように頬を緩ませている。甘い物だけが理由ではないのだろう。
お主は楽しみではなさそうじゃな。
そんなに不景気な顔をしていただろうか。自分の考えた脚本を舞台にしてもらえるのだから嬉しくないわけがないのだけど。
迷い、か。いいのう人の子の特権じゃ。
悩みなんかないかのようにカラカラと笑う。彼女には悩みがないのだろうか。おやつ買う時とか悩みそう。勝手な想像をしてみる。
遠くから学校の放送が聞こえる。完全下校を知らせるものだ。その放送を耳にした少女は口の周りのビスケット生地のカスをつけながら、そうじゃ、お主は自分の声を聞いた声があるか、と話題転換。
この前放送室で遊んでおったらのう、という切り出しをしたので、放送部か何かなのだろうかと聞くと、胸を張って部外者じゃと応えた。まず学校を遊び場にしてはいけないと思うのだけど。
少女は構わずに続ける。
自分の声をろくおん? して聞いてみたら儂の声が聞こえての。あれには驚いた。
好き好んで自分の声を録音している人間というのは珍しいだろう。自分の声が他人には思っているように伝わっていないというのはよく聞く話だけど。
お主は自分の声聞いたことあるかえ?
否定。聞きたくもない、とは言わなかった。録音したこともないし、する機会もない。……あ、いや。彩葉くんがやったっけ?
そうか。ともあれ是非とも最高の祭りを見せておくれ。
そうして、少女は立ち上がる。私はこれも何か縁だろうと思い、なんとなく名前を尋ねてみた。普段はそんなことしないのに。
「いなりじゃ」
その言葉に、私は本当に、本当に驚いた。文字通り耳を疑った。
その声は、その一言は、この数年聞いたことがないくらいに綺麗なものだったから。
なんじゃ、幽霊でも見たかのような顔をして。
かっかっか。といなりと名乗った少女は奇妙な高笑いをする。
……気のせいだろうか。私はそう思った。いいや、勘違いなんかじゃない。
でも。だって。何で。疑問と否定が入り混じり、思考が迷走しているのが自分でも分かる。
いなりといえばこの周辺の神社に祀られていた神様を思わせる。
彼女は、何者なのだろう。……神様?
とても馬鹿らしい考えではある。
笑い飛ばせない自分がいるのも事実だった。
この人は、きっと私でさえも聞こえない声を聞いていただろうから。
劇を楽しみしている者がいる。一生懸命な者もいる。
そのどちらでもない私は、何に動かされて参加しているのだろう。惰性? いいや違う。
私は、何がしたいのだろう。
期待してるぞえ。いなりさんはそう言い残して去っていった。




