(付録)豊かな航海のための推薦図書
いつもの居酒屋。賑やかな喧騒を背景に、今日もテーブル席の片隅では資産形成の談義に花が咲いていた。
漣はジョッキを置き、ふと思いついたように切り出した。
「最近、投資や資産形成の勉強をするために、よくYouTubeなんかを見ているんですけど。動画も分かりやすくていいんですが、腰を据えて本でもしっかり勉強したいなって思うんですよ」
山下は、注文した焼き鳥の串を一本手に取り、相好を崩した。
「それは良い心がけだね。ネットの情報は早くて便利だが、本という形にまとめられた知恵には、また別の重みがあるからね」
漣は姿勢を正し、少し緊張した面持ちで尋ねた。
「そこで、山下さんに質問なんですけど。資産形成をするうえで、山下さんが本当におすすめだと思う書籍ってありますか?」
漣の問いかけに、山下は少し考えを巡らせるように天井を仰いだ後、意外な一冊を挙げた。
「そうだね。まずは、『人月の神話』。これは金融資産の話ではなく、システム開発に関する本だね。」
「まさに、私たちの職業の話題ですね」
咲が驚いたように目を丸くすると、山下はニヤリと笑って頷いた。
「そう。システム開発を生業にする君たちにはぜひ読んでほしい本だ。
この業界では古典中の古典だよ。『遅れているプロジェクトに人を追加投入すると、さらに遅れる』という、エンジニアなら誰もが一度は直面する教訓を説いている。今でも十分に通じる話だし、物事の本質やマネジメントを理解する上ですごくためになると思うよ」
「最近の本だと、『Die with Zero』かな。死ぬときは資産をゼロにしておきなさい、という大胆なタイトルの本だ」
山下は自分のグラスを見つめながら、穏やかな口調で続ける。
「若いうちにお金を使う経験の価値や、人生の各ステージでしか味わえない喜びがあることを教えてくれる。資産形成は大切だけれども、行き過ぎは良くない。貯め込むことだけが正義ではなく、人生全体の豊かさとのバランスが大切だ、というメッセージが込められているんだ」
「そうですよね。あくまで資産形成は幸せになる手段であって、目的ではないですものね」
咲の言葉に山下は満足げに頷いた。
「あとは、世間で評判の良い本はだいたい、結局は長期分散積み立てを謳っているのだけれど……そんな中で、『Just Keep Buying』や『敗者のゲーム』なんかを読むと、投資の『握力』が増すのでおすすめかな」
山下は二人の顔を交互に見た。
「『Just Keep Buying』は膨大なデータをもとに、とにかく『ただ買い続けなさい』というシンプルかつ最強の戦略を説いている。一方で『敗者のゲーム』は、投資という戦いで勝ち残るには、派手な手柄を立てるのではなく、いかにミスを避けて市場に居続けるかが重要だと教えてくれるんだ。暴落が来ても、この本の内容を思い出せば、きっと冷静でいられるはずだよ」
ロウソクの火が揺れる中、漣は山下の言葉を反芻していた。単なるテクニックではなく、人生のバランスや心の持ちようを説く山下のアドバイスは、今の漣にとって何よりも心強い指針となっていた。
「それから、もう一冊。お金の本質を知るなら『サイコロジー・オブ・マネー』は外せないね」
山下は、氷の溶けかけたグラスを軽く回した。
「この本が面白いのは、投資を『数学』ではなく『心理学』として捉えている点だ。どれほど賢い人でも、恐怖や欲に負ければ資産を失う。逆に、平凡な人でも自分の感情をコントロールできれば、驚くほどの富を築ける。投資の成否は、頭の良さよりも『振る舞い』で決まるということを、多くのエピソードで教えてくれるんだ」
「振る舞い……。まさに、メンタルの話ですね」
漣が感心したように呟くと、山下は満足げに頷いた。
「そう。結局のところ、一番の敵は市場ではなく自分自身の心なんだよ。この本を読んでおけば、自分の弱さを知ることができて、より賢明な判断ができるようになるはずだ」
「そして最後に、少し毛色の違うところで『LIFE SHIFT』。これは百歳時代の人生戦略を説いた本だ」
山下の声に、さらに熱がこもる。
「これからの時代、教育・仕事・引退という三ステージの人生モデルは崩壊する。マルチステージの人生をどう生き抜くか。無形資産――つまりスキルや健康、そして今こうして三人で飲んでいるような『人間関係』がいかに大切かを教えてくれる。資産形成の目的が、単なる数字の積み上げではなく『長い人生を豊かに生きるため』だと気づかせてくれるはずだよ」
「無形資産……。お金だけじゃない、人との関係性も大事な資産ってことですね」
漣は、隣に座る咲の存在を改めて意識しながら、その言葉を胸に刻み込んだ。
「ありがとうございます。なんだか、読むのが楽しみになってきました」
隣の咲は、教えられた本のタイトルを熱心にスマートフォンにメモしている。
その真剣な表情を眺めながら、漣はいつかこれらを二人で読み合える未来を、静かに想像していた。




