第8話「鬼に衣」
「それで、ただの人間である戸田君」
「なんだよ。文句あんのか? 助手らしく助けてやったんだぜ?」
「いえ、助かりました。鬼との癒着が進行していれば家族をも襲う危険性があった。だからこそ母親には家の中に居て欲しくなかったので」
「邪魔されたくなかっただけのくせに」
「よくお分かりで」
「俺をココに連れてきた理由を言え。無関係じゃねぇんだろ? ここはあの女の家か?」
「御明察。戸田君は見掛けによらず賢いみたいですね。
ココは君を襲ったあの少女の家だ。因みに少女は二階の自室に居ます。鬼の活動範囲時間は夜。つまり朝、昼は最も力の弱い時間帯です。ですから、鬼の反撃が出来ない時間に交渉を始めます。そして戸田君」
桃李は白魚のような手をゆっくり振り翳し涼季を指差す。そして艶を含んだ妖しい笑みでゆっくり言葉を紡いだ。
「君には贄になってもらいます」
贄。それは交渉において最も大事な足掛かりである。交渉する為には、まず話をする体裁を取って貰う必要があるからだ。
妖においては酒。霊にとっては焼香。そして鬼にとって、それは決まっていない。人の時もあれば糞尿、汚物であることも。
今回、桃李は〝贄〟に涼季を選んだ。理由は取り憑かれた少女——香が自我を保っていたから。
通常、鬼に憑かれた人間は活動時間である夕刻から朝方に掛けて身体を乗っ取られる。それは癒着状態を見る為の黒目の進行度で判断出来るのだが、少女の目は真っ黒にも関わらず〝少女の言葉〟を発していた。それには激しいまでの感情が必要になる。それほど鬼が喰らい尽せないほどの仄暗い感情が。
「それを俺が『はい、分かりました』と受け入れると?」
「思ってるわけないじゃないですか。でも君は此処からもう出られませんよ」
不敵な笑み。そう評するに値する桃李の表情を見、涼季は嫌な想像に駆られた。
バタバタと足音を立て玄関に向かいドアノブを回しに掛かる。すると指先に静電気のような痛みが走り弾かれた。
音などしない。何も見えない。目の前にあるのは何の変哲も無い扉。少し前、自ら潜った筈の敷居だ。それなのに今は触れようとしただけでピリピリとした痛みが走り、触れることすらままならない。涼季は顔を顰め、背後に位置する桃李に怒気を飛ばした。
「おい……どういうことだ!?」
「俺は〝鬼〟を弾くように呪詛を掛けた札を張っただけですよ。でも良かった。貴方が〝鬼番長〟で」
やられた。涼季は瞬間的に敗北を実感し奥歯を噛む。鋭い目つきで桃李を睨み付ければ臆する様子のない桃李が「二階へ行きましょう」と誘った。
仕方なかった。行き場がないのだ。涼季は従うしかない。この場の支配者たる鬼退治屋に。