不審者 <2> ヨルンside
ヘルゲは驚いた。
そこに連れられてきたのはまだ幼い娘だったからだ。確かに見たことのない衣服を身に着け、この国では見ない風貌をしてはいるがどう見ても子供だった。
その者の容姿を見れば、18年前の事件に関連しているとはとても思えない。騎士長に命じられ、その少女を連れてきた兵士は彼女を床に突き飛ばし、剰さえ踏みつけだした。
「ヘルゲ様、お連れしました。この者でございます」
兵士の言葉に、ヘルゲはそちらに顔を向ける。
少女を見れば衣服は汚れ、その顔にもちらほらと傷跡が見える。捕えられた際に出来たものだけでないのは明白だった。何某かの折檻を受けたようだ。
ヘルゲは兵士に近づくと、表情は穏やかなままに告げる。
「お前は阿呆か?こんな子供に何ができるっていうんだ。こんなに体痛めつけて何考えてやがる」
表情こそ普段と変わりないが、明らかに怒気を含んだその声音に、兵士は顔を青くした。
「いくら不審者として捕えたからと言って、不必要な折檻を与えてはならない。お前、自分が何してるか分かってる?」
「ア・・・・、あの、その・・・私は、そんなつもりは・・・」
「あぁ?じゃあどんなつもりがあってこんな事してんだよ」
慌てて兵士は少女から足をおろすと、その場で頭を下げた。
「誤っても遅い。お前の処分は追って下す。さっさと下がれ」
ヘルゲの言葉に、兵士はだらだらと冷や汗をかきながら静かに部屋を後にした。
そして二人残された部屋でヘルゲはため息をついた。
まったく、こんな小さな女の子に酷いことするもんだ。
ヘルゲが近寄りその少女の顔を覗き込む。擦り傷が見えるその顔は痛々しくはあるが、まったく見たことのないその平たい顔に思わず笑ってしまった。
「本当に見たことない顔だな。ハハハっ」
そう言って思わず頬を突く。するとおびえた表情をした少女に慌ててその手をひっこめた。怯えている少女にすることではない。自分の行動が軽率だったと一度ため息をつき、今度は少女の様子をうかがいながら声をかける。
「おい、大丈夫か?立てるか?」
そう言って少女の腕を掴んでその場に立ち上がらせる。小柄なだけあってとても軽い。
立ち上がった少女はヘルゲを確認すると、怯えた表情で飛び退いた。怯えさせないように微笑みながらゆっくりと近づくが、少女はさらに怯え部屋の隅へと走って逃げる。
ヘルゲはそこへゆっくりと近づいていくが、今度は別の隅へと走って逃げる。そんなことを何度か繰り返していると、ようやく少女は諦めたのかその場で動かなくなった。そして泣き出し始めたのだ。ヘルゲはこれ以上怖がらせないようにと極力ゆっくり近づき、少女を縛り付けている縄を優しくほどいた。
自分を拘束していた縄がほどけた感触に驚いて少女がヘルゲを見上げる。
「大丈夫、もう痛いことしないから、な?」
「・・――――?」
少女から発せられた言葉はまったく聞いたことのない言語だ。この国の物でも、他国の物でもない。取り敢えず危害を加えないことと、会わせたい人がいることを伝えようとするも、少女は首をかしげるだけだ。
「オレ、安全。何もしない、な?」
身振り手振りを加えるもやはり通じない。警戒心は解いてくれたようで、黙ってヘルゲを見つめるが呆けたままだ。
このまま手を引き連れて行こうとすれば、また怖い思いをさせてしまうかもしれない。なんとか自分に着いてきてくれるように誘導するにはどうしたものかと考えていると、突然目の前の少女は意識を手放しその場に倒れこんだ。
「え!?マジで?ちょ、大丈夫か!」
執務室で待っていたテオバルトとユーリッツに、別の兵士から声が掛かった。
「失礼いたします。シュタート団長、ノイブルグ副団長がお呼びです」
「何事だ」
兵士の伝言に何かあったのかとテオバルトに緊張が走る。
「いえ、詳しいことは…、早急においでくださいとのことです」
「殿下」
「ああ、早く行け」
「はっ」
ユーリッツはテオバルトを促すと、彼は急いで部屋を後にした。そしてヘルゲが不審者を確認するはずだった部屋の前に来たところで、別の方向から掛けてくるヘルゲの姿を見つけた。
「あ、テオ!よかった、ちょっと来てくれ」
「どうした、変な魔術でも使ってきたか」
「いやいや全然。そんなんじゃなかった」
「…どういうことだ」
慌てた様子はあるものの、緊迫した空気のないヘルゲの言い様にテオバルトは不審に思う。急いで来いなんていうものだから何か危険なことでもあったのかと思っていたのだ。
それにヘルゲに促されて連れられた来られた場所は医務室だ。
「どういうことだ」
同じ質問をもう一度問いかける。それにヘルゲが答えようとすると、部屋の扉が突然開かれた。
そして目の前に現れたものに、今度はテオバルトが驚く。
そこには自分の胸にも届かない背丈の少女がいた。少女もテオバルトを見て驚き、真っ青な顔をしている。
「まさか、この娘が・・・」
「んー?あ、起きた!」
テオバルトの後ろから様子を覗き見たヘルゲは、少女の姿を確認するとにっこり微笑んで近づく。ヘルゲに気付いた少女は先ほどとは打って変わってヘルゲにしがみ付いてきた。そして何かを懸命に訴えている。
「え?あー、ごめんな。なんて言ってるか全然わからない」
「―――!――――」
言葉が通じず、訴えを諦めた少女は今度はヘルゲの横をすり抜け部屋を飛び出そうとした。するとすぐさまテオバルトがその細い腕を捕える。そして暴れる少女をそのまま部屋の中へと連れていき、逃げられないように扉を閉めてから手を離した。
たちまち少女の瞳から涙が溢れだす。
「相当怯えてるよ。テオバルト顔怖いもんなぁ」
「なんだと」
「事実だし…ていうかなんで枕持ってるんだろう」
そう言いながらヘルゲは少女を落ち着かせるべく優しく背を撫でながら、なぜ持っているのかわからない枕を取り上げた。
そして、どうにか安心させようと考えた彼は、思いついたように自分を指さした。
「ヘルゲ!ヘルゲ、ヘルゲ」
突然自分の名前を繰り返しだした男に、テオバルトは不審げな視線を向ける。
だが、対する少女は涙をひっこめ黙ってそれを聞いている。そしてか細い声で同じ言葉を発した。
「へ、ルゲ…」
舌ったらずではあったものの、しっかりと聞き取れた。
「そうそう!オレ、ヘルゲっていうの。君は?」
初めて意思疎通が図れたことにヘルゲは喜び、少女の名前を尋ねる。少女もヘルゲの質問を察し、自分を指さしながら何度か言葉を繰り返した。
「アキラ、アキラ、アキラ…」
「アキラ!」
聞いたことのない名前だ。だが発音はしやすく、ヘルゲがその名前を口にすると、少女は少し表情を和らげた。そんなアキラの頭を優しくなでる。
「そんでこっちの怖いおっさんはテオバルト」
「おい」
「テオバルト、テオバルト」
そう言って今度はテオバルトを指さしながら名前を繰り返す。アキラは少々怯えながらもテオバルトを見つめ、ヘルゲの口元を確認しながらその名前を口に出してみる。
「テ、てばりると…」
「テオバルト」
「テ、テオバルト…」
「そう!よくできましたー」
そう言って再び頭を撫でまわす。緊張を解したアキラが一度テオバルトに視線を向けると、すぐさま身を固くした。その様子にヘルゲが優しく背を撫でる。
「お前が怖い顔するからまた怯えちゃうだろう」
「もともとこういう顔だ。悪かったな」
二人が会話をしていると、再びアキラはヘルゲに何か訴えだした。
「―――――、!――――――――」
「え?え?」
「アユミ!アユミ!アユミ!」
先ほど名前を繰り返した時と同じように、ある言葉を繰り返す。
誰かの名前だろうか。
「ア、ユーミ?」
どうやら誰かの名前らしいが見当もつかない。彼女はまたしてもヘルゲから離れると出入り口へ向かおうとした。だが案の定テオバルトが立ちはだかる。さすがにそこを突っ切ることもできず、あたりをきょろきょろと見回した。そして徐に窓に近寄ると、外を確認する。
まさか、と二人は嫌な予感がした。
そのまさか、アキラは窓を開け放つとその身を外に投げ出そうとした。ヘルゲが駆け寄るよりも早く、テオバルトはアキラに近づきその体ごと片腕で抱え込み、部屋の中へと引き戻した。優しく床に足をつけさせると、もともと威厳のある顔がさらに厳しくなり、その低く太い声が部屋中に響き渡った。
「何を考えている!死にたいのかお前は!」
そのあまりの剣幕にアキラは怯えきっている。そしてすぐさまテオバルトから逃げ出すと、ヘルゲの背に隠れてカタカタと震えだした。
その様子に溜まらずヘルゲは大声をあげて笑い出した。
「はっはっはっ!!あぁああっはははは!心配して助けてやったのに、めっちゃ怯えてる!ひぃっ、ははははは!」
「おい!そんなに笑うことか!」
「だ、だって、・・・・くくっ、ひぃーっ、ははは。めっちゃオレには懐いてくれてるのに、お前めっちゃ嫌われたな」
「うるさい!それより状況を説明しろ。どうしてこんな子供がここにいる」
「はーっ、はーっ、ふぅ、やっと落ち着いた。だからー、この子が一緒に門から来た子らしいぜ」
「こんな子供がか」
「だな。魔力なんて感じないし、怯えるばっかで何もできないような子だぞ。何かするとは到底思えない。それなのにこんな怪我させやがってよー。急に気絶したからここで手当てしてもらってたんだ」
「分かった。それならさっさと魔術師を呼んで来い。このままでは埒があかん。念話で話した方が早い」
テオバルトは苛立たしげにヘルゲに命じる。
「ま、確かにそうだな」
そう言ってヘルゲはしがみつくアキラを優しく離すと部屋を出ようとした。が、再びマントを引っ張られる。見れば彼女は一人にしないでとばかりに首を振って涙目で訴えてくるではないか。
テオバルトと二人になることが相当に嫌らしい。
再び笑いがこみあげるが、これ以上テオバルトの機嫌を悪くしていいことはない。ヘルゲは笑いを抑えながらテオバルトに提案する。
「なあテオ。お前が行ってきてくれよ。オレこの子のこと見てるからさ」
「お前と女を二人に出来るか」
テオバルトの言い草にまたしても吹き出しそうになる。どうみても子供のこの子に、ヘルゲが何かをするわけもなく、どう考えても意地を張っているようにしか聞こえない。ヘルゲはアキラに申し訳なさそうにすると、さっさと部屋を後にした。
「ヘルゲ―!・・・・」
アキラの悲痛な叫びが部屋に響く。取り残された彼女もそうだが、テオバルトも気まずいことには変わりなかった。
なるべくこの怯える少女を刺激しないように、自分は離れたところから監視する。逃げるそぶりを見せないならば何もしない。その様子のテオバルトにアキラは警戒しながらも先ほどまでの張りつめた空気はなくなった。
そしてしばらく待っていると、ヘルゲが部屋に戻ってきた。ヘルゲを見るなりその背にしがみ付くアキラ。
「なに、テオがなんかしちゃったの?」
「知らん!」
嫌みたらしく言うヘルゲに、いらだち紛れにテオバルトが答える。ヘルゲはこれ以上からかうのは自分の利益にならないとし、しがみつく少女へと視線を移した。
「ようやく話ができる人が来るよー」
ヘルゲがそう言うが早いか、扉が開かれ一人の男が入ってきた。
「ルネリアン」
テオバルトが驚いて彼の名を呼ぶ。彼は王宮にいたはずだがいつの間にこちらに来ていたのか。
「こちらの砦の魔術師と連絡を取った後、すぐに王都を発ったのです。こちらについたのはあなた方より少し遅かったですが。あのような強大な魔力を使うものがいるとするならば私が赴いた方がより安全だと思いましてね」
ルネリアンは淡々と語った。彼は王宮専属の魔術師で、数十年に一度の逸材なんて称賛される魔術師である。確かに彼の言うように、確かな力を持つ魔術師がいた方が安全ではある。だが、王宮専属というように、基本的には王の許可がなければ王都は離れられないはず。
「もちろん国王陛下にはご了承いただいています」
「そうか」
ルネリアンの言葉にテオバルトも納得した。
「では早速。お前、私の言葉はわかるか?」
ルネリアンはアキラに向き合うと話しかけるが、当然ながら彼女は首をかしげる。
「・・・・?」
「やはりダメか」
言うが早いか、ルネリアンはアキラに近づくとためらうことなくその額に人差し指を当てた。
そばでその様子を見ていたテオバルトとヘルゲは指を当てられた直後の少女の驚きように感心した。驚いた表情をしたかと思えば、真っ青だった頬は紅潮し瞳を潤ませている。どうやら念話によって意思疎通が図れたらしい。それをたいそう喜んでいる様子だ。
暫く彼らの念話を黙って見つめ、ルネリアンがアキラから離れた。それを見計らってテオバルトが声をかける。
「何か分かったか」
「…ええ。どうやら彼女はこことは全く違う別世界から来たようです」
「別世界?」
ルネリアンの言葉にテオバルトもヘルゲも驚いた。魔法は使える世界であっても、別世界や異次元などの存在の概念は存在しない。お伽噺みたいなものだ。俄かには信じられない。
「それに、彼女、妹がいるそうですよ」
「妹?」
「ええ、妹も一緒に来たはずだと言っています。捕えたのはこの娘だけですか?」
「ああ、そう聞いているが」
「でしたら、まだあの森の中にもう一人いるやもしれませんね」
ルネリアンの言葉に緊張が走る。だが、この娘の様子からすると、妹も魔力は持たないただの人間かもしれない。テオバルトがどうすべきか悩んでいるとヘルゲが話に加わる。
「とりあえず、この子だけでも殿下に会わせようぜ。この子の言ってることも気になるし、嘘をついてるようには見えない」
「…そうだな、だが森の中の捜索は続けるようにしておくぞ」
テオバルトがそう言うと、ヘルゲはアキラを部屋の外に出るように促した。
そして、ユーリッツの待つ執務室へと三人で向かうのだった。