39 本当のめでたしめでたし
アンリはレオナードの屋敷へ越すことになった。
レオナードが一緒に暮らしたいと言うのに、アンリが頷いたのだ。断る理由もなかったし、何より、ジョンがもうすぐ結婚するのが大きい。新婚家庭にお邪魔するわけにもいかないし、同居を解消するのは、既に決まっていた。
「さみしくならない?」
十年間一緒に暮らしてきたジョンへ尋ねると、彼は「せいせいするね」と言う。素直じゃないなぁ、とアンリは呆れた。
「こんなこと言ってますけど、この人、こないだは『アンリが先に家から出ていくんだ』ってさみしがってましたよ」
「サリー!」
真っ赤になったジョンが、恋人の暴露に声を上げる。アンリは腹を抱えて笑いつつ、十年間二人で暮らした家を引き上げた。
「そういえばさ」
ジョンがふと、声を上げる。アンリが首を傾げて促すと、彼はやや小声で言った。
「お前と領主さまって、どういう関係なの」
領主さまとは、レオナードのことを指す。アンリはどぎまぎしながら答えた。
「と、ともだち……? 付き合ってほしいとも言ってないし、言われてないし?」
「うん。お前はそういう奴だった」
呆れた様子のジョンに見送られて、わずかな荷物を持って屋敷へ向かった。使用人たちが出迎えてくれる。おっかなびっくり荷物を預けるアンリへ、背後から抱き着く人がいた。
「おかえり。アンリ」
「レオナード、……閣下」
もう王族ではないのだった。レオナードは「敬称はつけるな」と不満げに目を細めつつ、アンリの手を引く。
「俺たちの部屋は、もう準備してある。行くぞ」
「え、同じ部屋なんですか?」
アンリが尋ねると、レオナードは「何を言っているんだ」と眉をひそめた。
「結婚したのであれば、同じ部屋に決まっているだろう」
「すみません。五分ください」
ああ、とレオナードはそれに応じる。アンリはしばらく頭を抱えてうんうん唸った後、そうだ! と声をあげた。
「そもそも僕たち、付き合ってませんよね」
「付き合っていただろう。同棲するなら、それはもう結婚も同然だし」
ますますレオナードの眉間のしわが深くなる。あれ、とアンリは首を傾げた。
「いつから……付き合って……?」
「十年前、キスしたときからだ」
湯が突然沸騰するように、アンリの顔が真っ赤になった。あ、あれは、と視線をさまよわせながら弁明する。
「事故、では? だって僕、あのときほとんど意識がなくて」
「俺の意志でキスしたんだ。事故ではない」
大真面目に言うレオナードに、「でも」とアンリは反駁した。
「そもそも僕たちは、付き合おうという合意をしていません!」
「なんだ。お前は、合意しないのか?」
「そういう問題じゃない!」
アンリは吠えた。アンリは純情な男だった。
顔を真っ赤にして、「そもそも」と、腰に手を当てて胸を張る。
「あなたの方こそ、僕からのこ、こく、告白の返事を、していませんよね」
少しだけ勝ち誇った顔のアンリに、レオナードは「ほう」と皮肉げな笑みを浮かべた。
「あんなキスをしておいて、言われないと分からないのか?」
「わっ、分からないですね~」
アンリは視線を泳がせる。分からないです~、と長年の接客業で鍛えた愛想笑いを浮かべて、レオナードを見上げた。
そしてその瞳が全く笑っていなかったので、思わず凍り付いた。
「分からないか?」
レオナードはじっとりとした視線で、アンリを舐め回すように見ている。本能的に危険を察知して、身体が強張った。
たぶん捕食者は、獲物を前にすると、こういう目つきをする。
「分からないです……」
それでもやっぱり、アンリは言葉が欲しかった。顔色をうかがうように見上げると、随分と大きくなった年下の男は、低くうめく。
「分かってやっているのか?」
何を言っているのだろうか。アンリが首をかしげると、レオナードがひょいとアンリを小脇に抱えた。
眼鏡がずれるのを慌てて押さえつつ、アンリは大人しく抱きかかえられる。そのまま彼は二階へあがり、奥まった部屋の扉を開けた。
そこには大きなベッドが置かれている。分厚い布地のカーテンが窓にかかっていて、その隙間のレースカーテンが、風と日光を浴びて輝いていた。
後は質素な家具が置かれただけの部屋。
レオナードはアンリをベッドに転がす。抵抗なくシーツの上へ転がると、レオナードが覆いかぶさった。
そのまま近づいてくる唇を、掌で阻止する。不満げなレオナードに、アンリは強い口調で、要求した。
「言って」
そっと手を離す。レオナードは顔を赤らめて、そして、蕩けるように目を細めた。
心底幸せだと言わんばかりの、照れたような、怒っているような表情で、アンリの瞳を見つめた。
「好きだ。愛している。付き合ってくれ」
うん、とアンリは満足して頷く。レオナードの頬を手で包めば、彼の高い体温が伝わった。
「僕も、あなたが好き。……いいですよ」
レオナードが息を吐いて、アンリへとのしかかる。全体重を預けられて、何度も名前を呼ばれた。そのたびにアンリは返事をして、彼の頭を撫でる。
アンリはレオナードを抱きしめて、その腕の中で目を閉じた。知らない香水をつけていて、大人の男のにおいがする。声だって身体つきだって、あの頃からすっかり変わってしまった。
だけどアンリが好きになった、レオナードその人だと分かる。二人はそのまま、ずっと抱き合っていた。
以降、アンリとレオナードは、それなりの数の喧嘩をすることになる。そして、同じ数だけ仲直りをした。
レオナードは領地となったそこをよく治め、繁栄の礎を築くこととなる。
アンリは技師としての腕をふるい、多くの技術を遺すこととなる。
そうして本当に、今度こそ、二人は末永く幸せに暮らしたのだ。二人にとって最初の喧嘩となったのが、この十年越しの顛末である。




