37 真・その後の顛末
月日の流れは速いものだ。アンリたちがとある田舎町に流れ着き、暮らしはじめ、十年が経とうとしていた。
アンリは今日、二十八歳の誕生日を迎える。
アンリの武器店に来る人々はみんな、口々にお祝いの言葉を口にしてくれた。近所の子どもなんかはわざわざ遊びにきて、野原で摘んだのだという花を贈ってくれた。
「アンリくんとジョンくんのおかげで、わたしたち、お外でお花を摘めるようになったんだよ」
「わるいバケモノが減って、父ちゃんたちも安心して働けるって、母ちゃんが言ってた」
アンリが開発した魔道具は、主に魔獣狩りを手助けする武具が多い。
品揃えは多岐に渡った。遠距離から安全に仕留めるための武器や、弱らせるための罠、魔物の攻撃を防ぐ防具などが取り揃えてある。
細かい作業が多くなって、アンリは眼鏡をかけるようになった。だんだん分厚くなりつつあるレンズの奥で、青い瞳を眇める。
「ありがとう。嬉しいよ」
アンリは子どもたちへ礼を言って、「ちょっと待ってて」と瓶を引っ張りだした。
中には、皮革の端切れで作った動物のおもちゃが入っている。
「はい。いつものお礼だよ」
「アンリくん、誕生日なのに、わたしたちにくれるの?」
笑顔で頷けば、子どもたちは我さきにとおもちゃをとっていった。
すっかり中身が軽くなった瓶をしまっている間に、子どもたちはどこかへと行ってしまった。
「元気だな……」
アンリもいい歳だ。家庭を持たないか、と、地域の知り合いから年頃の女性を紹介されることもある。
子どもが嫌いなわけではないし、温かい家庭にも憧れがある。だけど気乗りしなくて、ずっとそれを断っていた。
結局はまだ、彼への未練を、立ち切れていないのだ。
たそがれるアンリに、「すみません」と声がかかる。慌てて店先へ出ると、武具の注文のようだった。
見知らぬ顔だった。近辺の街から来た狩人だろうか。
ここでは珍しい金髪が、かつての思い人を思い出させるようで、はっと首を横に振る。
「はい、はい。対魔獣用の魔銃ですね。うちで取り扱っています」
アンリは店の奥から在庫を取り出し、箱を開け、中身を取り出す。安全装置が作動していることを確認しながら、金属の塊を取り出した。
「弾丸ではなく、魔力を込めるのがこの銃の特色です。各属性の魔力をエーテルへ一律変換し、ここを切り替えることで魔力を弾丸へ変換。また、こっちのレバーで弾丸の種類も選択できます」
いつも通りの説明をしていると、「そうか」と彼が頷く。
「では、これも説明してもらおうか」
そう言って、彼が懐から取り出したのは、アンリがかつて置いてきた、母の形見のピアスだ。壊れているはずの右側まで、綺麗に修理されて揃っている。
「は?」
「アンリ」
低い声が、アンリの耳元へと流し込まれる。ぱちん、と世界が弾ける音がした。
途端に、目の前の彼を、思考が正しく認識する。
「レッ、レオナード、殿下……」
十年経った。その間に、彼は随分と背が伸びたようだった。
幼さはすっかり抜けて、精悍な顔立ちをしている。紫の瞳ばかりが変わらない。見とれてしまうほどの美丈夫に成長した彼は、怖いくらいの無表情だ。
そして、大きな両手で、アンリの腰をがっしり掴んだ。
「どうして逃げた」
「え、えっとぉ~……」
あまりのことに絶句していると、単刀直入に本題を切り出される。アンリは、必死で思考を巡らせた。言い訳を必死で考えて、考えて、えへ……と愛想笑いをした。
「あの、その、なんでここに?」
話を逸らそうとする。レオナードは「ああ」と、こともなげに答えた。
「いろいろあって、臣籍降下されることになった。要するに、兄上の地盤を固めるための追放だな」
うんうん、とアンリは頷きつつ、逃げ出す隙を探った。とんでもない話をされているが、それはそれ。もぞもぞと身動きするアンリの下腹部に、彼の親指が食い込んでいく。
「お前がいなくなってから、俺は随分荒れた。酷かったぞ」
う、とアンリは呻いて、動きを止めた。ちらりとレオナードの顔色をうかがうと、怒ったように眉をしかめている。
「……ごめんなさい。身勝手、でした」
「ああそうだ。許すわけないだろ」
レオナードは食い気味に、脅すように言う。いや、でも、まさか、とアンリは口ごもった。
あれからもう、十年も経っている。わざわざ自分を見つけ出すだなんて、そんな、馬鹿なこと。
「じゅ、十年間、ずっと、僕を思って……怒って、いたん、です、か……?」
確信を濁して尋ねるアンリに、レオナードは重々しく頷く。
「怒っていた」
では、彼がここへ来た理由は。アンリが絶句してうつむくと、彼は「顔を上げろ」と命じる。
はい、と顔をあげると、彼は今にも泣きだしそうな顔をしていた。アンリが思わず息をのむと、彼はそのまま、アンリの首筋に顔を埋めた。熱い吐息がかかって、びくりと身体が震える。
学生時代にも、こんなことがあった。
「あいたかった」
その言葉に、火が灯ったように身体が熱くなる。その、と口ごもりつつ、そっと彼のたくましい胸元に手を当てた。
「一旦、は、離れませんか」
「離れない」
「え~……」
アンリは途方に暮れてしまった。レオナードはアンリを抱きしめたまま、頑として動かない。仕方ないので、アンリは彼の背中をさすって宥めようとする。
「後でたくさん謝ります。だから、今は離れて」
「いやだ。どうせ逃げるんだろう」
なにもかもが突然すぎて、アンリの頭は追いついていない。とにかく、と口ごもりつつ、その身体を押しのけようとした。
「そろそろ同居人が帰ってくるので……」
「は? 同居人?」
レオナードが血相を変えて顔をあげる。うわ、と仰け反るアンリに、「浮気か」と食って掛かった。
「浮気もなにも、僕たち付き合っていませんよね」
「は、はぁ!?」
レオナードが顔を真っ赤にして怒鳴る。と、外の戸が開く音がした。
「ただい、ま……」
ジョンが帰ってきた。彼は、レオナードを見てぽかんと立ち惚けている。
レオナードは「お前か……」と地の底から響くような声を出しつつ、ジョンを睨んだ。
「この間男が」
その支配的な低い声に、アンリの産毛が、ぞわりと逆立った。一方のジョンは目を見開いた後、「な?」と、平然と首をすくめている。すべて分かっていた、と言わんばかりの様子だ。
「お前、あんなんで済むわけないだろ。本当に馬鹿だな。じゃあ俺、今日は外泊するから」
そう軽やかに言って、彼はそのまま出ていってしまった。十年間の友情は、儚い。
再び、店内に沈黙が満ちた。アンリは抱きしめられるまま、レオナードの鼓動を聞いていた。胸板を叩くように、レオナードの胸は鳴っていた。
アンリが恐る恐る顔を上げると、レオナードはじっと、アンリを見つめている。その視線に誘われるように、アンリはそろりと口を開いた。
「……背、伸びました、ね」
手を伸ばすと、撫でろと言わんばかりに頭が差し出された。遠慮なく髪に指を通す。
撫でると、「アンリ」と切ない声を出した。
「どうして、逃げた」
アンリの頭に、一度にいろんなことが吹き荒れた。
どうすれば、彼を傷つけず、突き放せるだろう。
どうすれば、彼の人生から、アンリという瑕疵を取り除けるだろう。
アンリは瞳を揺らして、俯く。
「あ、あなたのことが、いやになった、から……です」
「嘘をつくな」
咎めるような、呆れたような、だけどいとおしむような声だった。アンリは顔を上げずに、「だって」と口を開いた。
「あなたと、あのまま、一緒にいられるわけなかったでしょう」
口に出すと、止まらない。アンリはレオナードの胸にしがみつき、「だって、だって」と言い訳を重ねた。
「身分差が、……僕は罪人の息子です。誰にも許されるはずが、ない」
「それがどうした」
「あなたにだって、悪い影響があったでしょう。い、いやだったんです。僕のせいで、あなたの人生が、狂うのが」
ぼろぼろと、言葉がこぼれていく。気づけばアンリの頬を、温かい液体がつたっていった。
レオナードは、「アンリ」と、蕩けるように笑った。顎をすくわれて、顔をあげる。
十年ぶりに、彼の笑顔を見た。あの頃の無邪気さは失われていて、大人びた、苦くて精悍な笑みだった。
「全部片づけてきた。俺は王族じゃないし、お前のために、こんなところにまで勘当されてきたんだぞ」
なあ、と、彼は甘い声で囁く。
「俺のこと、責任とってもらってくれ」
「くるってる……」
アンリの胸に、嵐が吹き荒れた。喜びや、罪悪感や、恐ろしさがないまぜになって、鼓動を揺らす。
「ああ、そうだな」
レオナードは、穏やかにアンリの頬を指の背でぬぐった。たかが半年程度一緒にいただけの男に、レオナードは一体、何を言っているのか。何を望んでいるのか。
だけどアンリのとるべき行動は一つだった。アンリはレオナードを見つめて、無理に微笑んだ。
その紫の瞳からはもう逃げられないし、アンリも逃げるつもりはない。
アンリは「かがんでください」と注文をつけた。レオナードは、喜んでかがんだ。
その頬に両手を当てて、アンリは、彼を真っすぐ見つめた。
「ずっと好きでした。今も、愛してます」
そう言って、アンリからレオナードへと口づける。レオナードはただ、それに応えた。
こうして、アンリはジョンと棲み処を分けた。レオナードの暮らす屋敷の一室へ移り、そこがアンリの終の棲家となる。




