受付嬢リリスの異変
アケミ皇女からプロメテウスの監視と調査の依頼を受けた私たちシリウスは、まず彼らの動向を掴む為に冒険者ギルドを訪れていた。
「リーダーって、みんなに嫌われてるのか?」
シリウスの新メンバーであるドミニクがこそこそと囁く。
失礼な発言を否定したいところだが、冒険者ギルド内でヒソヒソと聞こえてくるのは私への誹謗中傷だった。
「あれがメンバーを追放したっていうクリスティーナか?」
「キツい性格してそうだもんな……くわばら、くわばら」
どうやら、私がレオたちを追放したという話になっているらしい。下手に反応して噂の種になるのも嫌だったので無反応を決め込んでいたが、事実と全く異なる出来事がさも真実のように語られているのは不愉快だった。
「なんでも受付嬢から聞いた話だけどよお、シリウスは魔神に勝てると思って事件に首を突っ込んで、その尻拭いをプロメテウスにさせたらしいぜ」
「うわ、最低だな。それで報酬金も得たんだろ。うまい商売だぜ、まったく」
おまけに私が目立ちたがり屋ということになっていた。反論したい気持ちをぐっと堪える。
今はアケミ皇女から依頼を受けている身。騒ぎを起こすのはあまりよろしくない。
「見当たりませんね、プロメテウス」
私の言葉にドミニクは頷いた。
プロメテウスの動向を掴む為に冒険者ギルドに顔を出したが、肝心の相手はもうすぐ昼過ぎになるというのに姿を見せない。
徒労に終わったかと思いながら、腰に下げた魔道具の剣にそっと指で触れた時、入り口の方からどよめきが聞こえてきた。
「レオ様、お待ちしておりました!」
弾むようなリリスの声。
耳に飛び込んだ人物の名前に、私とドミニクは揃って肩をビクリと震わせた。顔を隠したローブの下からそっと様子を伺う。奥の方にいるので、意識しない限りはこちらに気づくことはないだろう。
「…………」
「…………」
私たちは無言で視界の端にカウンターを捉えながら、さも時間を持て余した他の冒険者たちのようにテーブルの上にカードを広げる。耳にはアケミ皇女から渡された盗聴器の機能を持つピアスを付けていた。
監視されているとも知らずに、レオは呑気にカウンター越しから受付嬢リリスと世間話で盛り上がっている。
「やあ、リリス。今日の依頼はどうかな?」
「はい、こちらが今日の朝に持ち込まれた依頼です。ご要望の通り、北西のダンジョンの依頼は誰にも斡旋していません」
向かいに座るドミニクの眉が跳ねた。
冒険者ギルドでは、受付嬢から依頼を斡旋することはあっても、特定の冒険者やパーティーが極端に有利になるような手続きはするべきではないとされている。もっとも、担当者やその時々の状況に合わせてさじ加減が変わるので明文化されているわけじゃない。
ただ、極めてグレーゾーンであることは確実だ。
「うん、ありがとう。この依頼をどうしてもプロメテウスで引き受けたかったんだ。助かるよ、リリス」
「いえ、レオ様のお役に立てるなら……!」
頬を赤らめ、嬉しそうに口元を緩めるリリス。
レオも柔らかく微笑んでいて、甘酸っぱい雰囲気が漂っていた。
「ケッ、なんだよ、えこ贔屓じゃねえか」
周辺にいる冒険者からのやっかみと冷えた視線は厳しいものではあるが、当の本人たちは気づいていない様子だ。
依頼の受諾手続きを済ませたレオは振り返った。そこで周囲からの冒険者たちの視線にようやく気がついた様子だった。
爽やかな笑みを浮かべ、ホール全てに響くような声を張り上げた。
「ああ、底辺の皆さんこんにちは。こんなところで油を売っていないで、仕事でもしたらどうですか?」
明らかに全ての冒険者を下に見るような発言。レオは怒号と野次が飛び交うなか、悠長に欠伸をした。
もう我慢ならないと襟首を掴もうとした粗暴な冒険者の手を捻り上げ、冷笑を浮かべる。
「こんなんで僕より上のランクなんておかしくないかな、リリス?」
レオは悲鳴をあげる冒険者を無視して、受付嬢リリスに話しかける。
彼女は頬を染め、胸を手で押さえながら叫んだ。
「はい、レオ様の仰る通りです! 冒険者エドのランクを剥奪しましょう!」
「Bランクは各支部に最低でも十人は必要って決まりがあったよね?」
「プロメテウスのメンバー全てをBランクに昇格させれば問題ありません!」
非難の声があがる。
まあ、たしかに冒険者エドが胸ぐらを掴もうとしたのは暴力的行為だったので、厳しい罰則や注意が課せられるべき振る舞いだったけど、いくらなんでも受付嬢の一声でランクを剥奪することはできない。
「越権だ! 取り消せ!」
もちろん、エドの仲間たちが受付嬢リリスの横暴を許すはずもない。あっという間にカウンター越しに彼女へと詰め寄る。その中にはレオの手から逃げたエドも混じっていた。
「……なあ、あの受付嬢の様子、なにか変じゃないか?」
ドミニクがそっと耳打ちしてきた。
「確かにそうだね。あれだけ多くの男の人に詰め寄られて怒鳴られているのに、怯えるどころか驚く素振りもない……」
視線の先にいる受付嬢リリスはエドとその仲間たちの事など意識の片隅にもない様子だ。頬を赤らめてレオを見つめている彼女を見て、エドたちは『話が通じない』と早々に抗議する相手を変えていた。
レオが思い出したかのように告げる。
「あ、そうだ。リリス、プロメテウスの名簿からあのオーガ女の名前は消しておいてくれ」
「はい、かしこまりました!」
もしかして、グレゴリアのことか?
名簿から名前を消すということは、追放したということ?
混乱する私を他所に、レオは冒険者ギルドの空気を最悪にするだけして、さっさと建物の外へ出てしまった。
これからどうすると問いかけるドミニクの視線に、私は素早く思考を巡らせる。
レオが冒険者ギルドを訪れたのは、北西のダンジョン『海鳴りの塔』に関する情報と依頼を集めるためだろう。攻略の準備などもあるので、数日は近辺で必要な物を買い集めるはずだ。
一方で、グレゴリアはパーティーで活動しないと決まった以上は故郷に帰るか、別の場所で仕事を探す可能性がある。プロメテウスの内情を知るなら、彼女から直接的に聞いた方が早いはずだ。
「グレゴリアを探すべきだと思います」
「なら、俺はレオの動向を見ておく。部外者の俺がいちゃ話せないようなこともあるだろ」
「ありがとうございます。では、お願いします。夕暮れまでには一度、ここに戻ってきますね」
ドミニクはヒラヒラと手を振って、レオを追いかけて冒険者ギルドの外に出た。
私もグレゴリアの行方を掴むべく、建物の外に出ようとして、掲示板の張り紙に意識が向いた。
『護衛求む。大森林を抜けるまで護衛をする冒険者を探している。日程は三日間、報酬は200ウミユリ。討伐した魔物の素材は護衛に一任する。グレゴリア』
見覚えのある字で書かれた拙い依頼書は、他の依頼の下に埋もれるようにして張り出されてあった。
何度も練習したのか、紙の片隅にはインクがべっとりと染み付いている。ヘロヘロとした字は、大盾を構えて魔物の攻撃を受け止めるグレゴリアに似つかわしくなかった。
「いきなり会うよりも、依頼を通して話を聞くのが自然かな」
依頼を引き受けるかどうかは別にして、ひとまずグレゴリアに通してもらえるような理由になると考えた私は、その依頼書を丁寧に掲示板から剥がして新人受付嬢のカウンターへ持っていった。