お茶会
「私のお母様についてですか?」
「はい。リディアーヌ様と私の母様との関係については、母様から少し聞いたことがあるので多少知っていますが、私自身はリディアーヌ様と会話したことがほとんどありません。どういう方か知りませんので、この機会にクラリス姉様の口からリディアーヌ様について聞かせて頂ければと」
以前屋敷の前で姉様と会話した時からまたしばらく経ち、約束通り姉様の部屋で勉強会という名のお茶会をしていたところ、姉様から何か聞きたいことはないかという言葉に私はそう質問した。
「そうですね。例えばどのような事が聞きたいのですか?」
「クラリス姉様から見たリディアーヌ様の印象と、リディアーヌ様のクラリス姉様とダミアン兄様への接し方……それとイザベル様との関係性に、私のことを実際はどのように思っているのか。などでしょうか?」
「ふふっ、なんだか多いですね。答えるのが大変そうです」
苦笑しながら言う姉様の言葉に思わず謝ると、「別に責めてはいませんよ」と微笑して姉様は語り始めた。
「ではまず私のお母様への印象から話しましょうか。私から見てリディアーヌお母様は、自分の感情に対してとても正直な方ですね。ミーナも知っているようですが、お父様と結ばれた際もとても強引に迫られたそうです。リシャール侯爵家とお母様の実家であるバロテル伯爵家は、元々政治的にも地理的にも決して家同士の繋がりが強いとは言えない関係だったそうです。お父様が若くして侯爵家の当主になられ、貴族同士の顔つなぎのために出席していた王都のパーティー。その最中にお母様曰く運命の出会いを果たしたそうです。当時まだ16と成人したばかりのお母様はそのパーティーでお父様に一目惚れをされ、お母様のお父上であり私のお祖父様でもあるバロテル伯爵が決めた婚約を、無理矢理白紙にさせてリシャール家に嫁いで来たそうです。最初にその話を聞いたのはお母様からだったのですが、後日お父様にも同じ話を聞いてみたらふふっ……今思い出しても可笑しいのです」
そこで言葉を一度区切り、カップを持ち上げて紅茶で喉を潤す姉様。
私は続きが気になり堪らず先を促した。
「それで父様はどういう話をしたのですか?」
手に持ったカップを焦らすようにゆっくりソーサの上に置くと、姉様は再び語り出した。
「お父様のお話によりますと、まずお母様が取った行動はと言いますと……なんと侯爵家が所有するお父様の車に忍び込んだそうです。手段としては、まず身内の使用人を使いお父様から荷物を預かっていると嘘をつかせ、お母様が入れられているその荷物を手渡させたそうです。本来なら疑われ荷物の中身を検めるなりするのが当然なのですが、バロテル伯爵家の家紋を見せたのと、その時ちょうどお父様が現れ荷物を運び込むよう告げたことで有耶無耶になったようなのです。ここがお母様の巧妙な手口です。この時のお父様は既にお母様の手によって酔いが回っていて、正常な判断が出来ていませんでした。加えてお母様はその使用人を使って事前に贈り物を渡すようお父様に伝えていたので、正常な判断能力を失ったお父様は特に考えもせず、お母様の入れられた荷物を車に積ませ帰路につくことになったのです。そして王都にある別邸に帰着したお父様は水浴びもせずに寝室へ行き、そのまま就寝すると……翌朝目覚めた時には、隣に全裸のお母様がいたというわけです。その時のお父様は混乱の極みにあったそうで、必死に昨晩のことを思い出そうとしたそうですが全く思い出せず、けれど隣にいた全裸の少女のその顔に見覚えがあり、婚約者のいる伯爵令嬢だと気づいた時は生きた心地がしなかったとおっしゃっていました。そこからの行動はとても早かったようで、すぐに私のお祖父様に使いを送り、お父様とお母様とお祖父様とお祖母様の四人で話し合われました。その話し合いの末に、その時点であった婚約は白紙に戻され、お母様は正式にお父様と婚約することが決まったそうです。その際にお母様はお祖父様にこっぴどく叱られたものの、お祖母様の助けもありそのままお父様に着いて行き、無事結婚まで漕ぎ着けたという話でした。如何でしたか?」
「……」
姉様から父とリディアーヌの馴れ初めを聞いて、私は何も言えずに閉口した。
如何と聞かれてもなんと答えればいいかわからない。貴族の結婚というのはこういう話も当たり前にあるのだろうか。私としては理想の相手などという贅沢は言わないから、こんな結婚の決まり方だけはしたくないと切実に思った。
さすがにそれを正直に答えるのはどうかと思い、言葉を探していると先に姉様が口を開いた。
「……さすがに5歳のミーナにこの手の話はまだ早かったようですね。それとも私の語りが上手くなかったでしょうか? 私は大変面白いと思ったのですが残念です。──とにかく、リディアーヌお母様はそういう方です。侯爵夫人として落ち着きを得た今でもそういう部分は抜け切っておられないそうで、私やダミアンの前ではたまにそういった面を見せることがありますね」
私が黙って何も言わないでいると姉様はそう締めくくった。
「リディアーヌ様は本来そういう方なのですね。今の話を聞けば、私の母様との仲が良好ではないのも納得できます」
「お母様からすれば自分の行動で勝ち取った結果の結婚であるため、お父様の方からのプロポーズを受けて結婚されたアナベル様に対して、納得し難い気持ちがあるのかもしれませんね」
とはいえ母からすれば八つ当たりに近いリディアーヌの感情は、理解はできても堪ったものではないのでなかろうか。いや、理解できるからこそ憎まず思ってしまうのだろうか。母は母であの性格だから、真っ直ぐな敵意には弱いのかもしれない。
思えば私は父と母の馴れ初めについて聞いたことがなかった。姉様の言によれば父からのプロポーズらしいが、そのことを今度本人の口から聞くのもいいかもれない。
「それでお母様ったら訓練でアナベル様をボコボコに負かせてやりなさい、なんておっしゃるんですよ? それが無理でも顔に一発入れてやりなさいって。そんなのまだ6歳の私には無理に決まっているではないですか。ですから私もついお母様に言ってしまったんです。『そんなにアナベル様がお嫌いならば、ご自身の手で直接やればよいではないですか』と。そしたらお母様は何ておっしゃったと思います? 『以前にあの女に不意う……挑んだ時に魔法を使っても全く歯が立たなかったので、私では無理です。ですが子供のあなたならばあの女も油断するはずです。だから隙をついて至近から魔法をお見舞いしてやりなさい』ですよ? 正直母のあんまりにあんまりなその言葉に、当時の私も呆れて果ててしまったのを覚えています。ただ私も一流の武芸者であるアナベル様に対し、魔法による不意打ちが有効なのか気になったので、殺傷能力の低い風の魔法で体勢を崩したところに一撃を加えようと考え、それを実行したのです。……ですがまるで駄目でしたね。風の魔法を発動した時点それを察知されて、簡単に地面に転ばされてしまいました。寝転んだ私にアナベル様は、発想は悪くないけれどこの程度は対人戦闘に慣れた人ならば誰でも対応できる。もっと体の動きに魔力の流れを合わせないと簡単に対応されてしまうから、まずは基本的な体捌きを修得してからという風に諭されてしまいました。その時に私は、『なぜ武術の訓練の最中にもかかわらず、魔法を使用した私を咎めもせず逆にその発想を褒めるのか』とアナベル様に思わず質問したんです。そしたらアナベル様は、確かに普通は褒められるような行為ではないけれど、実戦では相手やその戦法は選べない。不意を突くのは立派な戦術の一つでもあるので、相手の想像や思い込みの裏をかくことを自分で気づいて実行するその発想と行動力自体は、非常に重要なことだとおっしゃってくれたのです。その時からでしょうか。アナベル様に対して武術の師として以外で、尊敬の念を抱くようになったのは」
話の途中から私の母への評価に変わったが、姉様と母の気安い関係の理由もこれで知れたような気がする。
それにしても姉様の話を聞いていて思ったが、リディアーヌは想像以上に残念な人なのかもしれない。どうしてそんな母親の下でクラリス姉様のような素晴らしい子供が育ったのか甚だ不思議だ。
そんなことを考えていると、部屋に備え付けられている時計の鐘が鳴った。
「あら、もうこんな時間になってしまいましたね。ミーナとのおしゃべりは楽しいので時間が経つのが短く感じてしまいます。それで、あなたの知りたいことは答えられたでしょうか?」
「はい、姉様。色々と聞かせてくださりありかどうございました」
話を聞かせてくれた姉様にお礼を言う。私としても姉様と会話するの好きであるし、こんな時間はそうそうないことだったので素直に楽しかった。
「それは良かったです。──あっ! そういえばイザベル様について話すのを忘れていましたね。最後にこれだけ話しておきます」
思い出したかのように言う姉様に、私も話を聞く姿勢を取る。正直言って聞いた私も忘れていたけれど、聞けるならばこの機会に聞いておきたいことでもある。
「イザベル様……あの方については、お母様も私も決していい感情を抱いていないことをまず言っておきます。きっとそれはあの方も同じでしょうけどね。強引に婚約を結んだ家格が下だけの娘であったお母様と、そんなお母様から生まれた周囲から過分な評価を戴いている娘の私。ミーナは知っていましたか? 実は私は嫡子……次期当主となるよう周囲から推されているのですよ。だから実子であるエドモン兄様を次期侯爵に就かせたいイザベル様は、そんなお母様と私を快く思っていないようなのです。私には国中から婚約の話が沢山来ているのですが、その婚約を最も望み他家に嫁がせようしているのはイザベル様と、その実家のカールストン侯爵家なのだそうです。私としましては、婚約にも当主の座にも正直興味が持てないのですが、そうも言っていられないのが貴族に生まれた宿命なのでしょうね」
苦笑した姉様は少し疲れたような雰囲気を出していた。既に侯爵家の一員として見做されていない私と違って、才能に恵まれそれが翳ることのない姉様は、本人の意思に関わらず周囲が黙っていてくれはしないのだろう。
そんな姉様の妹として、少しでも姉様の気が楽になるようにと思わず言葉をかける。
「姉様の苦労は決して私にはわからないでしょうが……私はどんな姉様であってもお慕いしておりますし、頼りない妹ですが姉様の助けになるならいつでも頼ってくれることを願っております」
そんな私の気休めに軽く目を見開くと、姉様は見惚れるほどの微笑みを見せた。
「ありがとうこざいます、ミーナ。あなたを妹に持てた私はきっと世界で一番幸せな姉なのでしょうね」
「……姉様、それはさすがに大袈裟すぎます」
恥ずかしさで顔が赤くなり俯く私に「そんなことありませんよ」と姉様は言う。
「ミーナが私の相談相手になってくれれば、それだけで私にとっては気が楽になります。それにあなたが自分をどう思っているかなんとなく分かりますが、あなたはあなたが思っている以上に……少なくとも私にとっては、この上なく頼りになる相手なのですよ?」
その言葉にますます恥ずかしくなって声が出せなくなった私を見て、姉様がふと呟く。
「……こんな風に、あの二人とも語らえれば良いのですが」
あの二人が誰を指しているのか考えずとも分かる。
「ベルトラン様とメアリー……様のことですね?」
「はい。あの二人も私たちと同じように大人たちの被害者です。メアリーはおそらく問題ないでしょうが、ダミアン兄様とは……正直もう兄弟仲良くというわけにはいかないかもしれませんね」
悲痛な声音で口にする姉様には悪いが、正直私はそれでも構わないと思っている。
確かに姉様の言う通りベルトランも被害者なのかもしれない。しかしだからと言って、あれと仲良くなりたいかと聞かれれば私は全力で否定するだろう。
そんな私の雰囲気を察したかのか姉様は苦笑する。
「ミーナにとっては二人にあまり良い印象がないでしょうから、共感できませんかね?」
「……いえ、ベルトラン……様はともかく、メアリー様とは良好な関係を築きたいと思わないこともないですよ」
私の言い方に、姉様はまた苦笑する。
「それならば、今度は姉妹三人でこうやっておしゃべりするのもいいかもしれませんね」
その言葉に「そうですね」と私が頷いたところで、扉からノックの音が響いてきた。夕食の時間であると姉様が呼ばれたので、今日はここでお開きということになり、私は姉様からの夕食の同席も断って部屋を後にした。