9.“氷の貴公子”も、“こうりゃくたいしょー”の一人らしい
『さて、皆様もご存じの通りこの国、ウルレーネ王国にある魔法学校は二つだけです。オルブライト王朝の初代王が創設なさったこの王立アリシア学園と、三代目レーネ教皇が創立された皇立ルーミス学園の二つ。この二つの魔法学園はーーー』
何の抑揚もなく読み上げる先生の言葉を、必死にノートに書き留める。
四時間目の一番眠くなる時間帯を更に眠くさせてくる授業である“国学”。
ウルレーネ王国の歴史や現状を勉強する学問であり、私がクラスメイトと一緒に普通に受ける数少ない授業の一つ。本当はとても面白い授業になるはずが、今年七十五歳になる女の先生の一本調子の教科書読み上げのため滅茶苦茶眠くなってしまうという特徴を持っている。
―――まあ、私の場合。
「…ねえ、今年のコールウォールさんの髪を見た?あんなみすぼらしい物で髪をまとめているなんて、さすがは庶民生まれよね」
悪意交じりの痛い視線と言葉のおかげで、まったく眠くならない。ある意味眠気覚ましとして有難いくらいだ。‥‥いや、さすがにそれは嘘だった。
まったく有難くない。
今までは、ロレーナの素晴らしい全力100%のイジメのおかげでここまで大っぴらな悪意はなかった。だけど、ロレーナが私には何もしなくなったため私に苛々がたまった人が増えたらしい。もうほんとに何でだよ。一体何の恨みが私にあるんだ。
私が庶民だからか…。なのに、わけわからない特別な属性を持ってるからか…。
「はぁ…」
一難去ったらまた一難。
いや、一難どこかどんどん苦労が増えていっている。
ぼうっと机を見ていたが、いつの間にか周りの生徒が立ち上がりはじめていた。どうやらちょうどチャイムが鳴ったらしい。
さて、今日のお昼はどこに逃げよう。中庭はこの前見つかってしまったし、他に人がいない場所といえば…。
朝、取っておいたパンを以って私も立とうとすると、机の上に影が落ちるのが分かった。
「コールウェルさん、少しお話しても良いかしら?」
周りに来たのは、三人の女の子。ニコニコと仮面のような笑顔を貼り付けている。
またか。面倒だな。今回はどうやって切り抜けようか。
「ねえ、聞こえないのかしら。その耳はお飾りなの?」
ガッと肩を掴まれる。握力も強く、お化けみたいに長い爪が肌に食い込んでいるためとても痛い。血が出そうだ。爪を切ってくれ。
「聞いてるのっ⁈」
聞こえてますよ、バッチリと。
どうしようかな。ついていっても、二、三回殴られるだけだし。だってこの子たち、まだ全然魔法を使えないもの。属性すら不明の私が言えることじゃないけど。
まあいっか。仕方ないから我慢しよう。
というか、我慢するもなにも。私には、貴族に逆らう術がないだけだけど。
ため息をついて、立ち上がろうとしたその時。
「すみませんが、通していただけませんか?彼女に用があるのですが」
冷ややかな声が、この空気を切った。
「マキシム様」
呆然とした彼女の声が聞こえ、それと同時に肩の手がはなされる。
ギルバートだ。
ハッと顔を上げると、彼の凍っているような澄んだ灰色の瞳が私を映した。
「ここにいたのですか、レベッカ・コールウェル。昼は私の教室に来るように言ったはずですが」
そんな約束はしてない。
「―――そうでした!忘れていて申し訳ございません」
とりあえず口裏を合わせて立ち上がる。私の周りにいる人々がざっと空間を開けた。
ギルバートの、艶のある漆黒の長い髪を結んだ後ろ姿を追う。
それにしても、相変わらずさらさらの髪だ。一体何の手入れをしていればそうなるというのだ。うらやましい…。
「視線が痛いのですが」
「あ、ごめんね」
怪訝そうに振り向いた彼に笑顔になりながらも謝る。
それを見た彼の冷え切った目がーーーー、
「まったく」
ふっ、と緩む。
それに周りの女子がいきなり悲鳴をあげたから、慌てて前を見ろと合図を送った。
暑い廊下から一変、冷え切った教室に入る。水属性の先生が、夏で暑いからと教室を冷やしておいてくれたのだろう。が、冷え過ぎである。寒い!
「さて、肩を見せてください」
「え?」
寒い寒いと腕を摩っていれば、私をここまで連れてきた彼に言われた。
ギルバード・マキシム。愛称ギル。
サラサラの長い黒髪をポニーテールにし、澄んだ灰色の目をもつ氷のような綺麗さをほこる美青年である。規格外の美しさを誇り、水属性(風属性でもあるけど)であるために『氷の貴公子』なんてあだ名までつけられるほどだ。
「さっき馬鹿力で掴まれていましたよね」
「そうだけど、全然痛くないよ」
「血が出てますよ」
「え、嘘」
血、出てるのかな。シャツの一番上のボタンをはずし、肩を露出させる。本当に、爪があたったところが出血していた。うわわわ。すると。
「な、なにしてるんですか⁈」
「え?」
ものすごい慌てふためいたギルに、あっという間に服を直される。
「嫁入り前の女性が、そう簡単に異性に肌をさらすものではありませんよ!」
「でも、傷を治してくれるためには、」
「服の上からでも充分に治せます!」
「そ、そうなんだ‥」
その言葉通り、ギルは服の上から『治癒魔法』を発動させてくれた。
ギルは、治癒魔法のエキスパートなのだ。
集中しながら傷を治してくれるギルの横顔を笑顔で見守る。
彼は、私の恩人であり守護精霊だ。幼い頃私が人さらいに会いそうになった時にも助けてもらったし、学園で怪我したら傷を治してくれる。この前、階段から転がり落ちて足を捻った時にも治してもらった。
本当にヒーローすぎる。
そんなヒーローなギルは、当然のように“こうりゃくたいしょー”の一人だ。
『ギルバード・マキシム!彼は他の人には氷のように厳しいのに、ヒロインだけにはお菓子のように甘い!とても萌え、萌えの塊でしたわ!ハッピーエンドもとても良かったのですが、私が特に好きなシーンは、バッドエンドの復讐ルートでしたわね。彼は最初からヒロインへの好感度が高いので、ヒロインが死んでしまえば序盤でもとても悲しみますの。ヒロインの復讐ルートは、本当に凄惨さを極めました。でもそこが、萌、萌えーーー』
「‥‥」
強制的に脳内でリピートされるロレーナの叫びをシャットアウトした。
“こうりゃくたいしょー”、か。
確かに、私はギルのことが好きだ。恋愛的な意味合いはまったくないけど、大事な友達だ。どうしても誰かと付き合わなければいけないのなら、ギルがいい。
‥‥でも。
こんな意味分からない状況でギルを選んだ!とか嫌すぎる。
そもそも、この状況をなんて説明すればいいんだ。
『あのね、ギル。私、ギルと付き合わないと死ぬらしいの。だから私と付き合ってね。それと、ついでに私のこと守ってくれる?』
……こんなこと言えるわけがないでしょ!ただの脅迫じゃないか!
それに、ギルは私のことを妹のようにしか思っていないだろうし。
本当にこの状況、何なんだろう。キツすぎる。
むっとしながら、ギルの髪に手を伸ばす。
見た目通り、まったくひっかからずにさらっと手が抜けた。絹みたいな手触りだ。羨ましい。
「…何、してるんですか」
「とてもさらさらだなあ、って」
うーん、とてもいい感じだ。今度は、ギルの顔に手を伸ばす。肌もさらさらだ。羨ましいかぎりである。一人で楽しんでいれば、パッとギルに手を掴まれて止められた。
「どうしたの?」
「‥‥あなたって、僕のこと男だとまったく思ってませんよね」
「え?ギルは男だよ?」
そんなの見ればわかる。
「いえ、そうではなくてですね…」
がっくりとギルが肩を落とした。
「あ、傷を治してくれてありがとう!お昼ごはんにしよう?」
パッと立ち上がって、ギルのために座る椅子を用意したのにギルはまったく反応してくれない。どうしたんだろう。
「ギル?」
「ああ、もうそうですよ貴女は昔から…!」
「昔から?」
何だというんだ。キョトンとしていると、ため息をついてギルが立ち上がった。
「いえ、何でもないです。食べましょう」
「うん」
よく分からないけど、ギルがいいなら構わない。私の前に座ってくれるのを待ってから、お昼のパンに噛みついた。