第72話 老兵が袋小路
前回までのあらすじ!
脳筋は黙ってろィっ!!
ラミュが口早に命じる。
「トロロン、オレスティス、裸エプロン。火薬樽を運びなさい」
「いくつだい? ラミュさま~」
「トロロンは二つ持てそうね。他は一つずつで十分です」
トロロンが二つ、オレスティスが一つ、裸エプロンが一つを抱え上げる。
「ヨハン、ネハシム、は前方を警戒しつつ先行。レミフィリアと魔王様は後方をお願いします。くれぐれも勇者二人の急襲に備えてください」
事務的にそれだけを告げると、ラミュはヨハンとネハシムに視線を向けた。
黒妖精を従えたヨハンが先頭を、少し遅れてその斜め後方にネハシムがつく。さらにその後をセアラをつかんだままのラミュと、火薬樽三人組が続き、レミフィリアとユランが殿についた。
ヨハンは元来た道を引き返し、背後に迫っていたミスリル騎士らを視線で押し返す。そこにロスティアの姿はない。リントヴルムやエドヴァルドもだ。
ミスリル騎士はヨハンの視線に圧されて後退する。剣を抜いてはいるが、斬りかかってくることはないだろう。
最後尾を歩きながら、ユランは苛立たしげに爪を噛む。
気絶したのか、セアラの全身はすでにぐったりと伸びている。
「……ヨハンッ、まだかッ!」
「私としてももう少し急ぎたいのですが……」
前方と後方をミスリル騎士に挟まれ、前方に詰める彼らの後退速度と等速にしか進めていない。
「……それに、カナイ砦の侵入者対策でしょうか。通路が入り組んでいます」
右へ、左へ。ときに上へ、下へ。
かつて己が老兵ユラン・シャンディラとして通過した頃は拡張工事中だったが、数十年を経て戻ってみれば工事は終了し、想像以上に厄介な構造になっていた。
至る所に待ち伏せの騎士が潜んでいる。ロスティアの命令が行き届いているのか、手を出してくることはなさそうだけれど。
これでは人質もなく、道案内もなければ、到底抜けられはしなかっただろう。
「ラミュ」
「なんです?」
蛇の女王は振り返りもしない。
ユランは声をひそめ、その背中に尋ねた。
「念のために問うぞ。解毒薬というのは――」
「解毒薬は、わたくしの体内で精製される中和毒のことです」
ラミュはあえて声を張っている。どうやらミスリル騎士らに聞かせるつもりらしい。
そこまで考え、ようやく気づいた。
ラミュがもし解毒薬を荷物や瓶詰めにしているとこたえたら、その瞬間にミスリル騎士らは容赦なく襲いかかってくるだろう。それを奪えば済む話なのだから。
だが、ラミュの毒腺で精製されるのであれば、騎士らにとっても手の出しようがない。蛇の女王の毒腺が体内のどこにあるかなど、彼らは当然知らないのだから。
「……」
結果的にミスリル騎士らの動きを封じる言葉を引き出せたが、己の迂闊さにほとほと腹が立った。もしもラミュのこたえが荷物や瓶だったなら、今ので終わっていたところだ。もっともその場合、頭の切れる彼女は誤魔化すかこたえなかっただろうけれど。
糞……!
ユランは左手を拳にして、己の頬を殴る。
骨を打つ鈍い音がして、頬骨がじんと痛んだ。
信じろ。己はもうカナン騎士団遊撃隊のユラン・シャンディラではない。ニーズヘッグの魔王イルクレア・レギド・ニーズヘッグだ。
ラミュが大丈夫と言ったのだ。信じることも魔王の役割だろう。
深呼吸をして、一度セアラの状態を忘れる。
「……ロスティアが姿を見せんな」
呟いた言葉にラミュが応じる。
「あの方の豪快さでは、わたくしがセアラ王女を解毒するまでは、おおかた体力の温存でもしているのでしょう」
「そのままセアラが死んでしまう可能性は考えていないようだな」
「そうなるように仕向けましたから。さっきわたくしが言ったでしょう? セアラ王女にはまだまだ使い途がある、と。死体では使い途も何もあったもんじゃないですからね。セアラ王女を殺すことは魔軍にとっても不本意なことであると、ロスティアは考えたはずです」
なるほど。この蛇は本当に抜け目のないやつだ。
だがゆえに頼れる。己に足りない部分を徹底して埋めてくれている。
きっちり十五歩の距離を保ち、ミスリル騎士らはついてきている。ユランは抜き身のドライグの切っ先を向けたまま、しかし攻撃はしない。
今は下手に刺激しない方がいい。とち狂って襲いかかられては、糸で綱渡りをするかのような作戦すら途切れてしまう。
前方の騎士に圧力をかけながら進んでいたヨハンが、ふいに早口で呟いた。
「……カナイ砦、抜けます」
その言葉があった直後、前方を後退し続けていたミスリル騎士らが砦の扉を開けた。
中庭だ、ただし先ほどとは違って南側の。
そこにはすでに数百を超えるミスリル騎士らが詰め寄せていた。
だが、ヨハンは足を弛めない。
「カナン騎士の方々、南側大鉄扉を開けていただけますかな?」
「ぐ……っ」
「卑怯者め……!」
「人質を取るなど恥を知れ!」
「問答は無用。お急ぎを。セアラ王女の命の期限が迫っています」
師団長クラスと思しきミスリル騎士が命じると、数名の騎士らが鉄扉横のレバーを回し始めた。
ぎぎ、と重く軋む音を立てながら、南側大鉄扉がゆっくり開いてゆく。その向こう側に見えるは、濃霧とカナイ大橋。そして竜王の爪痕たるカナイ大河の激しくうねる流れだ。
北側大鉄扉とは違い、味方が通ることを前提として造られた南側大鉄扉は容易くその身を退け、魔軍に道を譲った。
大橋まで後退しながら足を踏み出そうとしたミスリル騎士を制するように、ラミュが叫ぶ。
「そこまでです! カナン騎士のみなさまは全員砦内にお戻りなさいな。南側の大橋に出ることはゆるしません。一人でも確認した場合には、セアラ王女の解毒いたしません」
「なんだとッ!?」
「どこまで卑劣なのだ、魔軍は!」
ラミュがあからさまに目を剥き、不快そうに冷たく吐き捨てた。
「卑劣? ……ハ、フフ、戦争協定を一方的に破ったのは、あなたがたの方からではありませんか。……今さら人質一人がなんだというの?」
ミスリル騎士らが歯がみする。
彼らを掻き分けながら、ロスティアが再び姿を現す。
「まあええわい。通してやれ」
「しかし将軍……!」
「セアラ王女が死んだらおぬしが責任を取れるのか? 師団長ごときの首では足らんぞ」
師団長らしき男が押し黙る。
「わかったなら、大橋に出ておる騎士は全員砦内に戻れ」
大橋に出ていたミスリル騎士らが、川の流れのように魔軍を避けながら砦内へと戻ってきた。
そこにもやはりリントヴルムやエドヴァルドの姿はない。
ユランは視線を廻らせる。
いない……。王都の防衛についたのか……?
「これでええか、蛇将軍よぅ」
「結構。それでは、わたくしたちが出たら、一度大鉄扉を閉じてくださいな」
「……ふん、その後は?」
「約束通り解毒はいたしましょう。王女に死なれては困るのは、わたくしたちも同じですので」
「追うぞ?」
ロスティアが訝しげに尋ねてきた。
ラミュは豊満な胸を張って右手を細い腰にあて、挑戦的な表情でこたえる。
「ご自由に。竜王の爪痕、カナイ大河を泳いで渡りきる自信がおありでしたら、是非ともお相手いたしましょう」
ロスティアの視線が火薬樽に一瞬だけ向けられた。皺の刻まれたロスティアの額に、青筋が浮かぶ。
「まったく……ッ! ユランのやつめ、二十年前の突撃の際に、なぜこの蛇を仕留めなかったのだ……ッ。忌々しい……ッ」
幼女の姿となったユランは、内心で驚いていた。
これほどまでにロスティアを激昂させる者が、かつて他にいただろうか。それも武力を一切使わず、賢しき知恵一つでだ。
魔軍が南側大鉄扉をくぐり抜けた直後、鉄扉がゆっくりと閉ざされる。
抜けた……。難攻不落と言われるカナイ砦を……。
それも、誰一人欠けさせることなくだ。
蛇の女王ラミュ・ナーガラージャは肩越しにカナイ砦を振り返り、嘲笑する。
「トロロン、オレスティス、裸エプロン、大鉄扉から少し南側に離れたところで西側欄干から東側欄干まで、火薬樽を等間隔に並べてください」
「ヨハンはカナイ砦の覗き窓に注視。おそらく弓兵が息をひそめているはずです。発見次第撃ち殺してくださって結構です」
ヨハンが背負った金属糸の複合弓を取り回すと、砦を抜ける際に失敬してきた矢を矢筒から三本番えた。
その横でセアラの背に片腕を回し、ラミュが呟く。
「セアラ王女、解毒します。気をしっかり持ってください。急激に血流が上がりますので少し痛みます」
「……か……まわ……ない……。……わ……たしを……利用……しろと……言った……ろ……っ」
「ふりで済めばそれでよかったのですが、相手が相手でしたので。それと、まだ逃亡の必要があります。気絶などしないようにお願いします」
呟いた直後、ラミュがセアラの首筋に再び噛みつく。
数秒後、セアラは震えながら目を開けて、その場でうずくまり、吐瀉をした。
「げぁ……ごぇぇ……っ、ぅぐ、ううぅぅぅ……ああぁぁ…………っ」
樽を並べ終えたオレスティスがすかさずセアラに駆け寄った直後、ヨハンが三本の矢を同時に放つ。
覗き窓に潜んで解毒を待っていた弓兵が頭部を射貫かれ、窓から消えた。
「裸エプロンはセアラ王女を背負って。大鉄扉が開けられる前に退避、イルクレア様の炎の斬撃で加薬樽を遠方から爆破します」
魔軍がそろって走り出す。
大鉄扉が重い音を立て、再び開き始めた。殺気立つミスリル騎士らが、開ききる前の鉄扉から飛び出してくる。
だがその瞬間にはすでに、老兵幼女は抜き身の魔剣ドライグを両手でつかみ、背中まで大きく引き絞っていた。
「……もう遅い!」
特大剣の赤き刀身に轟炎が灯る。
勢いよく飛び出したミスリル騎士らがたたらを踏んだ瞬間、ユランはねじっていた全身を戻し、炎の斬撃を放っていた。
「ぐぅぅおらあぁぁぁぁ!」
それは空間を激しい陽炎で大きくねじ曲げながら、火薬樽へとまっすぐに飛来して――。
「~~ッ!?」
否。炎の斬撃がドライグから放たれる直前、南方より濃紺の影が魔軍を縫って疾走し、斬撃と同時に火薬樽の前でスリットの入った長いスカートを翻した。
それも、透明刃のロングソードを引き絞りながら。
「ハァ!」
ユランの放った炎の斬撃を、冷気漂う透明刃の剣で叩き上げる。橙色の斬撃は進行方向を上方へとねじ曲げられ、開きかけの大鉄扉に激突して消滅した。
火薬樽、無傷――!
熱風に煽られ、仮面の勇者は透明刃の剣、すなわちかつてルーシャというエルフが握っていたドラゴンウェポン――聖剣レヴィアスを静かにかまえる。
「リントヴルム、貴様ッ!」
その直後、後方、なぜか大橋南側で大爆発が起こった。ひび割れ砕けた大橋の残骸を呑み込むように、カナイ大河の流れが王都へと続く道を破壊し、押し流す。
「な――っ!?」
橋を崩された。進行方向を断ち切られたのだ。
決壊した大橋の手前には、細長い曲刀をかまえたエドヴァルドが立っている。
「くふ、くふふふ。さあ、迎えに来たよ~、僕の可愛い天使ちゃん……っ。おうちに来てくれたら、あまぁ~いケーキを焼いてあげるからねぇ~……」
ぞわ……っ。
ごくりと喉を鳴らし、ユランは聞こえなかったことにした。
やられた。カナンの勇者二人が自ら大橋を落とす可能性など、考えもしなかった。カナン王国にとっては、とんでもない損害になるはずだというのに。
砦からはロスティア率いるカナン騎士数千名とリントヴルムが、南方の橋は崩されエドヴァルドが迫る。
逃げ道はない。
「……おい、ラミュ。これも作戦のうちか……?」
「申し訳ありません。勇者の行動までは読み切れませんでした。セアラ王女に再び毒を注入することはできません。今の体力で繰り返せば、次は間違いなく死に至ります」
ゴゴン、と音が響く。
大鉄扉が完全に開ききった音だ。
「なら次はどうする?」
「玉砕覚悟の徹底抗戦ですかね。それとも、一か八かでカナイ大河に身を投げてみますか?」
セアラは間違いなく助からないだろう。
己も、この身ではどうなるかわかったものではない。いや、誰であってもだ。生き残る可能性があるとするなら、それは翼を持つネハシムくらいのもので。
「……生憎、冗談は嫌いだ」
「わたくしも、たった今、嫌いになりました」
互いに弱々しい笑みを向けて、長く深いため息をついた。
オワタ\(^o^)/




