第71話 老兵が交渉
前回までのあらすじ!
老兵幼女が扉に挟まって半ベソだ!
ロスティア・ヘンリックは隣に立つ若いミスリル騎士の肩を豪快に叩きながら、そのヘルムに顔を近づけた。
「おぬし、さっきの見たか、おい? “クク。来てやったぞ、人間ども――”だってよっ! グハハハハハ! 閂にスカート引っかけて? ええ? びりびりに引き裂きながらパンツ丸出しにして? ぷっ、それで着地して必死で体裁整えて?」
ロスティアがキリっと表情を引き締め、低く渋い声で呟く。
「“クク。来てやったぞ、人間ども――”………………ぷぶぅぅぅぅっ!」
一瞬の後には決壊、爆笑した。
肩をバシバシ叩かれているミスリル騎士が若干迷惑そうな表情をしていても、このロスティア・ヘンリックという将軍には関係のない話だ。
「ぐぶぁぁぁっはっはっは! あ~、笑いすぎて腹が痛いわ、この戯けがっ! ……む!? ま、まさかおぬし……」
再び表情を引き締め、ロスティアが真顔で呟く。
「もしや儂を笑わせ殺すという巧妙な作戦か……? な、なんと恐ろしい………………ッひぐ…………ぷ、グゥワアアァァァッハッハッハヒィィィ……こ、呼吸をせねば……ブゥゥシャアアァーーーッハッハッハ!」
ユランは銅像のように瞳を閉じたまま空を見上げている。
その周囲に魔軍が集結した。
すかさずヨハンが握り拳を作って叫ぶ。
「そ、そういうところも、私にはたまらんポイントですぞ! イルクレア様!」
「………………黙れ」
閉じた瞼の隙間から一筋、漢の涙が流れた。
しかし次の瞬間にはもう袖で拭い、魔王はドライグの切っ先をロスティアへと向けていた。
「話は済んだか、ロスティア?」
「話も何も、おぬしが儂を笑わせたんじゃろがい」
老兵は老将の言うことを無視することに決めた。
「ならば問題はないな。道を空けろ」
「なんで?」
「クク、これを見ろ」
トロロンの背後から、後ろ手に縛られたセアラ・ライギスフィールドが背中を押されるようにして歩み出た。その背後には裸エプロンが縄を持って立っている。
数千ものミスリル騎士らのうち、最前列近くの者からどよめきが上がった。やがてどよめきは後方へと広まり、そこら中からセアラの名を呟く声が聞こえ始めた。
ユランが片頬を吊り上げる。
「わかったなら道を空けろ、ロスティア」
「…………だからなんで?」
幼女、耳を疑う。
ロスティア・ヘンリックは王都カナンを守るカナン騎士の将軍である。こと軍事に関しては、領主や大貴族どころか、中央の元老院に逆らうことすらゆるされている。だがゆえに、王族に対する忠誠心はたしかなはずだ。
……はずだった。
そこまで考えてから、ユランはふと気づいてオレスティスに視線をやった。
こいつも将軍だ。
「……? ほぁ? な、なんスか?」
だめだ……。この国の将軍とは、まともな交渉ができそうにない……。何を基準に将軍職を選んでいるのだ、カナン王は……。
「落ち着け。一旦落ち着いて考えろよ、ロスティア。念のためにもう一度聞かせろ」
視線を戻し、幼女は震え声で尋ねる。
「…………さっき、なんて……?」
「やれやれ。一から十まで言わねばわからんか。この鈍チンが。なんで儂がおぬしになんぞ道を空けてやらねばならんのだ、と言ったのだ」
ロスティアは鼻の穴に二本の指をつっこみ、束にした鼻毛を引き抜いた。適当にばらまいてくしゃみをし、面倒臭そうにこたえる。
「偽物ってことで別によかろうよ、小娘の一人や二人」
「別によかろうよ、ではない! この糞爺が! 偽物と疑うならセアラにしかこたえられん質問でもしろ!」
背筋に嫌な汗が伝った。
まずい。人質作戦で通過できねば絶望的状況だ。
さすがに五千から七千の騎士を相手に生き残れる自信はない。それこそマグナドールの力が必要になる。
後方、大鉄扉は閉ざされ、周囲は数千のミスリル騎士にロスティア。おまけにこの砦のどこかにはリントヴルムとエドヴァルドもいる。
勝てぬことは当然として、もはや撤退すらままならない。
どうする? セアラに交渉させるか? もはやそれ以外に方法はない。
しかし、セアラと目配せをした、まさに瞬間――。
「はて、儂の知るセアラ王女であれば、このようなときに自ら助けを求めることはなかったのう! ならば本物かもしれんのう?」
読まれた。
セアラが苛立たしげに額に血管を浮かせ、口をへの字に曲げた。
「じゃが、むしろ本物のセアラ様であるならば、魔族の人質となって自国に損害をもたらすくらいであらば、自ら誇り高き死を望まれるじゃろうな。儂はこの忠誠心でもって、その心意気にこたえて差し上げたいくらいじゃあ。グハハハ」
セアラがロスティアに救いを求めれば偽物となり、だんまりを決め込めば死を望む主に対して苦渋の決断をする騎士を演じられる。
この野郎……、セアラ諸共ここで魔軍を潰すつもりか……!
とんとん、と指先で肩を突かれ、ユランは苛立たしげに振り返った。
「なんだ!? 今忙しい――!」
「お任せを」
蛇の女王ラミュだ。
ラミュは大仰な動作で右手を上げ、左胸に当ててから辞儀をした。
「直接こうして言葉を交わすのは初めてですね、ロスティア・ヘンリック将軍。わたくしはすべての蛇を統べる魔将軍ラミュ・ナーガラージャと申します」
「うぬ? 魔将軍とな……? ほほう、まぁ~だ生き残りがおったか!」
ラミュは臀部を押しつけるようにしてユランをむりやり少し後退させると、乱暴にセアラの頸部をつかみ、裸エプロンからもぎ取るようにして、細い首に右腕を回した。
急激に首に負荷をかけられたセアラが、苦しげに咳き込む。
「ええ。位は同じですね、ロスティア将軍。以後お見知りおきを」
「ハッ、同じなもんかい。規模が段違いじゃ。絶滅寸前の魔族の魔将軍なんぞ、小さなお山の大将といったところではないか」
ラミュがセアラの頬に割れた蛇の舌を這わせて、不気味な笑みを浮かべた。
「うふふン、規模だけではなく、種族の性質もまるで違いますよ。わたくしは蛇ですので、あなたのように獲物をいたぶることはしません。ガブっと丸呑み」
「はて、おぬしが何が言いたいのかさっぱりわからんのう。面倒じゃ、そろそろ始めるかい」
ロスティアが鉄塊の剣を片腕でぐわりと持ち上げる。
しかしそれにはまるで反応を示さず、肩で綺麗に切り揃えられた黒髪に手を入れて、ラミュが呟いた。
「白痴のふりはおやめなさいな。いたぶることはしないと言ったでしょう? わたくしは我が主とも違いますよ。――たとえば、こんなふうに」
ラミュが艶めかしく唇を舐めた直後、牙を剥き、セアラの首筋へと噛みついた。鋭い二本の牙が、皮膚を突き破って肉へと侵入する。
「な――っ!?」
ロスティアが目を見開く。
セアラの肉体が大きく跳ねた。しかし首をつかまれた状態では逃げることもままならない。
「……ッ……ぅ……あ……ああ……っ」
しばらくしてラミュが口を離した直後、セアラの首筋から流れ出した血液が一瞬にしてゼリー状のものへと凝固した。
ラミュはそれを指先ですくい取って、ロスティアの方へと弾く。
スライム状の血液はロスティアの足もとに落ちても、地面に吸い込まれることはなかった。
「な、何をした……! この蛇め!」
「だから、察しの悪いふりをするのはおやめなさいな、ロスティア将軍。蛇毒を流し込んだことくらい、わからないあなたではないでしょうに」
「お、おぬし、なんということを……!」
ロスティアの表情が瞬時に変化した。
それまでの余裕が一瞬にして消し飛び、ありありと焦燥を浮かべている。
そのときになってユランはようやく気がついた。己が間抜けにも、まんまとロスティアの口車に乗せられかけていたことに。
ロスティアのライギスフィールド家に対する忠誠は、たしかにあったのだ。
だが、だが、このようなやり方は、あまりにも!
「ああ、もちろんわたくしでしたら解毒もできますわ。人間の解毒薬ではいささか不安が残りますけど、わたくしの解毒薬であれば、ええ、そりゃもう綺麗さっぱり消すことができます。まあそれも、間に合えばの話ですがね」
セアラの全身が大きく震えて、その場に崩れ落ちた。
顔中が青ざめ、凄まじい量の玉の汗をかいている。
「か……ぁ……っ……」
「さあ、どうします、ロスティア・ヘンリック? 時間はありませんよ。わたくしが王女様を解毒する場は、カナイ砦の王都側に出てからです。それまでにお亡くなりになられた場合は、どうぞわたくしたち魔軍を殲滅なさいませ。及ばずながら、精一杯の抵抗を示させていただきますけれど」
蛇の女王が不気味に嗤った。
セアラは目を剥いて喉を掻き毟り、涙と涎を流し、呻く。
ユランはその様をおろおろと眺める。
「ラ、ラミュ、貴様……これはいくらなんでも……っ」
「魔王様は黙っていてください。時間も方法も、他にはありません。それに、いいじゃないですか、たかだか人間の一人や二人、どうということもありませんよ。だってわたくしたちは、人間軍によって略奪、陵辱、虐殺までされた魔族なのですから。これくらいの権利はあってもいいでしょう?」
ラミュが魔族特有の冷たい瞳で、ロスティアにニタリと微笑む。膝から崩れ落ちたセアラの首根っこつかみ、むりやり引き上げながら。
「さあカナンを守る勇敢なる騎士のみな様、道をお空けくださいな。間に合わなければあなたがたの王女様は死にますよ」
「……ぅ……く……っ」
もはやセアラの足は地面についていない。
ラミュがセアラを持ったまま、まっすぐにロスティアの方へと歩き出す。
「ぐ……はは……っ、ぬかったわ……! 魔王にだけ気を配ればいいと甘く見ておった……ッ! そういえばおったのう、小賢しい知恵を働かせる者が、魔軍の中に……!」
「その存在を忘れていたことが、あなたの敗因ですね。ですがご安心を。カナイ砦を通過次第、ちゃあんと解毒はしますので」
蛇の女王がぎょろりと見開いた蛇の目を剥いた。
「だってこのお姫さま、生きてさえいればまだまだ使い途がありますでしょう?」
ロスティアが真っ赤に染まった憤怒の形相で、しかし後退りながらラミュに道を譲る。それを皮切りにして、数千名のミスリル騎士らが真っ二つに割れた。
セアラの首根っこを片手で持ち上げた蛇の女王を先頭にして、魔軍が歩き出す。
殺気立つミスリル騎士らは、しかし誰も動こうとはしない。
「ヨハン、あなたが先頭を進み、火薬樽の場所まで案内しなさい。黒妖精でも順路くらいはおぼえているでしょう。ああ、もちろんサラマンダーはだめよ」
ヨハンもまた唖然としている。
王女は女性だ。ダークエルフ・ヨハンにとって、女性というものは赤ん坊から老婆に至るまで、すべて保護対象であるゆえに。
美しき王女セアラ・ライギスフィールドならば言わずもがな。
「ヨハン。毒が回りきる前に」
「え、あ、ええ……。承知……しました……」
ヨハンがラミュを追い抜き、早足で歩き出す。
表情は焦燥に駆られている。
動き出した魔軍に合わせて、ミスリル騎士らの包囲網が移動してゆく。
だが砦内へと続くドアを潜ってからはさすがに人数が減り、後方数十歩の距離を付かず離れずついてきているだけとなった。
老兵は顔をしかめる。
ひりつくような空気の中、背後からついてくるミスリル騎士らの剣呑な足音よりも、セアラの荒い呼吸がやけに耳についていた。
ぜー……ひゅー……ぜー……ひゅー……。
蛇の女王の背後から、ユランが声をひそめて呟く。
「……おい、ラミュ。もういいだろう、解毒しろ」
「黙っていてください。弱味は一切見せられません」
「貴様、おれの命令が――っ」
「――時間をかけると!」
何かを言いかけたユランを遮って、ラミュが苛立たしげに声を荒げた。
小さく息を吐き、続ける。
「…………本当に死にますよ。これ以降の問答はなしでお願いします。説教や折檻はカナイ砦を抜けてからいくらでも。大丈夫。わたくしの毒の知識は確実です。決して失敗はありません」
「く……っ」
蛇の目と幼女の瞳が睨み合う。
それを尻目に、ヨハンは迷うことなく進み、石造りの階段を小走りで下ってゆく。その前には、羽根の生えた黒妖精シルフが飛んでいた。
「こっちこっちー。……ますたー。なんかきょう、くうき、わるいなー。ぼく、きんちょーするー」
「おしゃべりはいいから、急いでください。シルフ」
地下廊下の左右は牢獄となっていたが、囚われている者はいない。人間軍は魔族を発見次第、虐殺してきた。この牢獄が使用されていたのは、戦争協定が生きていた間だけだ。
だがゆえに、看守の姿もなかった。
「ここー。ここに、ばくだぁん!」
ヨハンが突き当たりの鉄扉を開けると、そこにはいくつもの火薬樽が積まれていた。
いまだ! なんかやれ! 黒妖精!!




