第70話 老兵が挟まった
前回まであらすじ!
ついに正体がバレかけたけど、あんまり問題なかったぞ!
それは檄も雄叫びもない、静かな突撃だった。
足音に気を配る必要はない。荒々しくうねる竜王の爪、カナイ大河の流れがそれを消してくれるのだから。
ゆえに、ただ疾走する。
一人は担がれて、残り八人は静かに武器を抜き放って。
「~~ッ!?」
カナイ砦大鉄扉を見張るミスリル騎士たちが、それに気づいたときにはもう遅かった。
先頭。深紅のドレスをまとった幼女は、隙だらけの騎士の背を、巨大な魔剣ドライグで薙ぎ払う。
悲鳴はない。血と肉片、そして裂けたミスリルの破片がカナイ大橋に散るだけだ。
「突破しろ」
着地と同時にそう呟いた瞬間――三〇〇騎あまりのミスリル騎士らが異変に気がついた瞬間。
魔族を加えた七名の怪物たちが目を剥き、百倍以上の勢力へと一斉に雪崩れ込んだ。
「ギャッ!?」
先頭を駆けていたトロールの爪が、ミスリル騎士を鎧ごと薙ぎ払う。騎士は為す術もなく空高くまで舞い上げられ、欄干を越えて大河に呑まれて消えた。
「なん――っ!?」
振り返った騎士は、突如として力を失ったかのように膝から崩れ落ちた。上げられたバイザーから覗くその右目には、矢が貫通している。
「て、敵襲……! 敵しゅ――ごぇ……」
叫ぼうとした騎士の喉を、蛇のようにうねりながら足もとから急上昇した連接剣が貫く。
バカな!? そう叫ぼうとした騎士の喉から、声ではなく空気と血液だけが漏れた。包丁を持ったメイドがイヒヒと嗤う。
先陣を切る魔族が空けた、ミスリル騎士らの布陣の穴へと、セアラ王女を担いだ裸エプロンが走り込んだ。それを確認してからユランは殿につき、裸エプロンへと斬りかかってきたミスリル騎士へと、ドライグの炎を放った。
「ぐぁ……!」
追いすがる騎士のロングソードを弾き上げ、がら空きの胴体を力任せに薙ぎ払う。上半身と下半身を灼き斬られたミスリル騎士は、己が何をされたかすら認識できないまま朽ちた。
「敵襲! 敵襲ぅぅぅ! 第十二師団のみ留まり、魔軍の足止めをしろ! カナイ砦には一歩たりとも踏み込ませるな!」
その号令の直後、撤退するミスリル騎士の流れができた。
ミスリル騎士のおよそ三分の二が、開いたままの大鉄扉へと集中して走り込んでゆく。
大鉄扉を閉ざされたら終わりだ。
だが――。
撤退するミスリル騎士らを、濃霧を突如として斬り裂いた雷撃が襲う。
「ぃぎッ!?」
「がああぁっ!?」
その側面から走り込もうとする騎士たちを、空から舞い降りた六翼のヴァルキリーが聖剣グウィベルで一息で薙ぎ払った。
「ハァァ!」
悲鳴を上げる暇もなく、四名の騎士が絶命する。
翼を広げて体勢を整え、反す刀で二名。首が飛んで大橋に転がった。
だが、それでも撤退の流れは止まらない。
魔軍が側方のミスリル騎士には目もくれず、前方に立ち塞がるミスリル騎士だけを薙ぎ払って大鉄扉を目指すように、ミスリル騎士らは追撃にくる魔軍にも立ち塞がるヴァルキリーにも目もくれず、大鉄扉へと雪崩れ込んでゆく。
大鉄扉内のミスリル騎士が三十名を超えたのだろう。右の扉がギシギシと音を立てながら、徐々に閉ざされ始めた。
ヴァルキリー・ネハシムが叫ぶ。
「急いで! イルクレア!」
「わかっている!」
騎士らの流れを止めるために立ち塞がっていたネハシムは身を翻して空に逃れ、ミスリル騎士たちの上空を飛んでいち早くカナイ砦内へと飛び込む。
微かに右扉の動きが鈍ったのは、おそらくネハシムが鉄扉を押していた騎士らに斬りかかったからだろう。
だがそれでも、扉が閉ざされるのはもはや時間の問題だ。
先頭で敵を薙ぎ払いながら進むトロロンが鉄扉に辿り着くまで、歩幅にしてわずか三十歩。走れば数秒とかからない。
しかし、第十二師団が立ち塞がる今、果てしなく遠く感じる。
トロロンは爪で剣を受け止め、水を掻くように騎士を払い除けて一歩ずつ踏み出している。
「急げ、トロロン!」
「う、うん……! がんばってるけど、でも……!」
もはや歩く速度程度にしか進めず、第十二師団の生き残り数十名に取り囲まれている。
突破力が足りない。己が先陣を切るべきだったか。
殿に迫った騎士を斬り伏せ、側方から襲いかかってきた騎士の斬撃を屈んで躱し、足を引っかけて転ばせながら頸部を撫でるように斬り裂く。
「邪魔だ!」
「ぅぎあ――ッ」
レミフィリア、ラミュはその戦い方から、殲滅力はあっても突破力はない。彼女らは流れに身を任せ、躍るように敵を斬るからだ。
翼を持つネハシムは、突破力はあるが遊撃以上に有効利用できる場はない。それに彼女を呼び戻せば、瞬く間もなく大鉄扉は閉ざされてしまうだろう。
裸エプロンにはセアラを守りながら抜けるという役割がある。
どうする? 今からトロロンと役割を入れ替え、己が先陣を切るか?
ゴォォンと音が響き、右側大鉄扉が閉ざされた。
「く……っ」
落ち葉のごとく降り注ぐ剣の雨を弾き、流し、躱しながら、ユランは歯がみする。
左の大鉄扉がゆっくり、ゆっくりと動き出す――!
そのときになって、セアラが叫んだ。
「オレスティス!」
「……っ」
ロングソードを左右の手に持ち、裸エプロンとセアラの護衛についていたオレスティスが、ミスリル騎士の剣を弾きながら汗を飛ばす。
「無理ッス! こいつら、カナンの騎士ですよ! あんた、わかってんですかっ!? あんたの国の騎士でしょうがッ!」
「それでも殺れ! 今おまえが殺らなきゃ、この先数十倍、数百倍の犠牲が出る! わたしはそれを防ぐためにここにいるんだっ!!」
オレスティスの表情が、これまでになく悲観的に変わった。
「だったらッ、あんたが門を開けろと命じりゃいいでしょうッ!! おれはご免だ!」
ロングソードを頭上でクロスして、ミスリル騎士の剣を挟み込むようにして奪い取り、大河の流れへと投げ捨てる。
「だめだ! 現時点で人質作戦はまだ使えない! おまえ、わからないのか!? 閉ざされた大鉄扉と人質は等価だ! そうなった場合、魔軍は切り札であるわたしを殺せないし、殺せないことを知っているカナン騎士団は決して扉を開かない!」
ぎぃぃ、と重い音を立て、左側の大鉄扉が半分まで動く。
「悠長に睨み合いをしている時間はない! もう、おまえしかいないんだ、オレスティス!」
そう。人質作戦が役立つのは、王都へと抜ける道が繋がってからのこと。
ミスリル騎士をヘルムごと縦に斬り捨て、ユランは背中で裸エプロンを押した。ユランの背に押された裸エプロンの手が、トロロンの背中を押す。
トロロンは必死の形相で両腕に装着したミスリルの爪を振るい続けている。それでも、第十二師団は身を挺して立ち塞がる。もはやトロロンの足は止まっているに等しい。
砦内外の騎士らを狙って五十本もの矢を撃ち尽くしたヨハンが、トロロンの脇腹へと突撃してきた騎士の槍を、大金槌で叩き折った。
「これでは埒が明きませんぞ! マイスウィートプリンセス!」
「ぐぅ……!」
レミフィリアは躍るようにミスリル騎士に飛びかかって肩に着地をし、首を掻き斬って後方宙返りをする。身を低くして剣を躱し、足甲接合部を狙って包丁を突き入れ、倒れ込む騎士の首を掻く。
ラミュは集団全体を見渡し、右翼左翼前方すべてに連接剣を放ち、敵の動きを牽制するに終始している。
動けない。誰も。殿で剣を受け止め続けねばならない己を含めて。
ドライグで騎士を薙ぎ払い、炎の刃を放つ。
剣戟の音の中、セアラの叫びだけが響く。
「オレスティス! このまま終わったら、おまえも死罪になるんだぞ!」
「そんなこと言ってんじゃないんスよ! 死罪なんてもんはおれが逃げりゃそれでいい! それよか、味方殺しってのぁ見棄てるのとはわけが違うでしょうが! …………だって、殺っちまったりしたら、おれ、マジモンの屑じゃねえスか…………」
裸エプロンの背負ったセアラを狙ってミスリル騎士が迫った。
オレスティスが走り込み、振り下ろされた剣を持つ腕の肘から先を、右手のロングソードで斬り飛ばす。
「~~ッ」
左のロングソードを反射的に持ち上げたオレスティスだったが、バイザーから覗く脅えた瞳に、とっさに手首を返し、剣の腹でヘルムの上からミスリル騎士を殴り飛ばした。
「くそ……っ」
転がった騎士が後退る。
「ぎゃっ!? やめて……やめてくれ……」
騎士を蹴りで吹っ飛ばして遠ざけ、オレスティスが泣きそうな表情をした。
「だめだぁ……おれ、やっぱ殺せねえ……。……おれぇ……いっつも中途半端だ……」
震えた声で呟いたオレスティスへと、別のミスリル騎士が大剣を薙ぎ払った。
「オレスティス!」
セアラが悲鳴にも叫びを上げた瞬間、その頭上を越えて叩き下ろされた毛むくじゃらの腕が騎士の頭部を潰し、肉片と地面の染みにした。
「ぼく、わかるなあ、それ」
トロロンだ。先陣切って進み続けたためか、すでに全身は返り血と出血で血塗れとなっている。矢を通さぬ強靭な毛皮も、ミスリルの刃には効果がない。
「ニーズヘッグの仲間を殺せっていわれたら、やっぱりできないやー。あははー、ごめんね~。ぼくらの都合で、ずいぶん振り回しちゃったねえ」
「ト、トロールの人…………人……?」
「トロロンだよ、オレスティスくん」
そのトロロンの背中へと振り下ろされたミスリル大剣を、いち早く気づいたユランが巨体の肩を蹴ってドライグで防ぐ。
鍔迫り合いはせずにすぐにドライグを引き、バランスを前へと崩して倒れ込む騎士の首を刎ね、ため息をついた。
「……これではだめだな」
殿が消えて陣形が崩れた瞬間、ミスリル騎士が一斉に後方から襲いかかった。
撤退だ。ネハシムを置いていくことになるが、翼があるのだから脱出は容易だろう。だがこの先、閉ざされた大鉄扉越しの砦戦となれば、勝てる見込みはない。可能性はゼロだ。
ニーズヘッグに引き籠もり、終わりのない防衛戦を繰り返すことしかできなくなる。
ならば己の一騎駆けでカナイ砦へ殴り込むか? 中にはネハシムがいる。やつがまだ生きていることは剣戟の音でわかる。
だが、ここから先、たった二人で何ができる……。
万が一にでも殺されては、愛しき魔王イルクレアに肉体を返すことすらできない。それに、ここに置き去りにされた魔族の仲間はどうなる。澱みの森のニーズヘッグまで撤退できると思うか、このポンコツどもだけで。
足を止めて首を刎ね、胴体を薙ぎ払い、今にも閉ざされそうな大鉄扉の左扉に視線を向ける。
やむを得んか……。
「貴様ら、撤退――」
そう言いかけた瞬間だった。
幼女魔王の頭上を跳び越えて、オレスティスが最前列に立つ。
「あああぁぁぁもおおおぉぉぉ!」
襲いかかってきた二名の騎士の剣を持つ手だけを斬り飛ばし、オレスティスがミスリル騎士の集団へと走り出す。
「おれぇ、嫌いなもん作るの苦手なんスよぉぉ! 食い物でも女でもガキンチョでも! ちょっと関わったらみんな好きになっちゃうんスよぉ! 言ったっしょ!? あんたらのことも好きなんだってぇぇぇ!」
両手のロングソードを振り回す。
腕、足、腕、足、足――!
「クソクソクソクソ!」
斬って、躱して、受けて、また斬って、斬り飛ばす。
防ぎ、躱し、叩き落とし、剣の腹で殴り飛ばす。
それで騎士らの命が助かるとは思えない。手足を失えば出血次第では死に至るし、感染症だって起こりうる。当たり所が悪ければ鎧の上からでも打たれて死ぬことはある。
そんなことはオレスティス自身もわかっていた。
オレスティスは二振りの剣の切っ先を前方の騎士らへと向けて、やけくそ気味に叫ぶ。
「下がれ下がれ下がれ! おれはオレスティス・マーカスンだ! カナン騎士団の将軍だぞ!? 相手したくなきゃ、道を空けろ! 頼むから空けてくれぇぇぇ!」
だが、誰も。動かない。
「オ、オレスティス将軍!? な、なぜ魔軍に――」
「お、おれたちが将軍に勝てるわけがない……!」
「裏切ったのか……? 将軍が!? マーカスン家の次期当主だぞ!?」
それでも、戸惑いは伝播する。
「そうだよ! 裏切った裏切った! もう裏切りまくったからァ、死にたくねえやつはとっとと消えろぉぉ!」
けれども。
「おい、聞いたか、今……」
「あ、ああ」
「将軍が……裏切った……?」
騎士たちのうちの一人が、ニヤリと笑った。
「あ、ああ。だが、これはむしろチャンスだ……」
「おれが殺る!」
「待て、おれが!」
それどころか騎士らはオレスティスに狙いを定めて、我先にその首を狙い始めた。戦争協定を一方的に破棄したガレン王の言葉だ。
重大なる裏切り者の首を取った者には、金貨と土地を与える。
すなわち、領主になれる機会だ。
「……くそったれ……」
それでも、彼らを迎え撃つオレスティスの二振りの剣が首や心臓を貫くことはない。
襲い来る騎士の剣を躱し、防ぎ、腕や足を斬る。
斬撃を受け止め、受け流し、もう片方の剣で腕を斬り飛ばす。
「やめろよぉ……もうやめてくれよぉ……」
その横にトロロンがついた。手甲に装着されたミスリル製の爪を振るい、次々と騎士らを薙ぎ払ってゆく。
大鉄扉まで残り二十歩。閉ざされそうな扉を目指し、再び魔軍が動き出す。
ユランが殿に視線をやると、裸エプロンが王女を肩から下ろしていた。
「セアラ、走れるな?」
「大丈夫。ここまで来て怖じ気づいたりはしない。その程度の覚悟じゃない」
自由になった両手でミスリル包丁を二振りつかみ、半裸の男が殿につく。
ユランの右頬が微かに引き上げられた。ぞくぞくと背筋が粟立っている。
まだ、行ける――!
オレスティスとトロロンを先頭に、魔軍が再び動き出す。
最初はゆっくりと、けれども、徐々に勢いをつけて。
「走れ走れ走れぇぇぇ!」
やがてその流れは全力疾走と化し、閉ざされかけた右側大鉄扉と左側大鉄扉の隙間へとオレスティスが滑り込んだ。続いて肉体を逆三角形にしたトロロンが転がり込み、ラミュ、セアラ、レミフィリアが、ヨハンが、そして裸エプロンが膨らんだ筋肉を扉の隙間にねじ込むようにして滑り込む。
「早く、早く魔王様ッ!!」
ラミュが金切り声で叫んでいる。
「――ぬぅぅらああぁ!」
ユランは後方から追いすがる騎士らに炎の斬撃を飛ばし、その結末を見届けることなく前方へと地を蹴った。
もはや幼女の身ですらくぐることは困難と思われる隙間へと、半身をねじ込んで。腹部と背中がつっかえた。
「……」
じたばた、じたばた。
あ、ちょ――。
じたばたじたばた。
抜けん。
死ぬ! 死ぬ! このままでは鉄扉に挟まれて死んでしまう!
先に滑り込んだ魔軍は、扉を押す騎士らを懸命に斬り払っている。ネハシムもだ。
誰にも気づいてもらえない。
「く、おおおおっ、ぬぐぐがぎぎぎぎっ」
鉄扉が閉ざされる寸前に必死の形相で腹をへこませ、足をじたばたと振り上げて空中で回転し、ドレスのスカートを閂に引っかけて破りながらも、両足でどうにか砦内に着地する。
次の瞬間、轟音とともについに大鉄扉が閉ざされた。
どぐ、どぐ、と心臓が跳ね上がっていた。
このような死に方をしては、末代までの恥だ。末代どころか、子供すらもう産まれないけれど。
王都カナンの国門。
カナイ砦、中庭――。
はぁ、はぁ、ふぅ~~……。
呼吸、整えて。乱れたルビー・レッドの頭髪を、懐から出した細い紐で一本に縛って。
どうにか体裁を保つ。
多少なりと、敵に無様を見せてしまったが。
それでも魔王たる威厳を失わぬよう、薄い胸を張り、堂々とその地に立って。
「さて」
扉に噛まれたままのスカートをドライグの刃で乱暴に斬り裂き、膝上まで露わとなった姿で幼女魔王が凄味のある笑みを浮かべた。
己らを取り囲む、ミスリル騎士数千名を見回して。
「クク。来てやったぞ、人間ども――」
だが、ユランの視線がその中心で止まった。
そして幼女はあからさまに顔をしかめる。
「ぷぶ、ぷぅーーーーーぷぷ、ぷっ、くすくす、ぶふぉぉぉぉぉっ!! あいかわらずおぬしはウケるのぉ、ユラ――あ、いやいや、魔王イルクレアちゃんよぅ? なかなかに可愛らしい突破の仕方であったわい! ぷぐぅ!」
ミスリル製の鉄塊の剣を肩にのせた、一際肉体の大きな爺――ロスティア・ヘンリック将軍が腹を抱えて笑っていたから。
「グハ、グハハハハハハッ!!」
ユランは瞳を閉じ、羞恥に頬を染めながら、死にたい気分でそっと空を見上げた。
長続きしないシリアス!
一番見られたくなかったやつに見られちゃったぞい☆




