真夜中ガクエン3
「ホ、ホントだ。腕が……勝手に」
どうやら、観念しなきゃいけないみたいだ。
腕だけじゃなく身体全体がリズムを取って動き始めている。自分の目で見たどころか、身体で体感したんだからもう否定しようがなかった。
青嵐学園七不思議は間違いなく実在する。
八人の小人たちが目の前で踊り狂い、オレも透も一緒に踊らずにいられない。
これは疑いようのない現実だ。
そう腹をくくってよく見ると、肖像画の中でいつもしかめ面の作曲家たちは実に楽しそうに踊っている。やがて踊るだけじゃ飽き足らなくなったんだろうか。小人たちはひときわ大きなバッハの頭をトランポリンにして、ピンボールのように音楽室を飛びまわりはじめた。
「でもさ……どうやらこいつら、そんなに悪い化け物ってわけじゃなさそうだな」
「そ、そうだね」
幸いなことに作曲家小人たちは悪霊とか怨霊とかって類のモンではないらしい。妙に陽気かつハイテンションで、オレたちに危害を加える素振りはみせなかった。けど踊りをやめようとしても、自分の手足のはずがまったく言う事を聞いてくれない。
「これからオレたちどうなるんだ。学校新聞にはなんて書いてあった。このままいつまで踊り続ければいいんだ」
「ええと、たしか『八人の大作曲家たちの宴は、朝日を見るまで終わらない』って」
「なんだ!? じゃあオレたち、一晩中ずっとここで踊り続けなきゃならないわけか」
「そ、そうなるのかな」
「チクショー、もうヤケだ!」
腕を上下に振ってモンキーダンスをはじめる。するとベートーベンが近寄ってきて、「ナイスダンス!」と言わんばかりに親指を立てて合図してくれた。
「ハハハ、ベートーベンに褒められちまったよ」
曲が変わった。
くるみ割り人形の「ロシアの踊り」だ。さっきまでの「行進曲」とくらべてテンポが速い。小人たちの動きが激しくなり、それにつれてオレたちの手足も動きも大きくなった。
「しょうがねえ、こいつらが飽きるまで付き合うしかねえのか」
「う、うん、ボクも頑張るよ」
――どのくらい時間が過ぎただろうか。
「も、もう無理、息が苦しい、休ませて」
とうとう透が音を上げた。でも、どんなにつらくても身体は止まってくれない。オレたちだけじゃ、もうどうしようもなかった。
「がんばれ、透。いま助けを呼ぶからな」
オレは踊りながらポケットから携帯を取り出した。
誰に助けを求める?
この状態をなんとかするためには、学園七不思議に詳しい人物じゃなきゃダメだ。しかもすでにこの近くにいて、なるだけ早く助けに来られる人。間違いなく白神一子先輩が一番の適役だ。先輩の番号は知らないけど、クラス委員の山田辺りに聞けばたいがいの女子のアドレスがわかるだろう。山田の番号は……
「九郎ちゃん、危ない!」
悲鳴に近い叫びが響く。携帯に気を取られていたオレは、飛んできた滝廉太郎にぶつかって床にひっくり返ってしまった。
音楽室の床の上を携帯電話が転がっていく。オレの手足は、床の上に仰向けになったまま裏返った亀のようにジタバタと踊り続けていた。
この体勢じゃあ、携帯のトコまでいけそうもない。
「……マジで、ちょっとヤバいな」
「ごめん、ボク、携帯持ってないから」
両親がいない透は携帯電話を持っていない。
申し訳なさそうに言うその表情は、まさに息も絶え絶えというカンジだった。小人たちにいくら悪意がないとしても、このままじゃ命に関わる。
もうどうしようもなかった。
「白神先輩! すんません! 助けてください!」
恥も外聞もなく叫んだ。
先輩との待ち合わせは保健室。同じ校舎の一階だ。それにこの音楽室での騒ぎを聞きつけてもう近くまで来てるかもしれない。
「先輩、お願いします!」
すると、
ダッダッダッダッ
ドアの向こうからもの凄い勢いで駆けて来る足音が聞こえてきた。
「こっちです! 助けて!」
足音はオレの声に呼応するかのように音楽室の前で立ち止まる。次の瞬間、ガラガラッという音と共にドアが開いた。
「先輩! ……って、ええと、なぜアナタが?」
そこに立っていたのは、白神一子先輩じゃなかった。
腰まである長い黒髪に、スカート丈長めの制服姿、そしてどういうわけか、手には日本刀を携えている。
先輩は先輩でも、青嵐学園理事長の孫にして生徒会長兼剣道部部長、おまけに三年連続ミス青嵐学園という完全無欠の美少女、次郎丸真紅様だ。
「なぜって、あなたが助けを呼んだんでしょう」
「そ、そうだ、助けてください。学園七不思議なんです。くるみ割り人形が鳴ってベートーベンたちが飛び出して踊りが止らなくなっちゃって、ああ、もう何がなんだか」
しどろもどろになるオレに一瞥もくれることなく、生徒会長は手にした日本刀を抜き放った。
「説明は結構。事情は把握しています」
その鞘には黒漆塗りの地に金色に光る龍が描かれている。そして、鞘から放た
れた銀色の刀身にも一体の龍が刻まれていた。
「オンキリキリハラハラフダランバッソワカオンバザラトシャカク」
呪文のような言葉をつぶやくと、一気に室内へ駆け込んできた。そのまま白刃を振りかざして、跳ね回る作曲家小人たちに切り掛かる。
(なんか、アニメみたいだ)
日本刀を振るって霊退治する美少女を、オレはただ呆然と眺めていた。
彼女の動きには一切の無駄がない。緩急自在の動きで作曲家小人たちを翻弄する。気が付くとあれだけうるさく鳴り響いていたくるみ割り人形はピタリと止み、追い詰められた作曲家小人たちは我先に音楽室の窓から逃げ出して行った。
「助かったぁ」
生徒会長が現われてからオレと透の身体が自由を取り戻すまで、物の数分もかかっていない。
「ふへー、一時はどうなることかと思ったよ」
七不思議から解放されたオレと透は、音楽室の床にへたりこんだ。
最後まで残っていたのはバッハで、トランポリン代わりの大きな頭が音楽室の窓に支えて四苦八苦していた。やっとのことで支えが取れ、命辛々窓から飛び出していく。
それを見送って、次郎丸生徒会長は刀を鞘に納めた。
「大丈夫でしたか」
「ありがとうございます、生徒会長」
とにかくオレは息も絶え絶えで、立ち上がってお礼を言うのがやっとだった。透にいたっては、まだ苦しげにしゃがみこんだままだ。
「いえ、私も少し暴れたい気分だったのでちょうど良かったんです」
そう答えた会長の顔はどこか淋しげにみえた。
言われてみれば、会長は肉親である理事長を亡くしたばかりなんだった。ちょっと憂さを晴らしたい、そういう気持ちになるのかもしれない。
そんなことを考えていると、会長が思い出したようにオレの顔を覗き込んできた。この小さな顔とニアミスするのは今日で二回目だ。
見るもの全てを吸い込むような黒い瞳に、思わずうっとりしそうになる。ところが――
「あら、あなたは緑水寮の食堂で会った……たしか姫雪九郎君、でしたっけ。ふうん、まずは無事で何よりですね」
丁寧だけど、どこか棘のある口調。すぐさまオレは自らの置かれた状況を察知した。
(もしかして、ぜんっぜん無事じゃない。むしろかなりヤバ目なんじゃないか?)