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第1話 臆病者の夢

はじめまして。よろしくお願いいたします。



 ハリー・サプライ伍長は、南パルメ共和国西部の賑やかな港町にある大商家の長男で、人当たりの良い青年だ。彼は19歳の時、家は継がずに陸軍に入隊した。

 それから5年、ハリーは大した出世欲も見せずにのらりくらりと適当に、上官にぺこぺこ、同期とべたべた、後輩にヘラヘラして過ごしていた。しかし北方ヴォルカ連邦との関係悪化に伴い、ちょっとした小競り合いから戦争に発展、ハリーの所属する陸軍東部歩兵第17小隊はツァーレラ平野での戦いに参加することとなった。


 季節は秋、戦況は最悪。ハリーたちは休戦協定で少しでも良い条件を引き出す時間を稼ぐため、遅延戦闘を強いられていた。下手くそな塹壕に身を隠し、日中は敵の足止めを兼ねた嫌がらせのため散弾をパラパラと打ち、夜間は身を潜める。兵士たちに大した戦闘意欲は残っておらず、膠着状況にストレスが溜まる一方だった。が、しかし、なんと、ハリーたち第17小隊の精神状態はすこぶる良好であった。

 「ワンッ!」

「こら、スターゲイザー号、静かに静かに」

塹壕の中を駆け回る白い子犬。彼は先週、この下手くそな塹壕にコロリと落ちてきた。兵士たちはこれをいたく可愛がり、スターゲイザー号と名付けた。ハリーも彼を気に入りご機嫌に夜なべして、スターゲイザー号と刺繍を施したハンカチーフを首に巻いてやった。



 子犬1匹いるだけで部隊の雰囲気は随分と明るくなるものだ。しかし戦況が良くなるわけではなかった。日に日に前線は下がっていて、兵士たちがそろそろ今日の戦闘も終わりだなぁと肩を回した夕暮れ、ついに連邦の砲弾が塹壕を直撃した。不出来ながらもハリーたちを守護していた塹壕は半壊。第17小隊は甚大な被害を受け数名が咄嗟に逃走し、無防備な背中を撃たれた。ハリーは陽が完全に落ちるまで、興奮するスターゲイザー号を抑えていた。

 いくらか回収できた死体を並べた中に、小隊長のコニフ軍曹がいた。ぐるりと見渡すと、残った兵士らはハリーを見つめている。

「いま一番階級高いのって、俺かあ」

戦時任官というやつだな、とため息を吐き、ハリーはコニフ軍曹の瞼をそっと下ろした。

「この中で一番若いのは誰だったかな」

ハリーは19歳の二等兵2人に17小隊壊滅し前線後退と復唱させ、本部への伝令として走らせることにした。

「戻ってこなくていいぞ、さあ、走れ!」

ハイ!と勢いよく走り去る背中が暗闇に消えるのをハリーたちはボンヤリと眺めた。スターゲイザー号がしばらく彼らを追いかけて、また戻ってきたのを撫でてやる。

「お前も連れて行かせればよかったな」

スターゲイザー号はクゥンと鼻を鳴らした。



 「さて、この塹壕はもう使い物にならんし、さっさと南に下がって友軍と合流せにゃいかんわけだが…」

残った兵士のうち、動ける者は10人ばかり。あとは怪我人1、病人1。ハリーは少し頭を抱えたあと、上等兵のマイロの肩を叩く。

「マイロ、お前は元気な奴らを連れて真っ直ぐ南に行け。16小隊は…うちと同じく壊滅っぽいが、もうちょい行くと11小隊が生きてるはずだ。そこに合流しろ」

「伍長はどうされるので?」

「俺はダンとアンバーを連れて西の森に入り、そこから南下して合流を目指す」

 ダンは左足を骨折、アンバーは高熱にうなされている。平野を駆け抜けるのはとても無理だ。マイロたちが最低限の背嚢を持って点呼を行うと、最後にスターゲイザー号がワン!と鳴いた。

「そうだ、スターゲイザー号も連れていけ」

ここでお別れだ、とハリーはスターゲイザー号の尻をポンポンと叩く。白いふわふわの尻尾が揺れる。マイロがわかりました、と頷いた。

「スターゲイザー号、おいで。行こう」

スターゲイザー号はブルブルと身を震わせ、マイロの前に出る。兵士たちから隊長よろしくな、と声がかかると機嫌良さそうに鼻を鳴らした。



 マイロたちを見送ると、ハリーは塹壕の奥に向かう。ダンがアンバーに寄り添い、額に濡らした布巾を乗せてやっていた。

「生きてるかあ?」

なるべく気軽そうにへらりと笑って声をかけると、ダンもアンバーも少しその相貌を崩した。

「なんとか」

「……はあ、はい…」

返事ができるならヨシだなあ、とアンバーの背を支えて起こしてやり、水でふやかした糧食ビスケットをカップに入れて差し出す。ダンにはビスケットを包ごと、水筒も投げ渡した。

「俺たちはこれから西に向かい、森の中に身を隠す。んで、そこから南に向かって友軍との合流を目指すぞ」

ハリーもボソボソのビスケットをなんとか飲み込み、塹壕の中からかき集めた木材と布、ロープで簡易の松葉杖を作る。歪な出来だが、ダンが歩くのに使えなくはなさそうだ。こういうのは軍曹が上手かったよなあと笑ってみせたが、あまりウケなかった。



 「犬ぞりなんて作って気が早えよ、と思ってたが使うチャンスがあるとは」

簡素ながら丈夫なソリは、コニフ軍曹の置き土産だ。これに背嚢とアンバーを乗せ、ハリーが引く。その隣をダンがのろのろとついて歩いた。森までは走ればすぐだと思っていたが、たまに差す月明かりを頼りに怪我人に合わせて歩くとたっぷり1時間もかかった。夜中とはいえこんなにノロノロと動く姿を狙撃の的にされなかったのは運が良かったと言える。

 アンバーを乗せて大活躍のソリだったが、広葉樹の根がポコポコと張り巡らされた森の中を行くのは流石に厳しい。アンバーを下ろし、ソリを枯葉で覆って、3人は小さく敬礼をした。

「コニフ軍曹、ありがとうございました」



 「待って、待ってください」

ダンの情けない声にハリーは足を止める。歪んだ松葉杖を突いていては、この森の中は歩きづらいだろう。小休憩を挟みながらとはいえ、ハリーもアンバーを支えながら歩き続けて疲労困憊であった。そもそも2人とも、いやアンバーも含めて3人とも、根性も体力もない方だ。ハリーは白んできた森を見渡し、ふうと一息つく。

「……少し休憩するかあ」

休憩と聞いてダンは顔色が良くなり、勢いづいて前に出る。ハリーがずいぶん元気じゃないか、と少し笑うと、ダンはお構いなしに前方を指差してにっかり笑った。

 「ほら、あそこ!少し開けて休憩にちょうどいい!」

ダンはよたよたしながらも足取り軽く進み、おあつらえ向きに横たわっていた倒木を背もたれにして、どっかり地面に腰を下ろす。続けてハリーたちもたどり着き、未だ顔色の悪いアンバーを座らせた。

「アンバー、調子どうだ」

「はぁ、あの、すいません……」

「いいよお、気にすんな」

ハリーはダンとアンバーの間に座り、アンバーを自分にもたれかからせてやる。すると反対側からダンも寄りかかってきた。見ればすっかり寝息を立てている。歩き詰めだったのだから無理もないか。

「お前も少し寝ときな」

アンバーにそう伝えると掠れた声でありがとうございます、と聞こえ、すぐにふぅふぅと苦しそうな寝息になった。



 周囲は段々と明るくなり、森に朝が来たのがわかる。幸いにも濃い霧が出てハリーたちの姿を隠してくれていた。両肩の重みにため息が出る。ああ、どうしてこうなったのか。

 ハリーの父親は苛烈で勢いのある叩き上げの商売人で、母親はいつも微笑んでいる美しい人だった。幼いハリーは商売のイロハを叩き込もうとする父親や番頭たちの熱心な教育から逃げ出し母の部屋へと潜り込み、彼女が繊細なレースを編むのを眺めるのが好きだった。

 ひとつ年下の弟はハリーの代わりに父親の期待を一身に受け、見事にその才能を開花させた。そしてハリーがいつも逃げてばかりで女遊びに夢中だと糾弾し、根性を叩き直すためだと、陸軍へと入隊させた。



 軍に入ってからも、その場に合わせてヘラヘラしていれば案外うまくいくものだと思っていた。コニフ軍曹率いる第17小隊は居心地が良く、マイペースで寡黙なコニフ軍曹が手慰みに工作しているのを眺めるのは楽しかった。

 ああ、コニフ軍曹はもう亡くなったんだった。あの塹壕で死んだやつらはみんないいやつだった。いや、そうでもなかったかな。まあいいやつだったと思う。ダンとアンバーは俺を慕ってくれる可愛げのある部下だし、ああ、マイロは、マイロは無事に第11小隊に合流できたんだろうか。スターゲイザー号は向こうで可愛がってもらえるだろうか。



 本当は俺もあの時、砲弾が炸裂した時、逃げ出したかった。ただ足がすくんで逃げられなかっただけだ。スターゲイザー号を抑えているみたいな顔をしていたが、あのあたたかな白いふわふわに縋っていただけなのだ。

 マイロたちと一緒に南に走って逃げたかった。でも走れないダンとアンバーを置いていくのもできなかった。塹壕の中で終わりを待つ時間は恐ろしかろうと思った。

 ああ、何もかも置いて逃げ出せたらいいのに。ハリーはまとまらない思考をぐるぐる回しているうちに眠りに落ちた。





 「ワン!ワンワン!」

この鳴き声は、と意識が浮上し切る前に肩が大きく揺らされ、どしゃりと何かが崩れ落ちる音がした。

「スターゲイザー号!スターゲイザー号だ!」

うまく立ち上がれなかったらしいダンが地面に這い蹲りながら叫ぶ。サクサクと落ち葉を軽く踏み締める音が近づいてくる。あの白い姿はまさしくスターゲイザー号だ。

 スターゲイザー号は素早い走りで近寄ってきて、転がったままのダンの顔を勢いよく舐めた。それからアンバーの顔も舐める。わかったわかった、とアンバーが小さく笑うと、最後はハリーの顔も舐めた。

「スターゲイザー号、きてくれたのか、本当に?」

夢かもしれない、とハリーは思ったが、最後に見る夢がこれなら最高だと思い直し、あたたかな毛皮を抱きしめた。



 ふと顔を挙げると、ヴォルカ連邦の兵士がこちらに銃口を向けていた。




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