鬼門遊仁:笑う門には福来る
鬼門遊仁はいま、妹と共に歩いていた。
しばらくぶりの兄妹での外出であったが、実のところ誘ってきたのは悠果の方だった。
あの事件の後、保護された自分たちは取り調べの後に解放された。悠果はかなりショックが強かったようで、一言も発しなかったとのころであったが、その場に居合わせたエリュースの言葉もあり、すぐに放してもらえた。
そのあと、二人が会話をしているのを聞いていて、遊仁は思わず耳を疑ってしまった。お嬢様口調の悠果の姿に慣れなかったからだ。いつもはあんなに口が悪いのに、人前ではそうなのか、と驚くしかなかった。
そして次の日曜日になって、たまたま予定が空いているから、と声をかけてくれたのだった。
正直に言えば、戸惑った。あれだけ啖呵を切っておいて、自分は妹を助けることができなかった。限定されているから、と言い続けていた能力を使ってまで戦ったのにもかかわらず、暴走した悠果に敵わなかった。
どうしてか、それを引きずってしまって、家でも気まずい関係であった。
「ねえ、兄ちゃん」
前を歩く悠果が言った。
二人の間が少しだけ空いているのは、自分たちの距離感そのままであった。
「あのさ、ありがとね」
「え?」
「だから、助けに来てくれて。まさか、こんな事件になるとは思わなかったけど」
そうだな、と言った。
おかしいな、とは思ったのだ。口は悪く、兄を兄とも思ってないような妹がではあったが、根は真面目で他人思いである妹が、音沙汰もなしに帰ってこなくなるのは。
けれども、まさか〈方舟〉を巻き込むような事件に発展するだとは、思いもしなかった。
「おれは悠果を助けたかっただけだし。……まあ、おれが助けたわけじゃないんだけどね」
結局、おいしいところはエリュースが持って行ってしまった。
あのあと、蝶ノ芽はいなくなってしまったし、駆けつけてきたの風紀委員たちも物々しい雰囲気であった。自分だけが取り残されて、無力感と場違い感を同時に味わっていた。
こんなものなのである。自分のできることなどは。
そう自嘲すると、悠果は首を振った。
「でも、来てくれたでしょ?」
「……ん、そうだね」
それがすべてだとでも、言いたいように。
悠果は笑った。少し照れながらも、遊仁のことを見ながら笑ってくれたのだった。
なんとなく、帰ってきたのだと思った。自分も妹も、あの異常な事件からようやく、帰ってきたのだ。
ただの数時間であったが、置かれていた異常な事態は相当に心を参らせていたようだった。
「それで、何か買いたいものはあるの? 自慢じゃないけど、おれはろくにSPを持っていないからそのつもりで」
「本当に自慢にならないね」
くすり、と笑う。
自分の食事くらいはまかなえるが、奢ったり、服を買ってあげたりなんかは難しいだろう。
そこまでは期待してないよ、と悠果が言う。
「ところで聞きたいんだけど」
「なに?」
「兄ちゃん、あのとき一緒にいた女の人は誰なの?」
げぇっ、と声を出さなかったのを褒めて欲しいと思った。
間違いなく蝶ノ芽のことであるが、どう説明したものか、と思う。
たまたま知り合って、妹を助けるという目的で一致し、共に戦ったというのは簡単だ。
だが、そんなたまたまがあるとは思ってくれないだろう。
デートだとか、そういうものを約束してしまったような、そうでもないが。
厳密に時間や場所を決めたりはしていないから、無効だろうと思うことにしているが、気まずさだけが残ってしまっている。
そんなことはさておき、ただただ説明しづらい事柄だけ残ってしまっているのだ。
「ただの、仲間というか、妹を助けたい同盟、みたいな?」
「みたいなって……美人さんだったし、兄ちゃんやるなあ、って思ったんだけど」
「そういうのじゃないってば」
なんて、冷や汗だらだらな兄に言われても、説得力はないだろう。
そんなことを話していると、VS-Driveが鳴った。通話だった。
名前を見ると、藍沢深景とあった。妹も覗き込んでくる。あっ、と叫ぶのと、遊仁がVS-Driveを隠すのはほとんど同時だった。
「女の子の名前!」
「お前はおれの彼女か何かか!」
「だって、気になるじゃん、兄ちゃんの女事情」
にしし、と笑う悠果。雀瞬学院という名門女子校へ行っていて、お嬢様口調で話しているくせに、家ではこれなのだ。
女の子を信用するな、とは蝶ノ芽の言葉であったが、うなずけるものである。
「もしかして、お前、そのことが気になってあの占い師のところへ行ったんじゃあるまいな?」
「そそそそそんなことないし! ほら、兄ちゃん電話でないと!」
訝しむように睨んでから、遊仁は電話に出る。
「もしもし」
『遅かったじゃないか。妹さんといちゃいちゃしてるのかい?』
そう言われて、遊仁はきょろきょろと辺りを見渡した。
人混みを嫌う深景がいるとは思えなかったし、かと言ってこの状況でこの電話をかけてくる彼女が、こちらを見ていないとも思わなかった。
だから、顔をあげた。
喫茶店が目に入る。一階が薬局で、横にある階段で二階の上った先にある喫茶店だった。チェーンであるけれども、紅茶はともかくコーヒーの出来は抜群に良い。
そこに深景はいた。電話しながら、優雅に手を振っている。
『相変わらず、変な勘はいいね』
「なんでそこにいるの」
『それに関しては偶然だよ。僕もたまには外でお茶をしたくなるのさ。もしくは、君に女難の相がでてるんじゃないかい?』
「……やっぱり、占い信じてるでしょ?」
しばらくの無言。深景はあの笑顔を浮かべた。まずい、と思ったときには手遅れだった。
『オーケイ、僕の席まで来ておくれ。君とはじっくり話す必要があるみたいだ。何度も言うけど、占いなんてものは存在しない。少なくともこの〈方舟〉では無意味だってね』
「それは痛いほど知ってるけど!」
『いいや、わかってないね。そうだ、妹さんも連れてくるといい。一緒にレクチャーしよう。ついでに、妹さんの食事代は僕が持つからね』
そう言って、一方的に通話を切った。もう一緒にお茶をすることは確定らしい。
だそうだけど、と悠果は苦笑いを浮かべていた。
本人としても占いはもうこりごりなのだろう。
「お茶をおごってくれるし、兄ちゃんの友達だし」
許可を得て、二人は階段を上っていった。
取り戻した日常は、しかし、前の通りとはいかなそうであった。




