第5話 桜の木
図書館へ行った次の日。
仕事を終えた弥生は、歌殿のすぐ近くに住んでいる長老に会いに行くことにした。
「すいません。長老様いらっしゃいますか?」
弥生は、返事を聞くことなく長老の家に入っていく。
弥生が長老と最初に会ったのは歌守に就任した日だった。
長老と聞いて、弥生はよぼよぼの老人を思い浮かべていたのだが、八百万横丁の住人は歌守に限らず不老不死なので、長老も見た目はとても若いのだ。
「あぁ歌守の弥生氏か…どうした?」
出迎えてくれた長老は、黒い髪に黒い瞳、背は高くて少々がっしりしている好青年で、毎月行われている横丁の男前番付で58ヶ月連続で1位を取るぐらいだ。
「はい。少々聞きたいことがありまして」
「聞きたいこと? 豊歌国の新作アニメの話か?」
長老…さっそく話が違います…
弥生は、それを口に出さずに話し始めた。
「あのですね…横丁のはずれにある桜なんですが…あれって、どうして一本だけ植えられてるんですか?」
「桜? あぁ一本桜か…」
長老は、立ち上がって後ろにある本棚の中を捜し始めた。
「確かに、桜の木というのは、たくさんあって桜並木になっている方が美しい…これに関しては納得できる。あの木を植えたのは確か…これだ」
長老が一冊のアルバムを本棚から取り出し、弥生の前に出した。
「えっと…これが桜を植えたころの記録なんだけど…植えた人は確か…あぁこの人だよ」
長老が指差した写真を見ると、6人ほどの人が桜の木の前で微笑んでいる写真で、それには長老と師走、如月、翼、葉月そして、女性がもう一人写っていて、長老はその女性を指差していた。
「この人は?」
「あぁそうか…弥生ちゃんはあったことないな…この人は、先代弥生だよ」
「先代様ですか?」
歌守が呼ばれている名前というのは、本名ではなく一種の役職名みたいなものだ。師走が言うのは、これは初代歌守たちの名前らしく、その名を襲名していったのだとか…
実際、弥生もこの名とは別に本名がある。だから、先代も弥生だし、先々代も弥生のはずだ。
「あぁ今から50年前の話だ。当時、99代目葉月が引退して、100代目葉月…すなわち、現職の葉月が就任したんだ。その時、誰だったか葉月が100代続いたのを記念して記念樹を植えたいと言い出してな。それで、葉月さんの出身地である豊歌国の木を植えようということになったんだ」
葉月は入れ替わりが激しいのだろうか?
記憶が正しければ、弥生は69代目だし、最年長の師走に至っては5代目だといっていた。
「それで、豊歌国出身のメンバーで検討会を立ち上げてな、葉月本人と先代弥生、当時、すでに歌守の中で最年長だった師走、その師走の手伝いとして如月そして、現職睦月の兄の翼そして、3代目師走の時代からこの横丁を見守ってきた僕の6人がメンバーだった」
これで、翼と睦月がつながった。
つまり、正確に言えば、知り合いではなく兄妹だったのだ。
「確か、桜…正確に言えば、ソメイヨシノを選んだのは、先代弥生だったはずだ。彼女もまた、就任時期が長い方で…確か、二百年ほどだったか…」
「200年!?」
「あぁ確か、そんなもんだった。ちなみに、彼女を指導したのは師走だった」
師走はいったい何年、歌守をやっているのだろうか…
いくら、不老不死とはいっても二百年前にすでに最年長者だったということは、最低でも二百五十年は歌守を務めていることになる。
確か、如月はその師走と二年差ぐらいで就任したといっていたから、如月もまた、相当長い期間歌守を務めているのだろう。
「その先代弥生は、つい数年前にいなくなってしまった。本来、歌守の代替わりの時は、先代と新しい歌守を中心として儀式を行う。だが、弥生氏と先代弥生が顔見知りではないというのは本来あってはならない事態だ」
思い返してみれば、就任の儀の時、師走や如月がバタバタと走り回って、誰かを探していていた気がする。
そうなると、就任の儀の直前まで先代弥生はこの横丁にいたのだろう。
「先代弥生の行方不明…これは、大きな衝撃を伴った事件だった。ちなみに当の本人が最後に目撃されたのは、あの桜の前だったらしい」
そこまで言って長老は立ち上がり、どう? 聞けたいことは聞けた? と言った。
「はい」
「そうか。まぁ先代弥生は、きっとどこかにいて、きっと戻ってくると思う。だからと言って、弥生氏が役職から降ろされることもないだろうけど…」
長老の顔をふと見ると、なんだか影が差しているように見えた。
「長老様?」
「いや…何でもない。それよりも、先代弥生のことを聞きたいなら、葉月にでも聞けばいいと思うよ。僕よりも彼女の方が詳しいだろうから」
弥生は、ありがとうございました。と言って、長老の家を出た。
おそらく葉月は、今日もまた、あの桜の前にいる気がしたため弥生は、横丁のはずれに向かって走り出した。
*
歌櫓の前にある歌殿。
今、ここには何かしらの書類を書いている師走とその補佐をしている如月、暇だからという理由で訪れた睦月の三人がいた。
「そういえばさ、もう半年になるよね」
「そうね…弥生ちゃんが歌守になってから、もう半年だったわね」
師走と睦月は、比較的和やかな会話をしているのだが、その横にいる如月はそうではなかった。
「いつまでここにるつもりだ! そんなに暇だったら、横丁を散歩でもしてればいいだろ!」
「やだなぁ如月ちゃん。ボクは、横丁を歩いても暇だからここにいるんだよ。そういう如月ちゃんこそ、ボクに仕事を押し付けてそこら辺を歩いてきたらどう?」
「なんだと! 貴様はいつもいつも!」
睦月と如月の間には、火花が出ているのではないかと思うほど、険悪になってきたのだが、師走はそんなことお構いなしといった様子で書類を書き続けている。
「こんにちわーって、睦月と如月はまた喧嘩…やっぱり、これは、一人の男を巡る争いなのね。でも、男はそんな争いを…」
「「違うわ!!」」
険悪な雰囲気になっていた二人の間に入ってきたのは、交代の時間が近づいたため、歌殿を訪れたのだった。
それはさておき、入り口付近で二人が喧嘩しているというのに気にすることなく入ってこれる水無月もまた、すごいのかもしれない。
「まぁいい。それで、半年がなんだ。また、先代弥生の話か?」
「そう。先代弥生ちゃんの話。ややこしいから、千代ちゃんって呼ぼうか」
「あら、先代弥生の本名をよく覚えてたわね。私なんて、自分の名前すら忘れてるのに…」
師走も忘れていたらしく、彼女は睦月に感心しきりといった様子だ。
「残念ながら、師走ちゃんの本名は知らないよ。それに、自分の名前はとっくの昔に忘れちゃったし」
「そうねよ…なにせ、自分が何年もの間、歌守をやっているのかすら怪しいもの…」
「私の記憶が正しければ、師走の就任期間は千年以上だと思う」
「あら? そんなになったっけ?」
師走は、にこやかに笑っているのだが、睦月はまた違った表情を見せている。
「千年か…そうなると、本格的に暇にならないの?」
珍しく気難しい顔をした睦月がそういうと、師走はあっさりとこう答える。
「最初は、結構暇だったんだけど、弟子というか…指導役になってみると、その子がどうなるか気になってしょうがなくて、もう一人、もう一人と言っているうちに千年も経ってたみたいね…睦月や如月もそうじゃないの?」
「まぁ確かに…」
「ボクも大筋同意かな」
如月と睦月がしみじみと昔を思い出している横で、どうやら、水無月のスイッチが入ってしまったようだ。
「はぁ師弟愛というのは何たる偉大なものなのかしら! そうこれは、まだに千年の時を経た愛の結晶なのよ!」
「水無月ちゃんは少し黙っていてくれる?」
表情にこそ出さなかったが、睦月の語気には明らかにイライラ感があった。
さすがの水無月もそれを察して黙る…ということはなく。
「そう。愛というのは偉大なの! すべての生物は愛のために生きているのよ!」
「本当に黙れ!」
「あらあら大変。睦月の堪忍袋の緒が切れたみたいね」
「のんきに構えてる場合か!」
その後、近くを通ったからという理由でやってきた弥生が止めるまで、睦月は怒鳴り続けたという…
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