第83話 課長
——そんなんだから変われないんだ。
俺はドアを蹴りながら、競売部の初同行を思い出した。
(あの時の池田課長もこんな感じだった)
ガンッ。
「召集通知は見てるんだろ? でてこねーと、お前の居場所、マジでなくなるぞ」
ガンッ、ガンッ。
何度も蹴る。
バタンッ!
ドアが開いた。
「ごるぁぁ! てめーなんなんだよ! 一戸100万!? そんな金あるわけねーだろ!」
出てきたのは、50前後の太った男性だ。
ジャージで無精髭。ザラザラな声。
煮詰まったような汗の匂い。
小さな瞳が小刻みに揺れている。
「葛城」
「あの、これ。ご挨拶のお菓子です」
葛城が最後の菓子折りを差し出す。
すーっ。
男の視線が葛城に流れる。
すると、瞳の揺れが止まった。
男は尻をかくと、菓子折りを受け取った。
「お、おぅ。まぁ、そういうことだ。んで、なんなんだよ」
男の声から、次第に怒気が失せていく。
(タイミングを逃すな)
俺は息を飲み込んだ。
次に何を言う?
チャンスは一度きり。
『ご飯も全部食べてくれる優しい子なの』
——谷川の奥さん、そんなことを言ってた。
「なぁ、あんた。キッチンとかトイレに残飯流してたでしょ?」
できるだけ高圧的な言い方で。
「えっ?」
男の動きが止まった。
「お宅の配管詰まりでこっちは迷惑してるんだよ」
「いや。食い物で詰まるわけないじゃないですか。人間もクソするし。同じでしょ?」
男は両手を広げた。
胴の脂肪で手が短く見える。
この人、最後に外に出たのはいつなのかな。
「咀嚼されたものと残飯が同じわけないでしょ。何十年も固着させたら、それだけで配管が使い物にならなくなります」
「でたらめいうなよ」
「そう思うのなら、総会で申し開きしてください。来ないなら、勝手に配管更新の決議させてもらいますんで」
男は数歩下がった。
「まぁ、勝手にやってよ」
男はドアノブに手を乗せた。
ドアを閉じられたら、きっと、もう2度と出てこない。この男を戻すな。
「谷川さん。うちの部屋に住んでたお婆さんに何したの?」
「え?」
「理事長に聞いたんだけど、あんた、お婆さんと仲良くしてたんだろ?」
「あ? おめーには関係ないだろ」
男の声が低くなった。
「いや、近隣トラブルなら思いっきり関係ありますし。まぁ、教えてもらえないなら、お婆さんに聞くだけですけど」
不安そうな目。
男の手が宙をさまよう。
「余計なことするんじゃねーぞ!」
そう言うと、男はドアをしめた。
「先輩。あの人、すごく怒ってましたけど」
葛城は両手をすり合わせた。
「そだね」
「いいんですか? もっと円満にやった方が良かったんじゃ」
「葛城。人間の感情で1番強いのはなんだと思う?」
「嫉妬ですか?」
「いや。怒りだよ。怒りは扁桃体……理屈じゃないから。だから、相手の本音を引きずり出すなら、怒りや不安を刺激するのがてっとり早いんだよ」
葛城は首を傾げた。
「でも、あの人。総会にきても絶対に反対するじゃないですか。 いない方がいいんじゃ」
「配管交換は重要な工事だろ? ここの規約がちょっと厳しくてさ。総会で最低15人(定足数3/4)の参加が必要なんだよ」
「さっき、5軒は住んでなさそうでしたよね」
「うん。アイツがいないと有効な票が14しかない。だからアイツがいないと、そもそも総会が成り立たない」
「それって、きつくないですか?」
「そう。綱渡り」
「でも、先輩、ひどいですよ」
「なんで?」
「いきなりわたしにお土産渡せって」
「男は女に敵意を持ちにくいんだよ。本能的にね。でも、悪かった。ごめんな。葛城は器量がいいからさ」
葛城は目を細めた。
「心にもないことを。やっぱ、先輩はチャラ男です」
「いや、普通に可愛いでしょ」
「ふーん。わたしのこと好きにならないでくださいね?」
「いや、それはないかな」
「桜藍ちゃんですか?」
「まぁな」
「17歳の女の子でしょ? 先輩、ガチのロリコンなんですね。ひくわー」
葛城は、舌をベーっと出した。




