52 お金も大事
獣部屋の茨に覆われた雑踏の中を、一人のおっさんと一人の少年が鉈で立ち木を払いながら進んでいた。人の通る気配もないような、獣道とも言えぬ場所である。
ヨパラが鉈で道を切り開き、インフィはヨパラの腰ベルトをつかんで後ろを歩いている。怖いのか、まだ子供だなと微笑んでいたヨパラだったが、しばらくすると違和感を覚える。
低レベルの魔物がまったく襲ってこない。そういえば、インフィがそう話していたな――と思い出しつつも、実際に目の当たりにすると、さすがに引きつった笑みが漏れた。
「この時期なら、きっとこの辺りにいるはずだ。信じろ、今日はご馳走が食えるぞ」
インフィは今日もゴキブラーを狩りたいと言っていたが、目立ちすぎるとヨパラに止められ、加えて金にならぬと説得され、こうして彼に付いてきたのだった。
やがて、左手に地面が少し盛り上がった場所が現れる。よく見ると、小山全体がぼんやり白く光っていた。無数の光茸が密生し、茨の森の中にぽっかりと開いた幻想的な空間だった。
「おい、見ろ、いたぞ。音を立てるな。慎重に行け、逃がすなよ」
ヨパラの顔が得意げな表情になり、紅潮していた。
二人は音を立てぬよう進み、剣を構える。
ヨパラは両手で長剣を構えた剣闘士スタイル。身長190cm。剣士としては標準体格だが、体は痩せ細り、剣を持つ手が震えていた。刃には錆も浮いており、手入れはお世辞にも行き届いているとは言えない。
インフィは中剣と短剣を手に、ハの字に構え、水のようにしなやかで力みのない美しい立ち姿を見せていた。
「そろそろ来る。仕留めてくれよ、逃げると厄介だ」
「来ます!」
その瞬間、銀色の弾丸のような影がヨパラの顔めがけて飛んできた。
ヨパラはなんとか避けて尻餅をつく。驚きに目を見開く彼の前で、インフィの剣が完璧なタイミングで振るわれたが、届かずインフィは構え直す。
「くそ、こんなに速かったか……ドジった。やばいぞ」
地面に落ちた銀色の球体が、丸まった身体を解く。その姿は――赤い目、鋭い牙と爪、ふさふさの尻尾、銀に金が混ざった美しい毛並みを持つ魔物。
貴婦人の垂涎、見栄の象徴、優雅で暖かく軽やか、あのミンクの毛皮――ミンクラーだった。
ミンクラーは一瞬で丸まり、尻餅をついたままのヨパラの顔めがけて再び弾丸のように飛びかかった。インフィは巧みに剣でその軌道を逸らし、飛んできた銀球はヨパラの右耳をかすめ、髪を散らした。
「うおお、今のは死ぬって! ヤバい、逃げるぞ!」
「動かないで!」
ミンクラーは跳ね返るように再び襲いかかり、インフィはかろうじてそれを捌く。息つく間もない攻防が続く。
ミンクラー――レベル13、体長40cm(球状時は20cm)。好戦的で凶暴、しかも極めて希少な魔物。高速体当たりを武器に、狙いを定めた相手には執拗に襲いかかる。狙いはヨパラに定まっていた。
インフィはレベル10。攻撃を弾く外皮に苦しみ、軌道を逸らすので精一杯だった。
再び立ち上がったヨパラの眼前に、銀球が迫る。今度は逃げずに長剣を振り下ろすが、わずかに傾いたその剣に、銀球は剣の背に当たり弾き返される。
「ちっ、しくじった……ここまで鈍ってたか、情けねぇ」
ヨパラの表情も引き締まり、真剣な眼差しで構え直す。ミンクラーも、わずかにふらついていた。
「僕ではダメです。力が足りない」
「ああ、分かってる。もう大丈夫だ。目も慣れてきた」
ヨパラが剣を両手で握り、顔の前に構える。眼前に飛ばれても対応できる構えだった。すると、ミンクラーが二人の周囲をぐるぐると回り始める。
ヨパラとインフィは背中合わせに構え、ミンクラーの動きを伺う。ヨパラは目で追い、インフィは構えたまま半眼で前を見据える。
突如、ミンクラーが飛びかかる。ヨパラは回避できたものの、攻撃には至らず、じり貧となる。
「おとなしく狩られろってんだ、厄介なやつめ」
「受ければ、やられる」
「だな、行くぞ!」
二人は対角に走ってミンクラーの動きを封じようとする。が、ミンクラーはさらに速度を上げて牙と爪で襲ってきた。
防具が削られ、二人は消耗していく。そんな中、ヨパラの腹に「ドスン」と衝撃が走った。
「ぐぉ〜っ、止めたぞ、止めた!」
ヨパラは剣で腹を守り、ミンクラーを受け止めていた。半球に潰れた魔物が地面に落ちた刹那、錆びた剣が振り下ろされる。
「くっそ、外したか! やべぇ〜〜!」
魔物は間一髪で回避。ヨパラ、最後の詰めが甘い。インフィも一撃を狙ったが間に合わず、二人は並んで立つ。
傷ついたミンクラーが赤い目をぎらつかせて睨み返す。その目が、青に変わる。
「まずい、逃げろ、アレが来る!」
ミンクラーが腹を膨らませたまま突進し、くるりと回転。その瞬間、こちらに向けた尻から、勢いよく黄色のガスが噴き出す。まるで煙幕のような一撃――その名も、必殺の最後っ屁である。
ヨパラは逃げ遅れ、モロに浴びて地面に悶絶。インフィも顔が黄色く染まったが、笑っていた。
インフィの剣はすでに突き出されていた。フェンシングの一刺しのように、美しい軌跡を描きながら――まさに最後っ屁を放ったその部位へと、深々と突き刺さっていた。
インフィのレベルは10、ミンクラーは13。外皮には剣の攻撃が通じず、防御の薄い急所を狙うしかない。それでもインフィは、あの強烈な最後っ屁を顔面に浴びながら、一切ためらわずに突きを放った。
ミンクラーは悶絶の表情を浮かべ、魔元素の光の粒となって消えた。
その場には、傷一つない、美しい毛皮が残されていた。
ヨパラの攻撃がことごとく外れたため、外傷はほとんどなかった。そう、外傷が少ないほどドロップする毛皮は高級になるのだ。……まあ、人生、何が幸いするか分からないものである。
「おぉ、やったぞ! こんな綺麗なの初めてだ! これは高いぞ!」
ヨパラは戦闘中のすべてのミスを忘れたかのように歓喜した。
二人は薄茶けた黄色の顔で、あの大通りを歩く。周囲の人々はその悪臭に耐えられず道を開けてくれる。
換金所のおばちゃんは、薄茶けた黄色の顔を並べた二人を前に、眉をぴくりと引きつらせ、鼻をつまみながらも、涼しい顔で応対していた。さすがは場数を踏んだプロフェッショナルである。
「これは素晴らしいミンクラーの毛皮ですね。中金貨二枚になります」
ヨパラは歓喜の声を上げてそれを受け取ると、少年の手をぱっと取って、そのまま足早に店へ向かった。
そこは老舗の高級店だった。
「乾杯だ。昔はよくここで食ってたんだぞ。懐かしいな」
風呂で洗い流し、少し浅黒さが抜けたヨパラがそこにいた。
「今日はすまなかった。あんなに手こずるとは……次は任せろ」
「いえ、まだ無理です。僕も、ヨパラさんも」
「はは、確かにそうだな。まあ今日は、パーティ結成の祝いだ。たらふく食おう」
「はい」
インフィはいつものように、泣きながら美味しそうに食べていた。今日はヨパラもまた、泣きながら「旨い、旨い」と繰り返しつつ口に運んでいた。その様子を、店員も客も物珍しげに見つめていた。
三畳の部屋の天井を見つめるヨパラ。その隣でインフィはすやすやと眠っている。
声には出さずとも、ヨパラは自分の情けなさに呆れていた。そして、インフィを見て、かつて希望に溢れていた自分を思い出しながら、眠りについた。
『インフィとおっさんのコンビは、うまくやっていけるのだろうか』
『ヨパラは、自分が変わらなければならないと、感じ始めていた』
夜の帳が降りると、広場には焚火が灯り、どこからともなく浮浪者たちが集まる。空には、白く乾いた砂埃が雪のように舞っていた。




