45 ロリア南東砦のその後
ゼルの身体は、エグズ使徒との衝突で遥か彼方まで吹き飛ばされていた。
インフィが気絶したことで、息もできぬほどの強烈な威圧は消え、九十六班の仲間たちは懸命にゼルを探したが、見つけ出すことはできなかった。
数刻後に意識を取り戻したインフィも、俯瞰を使って生命の痕跡を探したが、何も見つけられず、ただ落胆していた。
「インフィ。ゼルは格好良かったな。真の班長は、やっぱりゼルだよ。ゼルがいたから、俺たちは生き延びられたんだ。これは戦争だ。生死は常さ。ゼルの分まで、俺たちが生きてみせる……」
ダリルはインフィにしがみつき、子どものように声を上げて泣いた。他の皆も目を赤く腫らしながら、インフィの頭を撫で、励ましの言葉をかけていた。
インフィは、心の奥底で渦巻く漆黒の感情を懸命に押さえつけ、冷静な自分を取り戻していった。
「ありがとう。ご心配をおかけしました。もう、大丈夫です」
九十六班の面々がゼルの捜索を断念し、戦後処理のために土砂に埋もれた野営地へ戻ると、ロリア南東砦の司令官たちがインフィを見つけ、歓喜に満ちた表情で駆け寄ってきた。
「特別捜査戦略補佐官、インフィ様。見事な指揮ぶり、誠に感服いたしました。この戦いは、ハルパン王国の歴史に刻まれる偉業となるでしょう。おめでとうございます」
インフィはきょとんとした表情で司令官を見つめ、やがて思い出したようにぽつりと呟いた。
「それ、嘘です……」
「申し訳ありません。うそとは……何が嘘なのでしょうか?」
「戦略補佐官なんて、嘘です。僕は……ただの奴隷兵です」
その場にいた司令官たちの頭上に、見えない疑問符が浮かぶ。中でもひときわ大きな疑問符が、司令官の頭に現れていた。
「インフィ様は、特別捜査戦略補佐官ではなく、ただの奴隷兵だと……?」
「……ええ。間違いありません」
司令官の顔色が変わり、これ以上話しても埒が明かぬと判断すると、彼は九十六班の面々に詰め寄った。
「俺たちも騙されてました。よく考えれば、そんな偉い人のはずがないと思います。あの、班長は変わり者で、変わりすぎてて……何が本当なのか、分からないんです。申し訳ありません!」
皆が困惑したようにうなずき、カイラが必死に説明していた。彼の訛りも、奴隷兵訓練の中で矯正されていた。
司令官たちは頭を抱えた。冷静に考えれば、新兵訓練所に極秘任務などあるはずもなく、どう見てもまだあどけない、力なき少年にしか見えなかった。
『奴隷新兵の指揮に従い砦を守りました』――そんな報告をどうすればよいのか、司令官は深いため息をつき、唸り声を漏らしていた。
……
少し、時間を戻そう。
空に漂い、あの戦いの一部始終を見ていた「もの」がいた。
透き通るような青い髪に、白磁のような肌。全ての女性が憧れるような完璧なプロポーション。天女の衣のような淡く薄い紫の羽衣をまとっていたが、肌は不思議と透けて見えることはなかった。
そして、明らかに人とは異なる特徴を持っていた。腰から下が蛇の姿なのだ。白く美しく、しかし悩ましく揺れるその尾は、まるで神話のラミアのようでもあり、日本神話の白蛇をも彷彿とさせた。
「呼ばれた気がして来てみたら、なんだか楽しそうじゃない。誰のイタズラかしら」
「ふふ……こんなことになるなんて、私にどうしろっていうのかしら。うふふ」
そして彼女は、まるで重力を無視するかのように音もなく地に降り立った。インフィが放った威圧すら、まるで心地よさそうに受け入れ、身をくねらせて恍惚の表情を浮かべている。
「これが原因かしら? まあ、綺麗に切れているわね。何かに使えそう……ふふ」
そう呟くと、真っ二つになったゼルの遺体を抱え、音もなく姿を消した。
……
『これから、何が起ころうとしているのだろうか』
『この存在は、神の化身なのか、それとも……』
『インフィにとって、敵なのか、味方なのか』
青白い月に照らされ、変わり果てた野営地では騒然とした空気の中、戦後処理が続けられていた。死者の埋葬、負傷者の救護、生存者の捜索――混沌の只中で、どうすべきか頭を抱える司令官の唸り声と、スヤスヤと寝息を立てる少年の寝顔だけが、静かな月光の下に照らされていた。