第3章 「妖怪の母となった女子大生」
そのまま何事もなければ、あの深夜に起きた怪現象も、単なる悪夢か思い違いとして片付ける事が出来たのだろう。
晴れの予報を信じて傘を持たずに出掛けたら、局地的なゲリラ豪雨に遭ってズブ濡れになったり、転んだ拍子にスマホを溝に落として水没させたり。
そんな相次ぐ水難も、不幸な偶然として見逃せたかも知れない。
休日明けの月曜日に、堺県立大学なかもずキャンパスへ登校するまではね。
大教室で講義が始まるのを待っていたら、変な噂話を耳にしちゃったんだ。
「昨日は本当にツイてなかったよ。おかしなイタ電は掛かってくるし、ホースで水やりしていた人の手元が狂ってズブ濡れになるしで、もう散々。」
明るい茶髪を丸っこいボブにカットした上級生のお姉さんが、溜め息混じりに愚痴っている。
見るからに陽キャっぽい彼女の愚痴は、普段の私だったら右から左へ聞き流していただろうね。
「あっ!私にもイタ電があったよ、蒲生さん。台湾の実家からの着信のはずなのに、全然知らない女の人の声だったんだ。」
茶髪ボブの先輩の隣席にかけていた黒髪ストレートの子が、独特の訛りを含んだ声で応じた。
どうやら彼女は台湾人で、県立大には留学生として来ているらしい。
「えっ、美竜さんもなの?それって、『小豆研ごうか人とって食おうか。』って歌じゃない?美竜さん、それから何か変な事は起きなかった?」
留学生の子と仲良しであるらしい、蒲生という先輩が語るイタ電の歌詞。
それは、一人隠れんぼの最中に私のスマホに掛かってきたのと、全く同じ内容だったんだ。
「そうそう!その歌、その歌!でも、特に何も無かったよ。強いて挙げるなら、留学生仲間と居酒屋で呑んでいたら、つまづいた店員さんにピッチャーのビールを頭から浴びせられた位かな。」
何という事だろう。
あの留学生の子も、水難に遭っていたなんて。
「でも、ビールかけなんてスポーツ選手みたいで面白いし、クリーニング代以外に飲み放題のタダ券も御詫びに貰えたからね。ブラウスがビシャビシャになって下着が丸見えになったのは、少し恥ずかしかったけど。」
エキゾチックな美貌に浮かぶ照れ臭そうな微笑を見るに、あの台湾人の子は特に怖い思いをした訳ではないのだろう。
それが、せめてもの救いだった。
「だけど変な歌だよね、『小豆研ごうか人とって食おうか。』なんて。日本じゃ有名な歌なの、蒲生さん?」
「多分、小豆洗いって妖怪の歌だよ、美竜さん。私も子供の頃に見たアニメの知識しか無いから、詳しくは分かんないけど。」
蒲生という先輩の何気ない一言は、強烈な一撃となって私の脳天に木霊するのだった。
どうして私は気付かなかったのだろう。
私が聞いたあの歌は、日本の伝統妖怪である小豆洗いが、川辺で小豆を研ぐ時に口ずさむ物に相違ない。
確か伝承では、小豆洗いの歌を聞いた者は、知らないうちに川へ誘導されて水難事故に遭ってしまうらしい。
私の場合は、ゲリラ豪雨とスマホの水没。
そして美竜という台湾人留学生と蒲生先輩は、それぞれビールのピッチャーと水やりのホースでズブ濡れになっている。
軽微な被害とはいえ、いずれも水難事故である事に変わりはない。
そう言えば、京都や香川といった西日本には、神通力を備えた化け狸が小豆洗いに変化したという伝承も残っているらしいし。
こうして考えてみると、小豆を詰めたタヌキのヌイグルミは、小豆洗いの器として最適な素材と言えるだろう。
どうやら私は、一人隠れんぼをする過程で小豆洗いを誕生させてしまったんだ。
私がお気に入り登録しているオカルト系ブログに、小豆洗いとの遭遇報告が相次いで寄せられたのは、それから間もなくの事だった。
いずれの報告も、イタズラ電話が掛かった直後に軽微な水難に遭遇するというパターンだ。
死傷者の一切出ない愉快犯的な犯行は、いかにも伝統妖怪らしい行動様式だね。
だけど、小豆洗いの愉快犯的な側面は、産みの親というべき私にも原因があると思うんだよ。
だって、小豆洗いが生まれる切っ掛けとなった一人隠れんぼは、私の出来心でアレンジされた物だからね。
思いがけない形で妖怪の産みの親になってしまった私だけど、小豆洗いからのイタズラ電話が掛かって来たのは、後にも先にも一度きりだ。
出来る事なら、一度直接会って話してみたい所だよ。
今になって思い返してみると、イタズラ電話として聞かされた歌声も、テレビの映像内で小豆をかき回していた手も、どちらも私の声と手だからね。
小豆洗いに母性が湧いてしまうのも、自然な流れなのかな。