さん〜雨と激怒と友達と〜
夏の林間学校を間近に捉えた俺の朝は、ブチギレられるところから始まる。
「お前ー! 一体何のつもりだ!」
まるで親の仇のように、いや、それだけでは足りず故郷の仇のように俺という男子高校生めがけて突撃してきたのは、羽田圭子だった。彼女はセミリアに一目惚れしたようで、それからそこそこ経った現在でも、あのお嬢様へ猛アタックを仕掛け続けているようだった。そんな彼女がなぜ、比喩でも何でもなく垂直跳びで俺の背中を頭で殴ったのか——おそらく、昨日の出来事と何か関係があるのだろう。
いや、何か——とかではなく、確実に関係があるのだろう。
「セミリアさんと……セミリアさんとぉ……」
少年バトル漫画にありがちな言葉の溜め方をしていた。よく見れば、その形相は般若をするりと飛び跳ねて真蛇だった。このままかめはめ波をぶちこまれて昇天するんじゃないかと、俺はコンマ数秒だけ未来視を得た。
「ラブホテルに行ったというのは、本当かーっ!!」
ASMR配信の途中で流れる広告の如き声量が俺の耳を貫き、脳組織をはちゃめちゃに破壊していった挙句、反対側の耳から出て行った。
…………こんな大声出せる人だったっけ? 羽田圭子。怒っていても、彼女は彼女である。握ったら潰れそうなくらいに小柄な彼女は変わらない。その上でここまで俺を威圧する——というか、恐怖させることができるのは、それほどに彼女が強い怒りを覚えていたからなのだろう。
あー。
視線が痛い。
誰もが集まってくる昼休みの食堂前廊下でするような話ではない。いや、こんな話題の適切な会話場所など、存在しないのだろうが。
「羽田圭子殿っ!」
こんな状況になってしまったからには、俺にできる最大限の対処を取らなければならない。限りなく誠実で、限りなく正直に全てを話そうではないか。そうしないと、冗談抜きで殺されそうな気がする。明日の学校新聞トップを飾ってしまうような気がする。
「場所を変えようっ!」
それほどに、女子の怒りパワーってのは恐ろしい……ってことなのかなぁ。
体育館裏。ベタでありふれた場所だが、だからこそ人はいない。
告白が行われることもほぼないらしく、そもそも、地面が草に埋め尽くされ、地面以外が虫で埋め尽くされ、最近までアシナガバチの巣があったというこの場所に訪れるような生徒は片手の指の数よりもいない。つまり、穴場スポットなのだ。ちなみに、以前まで存在していたアシナガバチの巣はとある勇者のエアガン攻撃により破壊された。のちにその勇者は、二回刺されなくてよかったと語っているとかいないとか。
いや、刺されとるやないかーい。
………………というのはさておき。
「さ、さっきは取り乱してしまい……誠に申し訳ございません。私、なんだか我を失っていたみたいで。そのせいか、一瞬だけ人間を辞めてしまったような……」
羽田圭子は体育館の壁に寄りかかり、自らの両手を眺めていた。瞳孔が開き切っている。まあ、横に垂直飛びして頭突きしやがったもんな……一瞬でも、とんでもない動きした自覚があるようで何よりだよ。
「さあ、ともかくだ。ここからは俺の弁明タイムってことでいいのか?」
セミリアと俺が、ラブホテルにいた件について——確実に、梨本の誕生日プレゼントを買いに行った時の騒動のことだろう。
「……あの時は唐突に雨が降り出して大変だったんだよ。セミリアが俺の手を引っ張って、てきとうな建物目掛けて突進するもんでさ。いつの間にか、ラブホテルへ……」
言いながら、自信を失い言い淀む俺。
「な、なるほど。その幸運に乗じて二人は——」
「してないしてない! マジのマジで何もやってない!!」
「…………………………………………………………」
ジト目だった。目を細めすぎてもはや見えているのか心配になる。とにかく、羽田の疑いはあまり晴れていなさそう。
状況が状況だったとはいえ、俺にそんな度胸があるとでも思っているのかこいつは……心配のしすぎでおかしくなっているんじゃないのか?
「ラブホに男女で入って、(言ったらいけない単語)をしないなんてことが、ま、まさか、ありえるというのか?」
「やっぱ思い込みと固定概念が強すぎるんだよお前!」
「思い込みと固定概念……」
その言葉を一度復唱し、ハッとする羽田圭子。
「あぁ、確かに……。男女に限定してしまうのは……よ、よくないですね……。男男でも、女女でも、否定してはいけない……ですね」
「何がですねだ!!」
「男女男男女男女……」
「いきなりどうした!?」
ラブホテルって、そんな大人数で入れるものなのだろうか……。
……7P?
一回深呼吸。
「……結局、あなたにとってセミリアさんはどういう存在なんですか?」
羽田圭子はこちらを訝しむような表情で尋ねた。何を思っているのか、少し不安そうである。
俺は馬鹿馬鹿しくて、軽く笑い飛ばした。
「友達だよ。友達に決まってんだろ?」
「友達——」羽田は目を丸くする。
「ああ、そうだ。高校生活で一番最初の友達で、思い返してみれば、俺はあいつに友達を作る大切さを教えられたような気がするな」
涼しげな風が吹く。空を見上げてみれば曇り空である。六月の天気というのは、あまりにも気まぐれだった。
多分、俺の考えすぎなのだ。セミリアがいたから自分は友達をしっかり作れたというのは彼女に対する過剰評価で、人間は記憶を美化するという特徴の典型例なのだ。
でも、それでいいんだと、俺は思える。どうせあいつは来年の春に元の国へ帰ってしまう。その時に、今ある城や俺の住まいがどうなるのかなんて知ったこっちゃないが、数少ないあいつの記憶は、美化してなんぼなものだろう。
「友達なら……わ、私にもチャンスがあるんですね……。セミリアさんが帰る前に仲良くなって、一緒に夜逃げしてやりますよ!」
羽田は燃えてきたようで、片拳をぎゅっと握りしめていた。握り込まれた小さな手に雨粒が落ちる。瞬く間に雨粒は軍勢となった。
「セミリアを傷つけないってんなら、勝手にしなさいな。よし、室内へ戻ろうか」
「……そうやって私もラブホテルに連れて行く気ですか」
俺を何だと思ってるんだ。いや、本当にマジで。
「だから、どっちかというとセミリアが俺をラブホテルに連れて行ったんだぜ。雨予報の日にあいつと二人でお出かけしてみれば? 傘無しなら、俺と同じようなことになってくれるかもしれないぜ」
先に歩き出し、俺は言う。自分でも意地悪なことを言ったなぁと思いつつ振り返ってみると、羽田圭子は鼻血を噴き出して仰向けになっていた。
せっかくだし、雨で鼻血を洗い流してから戻ってこいよ——。




