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第87話 十種族会議~罪と罰~

銀髪のサクラが死んだ。


人々に恨まれ。

人々を呪い。

人々の真ん中で息絶えた。


血が石畳に広がっている。

会議場の中央で、白い衣が赤く染まっていた。


民衆は、まだ恩赦を求める姿勢のまま固まっていた。


震えながら刃を握っていた男がいる。


その隣で、息を荒げている女がいる。

後ろで、何もしていないという顔をしている者がいる。


けれど、つめには見えていた。


刺した者。

叫んだ者。

殺せと煽った者。

止めなかった者。

逃げた者。

笑っていた者。


全部、混ざっていた。


――そして、私は。

――止められなかった者だった。


「……くそ」


声が漏れた。


誰にも届かないくらい小さい声だった。

なのに、喉の奥が焼けた。


わかっていた。

いや、こうなるとまではわからなかったけど。


何かは起こるって頭にあったのに。

自分は何もできなかった。


亡骸を見る。


銀髪の少女は、最後までサクラにはなれなかった。

本物にもなれなかった。


作られた偶像のまま殺されて、殺した相手を呪って死んだ。


会場の中心。

刃を握っていた男が叫んだ。


「俺は、操られてたんだ!」


周りの民衆も呼応する。


「そうだ!」


「俺達は悪くない!」


「悪いのはサクラ教団だ!」


「悪いのは偽物だ!」


「俺達じゃない!」


叫びが戻る。


戻っただけではない。


膨れ上がる。

恐怖が怒りに変わっていく。


つめは歯を食いしばった。

まずい。


この空気は、知っている。


逃げ場を失った人間が、誰かを殴ることで出口を作ろうとする空気。


「下がれ!」


ソウエンの側近が前に出る。


近衛達も動く。


だが、近衛の動きは鈍かった。


さっき自分達の仲間が銀髪のサクラへ向かい、斬られた。


その混乱はまだ残っている。


民衆も分かっている。


十種族長は遠い。


近衛は揺れている。


この混乱に乗じたのは。

窮地のサクラ教団だった。


「今しかないでしょう」


司教の声がした。

そのまま信徒に合図をする。


つめが目を向ける。


観覧席の一角で、白い布を被った男が立っていた。


サクラ教団の信徒。


その足元で、布袋が開かれる。

金属音が散った。


短剣。


小型の弩。


棍棒。


仕込み刃。


小さな魔道具。


それが、観客席の足元へ転がっていく。


一箇所ではない。

会議場のあちこちで、同じ音がした。


布袋が落ちる。


武器が滑る。

隠れていた信徒達が、次々と立ち上がる。


「その武器で身を守れ!」


「長達はお前達を裁く!」


「殺される前に戦え!」


「長を撃て!討てば無罪だ!」


会議場が、別の熱を帯びた。


つめの背筋に冷たいものが走る。


武器がばらまかれた混乱で、代表席と観覧席の境が崩れていた。


「……サクラ教団」


隣から声がした。


「元からやる気だったね、これ」


レインだった。


いつの間にか、彼が近くまで来ている。


「暴動か武装蜂起か」


レインが低く言った。


「仕込んでたってこと?」


「裁かれるくらいならって事かしら」


その後ろからフィオナも駆け寄ってくる。


シエル。


ユイガ。


つめは振り返る。


「みんな」


「やっと合流できたわ」


フィオナが息を整えながら言った。


淡い白金の髪が揺れている。


顔は青い。

それでも人の死から目は逸らしていない。

気丈な表情。


「……よかった」


つめは少し安堵した。


「リオンは?」


フィオナは周囲を見渡す。


「見つけられなかった」


「……もう」


フィオナはため息をついた。


「観客席側にいるはずです」


シエルが暁のヴェール越しに左目を観客席に向ける。


「けれど、混乱で位置が拾えません」


会場は既に火薬庫だった。


漂う絶望感。

投げこまれた武器。

緊張状態。


「まずはこの場をなんとかしなきゃ」


つめは周囲を見回す。


民衆は少しずつ武器を手に取り始めていた。


それしか支えがない。

そんな顔をしていた。


ユイガも会場を見る。


首に提げた石が微かに揺れた。


「流れが悪いです」


「流れ?」


「民衆とサクラ教団の波が徐々に混じりつつあります」


ユイガの耳ヒレがわずかに伏せる。


「このままだと大波となり、十種族長と対峙する事になります」


レインが一歩出ようとした。


「なら止める」


レインの目が微かに金色に染まる。

その腕を、シエルが掴んだ。


「待ってください」


レインが振り返る。


「今、私達が動くと最悪詰みます」


つめはシエルに聞いた。


「どうして?」


シエルは冷静に分析していた。


「今この会議場では内紛に近いものが起ころうとしています」


話す声は低い。


「ここでリスティアの学生が、魔法戦力として会議場に介入したらどう見えますか?」


つめは眉を寄せる。


「どうって……止めに入っただけ」


「私達からはそうです」


シエルは即座に言った。


「そうね。民衆と十種族長からは違う……」


フィオナが唇を引き結ぶ。


「リスティアが、十種族会議を制圧しに来たように見えるわ」


「そうです」


シエルは頷く。


「サクラ教団から見れば、敵。


 民衆から見ても、敵。


 十種族長から見ても、外部の魔法戦力。


 ヤマナギから見れば、会議への武力介入。


 すぐに四面楚歌に陥ります」


「でも、これ放っておいたら爆発する」


つめの声が荒れた。


「分かっています」


「なら!」


つめの声に焦りが混じっていた。


レインがつめを見た。

そしてすぐに目をそらしながら言う。


「カノ、焦りすぎ」


「焦ってない!」


レインは静かにつめに目を合わせた。

つめもレインの目を見る。


少しだけ金色が混じった目。

それを見ていると少しだけ焦りが抜けた。


「……俺達は英雄じゃない」


レインはきっぱりと言う。


「全てを救えるほど強くもない」


言い終えたらすぐに目をそらした。


シエルも続ける。


「今は待つしかありません。


 私達が前に出た瞬間、全員が私達の敵となります」


「詰んでない?」


「今は」


シエルはつめを見た。


左目の色が白く抜けている。

暁のヴェールが、そこに薄い光を重ねていた。


「けれど、場は動くはずです」


「なんで?」


「十種族長達はこちらの事も見ています」


ユイガが頷く。


「もう少しすると潮目が変わりそうに見えます」


つめは考える。


会場は火種の燻る火薬庫の中。


一触即発の状態。

自分達は動けない。

民衆は混乱している。

巻き込まれた人達もいる。


それなら。


「……わかった。


 今は無関係の観客を逃がそう」


「そうね。救護と避難誘導ならまだ言い訳が立つわ」


「それが一番被害を減らす方法かと思います」


シエルが言う。


「それでは私とユイガ、フィオナで避難誘導をします。


 レインは護衛、カノは会場の監視をお願いします」


レインは黙っていた。


拳だけが握られている。

つめは、彼の横顔を見た。


怒っている。

焦っている。


いつもは飄々としている様に見えて。


でも。

一番空気に敏感だった。


「レイン、今は」


「……わかった」


避難誘導を開始した。


ユイガの指示で女性や子供、老人を観客席から連れ出していく。


負傷している人はシエルが介抱し、パニックになっている人はフィオナが正面から受け止め、肩を支えていた。


レインは近場にいるサクラ教団の信徒の動きに目を光らせている。


数十人は外周へ下げられた。

だが、出口までは届かなかった。


信徒達が出口を塞いでいた。


つめは会場を見つめる。


民衆は手に持った武器をそれとなく構えている。


サクラ教団の信徒の数が増えていた。

民衆を逃がさないように信徒で挟み込んでいる。


その時だった。


中央で、カガリの声が響いた。


「司教」


つめは振り向いた。


カガリが白い衣の群れの中で司教を見ていた。


いつもの低い声。

けれど、そこに怒りが混じっている。


「これは、何ですか」


司教は、民衆へ武器が渡る様子を見ていた。


焦りはない。

むしろ、予定通りという顔だった。


「備えです」


「備え?」


「最初から、これは計画の内です」


カガリの表情が変わる。


「何てことを」


司教は静かに言った。


「偽りのサクラだけで、十種族長を越えられるとは思っていません」


会議場の騒音の中でも、その声は不思議と届いた。


「我々は、とうに疑われていました。裁かれることも分かっていた」


「だから、武器を?」


「民は救いを求めています」


「救い……」


カガリの声が冷えた。


「あなたは、救いを求める民に刃を持たせている」


司教は振り向く。


「サクラ教団が生き残る術は、これしかないのです」


「サクラ様を贄にしたのですか」


カガリは、一歩踏み出した。


「民も贄にするのですか」


司教は答えない。


その沈黙が、答えだった。


カガリの目が細くなる。


「あなたは……」


そこで、声が途切れた。


会場の一角で、小型弩が持ち上がった。


狙いは、十種族長。


「撃て!」


隠れていた信徒が叫ぶ。


「長を撃て!」


民衆の腕が震えている。


それでも、引き金に指がかかる。


つめの身体が動きかけた。


シエルがこちらを見る。


「まだいけません」


「撃て!」


「じゃあどうすんの!」


「待つしか――」


その言葉が終わる前に。


長耳のサクラが、中央へ進み出た。


草で編んだような黄金の髪。

木で作ったような長い耳。

継ぎ接ぎの白い衣。


その手に、黒い魔石をつけた魔道具があった。

開花装置。

安全装置のない試作零号。


カガリの目が見開かれる。


「あなたが」


声が震えた。


「盗んでいたんですか」


長耳のサクラはカガリを見ない。


民衆も見ない。

司教も見ない。


その視線は、十種族長へ向いていた。


「一つ、何人たりとも姿を偽る事なかれ」


長耳のサクラが言った。


声は澄んでいた。


「一つ、他者の名を穢す事なかれ」


祝詞の様に五戒を紡いでいく。


「一つ、客人を辱める事なかれ」


開花装置から黒い花弁があふれ出す。


「一つ、誓いを軽んずる事なかれ」


十種族長の周囲で、黒い魔力が揺れた。


「一つ、死者を騒がせる事なかれ」


つめの肌が粟立つ。


これは、さっきの銀髪のサクラの開花とは違う。

浅く広く感情を揺さぶるものではない。


深い。

狭い。


正確に、十種族長の奥へ届いている。


シエルが息を呑んだ。


「これは……」


「何!?」


「先程の様に感情を増幅させているんじゃありません」


シエルの声が低くなる。


「正しさを暴いています」


その瞬間。


エルフィア・ルーンの周囲に、文字が浮かんだ。


無数の記録。


発言。

行動。

叫び。

足の動き。

刃の軌跡。


銀髪のサクラへ伸びた腕。


「記録は残っています」


エルフィアが言った。


さっきと同じ言葉。


なのに、意味が違った。


記録するためではない。

裁くための声だった。


空中の文字が、一人の男へ落ちる。


銀髪のサクラを刺した男。

刃を握り、恩赦を叫んだ男。


その胸に、文字が刻まれた。


《殺人の罪》


男が目を見開く。


「ちが――」


言葉は最後まで出なかった。


胸を押さえ、崩れ落ちる。


「罪には罰を」


会議場が静まり返った。


つめは見ていることしかできなかった。


銀髪のサクラを殺した男。

そして恩赦を求めた男。


胸糞悪いと思った。


でも。

目の前で殺された姿を見たら全てが吹き飛んでいた。


沈黙が場を支配する。


誰も声を発さない。


その静寂を破ったのは、民衆の悲鳴だった。


「殺した!」


「長が人を殺した!」


「逃げろ!」


「出口へ!」


民衆が動こうとする。


アマギ・ソウエンが手を上げた。


十種族長達と近衛達の動きが揃う。

混乱していた命令系統が、処罰の形へ組み直されていく。


地面が鳴った。


『オリハルコン』バルクが拳を握っていた。


「結果は出た。逃がす必要はねぇ」


会議場の外周から、鉱石がせり上がる。


壁になる。

檻になる。


出口を塞ぐ。


「なんで!」


「出られない!」


潮の匂いがした。


トール・ナギが、静かに足を踏み鳴らしていた。


「……ヤマナギの潮よ、我のいるここが海」


石畳の隙間から水が滲む。


一滴。

二滴。


次の瞬間、潮が広がった。


足首を濡らし、脛に届く。

会議場が、浅い海になる。


「おじいちゃん……」


ユイガが息を飲む。


潮の上で、トールが動いた。


速い。


水に足を取られているのではない。

水に押されている。


水で動けなくなっている信徒達。

地上の倍の速度で、倍の力で、トールは白い集団を倒していく。


グラド・フェンの身体が膨れ上がる。


獣化。

腕が太くなる。

牙が見える。


「弱さを盾にするな!」


低い唸りと共に、前列の暴徒が吹き飛ばされた。


神匠ドワルが床に手を置く。


簡易制作パッチワーク拘束器具」


石畳の継ぎ目が鳴る。

落ちた剣がほどける。

柵の金具が外れる。


釘、鎖、刃、小さな歯車が組み上がり、床を走る。


それらは民衆の足元で跳ね、腕を絡め、膝を止めた。


ラグナ・“テュポン”・ドラグが息を吐く。


「……テュポン、俺を喰らえ」


空気が重くなる。


ラグナの体に赤い燐光が広がる。


暴風のような圧と、毒気を含んだ熱。


レインの身体が反応する。


「息吹……」


つめの背筋が凍る。


ツヅリの神降ろしと似て非なる暴力的な神威。


その余波だけで民衆は倒れていく。


森人族代表ミサネの足元から、蔦が走る。


「共同体を乱す枝は、払わなければ」


根が石畳を割り、暴徒の足を絡め取る。


妖精女王ルルフェが指を弾く。


空間が、わずかに歪んだ。


民衆が右へ逃げたつもりで左へ転ぶ。


代表席へ向かったはずの足が、壁へ向かう。


声の方向がずれる。

距離感が狂う。


つめは困惑していた。


「これは何!?」


シエルは左目を十種族長に向ける。


「情報を整理します。


 十種族長は正しさを暴かれ……。


 各々の罪に対するスタンスが厳罰化しています」


「それって」


「今の長は罪を犯した者や五戒を侵した者を許さない」


その中で、翼人族代表席だけが奇妙だった。


ツヅリは動いていない。

神降ろしの気配も消えている。


そしてその目だけが。

こちらを見た。


「キリハ、丁重に頼むよ」


ツヅリがそう言った後。


煙が上がった。


ツヅリの代役をしていた長身の男が、何かを抱えていた。


彼は一瞬だけ、つめの方を見た。


何かを言うでもなく、煙幕の中へ消える。


「遺体を持っていきました」


ユイガが言う。


「銀髪のサクラの?」


「おそらく」


つめは唇を噛む。


分からないことが増えていく。


その中央で、カガリが膝をついていた。

開花装置の黒い光が、彼女にも触れている。


カガリの目が揺れていた。


怒り。

失望。

祈り。


全部が混ざっている。


「司教」


カガリは呟いた。


「あなたは、サクラ様を信じていない」


司教が彼女を見る。


「信仰を残すためです」


司教は言った。


「器が壊れても、教えが残ればよい。今はその時です」


カガリの目の奥で、火が灯った。


司教への怒りではない。

教団への失望でもない。


もっと古い火。


旧焔耳教。

失われた祈り。

感情を否定する世界を正しい形へ導いてくれる存在。


カガリにとって、それが原初のサクラ様だった。


「私は本物のサクラ様についていきます」


その声は、静かだった。


だからこそ、深く刺さった。


司教の顔が歪む。


「何を」


カガリは彼から目を逸らす。


そして、長耳のサクラを見た。


「お許しください」


声が変わった。


低く。

澄んで。

どこか、熱を帯びていた。


「あなたが本物のサクラ様だったのですね」


つめの背中に、嫌な汗が流れた。


「カガリ……?」


カガリには聞こえていない。


「サクラ様」


長耳のサクラが、わずかにカガリを見る。


「私はあなたについていきます」


少しだけ考えるような顔をする。

そして、言った。


「私についてくると、人生終わりますよ」


「かまいません」


つめは息を呑んだ。


「普通に生きた方がいいですよ」


「あなたと共にいさせてください」


いつかの歪な焼き直し。


つめが拒んだ時の言葉をなぞっていた。


「では、一緒にいきましょう」


「ありがとうございます」


拒絶した過去が、目の奥に蘇る。


(――もう。


 居場所ないのに)


セナ。


新人冒険者。


初めてのつめの“信者”。


どうして。

その言葉が頭の中で繰り返される。


認めたくなかった。

信じたくなかった。

だからずっと先延ばしにしていた。


髪の色も違う。

見た目も大分変わった。


あんなにも、私みたいじゃなかった。


「……なんで、なんでセナが」


会議場では、処罰が進んでいた。


民衆が泣き叫ぶ。

サクラ教団の信徒達が逃げようとする。


バルクの鉱石が塞ぐ。


トールの潮が足を奪う。


エルフィアの記録が罪を刻む。


誰かが倒れる。

誰かが叫ぶ。

誰かが、まだ言い訳をしている。


「操られてたんだって!」


「悪いのは教団だろう?」


「俺は拾っただけなんだ!」


「撃ってない、撃ってないんだ!」


「俺は関係ないって!」


エルフィアの文字が、また浮く。


つめは、それを見た。


次の罪が刻まれる。

次の誰かが倒れる。


その先に、全員分の処罰がある。


正しい。

たぶん、正しい。


人を殺した。

暴動に荷担した。

武器を手に取った。

長を撃とうとした。


たとえ操られていたとしても。


この世界の法で、ヤマナギの不文律で、十種族の規律で。


全部、裁かれて当然なのかもしれない。


でも。

無慈悲に罰されていいわけじゃない。


「……まだ、助けられる」


つめは言った。


レインが隣を見る。


「決めたの?」


「決めた」


フィオナが胸元に手を置く。


「私もいくわ」


「危ないよ」


「それはカノも一緒でしょうに」


フィオナはまっすぐにつめを見た。


「首尾はどうしますか?」


シエルが暁のヴェールを整える。


「潮が厄介です。潮場は海人族には有利ですが、民衆の退避には邪魔になります」


ユイガが潮の流れを見る。


「少し時間を貰えれば、あの潮を海に戻せるかもしれません」


「どうやって?」


ユイガは首に掛けた石を見せる。


「この凪石はヤマナギの海そのものなんです。潮を引かせれば自然と消えていきます」


「それなら」


「ただし、この混乱の中であの潮場で共鳴しなければいけません」


「どれくらい必要ですか?」


「潮場まで行くのに2分、そこから1分程です」


「わかりました」


シエルは左目に装着した暁のヴェールへと手をかざした。


『知恵のミーミル深層接続』


シエルの周囲に青いノイズが走った。


その顔が苦痛に歪む。

足がふらつき、その肩をユイガが支えた。


「……現状このプランが成立する確率は13%程度です」


シエルは淡々と言う。


「戦場に介入した瞬間、手前にいるサクラ教団の信徒が反応、そして民衆を使い戦闘に入ります」


未来予測に近い情報整理。


「そして。その先にいる神匠ドワルに捕捉され、会議介入の罪で拘束されます」


つめは唇を噛む。


動かなければ状況を変えられない。

動いた瞬間、状況は詰んでしまう。


八方塞がりだった。


「仮にですが……」


シエルは可能性を語る。


「この戦場を私達と民衆、十種族長とサクラ教団で二つに分断する事ができれば成功確率は上がります」


「民衆とだけ敵対しろって事?」


「そうです。


 そうすれば十種族長は処罰の協力者として黙認する可能性があります」


つめはシエルの言葉を頭の中で反芻していた。


サクラ教団と敵対せず民衆のみと敵対する。


教団はなんとか十種族長から逃げ延びたい。

民衆も同じ。


でも。

元々民衆はサクラ教団と敵対していた。


――銀髪のサクラのせいで。


つめの周りに黒い靄が浮かぶ。

ゆらゆらと揺れている。


『それなら、誰かに成り代わることもできる』


ふと、昨日の言葉を思い出した。


『ただし、悪意を集めている対象だけです』


最悪な能力。


『そして、その役割が空かないといけません』


死んだサクラ。


『対象が死ぬか舞台から退場した後ですね』


整った盤面。


『悪意が強ければ強いほどより本物に近付きます』


どこかで観測変換がニヤリと笑った気がした。


「……結局こうなるんだ」


つめは吐き捨てる様に言った。


「カノ?」


フィオナが心配そうに声をかける。


「……あるよ、方法」


そう。

ある。

たったひとつだけ。

おあつらえ向きでくそみたいな方法が。


ただ、その手段を取ったら最後。

もう平穏な日常には戻れないだろう。


それどころか。

ここで死ぬ可能性もある。


迷う。


Eクラスの毎日は楽しかった。

ミレイは記憶を失ってしまったけど。


迷う。


そこで仲間ができた。

仲間って言って良いかわからないけど。


迷う。


今ならまだ引き返せる。

今後も逃げられるか保証はないけど。


迷う。


視界の端でエルフィアが女性に話しかけるのが見えた。


「あなたの罪も記録しています」


文字が空中に浮き、光る。


その時。

女性の隣にいた子供が飛び出した。


「お母さんは悪くない!」


両手を広げて庇おうとする。


エルフィアは術式を止め、魔道具を作動させる。


「……あなたには罪はありません」


その言葉に、子供はほっとした様な顔をする。


「ですが」


しかし、途中でその顔は凍りついた。


「処罰を邪魔するようであればそれを罪とします」


「……え?」


子供は理解できない、といった顔をした。


エルフィアは続ける。


「考える時間を与えます。罪を犯すか、ここを去るか決めなさい」


それを見て。


つめは考えることをやめた。


どうせもう。

破滅は決まっている。


なら。

迷う時間は無駄だ。


つめはシエルへ素早く言う。


「私が民衆を惹き付けるから。


 その間にユイガは潮の排除をして」


後悔は、後ですればいい。


シエルは問う。


「出来るんですか?」


「うん」


つめは即答した。


「わかりました」


そして方針は決まる。


「私はユイガをサポートします。フィオナはカノのサポートを」


レインが前へ出る。


「俺は?」


シエルが言う。


「襲ってくる民衆を殺さないで無力化してください」


「分かった」


つめは、中央を見た。


銀髪のサクラはいない。

でも、その役割は残っている。


民衆の中に。

憎悪の対象として。

殺したい程、憎い存在として。


サクラ。

元は自分の役名だったその名前。

殺してもらったはずの存在。


それに、成り代わる。


つめは息を吸った。


観測変換が、奥で軋む。


悪意はまだ、散らばっている。

民衆は十種族長を恐れている。

教団を恨んでいる。

銀髪のサクラを呪っている。

自分達を許してほしがっている。


なら。

こっちへ向けさせる。


黒い靄が身体から溢れ出る。

やっと出番か、というように。


つめは一歩、前に出た。


「タイミングは?」


シエルが囁く。


「今」


シエルは一瞬だけ黙った。


「……状況、開始します」


ユイガとシエルが動き出した。


フィオナは魔力を練り、レインは竜の息吹を身体に宿す。


「……《ファフニール》“黄金はここに在る”」


金色と黒色が混じった光が放たれる。


それを見て。


つめは背筋を伸ばし前を向いた。

左手で存在しない傷を押さえる。


そして。

会議場へ声を投げた。


「――馬鹿な民衆達」


声は、そこまで大きくない。


「――本当に救えない愚かな連中」


黒い靄がつめの身体を覆う。


――銀色の長髪が伸びた。


視線が、ひとつ動く。


またひとつ。


――教団の紋が入った白い服に包まれた。


民衆の目が、つめを見る。


サクラ教団の信徒が、つめを見る。


――服が血で染まっていく。


実際に変わったのか。

そう見られているだけなのか。


つめ自身では判別できなかった。


だから演じる。


つめは銀髪のサクラを模倣していく。


足りない背は気配で補う。

顔の造形は悪意で歪める。

声の違和感は憎悪で掻き消す。


カガリが、つめを見る。


セナも、ようやくつめを見た。


つめは笑った。


笑いたくなかった。


でも、笑った。


「――あははははは、いい気味ね!


 ――私を殺した罪で裁かれていくなんて!」


叩かれる側の表情を作る。


見下される顔。

嫌われる顔。

災いを呼ぶ顔。


「――私を殺したくらいで、許されると思った?」


民衆の顔が歪む。


「死んだはずじゃ」


「まだ生きていたのか!?」


「あの魔女め」


「いや死んでいたはず……」


「きっと教団が何かやったんだ!」


「俺たちを嵌めるために!」


視線が集まる。


困惑。

怒り。

憎しみ。

恐怖。

そして憎悪。


つめの身体へ、悪意が流れ込む。


痛い。

熱い。

吐き気がする。


信徒達は慌て出す。


「おい、お前ら今は十種族長を討て!」


「うるせぇこのペテン共が!」


「あのサクラは偽物だ!」


「お前らの話なんか聞くか!」


けれど、民衆の気持ちはサクラ教団と離れた。


「もう一度あの魔女を殺せば許されるかもしれねぇ!」


「死なないやつは人間じゃねぇ、きっと化物かなにかだったんだ!」


「そうだ!俺たちは悪くない!」


悪意が渦巻く。


観測変換。

つめの周囲で、黒い魔力が膨らんだ。


「――そうね」


つめは言った。


「――化物でいいわ」


民衆の目が集まる。


十種族長への恐怖が、一瞬だけ薄れる。

処罰から逃げたい心が、つめへ逃げ込む。


悪いのはあいつだ。


あいつが元凶だ。

あいつを倒せばいい。

あいつを叩けばいい。


そうすれば許される。


つめは、銀髪のサクラへの悪意のを全て自身へと上書きした。


「レイン!」


フィオナの声。


「……わかってる」


レインが飛び出した。


「誰にも触れさせない」


民衆がつめへ殺到する前に、前列へ氷魔法を放つ。


足が凍りつく。


それでも武器がある。

魔道具がある。

小型弩がある。


民衆の中から声が飛ぶ。


「弩を持ってるやつは撃て、魔道具を使え!」


レインはすぐに反応した。


魔道具を持つ手を弾く。

風魔法で武器を飛ばす。


素早く無力化していく。


つめはその姿を見ながら、思わずふらついた。


「……きっつ」


民衆から本気の憎悪を一身に受けている。


黒い悪意の中に混じった毒。

強すぎる悪意が生んだ精神的な痛み。

それが心も身体も蝕んでいた。


フィオナがつめの横に立つ。


淡い金の魔力が広がる。

盃の意匠が施された魔方陣がつめの身体に浮かんだ。


悪意そのものは消えない。


でも。

その中に混じった毒だけが、盃へ流れた。


つめの呼吸が、少しだけ戻る。


代わりに、フィオナの顔がわずかに歪んだ。


「フィオナ」


「大丈夫よ」


ユイガが凪石に触れる。


足元に、淡い灯が浮かんだ。

潮場までの細い光の道が伸びていく。


ヤマナギの海で生きる者の知恵。

安全な航海を促すための灯。


それは魔法ではなく。

現象として発生していた。


「いきます!」


ユイガが叫ぶ。


シエルは暁のヴェール越しに会議場を見ている。


邪魔になりそうな民衆は風魔法で押し返して道を開いていった。


混乱の流れが割れる。

波が二つに分かれる。


ユイガはサクラ教団と民衆の隙間を駆け抜けていく。


つめは、黒い靄の中で立つ。


民衆の悪意が流れ込む。

サクラ教団の敵意も混じる。

十種族長の裁きは、まだ止まらない。


セナはこちらを見ている。

カガリは、その隣に立っている。


そして、リオンはいない。


いや。

どこかにいる。

きっといる。


「私が」


つめは呟く。

誰に向けた言葉でもない。


「サクラなんだよ」


黒い魔力が、会議場の上に広がった。


民衆の悪意を背負ったまま。

つめは、銀髪のサクラとして立っていた。

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