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1. 雪影を訪ねし過客

「いやぁ~、一人寂しい道行きに鬱々とした気分だったが、まさか途中で吟遊詩人なんていう珍しいもんを拾うことになるとはなぁ。こいつぁは話のタネになるってもんだ。しかも、これが飛びっ切り別嬪(べっぴん)な顔をした、しかも男と来たもんだから、未だに夢でも見ているのかと自分でも疑いたくなるぜ」


 雪道で出会ったばかりの男はすこぶる饒舌だった。


 二十代半ばくらいか。各地を巡る旅の行商人という気さくさと、ほんの少し前、身体を温めようと安酒を飲んだほろ酔いのせいと、馬車に同乗した吟遊詩人の、この世のものとは思えない美貌に影響されているのは間違いない。


 一頭立ての小さな荷馬車は、二人の男を乗せながら細い一本道を揺れて行く。周囲は一面の銀世界だ。吹きつける寒風が痛みを伴って、無防備な頬に容赦なく突き刺さってくる。


 ここルッツ王国の北西部は、一年の大半を雪によって閉ざされた辺境の地だ。


 五大王国のひとつで、強力無比な竜騎士団(ドラグナイツ)を擁していることで有名な《山の国》だが、その領土の多くは険しい山岳地帯によって占められており、人々の生活圏は散り散りに点在する状態で、国内の交流も活発とは言い難い。また、厳しい環境のせいで農作物などの収穫は乏しく、特出した産業も少ないため、民衆の生活水準は総じて貧しいものになっていた。


 だが、そんな不毛の地にも、もうすぐ春が訪れようとしている。一年の長さに比べれば束の間の短さではあるが、このときばかりは太陽の光を心行くまで浴びられる喜びに、人々は自分たちの過酷な境遇を忘れられるだろう。


 この馬車が向かっているルッツ王国最北の町 “ドール” も、同じく春を迎えるはずだった。


 旅の凝商人である男は次の目的地であり、隣にいる吟遊詩人も向かおうとしていたドールの町について喋り始める。


「なあ、ドールの町は初めてなんだろ? でなきゃ、もっと防寒具に気を遣うはずだろうからな」


 乗せてもらった礼こそ最初に述べたものの、隣にいる吟遊詩人は基本的にずっと無言のままだった。今の問いかけにすら返事をしない。俯き加減ではあるものの、だからといって眠っているのではなく、目はジッと荷馬車の進行方向へと向けられている。


 それでも若い旅商人は気を悪くした様子も見せず、勝手に一人で喋り続けた。


「だったら、教えといてやるよ。旅商人なんていう商売柄、オレも色んな町を回っちゃあいるが、あんな変な町はねえぜ。とはいえ、年中、雪に埋もれているってところさえ除きゃあ、これといった特色もねえ町なんだが……何となくけったいなのさ。まるで同じことを毎日繰り返しているようでよぉ。普通、どんな町でも何かしら事件が持ち上がるもんだろ? けど、どういうわけか、あの町にはそれがねえ。まったく、オレみてえな男には退屈な町だね。人は確かにいるんだが、まるで死んでいるような町さ」


 空(カラ)になった酒瓶を物欲しげに振りながら、旅商人の男は話を続けた。


 前方には、話題に上(のぼ)ったドールの町が徐々に見えてくる。寒冷地のせいもあるのだろう。不鮮明な雪の薄布(ベール)の向こうに生活の煙がいくつも立ち昇っていた。


「こういう変てこな町には、住人もそれにふさわしいヤツが住んでいるもんよ。あのドールって町にはな、グスカっていう大富豪がいるんだ。オレも顔を見たことはねえが、あの町じゃ相当な権力者らしいぜ。“人形屋敷” って呼ばれているバカでっけえ豪邸を拝んだだけで分かるさ。ただ、屋敷から一歩も外へ出たことがねえらしい。つくづく変わっているよな」


 旅の商人は美しき吟遊詩人に同意を求めたが、冷徹な美貌は前を見据えたままで何も答えなかった。まるで人形のようだ。


 気つけ薬代わりの酒を切らした商人の男は大きな嘆息をつく。


 数刻前、雪深い道を一人で歩いている吟遊詩人の後ろ姿を見つけたとき、男は幻か、それとも本物の幽霊にでも遭遇したのかと思った。この地方としては穏やかな天候だったとは言え、時折、雪混じりの寒風が吹き荒(すさ)ぶ中を馬車のような乗り物なしで移動するなんて、正気の沙汰とは思えない。


 しかも、吟遊詩人の服装はあろうことか全身黒尽くめのマントに、同色の 旅帽子(トラベラーズ・ハット) という軽装に分類されてもいい出で立ちで、普通の人間ならば百歩も進めずに凍えてしまいそうな格好だった。


 ところが、馬車から声をかけて同乗を促したとき、吟遊詩人は青白い顔こそしていたものの、まったく震えておらず、平然としたものだった。おまけに、男とも女とも判然としないゾッとするような美貌である。何かのまやかしではないか、と思わず怪しんだくらいだ。


 しかし、確かに今、美しき吟遊詩人は男の隣に座っていた。決して幻覚などではなく、実在する生身の人間として。


 一旦、目を向けてしまうと逸らすことが難しくなってしまう魔性めいた魅力に当てられ、男色の気(け)がない旅商人ですら変な気分になりかける。


「……ところでよぉ」


 沈黙に耐えられなくなったか、或いは己に芽生えかけた妙な気持ちを紛らわすためか、男は口を開いた。冷え切った空気に、アルコールの臭気が混ざった真っ白な吐息が洩れる。


「乗せてやった礼に、ってわけじゃねえけど……アンタ、自分は吟遊詩人だって言ったよな? もし良かったらよ、一曲だけでいい。聴かせてくれねえか?」


 駄目で元々、と軽い気持ちのつもりで男が頼み込むと、意外にも吟遊詩人はあっさりと首肯した。男は思わず口笛を吹きたくなる。まさか快諾してくれるとは。


 吟遊詩人はさり気ない動作でマントの下に隠していた竪琴を取り出した。女神を模した精緻で美しい細工が施されている銀製の竪琴だ。


 《銀の竪琴》。


 男はつい商売上の習慣(クセ)が出て、彼が持つ《銀の竪琴》の値打ちを見定めようとしたが、すぐさま気軽には値をつけられるような代物でないことに気づき、超一級の芸術品と認めて感嘆するしかなかった。


 その《銀の竪琴》に吟遊詩人の白く繊細な指がスッと添えられる。


 そう言えば、この流浪の詩人は指先を保護する手袋さえ嵌(は)めていなかったはず。身も切られるような寒さの中、凍えた手で演奏など出来るのだろうか。


 すると竪琴から澄んだ音色が奏でられた。どうやら指の心配は無用であったらしい。素人の耳でさえ、滑らかな指の動きであることは心地良い弦の響きだけで分かる。


 たった一人の聴き手として隣に座る旅商人は身震いした。言うまでもなく、寒さだけが理由ではない。


 そこはかとない物悲しい調べと共に、聴くだけでうっとりとするような抒情詩が始まる。美しい旋律に誘(いざな)われるかのように発せられたのは、まるで天使の如き歌声だった。


 戦国の詩(うた)――


 かつて、隣国との長い戦に明け暮れ、北へと追いやられた、名前さえも忘れ去られた小国の末路――


 さらには、亡国寸前の姫君と想いを通わせていた将軍との悲恋――


 これまでも理不尽な侵攻を繰り返してきた隣国は、とうとう最果てまで姫君たちを追い詰めた。


 それに対し、敗残兵をまとめた若き将軍は勇猛果敢に奮戦。


 だが、数に勝る隣国を討ち破ることは出来ず、次第に劣勢へと追い込まれた。


 相次ぐ敗戦に多くの血が流れ、際限なく拡がる野火が城や家屋を灰燼に帰し、かつて栄華を誇った国の命運も風前の灯火になった。


 この建国以来、未曽有の危機を迎えた小国は、当時すでに大国であったルッツに助力を要請する。


 だが、ルッツはもう一方の国とも友好を結んでおり、加勢してもらえる望みは薄かった。


 それを覆したのは、ただ一人の王位継承者として生き残った姫君であった。


 最前線で戦う愛しい将軍を救うため、自身を政略結婚の道具にし、ルッツ王国の王太子へ嫁ぐことで同盟を結ぼうとしたのだ。


 ルッツ王国が誇る竜騎士団(ドラグナイツ)は即座に参戦し、滅びる寸前であった小国を救った。


 姫君の願い通り、将軍は生き延びることが出来た。ただし、統治能力を失った故国はルッツ王国によって併合されることになったが。


 やがて将軍はルッツ王国の客将となった。自らを犠牲にしてまで民を救わんとした姫君のためにも過酷な戦場を転戦するようになったが、充分な戦力を率いて指揮することが可能となり、いずれも破竹の連戦連勝を成し遂げる。その才はすぐさま内外で認められるようになり、王国の威光はさらに増していった。


 しかし、それを快く思わぬ者たちもいた。何もせず後方に控え、でいながら手柄を横取りされたと妬む、己の凡庸な能力を過大に評価している者たちだ。


 彼らは有能な将軍を失脚させようと、王太子の妃となった姫君との仲を暴く行為に出た。


 この頃、すでに二人は王宮と戦場という距離的にも隔たりがあり、ほとんど接点を持っていなかったのだが、心ない讒言(ざんげん)は婚姻を交わした王太子の耳にも入ってしまう。


 不貞の濡れ衣を着せられた将軍は蟄居(ちっきょ)を命じられ、姫君も王宮から離宮へと遠ざけられた。


 以後、二人は再会することも叶わず、失意のうちに姫君が流行り病で亡くなってしまう。


 無実を訴え続けた将軍も時を置かずして自刃して果てた。生涯独身だった将軍の死は「密かに慕っていた姫君の後を追ったのだ」とも言われている――


 これは何百年も前から、このルッツ王国で長く語り継がれる悲しい恋愛叙事詩(ロマンス)。舞台となったルッツだけに留まらず、五大王国で生まれた者ならば誰もが知っているはずの物語だ。


 しかし、美しき吟遊詩人が儚(はかな)さを覚える旋律に乗せて歌うと、何とも言えない新鮮な情動が不思議と込み上げ、芸術とは縁遠そうな旅の商人をも推し包んだ。


 最後の一音が深い余韻となって残りながら演奏は終了した。


 すると、その隣から鼻をすする音が聞こえ出す。


「……くううっ……心に沁みるよなあ……グッと来るよ……良かったよぉ……アンタ、アンタ……本当に、本当に良かったよ……もう、オレぁ……このまま死んでも構わねえくれえだ」


 若いのに涙腺が脆いのか、旅の商人は鼻水まで垂らして泣きながら、隣の吟遊詩人に感謝の言葉を心より贈る。荷馬車に乗せてやった駄賃としては充分だった。


 そうこうしているうちに、二人を乗せた荷馬車はドールの町へと差し掛かった。


 一見したところ、男が話していたような町の異常さは何ら感じられなかった。市場にはそれなりの活気が見かけられるし、人々の表情も比較的、明るい。道端にいる何人かが旅商人の馬車に向けて微笑みかけてくる。


 それは何処にでもある、何の変哲もない町の光景に思えた。


「アンタ、オレが言ったこと、嘘だと思い始めてんだろ?」


 男は隣に座った吟遊詩人の考えを見透かしたように、憮然とした表情で言った。


 吟遊詩人は黙ったままだ。肯定もしなければ否定もしない。


「最初のうちは誰でもそうさ。他の町と比べても、特に変わったようには見えやしない。けどな、何日か滞在すれば、そのうちに分かってくるはずさ。あそこの店先で果実を売ってるオヤジは、明日もこの時間、この同じ場所で、今のように腕を組みながら眠りコケているだろうし、あっちの荷物を担ぎながら歩いているオバさんは、明日も同じ量の荷物を担いで、その先の角で子供にぶつかる!」


 男がそう言った矢先、角から飛び出してきた子供が大きな荷物を担いだ年輩の女性にぶつかった。荷物から収穫したジャガイモが零(こぼ)れて、「このガキッ!」という怒鳴り声が周囲に響く。


 ところが子供は謝罪の言葉も発しなければ振り返りもせず、そのまま通りの反対側へと逃げて行ってしまった。女性は忌々しげな小言をブツブツ口にしながら、一人で落としたジャガイモを拾い始める。誰も手伝おうとしない。まるで、そんなことになど気づきもしなかったかのように。


「なぜ分かった?」


 吟遊詩人が訊いた。


 この言葉が、さっき道端で拾ってから──リクエストに応じてくれたときの歌唱を除いて──ようやく二度目のものだと悟ってギョッとし、よくもまあ、ここまで黙っていられたものだ、と半ば呆れた。


「見たのさ。もう何度も、な」


 一笑に付されても仕方がない、と男は諦めながら答えた。


 吟遊詩人は鼻であしらったりはせず、相変わらず無表情のままだった。旅商人の言葉をどっちに取ったかは窺い知れない。


 やがて市場を通り抜けた馬車は一軒の宿屋の前で止まった。《黄色い雌鶏(めんどり)》亭という屋号が看板に掲げられている。


 小さな町の宿屋にしては、比較的、大きな建物だ。積雪の多いこの町で足止めを食う旅の者が多いため、多くの宿泊者たちを迎え入れられるよう、施設は充分に整えられているらしい。


「オレぁ、いっつもここに泊まることにしてんだ。どうだい、アンタもここにすっか? ちょーっと年季が入っちゃいるが、そこそこの泊まり心地ならオレが保証してやってもいいぜ」


 目的地まで送り届けてもらい、音もなく荷馬車から降り立った吟遊詩人は黙って首を横に振った。遠慮するらしい。


「そりゃあ残念だな。まあ、オレもしばらくは町に滞在する。ここを離れる前にでも、また会おうや。一杯やろうぜ」


 吟遊詩人はここまで乗せてくれた親切な旅の商人に一礼した。謝礼に銀貨を数枚ばかり握らせようとしたが、男はそれを頑(かたく)なに固辞する。先程、最高の一曲を聴かせてもらったから、というのが彼なりの理由だ。


 重たい荷馬車を引いてくれた愛馬を休ませてやろうと、旅商人は宿屋の裏手にある納屋へ向かいかけたが、ふと思い出したように足を止めた。


「そう言や、まだ名前を聞いてなかったな。オレぁ、ロムだ」


 ロムはそう名乗ってハッとした。別れ際の吟遊詩人がこちらを振り返ったのだ。


 今まではずっと真横だったが、初めて真正面から吟遊詩人の美貌を目の当たりにした気がして、まるで魂を抜かれそうな衝撃を覚えた。見る者を虜にしてしまう魔力でも帯びたような美しさの前に、何もかもが改めて呑み込まれそうになる。


 だが、男の動揺などお構いなく、黒衣の吟遊詩人は静かに名乗った。


「オレはウィル。吟遊詩人のウィルだ」

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