3章17 5月12日 ➁
望莱のマンションにて――
「う~ん……、出ませんね……」
ぼやきながらスマホを下ろして、望莱は“うきこ”宛てに発信していた電話を切断する。
ただならぬ様子で帰ってきた希咲から話が聞けなかったので、彼女が寝ている間に少しでも情報を集めようとしていた。
だが、学園の方は通常営業中だ。
“うきこ”とは連絡がとれないし――
「――リィゼちゃんから返ってきたメッセも要領を得ません……」
――マリア=リィーゼも授業中なので、きちんとコミュニケーションをとることは難しい。
「蛮くんはヤンキーのくせに授業中はスマホを触りませんし……」
もちろん、兄の聖人や天津は話を聞く相手として論外だ。
「困りました……」
頬に手をあてて「はふぅ」と溜め息を漏らす。
恐らく今は緊急事態。
希咲の行動によってきっと物事が大きく動いた。
それを早めに把握したいのだが。
しかし一方で、望莱はそれほど焦ってもいなかった。
連絡もとれていないが、それは逆に――
「――誰からも連絡がこないということは少なくとも死者は出ていない」
そう考えられる。
さらに、ド派手な魔法バトルなんてものが一般人にバレたなんてこともなさそうだ。
そういったことになったら、むしろ今は自分のスマホは引っ切り無しにあちこちの関係各所からの問い合わせを着信をしていることだろう。
だから、そういった面での心配はない。
となると、問題は希咲と弥堂だ。
「無傷で帰ってきたからには、勝ちは勝ちなんでしょうけど……」
だが、帰ってきた時の希咲には、何かが解決した時の達成感や喜びのようなものはなかった。
出かけていった時と同じで、静かな怒りを携えるような。
望莱でさえ冗談を口にするのを躊躇するほど、鬼気迫る様子だった。
希咲は、愛苗が弥堂に殺されたと、そんな誤解をして弥堂に向かった。
そんな二人のコンタクトがどのような形で終わったのか。
可及的速やかにそれを知る必要がある。
その上で対応を決めなければならない。
もしも誤解のままに戦いになって、関係が決定的に決裂してしまったのだとしても。
それはそれで構わないと、望莱は考えていた。
「何がどうなったのかわかりませんが。七海ちゃんをイジメた以上、そんなのは関係ありません」
彼女には正しいことをしたいという考えや、物事を正そうなどという思いはない。
それに、襲撃を受けた以上あの弥堂が大人しくしていることもないだろう。
こうなったらもういくところまでいくしかない。
「まぁ、わたしもちょっとピキってきたことですし。こうなったら“せんぱい”なんて――」
「――死ねばいいんだ……」
「――ぅきゃぁっ⁉」
突然背後から物騒な言葉が聴こえ、みらいさんは乙女のような悲鳴をあげて跳び上がる。
慌てて振り返るとそこには――
「死ねば、いい……。あたしなんて……」
幽鬼のように虚ろな顔をした七海ちゃんが。
いつの間にか起きてきたようだ。
「な、七海ちゃん……?」
声をかけるが聴こえていないのか。
希咲はフラフラとした足取りでリビングに入り、望莱の横を過ぎていく。
気のせいか。
目元が泣き腫らしたかのように赤くなっていた。
「あの……?」
「もうおわりよ……あたしの人生……」
彼女の着衣は乱れている。
スカートからブラウスの裾が出ていて、ルーズソックスも片っ方は脱げかけていた。
赤い髪留めシュシュで纏めている自慢のサイドテールもほつれてしまっていた。
譫言のように漏らす言葉と相まって、なにやらとってもイケナイ雰囲気だ。
「え、えらいことしてもうた……」
「まぁ、ニセ関西弁が出ました。これはただ事ではありません」
みらいさんは尋常でない様子にゴクリと唾を飲みこむ。
その時、希咲は引き摺っている自分の靴下を踏んづけて、顔面からソファに倒れ込んでしまった。
「あっ――」
望莱が心配そうに手を伸ばす。
だが、彼女は無事なようで。
希咲はそのままコテンと転がってソファで横になるとシクシクと泣き始めた。
「えーっと……」
珍しく望莱が対応に困る。
とりあえず気を遣って関係ないことを話してみる。
「七海ちゃん七海ちゃん。おぱんつが見えてますよ? 真っ赤っかで攻撃的なやつが」
希咲の啜り泣きがピタリと止む。
だが――
「……こんな汚れた女のパンツになんてどうせ価値ないから」
普段なら大騒ぎする場面だが彼女の反応はそれだけで、また泣き始めた。
これはいよいよ尋常なことではないと、みらいさんはとりあえず一枚だけ写真を撮影してから彼女の事情を想像してみる。
この様子では話を訊くのにも苦労しそうだ。
だが――
「……や、やらかした」
「え?」
「人生最大の失敗を……」
希咲は泣くのをやめてそれだけを言うと、チラリとこちらを見る。
それからまた顔を隠してシクシクと泣き出した。
「まぁ……」
どうやら七海ちゃんは話を聞いて欲しいらしい。
みらいさんは彼女のスカートを直してパンツを隠してやってから、彼女の顔の近くの床に膝を着いた。
「それで。一体どうしたんですか?」
声をかけると希咲の泣き声がまたピタリと止まる。
そして七海ちゃんは死にそうな顔をした。
それから数秒ほど間が空いて、彼女はポツリポツリと話しだす。
「か、かんちがい、だったの……」
「はい?」
それはもうわかってるんですけど――と、望莱は首を傾げる。
そして――
「は――?」
――続いた希咲の話の内容には、天才であるみらいさんの理解力すら及ばなかった。
「――まったく理解しがたい! お前は学校に何しにきてるんだ! 弥堂……ッ!」
2年B組の教室で男性のヒステリックな怒鳴り声が響く。
化学の増田先生が、居眠りをしていた弥堂くんを叱っていた。
先生はこれでも我慢をした。
授業中に堂々と机に突っ伏して眠り始め、何度声をかけても目を覚まさない。
しかし他の生徒さんたちの授業進捗もあるので、頑張ってスルーしてきた。
そして2時間目の授業の終わり際。
もうそろそろいいだろうと先生は腕まくりをした。
ちょうどそのタイミングで起きた弥堂にお説教をしている最中である。
「……うるせぇなこの野郎。俺になにか文句があるのか」
「……弥堂君いけない。先生にそんな攻撃的な言葉遣いをしてはいけないよ?」
しかし、口の奥で低く唸るような弥堂の声が恐かったので、先生はすぐにトーンダウンした。
この男子生徒は増田先生の教師キャリアで見た中でも、ブッチギリで頭のおかしい生徒さんだ。
きっと教師に暴力を奮うことに躊躇などないだろう。
これはマズイことになるぞと周囲の生徒さんたちも不安になったその時――
「――起立っ!」
「えっ――⁉」
学級委員の野崎さんが突如号令をかけ、他の生徒たちも素早く反応して起立する。
先生はビックリした。
「礼っ!」
生徒たちが頭を下げたタイミングで授業終了を報せるチャイム音がスピーカーから鳴る。
「着席っ!」
生徒たちは再び座り、先生はキョロキョロと不安そうに周囲を見回す。
生徒さんたちは何も見ていないといった風に、先生と目を合わせない。
「…………」
増田先生は3秒ほど棒立ちになり――
それから野崎さんに向かってスッと頭を下げて最敬礼をする。
そうして謝意を示してから彼は何事もなかったかのように教室を出て行った。
教室に生徒たちの雑談をする声が蔓延していく。
(俺が居眠り? そんなバカな)
その中で、弥堂は苛立ちを募らせていた。
「――えっと、つまり?」
希咲からあらかた事情を訊いて。
それでももう一度望莱は首を傾げた。
「…………」
七海ちゃんは俯きながらお膝においた手をギュッと握って無言だ。
「えぇっと、すみません。困らせたかったわけではないのですが。このわたしの天才的な頭脳を以てしても理解しがたかったというか……」
七海ちゃんのお目めにジワっと涙が浮かぶ。
それに気づかないフリをして、みらいさんは「う~ん?」と考えた。
理解しがたいというのは本当だ。
決して希咲をイジっているわけではない。
それくらい希咲の話が突飛なもので、非現実的なものだったのだ。
「つまり――要するに、ですよ?」
望莱はひとまずわかったことをまとめてみる。
「なんか“ヤ”な夢見ちゃってなんとなく不安になっちゃったからクラスの男子を呼び出してボコボコにしたあげく無理矢理チューまでしたけど結局ぜんぶ勘違いだった――と?」
「うわぁーんっ!」
つい歯に衣着せずにまとめてしまったら七海ちゃんは泣いてしまった。
ギャン泣きだった。
「うわぁ……」
珍しくみらいさんもドン引きだった。
擁護や慰めの言葉をかけてあげたかったが、ちょっと難しいなとみらいさんは思った。
だが、これは希咲自身が言ったように「えらいことしてもうた」で。
確かに取り返しのつかない失敗だ。乙女として。
どうしてそんなことになったのかを慎重に聴取していかねばならない。
ワンワン泣く希咲が少し落ち着くのを待ってから、望莱は確認をした。
「えっと、まず。水無瀬先輩が弥堂せんぱいに殺されたというのは、勘違いであったと?」
「……はい」
希咲さんは厳粛に、且つ謙虚に首肯した。
「というか、水無瀬先輩のことだけでなく。悪魔や魔王。それに門のこと。七海ちゃんだけに限らずわたしたちが対応しなきゃいけないことまで、全部“せんぱい”が一人でまるっと解決してくれていたと?」
「……はい。そのとおりでございます」
「なのに。七海ちゃんはごく一部分だけを夢に見て勘違いをし。せんぱいをボコボコにして、毒まで盛って身動きを出来なくさせた上で、意識不明で無防備なせんぱいに無理矢理チューまでしてしまったと?」
「それは……っ!――いえ、はい……」
咄嗟に口答えをしそうになったが、希咲は口を噤み自らの非を認めた。
「…………」
そんな彼女にみらいさんは何も言えない。
さすがに煽れなかった。
居た堪れない気持ちになって少々言葉を探す。
「それは、なんというか……。死ぬまで絶対に忘れられないファーストキスの思い出ですね……?」
「うわぁーんっ!」
「ギャン泣きで草」
かなり配慮をしたつもりだが、七海ちゃんはまた泣いてしまった。
というか、これはもう泣くしかないだろう。
子供のようにワンワン泣く彼女を見て、みらいさんは段々面白くなってきた。
「たしかに……っ! あたしがバカだけどっ! バカだったけどぉ……っ!」
すると、七海ちゃんがなにやら言い訳のようなものを始める。
この期に及んで何を言うつもりなのだろうと、みらいさんは興味深く拝聴した。
「でもこんなのあんまりじゃん! あたしが悪いんだけどっ! でもこれはないじゃん⁉ いくらなんでもあんまりよぉーっ!」
だが特に建設的な意見は出てこなかった。
そしてここらで、みらいさんの嗜虐心にも火が入ってきた。
「ふぅ……」
みらいさんはこれ見よがしに溜息を吐く。
「七海ちゃん。そんな言い方はいけませんよ。『あんまり』なのは“せんぱい”の方だと思います。だって無理矢理されたのは“せんぱい”なんですから」
「ぅぐぅ……っ!」
そして希咲の罪悪感をチクチクと刺激する。
みらいさんは「やれやれ」と頭を振った。
「これは“せんぱい”に謝らないといけませんね……。あ、ちなみに。昨日まで進めていたわたしの計画は全部ぱぁーです。七海ちゃんがチューしちゃったから」
「うわぁぁっ! ごめんなさぁーいっ!」
「ふぅ。わたしじゃなくって、“せんぱい”に謝ってくださいよ。『無理矢理チューしちゃってゴメンね? でもぉ、あたしぃ、どうしてもガマンできなかったのぉ』って」
「そんなのやだぁーっ!」
みらいさんのネチネチとした言葉責めに希咲はますます感情的になる。
「あ、でもでも? 七海ちゃんって“せんぱい”の彼女ですし? 別に問題ないのでは?」
「それウソだもん! 付き合ってない!」
「では、いっそこの機会に、本当に付き合ってみてはいかがでしょうか? それなら色々なかったことに出来ますよ?」
「うわぁーんっ! なんでこんなことになんの⁉ おかしい! 頭おかしいじゃんかぁっ!」
「そうですね。流石のせんぱいもビックリなアタオカムーブだと思います」
「ちがうのぉー……っ! そんなつもりじゃなかったのぉ……!」
目の前で泣く希咲を見て。
今頃の弥堂の気分を想像して。
望莱は本当に楽しくなってきた。
「まったく。本当に、こんなのわたしだって全然予想できないですよ。おもしろすぎです」
「やだやだ! こんな“はじめて”やだぁー!」
「こら! ワガママ言うんじゃありません。せんぱいだって初めてだったかもしれませんよ」
「あいつ色んな女とエロいことしてたもん! クズだもん!」
「すでに過去の女遍歴把握してて草。コワすぎです」
「知りたくて知ったんじゃない! あたしそういうんじゃないから!」
必死に弁明する七海ちゃんを、みらいさんは適当にあやすフリをしてさらに甚振る。
「まぁ、初めてじゃなかったとしてもですよ? 弥堂せんぱいって腕っぷし売りじゃないですか? そんな人がですよ? クラスのギャルにボコられたって結構な不名誉ですよね」
「ぅぐぐぐ……っ。だって……、だってぇ……っ!」
「しかも……、あれっ?」
七海ちゃんを嬲っていると、みらいさんはあることに気がついた。
以前に聞いていた希咲の【夢の懸け橋】、そのスキルの詳細を――
「あの、七海ちゃん?」
「……ん?」
「結果として、七海ちゃんは【夢の懸け橋】を完全な状態にしたんですよね? だから帰ってくるなり夢見をした」
「そう、だけど……?」
七海ちゃんがおずおずと認めると、みらいさんのお鼻がぷっくりした。
「前に聞いたスキルの説明文的に。あれってチュっとするだけじゃ済まないですよね? ガチチューじゃないとダメですよね? ということは、まさか……?」
「…………」
答えはない。
だが、七海ちゃんのお顔が真っ赤になるのと同時に真っ青にもなった。
とんでもない質量の羞恥と悔恨の前に、言葉は必要なかった。
計画が台無しになったというのは事実だ。
こうなった以上は速やかに現状を把握して、今後の目標とそれを達成するためのプランを組み直さねばならない。
だがその前に――
「――じゅるり……っ」
みらいさんはヨダレを啜る。
「こ、このギャルってばくっそエロです……! 初チューからガチチューで。ベロチューでレロレログチュグチュだなんて……っ! しかもシチュは逆レだし……っ!」
「うあぁぁぁっ! ちがうんだからぁ……っ!」
「ったく! これだからギャルはよぉ! ドスケベで許せねぇなァ……ッ!」
大泣きする七海ちゃんの前でみらいさんはもう堪らなくなり、エナ汁(炭酸バージョン)の缶をプシッと開けるとゴッゴッゴッと豪快に喉を鳴らした。
「ぷふぅっ……。あぁ……、わたしなんか満足です……。プランはパァですけど。なんかもうどうでもいいです……」
しばしの間、イイ笑顔で推しが泣き喚く姿を堪能する。




