3章15 綺リ衆ヲ邪ニ濁シ五ツ頸並ブ夜ノ果テニ澄マス心、ハ害 ⑦
狙い通りに放たれた弥堂の零衝が希咲の身体に徹る。
さっきまでの逃げられた時とは違い、今度は弥堂の拳に確かな手応えがあった。
バリンッと、そんな音が聴こえる。
音だけでなく、目の前で薄いガラスが砕け散ったような――
そんな光景を幻視した。
(なんだ?)
弥堂は手応えに違和感を覚える。
明らかに人間を壊した時の感触ではなく。
また女の柔らかい腹の感触でもなかった。
希咲は零衝の衝撃で吹き飛ぶ。
これもおかしい。
弥堂はそんな風に威を徹していない。
身体はその場から動かず、体内で内臓が破裂するように撃ち込んだはずだ。
(こいつ自分で――⁉)
そう疑いを持った瞬間、吹き飛ぶ希咲と目が合った。
まるでさっきと立ち位置を変えたような構図だ。
「――こんのぉ……ッ!」
希咲はトンボを切り、クルっと回って宙に足をつける。
そして――
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【短剣スキル:LV8】
【投擲スキル:LV8】
【射撃スキル:LV7】
【マルチショット:LV6】
【鷹の目:LV9】
【必中:LV9】
【手加減:LV4】…
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「«鴉羽々斬»――ッ!」
宙空を靴底で滑るようにして下がっていく希咲と擦れ違うように、彼女の背後からナイフ群が飛ぶ。
黒い鴉の群れが弥堂を襲った。
「ガッ――⁉」
複数のナイフが弥堂の身体に突き刺さる。
だがその刀身は皮膚を貫くことなく、まるで打撃のように次々と弥堂を打った。
その一撃一撃にはそれなりに戦える成人男性のパンチ以上の威力があり、弥堂はよろめく。
だが、後方に一歩下がった右足で地面を強く踏みしめ、弥堂は前に出た。
プランはなく、半ば破れかぶれの突撃だ。
それで死んだとしても構わない。
弥堂には『死に戻り』がある。
ダメージも蓄積してきたことだし、そうなったらそうなったで好都合でもある。
なおも飛んでくるナイフの弾幕を拾ったナイフで弾きながら走る。
いくつものナイフに撃たれ、いくつかの掠めたナイフに切り傷を負いながら。
決死の前進でどうにか希咲に近づく。
彼女までの距離をあと数歩というところまで縮めた時――
「――ッ⁉」
――目の前に大量のナイフが壁のように現れる。
弥堂は左の拳を強く握り、腹の底で煮える怨嗟を意識した。
その手をもう一度開くと、蒼い焔が掌から漏れ出す。
「――え」
希咲の目が驚きに見開かれる。
それは彼女の知らないスキルだった。
弥堂は目の前の刃物の壁を薙ぎ払うように左腕を振るう。
「【燃え尽きぬ怨嗟】――ッ!」
その怒りの名を叫ぶ。
だが――
「なっ――」
――蒼炎を放とうとしたタイミングで、手の中の焔は消えてしまった。
反射的にルビアの顏が浮かぶ。
ナイフで滅多打ちにされながら、彼女に見放されてしまったような気持ちになった。
物理力で以て、強制的に後ろへ足を進まされる。
ルビアの幻覚が遠ざかっていく気がして――
「ぐぅ、ぁああ……ッ!」
――唸り声を上げながら弥堂は地面を踏む。
自身の身体を打って地に落ちていくナイフを空中で掴み、強引に前に突っ込んだ。
逆手に持ったナイフを希咲の頭に突き立てようとする。
だが、そのナイフですら彼女に触れる前に弥堂の手から消えてしまった。
このナイフは希咲の装備である【無尽の害意】の権能によって生成された物だ。
出すも消すも彼女の意思次第。
爪を捥ぎ取らてた手は空振り、弥堂は前によろける。
その顔はすぐに上がる。
強制的に。
希咲がその場で垂直に飛んで繰り出した膝蹴りが弥堂の顎にクリーンヒットした。
視界がチカチカと弾けながら弥堂は後方へよろける。
何歩か後ろ歩きをしてようやく止まっても、フラフラと上体を揺らした。
朦朧として飛びかけている意識の中、弥堂は頭を振って無理矢理視界を正常に戻す。
だがその時、ガクっと膝が落ちた。
(なんだ……?)
急に身体から力が抜けていくように感じた。
確かにやられ放題だが、そこまでのダメージを受けた自覚もない。
無防備な状態の弥堂に、さらに希咲のナイフの投擲が襲い掛かる。
弥堂はそれに対処しようとするが、やはり身体が上手く動かせない。
全ての反応が遅い。
ナイフによる打突を何度も受け、ついに地面に倒されてしまった。
「――く……っ、ぐぅ……ッ!」
コンクリに爪を立てながら弥堂は立ち上がろうとする。
だけど、上手くいかない。
先程よりも身体に力が入らない――というより、言うことをきかない。
身体の各所が脳が出した命令を正しく実行できないような感覚。
これは絶対にダメージのせいではないと思った。
「毒よ――」
声に反応した弥堂は、顔だけどうにか動かして希咲を睨みつける。
「あんたの身体は今、“麻痺”のバッドステータスにかかってる」
言葉の合間に手に持った瓶の中の液体を飲みつつ、希咲は種明かしをする。
「最初から強めの毒を付与して、一発でバレたらメンドいから。弱めのをかけてジワジワ効くようにしたの。あんたがダメージを負って自由に動けなくなる頃に効けばいいかなって」
瓶の中の緑色の液体を飲み干すと、希咲は一瞬だけ視線を左に向ける。
そしてホッと、小さく安堵の息を漏らした。
それから空き瓶を指輪の中に仕舞う。
その間に弥堂はどうにか立ち上がることは出来た。
だが膝は完全に震えてしまっていてまともに力が入らず、手の動きも鈍い。
ちょっとしたことでバランスを崩せばそのまま倒れてしまいそうだ。
弥堂のその様子を観察して希咲は油断なく目を細める。
「そこまで麻痺が回ったら、解毒をしないともう動けないわ」
「……っ」
弥堂は視線を動かして、そこらの地面を視る。
希咲が放った黒いナイフがあちこちに落ちており、どれが自分のナイフかわからない。
「【這い寄る悪意】――」
この際どれでも構わないと。
弥堂は魔力糸を使って適当にナイフを一本引き寄せる。
それを右手で掴むが、握力も低下していて今にも取り落としそうだ。
握った手を魔力糸でグルグル巻きにして、無理矢理ナイフを固定する。
そしてその切っ先を自分の喉に向けた。
だが――
「【愛の深さと等しきモノ】――」
――希咲の左太もものガーターリングから鎖が伸びる。
それは弥堂の右手首に巻き付いて、ナイフを彼の首に近づかせない。
「き、さま……っ」
弥堂が自身の手から希咲の方へと目玉を動かした時には、彼女はもう眼前に接近していた。
「――死ねば、治るんでしょ……!」
希咲がこの時のために考えてきたプラン。
(こいつに勝つには――)
殺してはいけない。
死なせてはいけない。
『死に戻り』によって無効化されてしまうし、回復までさせてしまう。
生命を奪うことは弥堂にとって何らリスクにもダメージもならない。
彼に益するだけだ。
だから――
「――させない……っ!」
弥堂に勝つには、殺さずに無力化するしかない。
希咲が弥堂の手首を掴む。
彼の手にあったナイフはまた消えてしまった。
それだけでなく――
「な、なんだ……っ?」
手首に巻き付いた鎖から魔力を吸い出されていく感覚がする。
さっきまでよりも大きく身体から力が抜けた。
弥堂は咄嗟に逃げるために【falso héroe】を発動しようと――
――して、止める。
前方へ倒れ込むようにして身体を希咲へ預ける。
希咲は拘束したまま弥堂を逃がすつもりはない。
だから自然と彼の身体を抱きとめる形になった。
弥堂は自由な左腕を魔力糸で引っ張って無理矢理動かす。
希咲の背中の方へ回し、弥堂の方も彼女を抱きしめるような恰好となった。
だが、その掌が当てられているのは希咲の左脇腹の裏――急所だ。
「――ッ!」
弥堂は残った魔力を【身体強化】に総動員させる。
眼球の裏で生命の火花が弾けた。
残った力を絞り出すようにして、爪先を捻る。
この攻撃で希咲を仕留めることは出来ないだろう。
しかし、これを避けるために彼女は“緊急回避”を使って離れるはずだ。
自分が動けないのなら、相手をどこかへやればいい。
ほんの僅かな時でも離れてくれれば、自殺して毒を解除することが可能だ。
そのつもりで、零衝を放った。
しかし――
――希咲は逃げなかった。
「な――」
「――ん、ぅ……っ!」
先のようにバリンッとガラスが砕け散る音と感触がし、希咲は少し苦しげに眉を寄せる。
だが、それだけだ。
零衝が通常発揮するような致命打には程遠い。
希咲は歯を食いしばると、左腕を自分と弥堂の身体の間に挿し込む。
そして弥堂の胸を押し返しつつ、右腕を振り被った。
「こ、ん、のぉぉ……ッ!」
それはスキルでもなんでもない、ただの彼女のパンチ。
だが【身体強化】によるバフの乗ったその細い拳が、真正面から弥堂の顔面に突き刺さった。
弥堂は鎖に繋がれたままで吹き飛ぶ。
「――ゥグッ!」
背後にあったのは校舎内とを隔てる壁だ。
屋上の出入り口の扉のすぐ横に叩きつけられ後頭部を強打する。
視界がまたチカチカと白滅し、鼻からはダラリと血が垂れてきた。
麻痺毒もさらに効いてきたようで、もう満足に身体が動かせない。
おまけに魔力もほとんど残っていない。
【身体強化】の魔術は解除され、『死に戻り』も出来るか怪しい。
【falso héroe】もあと一回くらいは使えるかもしれないが、使ったところで先がない。
“WIZ”も“馬鹿に付ける薬”も手持ちにない。
弥堂の素の魔力生成量では、この戦いの中で戦闘水準を満たすほどにまで魔力が回復することはない。
体力も魔力も尽き、麻痺毒まで受け。
完全に詰みだ。
次の一撃にはもう対処することが出来ない。
そしてその次の一撃こそが、トドメとなる。
右腕が引っ張り上げられる。
巻き付いたままだった鎖が、頭上の壁に刺さっていたナイフに絡まった。
倒れることすら赦されず、弥堂は罪人のように繋がれてしまう。
「――ぁ……ぅ……」
弥堂は顎を動かそうとする。
今出来ることがあるとしたら。
それはもう舌を噛んで死ぬことしかない。
鎖を引っ張って首に巻き付ける。
そして力無く舌に歯を当てた。
噛み切る力も残っていないが、このまま足を地面から離して尻から落ちれば――
――顎が閉まって自殺出来るかもしれない。
そうでなくとも運が良ければ首吊りが成功するかもしれない。
最後の力を振り絞って足を動かそうとすると、その足が踏まれた。
自分の足の上に乗るのは、希咲の足だ。
弥堂はそれを見下ろしてから視線を上げる。
もはや反撃も回避も自死も何も打つ手がない。
碌に見えない視界のまま顔を動かすと、そこに映るのは七色の煌めき。
視力が映す希咲の姿形はぼやけて見えず。
魔眼の映す彼女の魂のカタチがその色鮮やかな光と混ざり合った。
そのイロカタチが近づいてくる。
弥堂の瞳から蒼い焔は消え失せる。
“魂の設計図”すら視えなくなって。
唯一残った彼女のイロがさらに近づき。
『世界』の全ては七色の輝きに支配された――




