3章15 綺リ衆ヲ邪ニ濁シ五ツ頸並ブ夜ノ果テニ澄マス心、ハ害 ➂
午前8時半の少し前――
「んぼー……」
みらいさんは意味のない声をあげながらマンションのリビング内をウロウロとしていた。
その様子はゾンビさながらで酷く緩慢だ。
服装も乱れている。
制服ブラウスの左側はスカートの中に仕舞っているが、右側の裾はだらしなく外に垂れさがっており。
いつもの黒ストッキングも左脚だけは膝上まで穿いている状態で、右脚部分は尻尾のように引き摺っていた。
ブラウスの襟に適当に引っ掛けていたリボンがボトリと床に落ちた。
一応彼女は予定としては、今日くらいから学園に登校をするつもりでいた。
だが結局あのままビデオを見ながら徹夜をしてしまい、連日の睡眠不足が祟って廃人のようになってしまったのだ。
彼女の右手には通話終了の画面が表示されたスマホが握られている。
8時に車で迎えに来るように指示をしていた秘書の豪田さんを、ついさっき追い返したところだ。
「だるだるです……」
みらいさんはとっても眠いので学校に行きたくなくなってしまったのだ。
豪田さんはすごく不満そうな間を空けた後に無言で電話を切って引き返していった。
それから望莱はゾンビ化をし、制服を着ている途中なのか、脱いでいる途中なのか自分でもよくわからないままでリビングを徘徊していた。
極度の眠気から脳の性能が著しく低下している。
これは彼女の不規則な日常生活にはよくあることで、もう少ししたら限界がきて気絶し、自動的に睡眠に移行する。
「今日はまだ大丈夫なはず……」
ギリギリ人間としての知性を保っている頭で考える。
昨日は蛭子にも弥堂に関する情報を共有して、彼に危機感を持ってもらった。
今日から彼も登校を再開することだし、多少聖人が焦れていてもストッパーになってくれるだろう。
希咲が弥堂に感情移入している様子を蛭子も見た。
そうなると彼は希咲に気を遣い、個人的な感情で弥堂に襲いかかるのを自粛する。
そしてさらに聖人のことも止めようとする。
見た目はただのヤンキーだが、彼はそういう気質だ。
望莱はそれをわかった上で、そうなるように仕向けた。
「でも、少し急ぎませんと……」
望莱の計算ではあと2日ほどで弥堂に仕掛ける準備が整う。
その進行も順調だ。
その上で彼女が懸念するのは――
「七海ちゃんが――」
希咲の現状についてだ。
具体的には彼女のスキルである【夢の懸け橋】の危険性を憂慮している。
とはいっても。
【夢の懸け橋】自体が、何か副作用だったり、対価や交換条件を必要とするスキルだというわけではない。
望莱が心配しているのは希咲のメンタル面だ。
そもそも試行回数が少ないのだが。
希咲から聞いている話だと、スキルの対象――今回でいうと弥堂の視点・主観で彼の記憶を観るそうだ。
つまり、他人の過去を追体験することになる。
「感情移入……」
希咲は彼女の性格上、相手に感情移入をしやすい。
それは彼女の生来の優しさと共感性の高さからくるものなのだが、望莱はそれらを100%良いものだとは考えていない。
ただ感情移入するだけならまだいい。
だがそれに加えて――
「主観が混ざる……」
この【夢の懸け橋】の使用によって、感情移入しながら相手の視点で長くその人の過去を体験するのは危険だと考えていた。
相手と自分の主観が曖昧になっていく。
これを長く続けるのは絶対に希咲にとってよくない。
これまでは短期間――というか、ほぼ1回の使用で大体の決着がついていた。
だから特に何も起こらなかった。
しかし今回のように――
「もう一週間ですか……」
――これだけの期間、連日使用していたことはない。
さらに相手は弥堂だ。
彼のように特殊な人生を歩んでいるであろう人間の過去は、きっと刺激的すぎる。
ロクでもないことが多いだろう。
それには犯罪経験だけでなく、おそらく希咲が彼に同情してしまうような出来事もあるはずだ。
彼の記憶にあることを経験した結果出来上がっているのが、弥堂の人格だ。
同じことを経験し続けると希咲の精神面に、取り返しのつかない傷を残すかもしれない。
だから、希咲が完全に弥堂の主観に自分を混ぜてしまう前に決着をつけたい。
望莱はそのように考えていた。
そのためにも今は――
「おやすみなさい、です……」
睡眠こそが重要だと思い、望莱さんは徘徊したまま瞼を閉じようとする。
しかし――
「――おや?」
手に握っていたスマホが着信を報せた。
手を下ろしたままで画面を上向きになるよう角度を変え、半分しか開いていない目でジッと見下ろす。
希咲からの電話だった。
みらいさんのゾンビボディは、素早くスマホを通話状態にして耳に当てるという動作を自動実行した。
「ふぁぁい、みらいちゃんですよー……」
とはいえ、その声に覇気はなかった。
『…………』
「……おや?」
しかし、不自然なのは相手の方も同じだった。
いつも電話でテキパキと喋る希咲の声が聴こえてこない。
望莱は電波トラブルを疑って画面をもう一度見るが、特に何も問題はなかった。
『……みらい』
「あら。繋がってましたね」
一声聴いただけで寝ぼけていた望莱の意識が覚醒する。
そして――
「おはようございます、七海ちゃん」
『…………』
いつものような「はいはい、おはよ」といった軽い挨拶は返ってこない。
望莱の肌が粟立った。
七海ちゃんガチ勢であるみらいさんにはこれだけでわかる。
なんかヤバイ――と。
『……一応言っとかなきゃって思って』
「どうかしましたか?」
素知らぬフリで相槌を打ちながら望莱は汗を流す。
『あたし、これからガッコ行ってくる』
「えっと……?」
それは普通なのでは?と思いつつも。
今は彼女を刺激しないように、普段の軽口を慎む。
『弥堂に……』
希咲はその先は言わなかった。
だけど、望莱にはそれで理解出来る。
彼女が何をするつもりなのか。
とにかく、まずはどうにか説得をしなければならない。
「七海ちゃん。一旦落ち着いて――」
『――どうして?』
「え?」
『どうして黙ってたの?』
しかし喋らせてもらえずに希咲に主導権をとられてしまう。
それだけでなく――
『ミラーさんが、弥堂に殺されたこと』
「ぎくぅ――っ⁉」
とっても後ろめたいことがバレてしまったようだ。
(これはマズイです――)
望莱は猛スピードで脳を回転させて、話を逸らそうとする。
「えっと? 昨日話し合って決めたことが――」
『――ん。わかってる。でも……』
だがそれすらも、とても静かな声で希咲に遮られてしまった。
『でも、ゴメン。もう待てないの――』
「あー」
“アカンやつだ”と望莱は確信した。
これはガチギレモードだ。
しかも今までに見たことがないレベルの。
望莱はここで完全に思考を切り替える。
これはもう止められないと。
そして自分の思惑が外れたことも認める。
まさか聖人よりも先にこっちがこうなるとは思っていなかった。
そして聖人が相手の時とは違って、彼女がこうなったら望莱にはそれを本気で止めるつもりがない。
彼女がこうなったのなら、それには理由が何かある。
そしてそれが何であれ――
そうであるのなら、彼女が何かをするのにあたって、それは極めて正当なものなのだ。
それが望莱のルールだ。
だからそれを前提とした方向に舵を切る。
とはいえ、今のこの時間で希咲がこうなったのならそれは――
「もしかして。夢で何か――」
『――愛苗が殺された』
「は――?」
――その原因を聞き出そうとしたのだが、希咲の口から出た言葉があまりにも想定外すぎて望莱は一瞬固まってしまった。
『愛苗が。弥堂に。だから、もう――』
「あ、ちょっと! 七海ちゃ――」
それだけを言って、希咲は電話を切ってしまった。
望莱は急いでかけ直すが、電源は切られてしまっている。
「こ、これはやばばばばです……!」
望莱は足踏みをしながら、その場で回り出す。
クルクルと動く視界に時計が映りこんだ。
現在時刻は8時20分。
今から運転手の豪田さんを呼び戻しても、ここに来るまでに15分はかかる。
到底間に合わないだろう。
「やばばばばばばばばばば……」
ましてや、ただでさえ貧弱な自分が自力で走ったとしても学園に着く前に力尽きてしまう。
希咲の足には絶対に追いつけない。
望莱は手の中のスマホを見る。
「兄さんか蛮くんに……、いえ――」
聖人に報せるのは逆効果だ。
余計に取り返しのつかないことになる。
蛭子も似たようなものだ。
最初こそ冷静でも、彼にはあの状態の希咲を止められないし。
どうせ気付いたら一番前で弥堂に殴り掛かってるなんてことになる。
順番に理想を斬り捨てていく。
まず、希咲と弥堂の接触を止めることは不可能。
二人の戦いを止めることも不可能。
それなら、次は勝ち負けで考える。
これは希咲が勝つ。
最初から火が入った状態の彼女に勝てる者はいない。
そこに関しては確信がある。
だが、相手が弥堂だということに一抹の不安を覚える。
あの男だけは何を起こすかわからない。
しかし、その答えはここでは出ない。
だから、ここは希咲が勝つ前提で考える。
ならば、手を打つべきはその次だ。
戦いは起こり、希咲が勝つ。
そこで厳守すべきは情報の漏洩だ。
希咲の正体――
それと二人の戦いを、他の人間にバレないようにする。
現状最優先で打つべき手はそれだ。
そう判断したらすぐに電話を掛ける。
「出てくださいよ……」
そう願いを口にした時、通話が繋がった。
「あ、おはようございます。“うきこちゃん”。ちょっと緊急でお願いがあるんですけど――」
望莱は安堵しつつ、手早く必要な要請をする。
「――えぇ。お札を。最上級のものを。買い取りで。あと念のため……」
首尾よく話しをまとめて通話を切った。
望莱は尚もその場で回転しながら考える。
「水無瀬先輩が殺された……?」
やったのは弥堂だという。
希咲の言うこととはいえ、望莱はそれに納得が出来なかった。
何故なら――
「――そんなことはありえない」
――希咲の勝利を信じるのと同じように、その点にも確信があった。
だけど、希咲はそう思ってしまっている。
「なにか、嫌な予感がしますね……」
念のため、自分も学園に向かうことにした。
豪田さんに迎えに来るようにとメールを送る。
さらに――
「仕方ありません」
七海ちゃん印の指輪から“エナ汁”を取りだした。
今回は緊急のために大盤振る舞いで3本だ。
【身体強化:LV2】のスキルを起動し、素早く全てのキャップを外す。
そしてクパっと大きくお口を空けて、3本の瓶の飲み口をまとめて咥内にぶちこんだ。
「いひゃまふぃお――おぶぅぅぅっ⁉」
しかしいくらなんでも3本まとめてはハシャぎすぎだ。
咥内の容量を超えた生命の水が喉の入口でオーバフローして咽る。
半分ほどを噴き出して、残り半分を喉に詰まらせると――
「おぼろろろ……っ」
みらいさんは回転しながらお部屋の床に盛大にゲロった。
それだけでは済まずに――
「――ぅむぅっ⁉」
――脱ぎかけのまま引き摺っていたストッキングの右脚部分を踏んづけて体勢を崩し、ド派手に背後に引っ繰り返ってしまう。
そして――
「――ぴっ⁉」
――倒れた先にあったテーブルの角に後頭部を打ち付けて、みらいさんは志半ばで気絶した。
白目を剥いて吐瀉物の海に沈む彼女の横で。
手から離れたスマホが、豪田さんからの怒りの返信メールの着信を報せて“むぅーん”っと一度だけ震えた。
5月12日 朝の教室。
時刻は8時30分頃。
弥堂は既に登校をして自席に座っている。
チラリと、廊下側の方へ眼を向ければそこには紅月 聖人が居る。
彼の方も弥堂を意識しているのが伝わる。
そして背後の気配を探ってみれば、弥堂の一つ後ろの席に座るのは蛭子 蛮だ。
彼とは一言も言葉を交わしていないが、背中に視線を向けられているのを感じる。
(どういうことだ……?)
弥堂は彼らの様子を訝しむ。
想定ではもっと強い敵意を向けられるはずだった。
(エアリスめ。どうなっている)
彼女に指示していたことが実行されていれば、今日ここで顔を合わすなりに聖人に襲いかかられていてもおかしくないはずだ。
なのに彼らの様子は、現状では昨日と特に変わらない。
彼ら二人だけでなく、天津も、マリア=リィーゼも。
希咲だけ、今日も教室に――
――ガラリと、勢いよく教室の戸が開く。
引き戸が勢いよくレールを走っていってストッパーにぶつかり戻ってくる。
教室に現れた者は、その戸を足で雑に止めた。
同時に、教室内の生徒たちのお喋りも止まる。
シーンと静まり返り、全員の視線が入口に集まった。
そこに居たのは、希咲 七海だった。
弥堂は彼女を視てスッと瞼を細める。
希咲の方も、真っ直ぐに弥堂を見ている。
「な、なな――」
彼女に聖人が声を掛けようとするが、その前に希咲は歩き出す。
大股でズカズカと、一直線に弥堂の席の方へ歩いてきた。
彼女の剣幕に誰も声をかけることが出来なかった。
希咲は弥堂の席に前でピタっと止まり、彼を見下ろす。
弥堂が彼女を視上げた時――
背後で蛭子が息を呑んだのが伝わった。
この時にはクラス中の誰もが、希咲のただならぬ様子に気が付いていた。
えらく殺気立っている。
そんな空気感だけでなく、彼女の見た目にも違和感が表れていた。
今朝の彼女はメイクを何もしていない。
いつもは目立たないようにではあるが、キッチリとしているのに。
髪型もいつもよりも雑にまとめられているように見えた。
そして、彼女は手ぶらだ。
何故か通学バッグを持っていない。
さらにそれよりも、前髪の隙間から見える瞼の下の隈が酷い。
目も若干充血している。
どこかやつれているようで、体調が悪いのかと思われるが。
なのに、彼女からとんでもない熱と圧を感じる。
なのに、彼女を中心として教室中の空気が凍るほどに冷えていくようだった。
誰も何も言えないどころか、身動ぎすることすら憚られる。
必然的に其処は――
弥堂と希咲だけの世界へと変わった。
「なんだ? 俺に何か用――」
「――して」
「――あ?」
弥堂はとりあえず彼女を挑発してみようとしたが、彼女が小声で何かを呟いたために眉を顰めた。
少し俯くようにして立つ彼女の目元は前髪で隠されている。
その真意を探るように弥堂は彼女を注視した。
すると、希咲が顎を上げたことで強烈な眼力が弥堂に刺さる。
「ちょっと顔かして――」
「…………」
挑発的で高圧的な彼女の態度。
弥堂は彼女を睨みつける。
だが、普段のような軽口は返さない。
彼女からその雰囲気以上に強烈な敵意を感じたからだ。
弥堂に馴染みのあるそれは――殺気だ。
弥堂は無言で席を立った。
「オ、オイオイ……」
焦ったような蛭子の声が背後から聴こえ、周囲からもざわめきが起こる。
誰も茶化したり邪魔をしたりしない。
それが出来る雰囲気じゃないことだけは誰にもわかった。
希咲はまず蛭子に視線を向け、それから周囲を見回した。
それだけで誰もが口を噤む。
すると、希咲は「フン」と鼻を鳴らし踵を返した。
教室の出口へと歩いて行く。
弥堂は黙ってその背に着いて行った。
「な、七海……っ」
希咲が廊下に出ようとする時、聖人がようやく彼女へ声をかける。
「…………」
希咲は足を止め、顔だけ振り返った。
「……ついでこないでね。ゼッタイ。お願い」
「――ッ⁉」
その声を聴いた瞬間、聖人はコクコクと頷く。
彼にも理解出来た。
これはガチギレモードだ。
しかも今までにないレベルの。
聖人の隣では、王女さまが「えっ、え……っ」と恐くて泣いてしまい。
その後ろの席では天津が顔から滝のような汗を流している。
少し離れた席では、蛭子くんが机に突っ伏して寝たフリをしていた。
彼らのそんな様子にクラスメイトたちもドン引きした。
相当ヤバイ案件だと。
激おこのギャルを止められる者は誰もいなかった。
希咲は廊下を歩き出す。
弥堂だけは平然とその後を追った。
無言で廊下を進みながら弥堂は胸の拳銃と腰のナイフを意識する。
武器はこれだけだが、まぁどうにでもなるだろうと判断した。
予定では聖人が来るはずだったが、事が起こせるのなら相手は誰でもいい。
目の前を歩く希咲をターゲットとして、戦意を研ぎ澄ませていく。
その意気を希咲は首筋で感じ取る。
それが殺意であることももう理解出来ている。
HR開始の直前ということもあって、廊下に人気は少ない。
しかし少し先に、二人を待ち受けるように立つ人影があった。
前を歩く希咲がそれに気が付くと、その人物は壁際に寄って道を空ける。
だが、希咲を恐れてそうしたわけではない。
希咲が目の前を通りがかる直前に、彼女の進路に何かを差し出した。
それをしたのは学園名物のちびメイド――“うきこ”だ。
希咲は彼女の前で足を止めて、横目を向けて“うきこ”の持つ物を見る。
それは一枚の呪符だった。
「みらいに頼まれた。貸してあげる」
「…………」
希咲は無言でそれを受け取る。
人差指と中指で呪符を挟むと、彼女の視界にだけログが浮かぶ。
『所有率33%』――と。
希咲はそれを流し見て――
「――貰うわ」
――そう返した。
「そう。でも、あっちはあげない」
「…………」
無気力そうな顔で“うきこ”が意味のわからないことを言う。
希咲はそれに付き合う気は起きず、何も言わずにまた歩き出した。
すると、続いて弥堂が“うきこ”の前を通り過ぎる。
「貸すだけ。浮気はゆるさない」
弥堂は彼女へ視線を向けることすらせずに無視した。
その眼にはもう希咲しか映っていない。
二人は運良く教師に遭うようなことはないまま、階段に辿り着く。
希咲は昇り階段を選択した。
その先にあるのは屋上だけだ。
弥堂は黙って着いて行く。
階段を踏みながら、希咲の揺れるスカートの下――
内ももの血管の位置を探る。
ナイフを取りたくなる衝動を抑えながら一定の距離を保った。
すぐに上階に辿り着く。
屋上への扉の前で、希咲は足を止めた。
そしてドアの横に身体をずらして振り返った。
「…………」
「…………」
ドアを開けて希咲がクイっと顎を振る。
弥堂は彼女の顔を視て、先に屋上へと出た。
今度は弥堂が先を歩き、屋上のスペースの中央あたりで止まる。
振り返ると、ちょうど希咲がドアを閉めたところだった。
彼女はドアの前に立ったまま、こっちを見ている。
その位置関係で見つめ合ったまま数秒が過ぎる。
「ねぇ――」
やがて、希咲の方から口を開いた。
「愛苗はどうしたの?」
「そんなヤツは知らない」
これまでに何度か繰り返したような気のするやりとり。
お互いに口にした言葉に感情はこもっていない。
どちらも無駄だとわかっていて、半ば儀式的に交わしただけの言葉だからだ。
「そ――」
希咲は短く言って、右手を振り上げる。
その手にあるのは先程“うきこ”から受け取った呪符だ。
指の間にあるそのアイテムを意識する。
これは自分の物だと――
するとまた、彼女の視界にはログが流れる。
――――――――――――――――――――――
【アイテムマスター】
【所有率:94%】
――――――――――――――――――――――
それを確認して、次は指輪を意識する。
取り出したのは3つの魔石だ。
「“魔力装填”――」
その言葉に反応して魔石からプシューっと空気が抜けるような音がして、内包された魔力も抜ける。
その力の移った先は呪符だ。
希咲は腕を振って、バンっと勢いよく呪符をドアに貼り付けた。
すると、そこから周囲の空間に不可視の波のようなものが拡がったのを弥堂の魔眼が捉える。
その波が弥堂の身体を通り抜けるが、しかし異常はない。
異常があるのは周囲の方だ。
弥堂は眼を細める。
見た目は特に周囲に変わったところはない。
だが今の感覚には覚えがあった。
悪魔や魔法少女が同じものを使った。
「陰陽術か?」
「結界――」
その答えを希咲がハッキリと言う。
隠すつもりがないという意思表示だ。
「屋上だけ、元の次元から切り離してる、みたい。ここで起こることは他の人には伝わらない」
「そうか」
それは弥堂にとっても好都合なことだ。
理屈はどうでもいい。
希咲はドアの前から3歩、前に進む。
そして右手の甲を弥堂の方へ向けた。
「――煌めけ、『七色の宝石』……ッ!」
その声に呼応して、薬指の指輪が七色に光った。
同時に希咲の全身も白い光に包まれる。
弥堂の眼が見開かれる。
その光は一瞬。
消えると、希咲の姿が変わっていた。
髪は後ろ髪も一緒に纏めたサイドテールに。
服装は制服から、ショートパンツとチューブトップに。
腹出しの露出の高い恰好にショートジャケット。
弥堂は魔眼に送る魔力を強める。
希咲の恰好は特段珍しいものではない。
だが“こっちの世界”ではあまり見たことのない恰好だ。
別の場所では似たような女を視たことがある。
盗賊と呼ばれる女たちにそっくりな雰囲気だ。
「へぇ……」
「なによ」
感情のない感嘆を口にする弥堂に、希咲は不機嫌そうに返す。
しかし、弥堂の眼の色が変わったことに気が付いて、一瞬だけ身を強張らせた。
弥堂の瞳に蒼い焔が灯る。
同時に、ドロリとした殺意が彼の身体から漏れ出してきた。
「お前――魔法少女だったのか?」
「は?」
意味のわからないことを言われ、希咲の身体に熱が戻る。
「変身しただろ」
「そういうのいらないから」
「…………」
「ふざけたことなんか、言ってられなくさせてやる」
希咲は弥堂を睨みつける。
無言のままの彼の殺気の圧力に抗った。
さらに――
「――勇者」
「あ?」
「異世界」
「……貴様」
――彼にとって決定的となる挑発をした。
弥堂の雰囲気がさらに変わる。
まだ揺蕩うようだった彼の殺意が完全に研ぎ澄まされた。
彼が向けてくる静かで冷たい眼。
(あぁ、こういう気分なのね……)
それを向けられるのは初めてだが、しかし既に知ってもいるものだ。
夢の中で。
そして、それに負けないだけの熱も。
今日は彼女にもある。
それを露わにするように、ブーツの踵で床を鳴らした。
ここにこうして対峙する理由。
お互いに大して口にしないまま。
空気はすぐに一触即発のところまで高まった。




