3章15 綺リ衆ヲ邪ニ濁シ五ツ頸並ブ夜ノ果テニ澄マス心、ハ害 ➀
深夜。
暗い寝室。
PCモニターだけが光源。
そのモニターの前で、紅月 望莱はカチカチとマウスを鳴らす。
時刻は午前3時頃。
実家から自分のマンションに帰ってきていくつかの仕事を終わらせ、それから現在の時間まで弥堂の戦闘映像を観ていた。
解析をしているというよりはただ鑑賞しているだけに近い。
望莱の表情は無に近く、少し茫洋とした黒い瞳に画面に映し出された光が反射して色を変える。
机のスマホが電話の着信を報せた。
望莱は通話に出る。
相手は部下の豪田だ。
目の前のモニター内では、弥堂がジャスティン・ミラーの頭を撃ち抜いた。
『例の男と接触出来ました。“W”も渡し済みです』
「事後はどうでしょう?」
『素直でしたよ。金さえ渡せば裏切らないと思われます』
「あら。困っているのでしょうか」
『仕入れを止められているのに上納金のノルマはそのままのようで。上にも客にもせっつかれて余裕がなかったですね』
「客――ということは?」
『えぇ。つい最近連絡があったようです。強い恐怖を植え付けられているように見受けられたので、おそらく狙い通りに動くと思います』
「結構です。今夜はもう休んでください。また今朝の8時に」
『…………お疲れさまでした』
若干不満げな間の後に豪田さんの方から電話を切る。
望莱はスマホを机に置き、マウスを操作して映像を少し先に送った。
マウスから手を離して、ボールペンを右手で握る。
机の上に広げてあるA4サイズの白紙にペン先を当てた。
「……これで罪科を+1。全力を出してもらわないと困りますしね」
呟きながら紙の上でペンを走らせる。
「わたしの方は順調です。あともう一つくらい罪を手に入れたいですけど。候補も方法もあります……」
また言葉と同時にペンを動かす。
しかし紙に書かれているのはただの意味のない線だ。
絵も文字も必要ない。
これは彼女の癖のようなものだ。
思考を整理しながら適当な線を引けば、考えたことが勝手に脳に記憶される。
特段これをしなければ思考も記憶も出来ないわけではない。
重要な決定を下す前になんとなくしている、どこか儀式めいたルーティン如きの手慰みに過ぎない。
望莱は意識をまたモニターに戻す。
画面内では弥堂がミラーの首を鋸で切り落としているところだ。
汚れたプラ箱の中を、セメントの代わりに女の血が満たしていく。
「何故、彼女を殺したんです?」
両手を前後に動かし続ける弥堂に話しかける。
「あなたの目的は身分や立場、それに後ろ盾を得ることだったはずです。それには“G.H.O.S.T”はうってつけでした。なのに……」
それを叶えてくれるはずだった女の首がブチリと千切れて血溜まりを跳ねさせた。
「その人と手を組んで、日本に残ることもあるいは可能でした」
黙々と作業を続ける映像内の弥堂の背中を見つめる。
弥堂は血溜まりから女の髪を掴みあげて、首を鉄バケツに入れた。
「ミラーさんはアメリカに帰り、たまに日本を訪れる。その際には厄介な仕事を持ち込んで“せんぱい”を利用する。それを繰り返す内に段々仲良くなる。そんなサブヒロイン的な立ち位置。そういう“ゆるい”結末でもよかったはずです。それなのに――」
バケツに手を突っこんだ弥堂が身体を捻じると、女の生首が圧壊する。
「その人を殺して、せんぱいは何を手に入れたんですか?」
溢れた血飛沫がバケツの外に飛び散った。
「何も手に入れていません。どころか、こんなことをしたらただ悪と為るだけです」
弥堂の周囲に居る人間たちが彼へ恐怖の目を向けている。
「その人たちは始末しないんですか? 何故?」
「傭兵たち。在り方と流儀にシンパシー?」
「ゴロツキ同士の利害関係の方が信頼がある?」
「握り合った弱みが均等」
「なるほど。ミラーさんは天秤を傾けてしまったということですか。ある意味フェア――と言っていいのでしょうか」
「ですが、報酬的な利益面では大幅にマイナスだと思います。社会的な立場は言わずもがな」
自らの問いに対等に答えられるのは自分だけ。
「こんなにリスクをかけて、こんなに悪いことをしたのに、何も得られないなんて」
「得る為の悪を行っているわけではありません」
「行為ではなく。その存在そのものが極めて悪性?」
「はい」
意見が纏まり、自問自答を中断する。
「せんぱい。あなたは悪です。欲望の無い悪……」
映像の中の弥堂の姿を望莱は茫っと見つめる。
「ただ其処に居るだけで……。生きているだけで、あなたは悪い」
画面が映し出す血が瞳の中の紅を照らす。
「だけど……。だからこそ……」
残酷を体現する弥堂に表情は無く、彼の瞳の黒も平淡だ。
真黒。
感情からでもなく、欲望からでもなく。
予め魂にそう定められていたかのように。
マクロのように自動実行される悪徳。
真なる悪。
真なる黒。
真黒。
「せんぱい……、あなたは…………」
その先は口せず、望莱は再びボールペンを手に取った。
ペン先を紙に落とす。
「……生き返り、死に戻り……。禁忌」
「七海ちゃんは天使じゃないと言いました」
「ですが、不死――禁忌はここにありました」
「あの時は魔王級も居ましたしね」
思考を龍脈暴走時の港のことに移した。
「とはいえ。こんなにも痕跡が無いなんてことがありえるんでしょうか?」
「魔王級なんて存在するだけで災害のようなものなのに」
「せんぱいはあの事件の港のことを隠しています」
「せんぱい一人で隠せるものでしょうか?」
「魔王級の悪魔本人が隠そうと思えば可能でしょう」
「魔王に隠れる気があるのならそうでしょうね。ですが、やりますか?」
「そうですね。それならわざわざあんな派手なことを起こして出てこないでしょう」
「なのに。わざわざ出てきて。出てきたのに。何をしに?」
「…………」
「…………」
問も答も止まり、暫し沈黙。
問にも答にも人格は設定されていない。
異なる思想から生まれた異なる価値観や感情など必要ない。
それはただの役割の違い。
思想からの意見など必要ない。
必要なのは高度で同等な知能のみ。
「隠せる」
「隠れる」
「痕跡が無い」
「隠したから」
「せんぱいが」
「魔王本人が」
「跡形もなく」
「なかったことに」
「あはっ――」
「あははは――」
また一つに重なる。
「あはははははは……っ――」
暗い部屋で一人、望莱は馬鹿笑いをあげる。
モニターに照らされた瞳には昏い光が。
「――あ~あっ……、わかっちゃいましたぁ……」
下弦の月が嘲笑うかのように眦が垂れさがった。
「アナタが魔王だったんですね……。先輩――」
ガリガリと、強い筆跡で紙を掻く。
答えに辿り着いた高揚感がそこにはあった。
「これはある種、大義名分にも出来ますね。さらに+1です」
ペン先を動かす度にゴールと定めた場所への道が繋がっていく。
「だけど。だけどだけどだけど……」
ザシュ、ザシュと、スコップで土を掘るように紙とペンを鳴らす。
「それは既定路線。あくまで。わたしの」
今回の弥堂との争いで定めた勝利条件を達成するまでの道筋が整った。
「だけど――」
ピタっと――
ペンが止まる。
その止まったペン先から滲むインクを望莱はジッと見つめた。
そして――
「――『ゴールは部活』」
――その言葉と共に手を離す。
それは彼女が定めたゴールだ。
カタリと倒れたペンが転がり、紙上から退場していく。
「そこまでの道を通すには……」
小さく呟きながら望莱は紙を見る。
そこに描かれているのは出鱈目に縦横に幾つも走ったグチャグチャな世界図だ。
望莱がその知能を以て描いた戦いの行く末――未来のカタチ。
「…………」
望莱は紙を両手で持ち――
それをビリッと――ひと思いに千切った。
同時刻頃――
こちらは愛苗の病室。
ベッドではよいこの愛苗ちゃんがすやすやと眠っている。
その脇のサイドチェストの上――
祀られた“しましまブラジャー”の青い宝石が暗闇の中で妖しげに光る。
スルスルと――宝石から糸が伸びてきて、それは外気の魔素を取り込んで触手に変わる。
触手はベッドへと近づいていき、安眠を貪る獲物を品定めした。
その触手の先端が向いたのは愛苗――ではなく、メロだ。
飼い主の愛苗ちゃんの枕元でだらしなく身体を伸ばして寝息を立てているネコさんへゆっくりと迫る。
そしてメロの顔の前で接近を止めると、先端の肉が割れてグパっと口を開いた。
ダラリと涎を垂らしながらウネリと蠢くと、メロのおヒゲがピクリと反応する。
野生の獣であるところのメロさんの生存本能がギリギリのところで機能し、彼女はハッと目を開けた。
すると、眼前にはギラリと牙を剥く背徳的なフォルムの触手くんだ。
「――うぎゃぁぁーーッス⁉」
メロは寸でのところで、触手を前足で挟んで止めた。
「なななななんッスか⁉ なんッスか……⁉」
<静かにしなさい。ネコ>
危うく捕食されかけて慌てふためくネコさんに、触手の本体であるエアリスが静かに声をかける。
「お、お姉さん……ッ?」
<シッ――小娘が起きるわ>
メロがハッとして横を向くと、愛苗が「う~ん……」とむずがって寝返りをうつ。
結構な声量で悲鳴をあげたが起きなかったようだ。
愛苗ちゃんは細かいことは気にしないのだ。
彼女の背中を見ながらメロはホッとする。
「い、いったい何ッスか……?」
メロは「きしゃぁーっ」と威嚇してくる触手くんに怯えつつエアリスに訊ねた。
唐突に寝込みを襲ってきたはずのエアリスはあくまで冷静に、しかし堂々と答える。
<頼まれていたでしょ?>
「え……?」
全く悪びれもしないその態度に、メロはこのブラジャーの真の持ち主である勇者を思い出してとても残念な気持ちになった。
だがその気持ちを隠してとりあえず相槌だけをうつ。
気分を害すると何をされるかわかったものではないのも、やはり持ち主と一緒だからだ。
<バカネコ。もう忘れたの? 夢がリンクしてしまっているんでしょう?>
「……あぁ、うん。そッスね。そういやさっきも随分とヘヴィなモン見させられた気がするッス……」
<ハッキリと覚えていないの?>
「なんつーか、こう、おぼろげに……?」
触手に寝込みを襲われるショックのおかげで夢で見た内容のほとんどが吹っ飛んだのだが、メロは特級呪物を恐れて言葉を選んだ。
<そう。ならいいわ。今から診てみるからもう一回寝なさい>
「そ、そう言われても、恐すぎて眠気が……」
<余計な心配よ>
「え――?」
エアリスがおざなりに答えた時、触手の口がさらにグパっと大きく開く。
そしてその咥内からもう一本の細いミミズのような触手が伸びてきた。
舌を伸ばすようにしてメロの顔に近づくと、細い触手の先端の穴からプシュッとミストが噴射される。
その霧を浴びるとメロの目が途端にトロンと微睡み――
「――あ、あれ……?」
メロはそのままポスンっと仰向けに倒れてしまった。
彼女は感じた疑問を口にする前に既にもう眠ってしまっている。
<フン……>
引っ繰り返ったカエルのようなポーズでイビキをかくネコさんを見下ろし、エアリスはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
念のためか、愛苗の方にもミストを撒く。
愛苗の眠りがさらに深くなる。
<コイツ相手にどこまで効果があるかはわからないけれど……>
本人に魔術をかけられた自覚や、それを解くつもりがなければ問題ないはずだ。
そう考えつつ細い触手を戻した。
次にその代わりに、触手くんの咥内から今度は霊子の糸を幾本か生み出す。
その不可視の糸がメロの耳や鼻から体内へと侵入していった。
<……あのクソ野郎。このワタシにこんな面倒なことをさせやがって……>
その声を聴く者が誰も居なくなった病室で、ブチリと毒づく。
<まったく……、胸糞が悪い……ッ>
吐き捨てるように怨念を高めると、メロの腹の上に使い魔の契約の紋章が浮かぶ。
霊子の糸がゆらめくと、紋章は妖しく光を佩びた――




