1章05 Bad Morning ②
クラスメイトたちだけでなく、弥堂と希咲も言い合いをやめ声の発生源へ目を向ける。
それはとても意外な人物だった。
笑っていたのは天津 真刀錵だった。
戦っている時以外は物静かで無駄に動かない彼女が、大きく快活な声で笑うところなど誰も見たことがなく、付き合いが長い希咲たちからしても珍しい出来事だ。
天津は本当に可笑しくてしょうがないといった風に笑っている。
「――そうか、みらいの奴め…………ふふっ、そういうことか…………クッ……! これは確かに面白い……っ!」
誰に聞かせるといった風でもなく呟きを漏らし、彼女はそこでクラス中が自分に注目していることに気が付いた。
「――んんっ。いや、すまない。気にしないでくれ。みんなどうぞ続けてくれ…………特に七海と弥堂は是非とも続きを…………ククク……」
体裁を繕うように咳ばらいを入れて謝罪のようなことを口にしたが、彼女はまた肩を震わせてクスクスと笑う。
「はぁ? 真刀錵……? あんたなに言って――」
大分ヒートアップしていたため、自分が今周りからはどう見えているのかが全くわかっていなかった希咲は眉を顰め天津へ怪訝な目を向けるが、彼女を問い質す前に別方向から口を挟まれる。
「――あの、ごめんなさい希咲さん。よろしいですか……?」
「へ? あたし……?」
担任教師の木ノ下だ。
すっかり空気と化していた彼女が前に進み出て声をかけてきたことで、希咲は目を丸くした。
「邪魔をしてすみません。ちょっと訊きたいことが……」
「えと、はい。どうぞ」
「邪魔?」と頭に疑問符を浮かべつつ、希咲は何となくパッパッとスカートを払って着衣を整えつつ姿勢も正す。
「あの、希咲さん。あなたもしかして捨てられていたお菓子の件について何か知っているんですか?」
「えっ――⁉」
『何故それを⁉』と驚愕する希咲だったが、彼女以外の者たちからすれば『そりゃそうだろ』という感想だった。
希咲はキョロキョロと目を泳がせてからどうしたものかと迷い、チラっと弥堂の顏を窺う。
彼はもうこっちを見ていなかった。何もない宙空をボーっと見ている。
(こっ……このやろう…………っ!)
「あの……? 希咲さん……?」
拳を握りしめ憤慨する希咲は弥堂に何か文句を言ってやりたかったが、その前に教師から再度問われる。
「え、えっとぉ…………ど、どうかなぁ~? ちょぉ~っとあたしわかんないかなぁ~……?」
結局彼女は誤魔化した。
事の次第を明かして謝ろうと弥堂に薦めてはいたが、ここで自分の口から言うのは違うと思ったからだ。
それに、それをしてしまうと自分自身に大変な不都合が起きる。
弥堂が窓から菓子をばら撒いて壁を殴って壊した。
そういう話なのだが、それだけを言って済むわけがない。必ずどうしてそうなったのかを訊かれる。
そして希咲にとって一番不都合なのは『何故希咲がその時その場に居たのか』という部分に言及された時だ。
そんなものどう答えればいい?
この公衆の面前で『変態に「パンツ見せろ」って囲まれて泣かされてたのを助けてもらいました』とでも言えというのか。
乙女的にそれは許容することができない。
結局は報告するのだが、出来れば相手は女性教師一人だけに留めておきたい。
例えこの場で細部に渡って説明をする必要がなかったとしても、触りだけでも話してしまえば後で面白がったクラスメイトたちに根ほり葉ほりと訊かれ、そしてそれが根も葉もない話に加工されて噂として流されていくのだ。
希咲 七海はプロフェッショナルなJKである。
そのあたりの機微とリスク管理にかけては一流だった。ここは慎重に話を納めなければならない。
スッと希咲は余所行きの表情を造ると、自身に集まる視線を涼やかに受け流した。
「あの、希咲さん」
「はい」
そこへ再度教師から名を呼ばれると、希咲はニッコリと笑って返事をする。
「あの……こんな言い方するのも、その、心苦しいのですが……それは、本当……ですか…………?」
(あれぇっ⁉ 思いっきり疑われてるっ⁉)
造ったすまし顔が秒で消し飛び、彼女はガーンとショックを受けた。
普段それなりに真面目にしているつもりだったが、まさか自らの担任教師にそういう目で見られていたとは。
クラっと眩暈を感じそうになったが、すぐにその担任教師の様子がおかしいことに気付く。
自分の方へ目を向けているのだが、時折りその視線を彷徨わせている。
(んん?)
「……なんていうか、その…………誰かにそう言わされている、とか…………そんなことはありませんか……?」
(……ん? …………あっ――⁉)
希咲は気付く。
木ノ下先生は確実に自分に向けて話をしているのだが、チラッチラッと弥堂の様子を窺っている。その行動の意味するところは――
(もしかしてあいつに脅されてるとか思われてる――⁉)
もしかしなくても、木ノ下先生は先ほどから行われていた希咲と弥堂の会話内容から、何やら隠蔽をしようとしている弥堂と、事を明らかにしようとする希咲、という二人の立ち位置と向かう先の違いを読み取っていた。
しかし、深読みをし過ぎたのか、弥堂に何か弱みを握られているため誠実な行動をとれなくなっていると誤解をしているようだ。
(――いや、でも…………あながち誤解ってわけでも…………)
言い切れないのが己の境遇の悲しいところだ。
「希咲さん……! 先生がんばりますから、どうか勇気をもって打ち明けてください…………っ!」
真摯な瞳を向けてくる若い教師の親身な言葉に、僅かばかりの罪悪感が湧く。
どうしたものかと迷う。
(う~~ん……心配してくれるのはありがたいんだけど、この場で訊くのは悪手でしょうよ…………出来ればここは流して後でこっそり聞いてくれればこっちもやりようはあるんだけど……)
愚痴めいた思考になりかけるが、そこまで期待するのも酷かと考えを切り捨てる。
木ノ下の真意に希咲が気が付いたように、教室内の多くの生徒も同じことに気が付いた。それによって先程よりも話の内容に好奇心を持たれてしまったようで、真相を求める視線に含まれる期待が濃くなっている。
これではこの場でしらばっくれても後で絶対に問い詰められる。
もしかしてこれは逃げ場を塞がれているのではないだろうか。
先程は『悪手』だなどと心中で評価したが中々どうして――情報を確実に抜き出すという観点で見ればこれは悪くない対応なのかもしれない。
こちらを見つめる教師の目には悪意は全く混在していないので、意図的ではないのだろうが、希咲にとっては非常に困った状況だ。
(もう……っ! どうすんのよこれっ…………!)
怒りをこめて当事者を睨みつけた。




