36.荀彧、論功行賞を拒む関興を憂う
戦いが終わって、張遼がオレの所にやって来て礼を述べた。
「チビちゃん、おまえのおかげで謀叛は未然に防ぐことができた。恩に着る」
「よして下さいよぅ。オレは敵の本陣に火をつけて太鼓を叩いただけですから」
「いや。おまえが夜中にもかかわらず、俺の軍営に駆けつけ高幹謀叛を知らせてくれたこと。敵軍に突撃して殉じようかと思い悩む俺に、見事な計略を立ててそのとおりに勝利を収めることができたこと。おまえの勲功が第一だ」
「そのとおりですよ」
荀彧も城壁から下りてやって来た。
「関興君があの時知らせてくれなければ、主上は賊に攫われ、中州は再び大乱に陥っていたかもしれません。それを未然に防いだ関興君の功績は、讃えられるべきです」
「あっ、荀彧様!腕にお怪我を……」
オレはとっさに誤魔化した。
「ああ、かすり傷です。こんなのは舐めとけば治ります。
そんなことより、褒美の話ですね。今回の関興君の勲功だと都亭侯はもちろんのこと、近衛軍の中郎将に任命してしかるべきだと思うのです」
「ああ、それは当然だ。曹操閣下不在の中、都の危機を救ったのだからな」
いーやーだーっ!
近衛軍の官職をもらったりしたら、都から離れられなくなっちゃうじゃないか!
オレ五歳の子供だぞ。まだアソコに毛も生えていないツルッツルなんだぞ。そんなのに指揮される近衛兵ってどうなのよ?
オレは唐県に帰って、関羽のおっさんと関平兄ちゃんと妹の蘭玉の四人で仲良く暮らしたいんだ!曹操閣下の天下統一に協力するために(←ウソ)、兵糧を確保しその密売と贋金作りで大儲けしながらな。
「おまえさ、いいかげん諦めろ。そんな言い訳が通用するかよ!これだけの勲功を挙げて、曹操閣下がおまえを手放すわけがないだろう」
他人事だと思って、張遼が訳の分からんことを言う。
「私も関興君の行く末が楽しみでなりません」
やめてっ!荀彧までそんなこと言うなんて、やめて。
「おい鄧艾、おまえも二人になんか言ってやってよ!」
「……俺は都に残って荀彧様の元で兵法の勉強がしたい」
かあーっ!この裏切者!
「とにかく、オレはこのまま唐県に帰らせてもらうぞ。荀彧様、張遼殿、お世話になりました」
オレがそそくさと出発しようとすると、荀彧はニヤリと笑い、
「ああ、そう言えば。関興君の都からの退城許可は申請されておりません」
「おいっ!おまえ、どうやって許昌の城門を出たんだ?」
張遼がオレに詰問する。
ぎゃー。関所破りがバレてしまった!
「若は得意げに秘儀・滑翔の術とか言って、パラシュートのように城壁の上から飛び降りました」
鄧艾が正直に告白する。この恩知らずめっ!
張遼は呆れて、
「おまえ……あの高さを飛び降りるってアホだろ」
「いやあ、それで生きてるところが大したものですね」
荀彧も苦笑する。
「しかし、許可を受けないまま都城を出た罪は禁固刑にあたりますねえ。二度目の牢屋、入っちゃいます?」
「そんなご無体な……荀彧様、こたびの勲功に免じてなにとぞお見逃しを」
「牢屋に入れられたくなければ、官位を受けるしかないでしょうね」
わーん。ひどいや!
どっちを選択してもオレは許昌に留め置かれ、唐県に帰れないじゃないか!どうしてオレを都に縛りつけたいわけ?
「決まっているではありませんか。関興君をほかの群雄に取られたくないからですよ」
心配しなくても、劉備にも孫権にも仕えませんよーだ。
「そういうことではないんです。あなたは関羽殿のご子息として、荊州牧・劉表の客将である劉備の軍に所属しています。関興君が好む/好まざるにかかわらず、あなたの知略が劉表あるいは劉備のために使われる恐れがあるのです。
百歩譲って、それはまだいい。
あなたは曹操閣下にとっては敵軍に所属するにもかかわらず、兵糧米の調達にしても今回の謀叛の鎮圧にしても、躊躇なく曹操軍を利する行動を取っている。
我々にとってはそれが不可解というか、関興君の行動原理がつかめないのです。
関興君が信用できないわけじゃない。
むしろ今回の勲功を見るかぎり、あなたの曹操閣下への忠義は本物だ。それなのに曹操閣下へ仕えることを頑なに拒否している。
だからこそ、敵に回られるのが恐ろしい。いつ寝首を搔かれるか、心配でたまらないのです。
そのような恐るべき者を、曹操閣下が放置するはずがない。
このまま曹操閣下への仕官を拒否し続けていると、関興君の命が狙われる可能性だってある。
私は関興君を好ましく思っている。あなたの命を奪われるような目には遭わせたくない」
それは荀彧様の方ですよ!とオレは言いたかった。
この後、建安十七年(212)腐れ儒者の董昭らが献策した、曹操に九錫を授与し爵位を魏公に進める案に、荀彧は頑なに反対した。
曰く――曹操が義兵を起こしたのは、漢の朝廷を救い天子様の国家を安定させるためであり、真心からの忠誠を保持し、偽りのない謙譲さを守り通してきたのだ。君子は人を愛する場合、利によらず徳を用いるものだ。曹操の勲功を顕彰するために、魏公に爵位を進めるのは宜しくない、と。
その一方で荀彧は、あくまでも侍中・光禄大夫として漢朝の臣である立場を崩さなかった。曹操が漢帝の禅譲を受けて皇帝に昇れば、荀彧は佐命の功臣として前漢の蕭何と同じ栄誉を受けていたはずであるのに、荀彧はその利に甘んじることなく身を捨ててまで漢帝に忠節を尽くし続けた。
「正道に従って主君に従わないのが、君子の踏むべき宿命だ。自らの志を曲げ、媚び諂うことなく、私は最期まで儒者の道を貫きたい」
荀彧がオレに語った覚悟の言葉。主君への忠よりも人として正しくある道の方が、君子が選ぶべき道なのだ。荀彧は己の理想を貫いた。
宋の司馬光は『資治通鑑』の中で、
――後漢末の大乱は斉の桓公の頃より甚だしかったのに、荀彧は曹操に天下の八割を治めさせた。その功は管仲を超えた。管仲は公子糾に殉じず、荀彧は漢に殉じた。その仁は管仲を超えた。
と論評した。
曹操は考えた、荀彧はとてつもなく優秀だ。その荀彧が、自分が魏公に昇ることを拒絶している。敵に回られるのが恐ろしい。だから荀彧を殺そう、と。
荀彧の仁徳よりも、曹操の野心がついに勝ったのだ。荀彧は伍子胥の運命を辿った。呉王夫差が伍子胥に自殺を命じたように。
オレは荀彧を好ましく思っている。彼の命を奪われるような目には遭わせたくない。
けれどもオレが実は転生者で、未来の出来事を知っているなんて話せない。
知られたら最後、オレは世を惑わせる奴とかなんとか理由をつけて、一生牢屋に閉じ込められて口を封じられる。なんとか誤魔化さなければ。
オレは軽口を叩くように、
「オ、オレの行動原理なんて単純ですよ。ザ・お金です!
曹操閣下はオレを大儲けさせてくれるから大好きなんです!
兵糧の密売をして大金を稼いだり、贋金を作って、贅沢のかぎりを尽くして衣服や車を飾り、美食を楽しもうかと……」
「それは嘘ですね」
荀彧はニコリともせずに言った。
「あなたの服装を見てみなさい!庶民が着ているような衣服。
車なんか持っていない、あなたが乗っているその馬はサラブレットではなく、その辺で買った平凡な馬。
晩餐会で出されたパーティー料理をめちゃくちゃ美味しい、こんな豪華な食事は食べたことがないと言ったあなたの行動原理が、贅沢をするための金儲けのはずがないでしょう!」
くそっ。
前世のしょぼい庶民感覚が、こんな大事な場面で徒になるとは……。
次回。「このまま曹操閣下への仕官を拒否し続けていると、命が狙われる可能性だってある」と関興に忠告する荀彧。張遼に剣を突き付けられた関興は、ついに【先読み】のスキルを告白する!お楽しみに!




