21.関羽、戦勝の褒美に楼船をねだる
第2部が始まります。
関興が有能な人材を登用するとともに、都に上がって活躍します。
<関羽、曹操軍を撃退!>
去る建安八年(203)十月に許昌を発った曹操軍三万五千は、西平から荊州に侵攻を開始。兵力に劣る荊州軍は苦戦必至、各県で籠城し持久戦かと思われたが、唐県の県令・関羽が兵三千を率い州境で曹操軍を迎撃した。
先鋒の騎兵に一騎討ちを挑み、たちどころに四将校を倒すと、曹操軍は仁王立ちの関羽の武勇に怖れをなして一歩も動けず。その隙に、関羽は配下の兵の一部を割いて左右の高所に送り込み、敵騎兵五千を逆包囲。退路を断って集中的に矢を射かけ、敵が大混乱に陥ったところで三方から一斉に突撃した結果、五千の騎兵は殲滅され、敵将・張遼は命からがら身一つで逃亡した模様。
先年、官渡の戦いで袁紹軍に大勝利し、その勢いに乗じて荊州侵攻を目論んだ曹操であったが、思わぬ大敗を喫した初戦の結果に対し、「敵の出方を探っただけ。これで次回の勝ち方が分かった」と余裕のコメントを残した。
だが専門家の見方は辛辣だ。
「無敵を誇った曹軍の騎兵が完敗したことは、いまだ割拠する軍閥に「曹軍は恐れるに足らず」の印象を抱かれるのではないか」(朝廷の関係者)、「官渡の戦いでは機動力を生かして袁軍を翻弄したが、今回それを失ったことで曹軍の優位性に蔭りが見えた」(某軍閥の参謀)などと否定的な評価が寄せられた。
うーむ。見て来たような嘘が並べられてるな。
許昌にいる斥候から送られて来た、左派系全国紙の瓦版だ。司空である曹操の大敗を大々的に載せて揶揄しているようだ。
ま、曹操閣下の狙いは分かっている。
西平の戦いでの大敗を認め、袁譚・袁尚両軍の油断を誘っているのだ。
瓦版の言うとおり、「曹軍は恐れるに足らず」との印象や機動力を「失ったことで曹軍の優位性に蔭りが見えた」との情報を、袁譚・袁尚に植え付けたいのだろう。
実際には、曹操軍の被害は関羽のおっさんとの一騎打ちで敗れたザコ武将の四騎だけだ。「無敵を誇った曹軍の騎兵」は殲滅されておらず無傷だし、張遼は曹操の信頼が厚いままだ。
オレは、来たる袁軍との戦いにおける、曹操の戦略が読めてしまった。
近いうちに袁譚・袁尚の跡目争いは再開されるだろう。
袁軍閥の根拠地・鄴を押さえる袁尚が、大軍を率いて袁譚の青州に遠征する。
恐れをなした袁譚は、曹操に泣きついて救援を依頼する。
はじめ曹操は袁譚に直接援軍を送るのではなく、無傷の騎兵を率いて鄴を急襲する。
その報らせを受けた袁尚軍が慌てて帰国する途中に伏兵を置いて、さんざんに攻撃して大破させる。
逃げ帰った袁尚軍が少数で鄴に籠城するのを、曹操が大軍で囲んで持久戦。
“囲魏救趙”という兵法の応用だ。
……まあ、半年で鄴は陥落させることができるだろう。
◇◆◇◆◇
「いやあ、関羽殿。こたびの働き、誠に素晴らしかった!」
劉表が百官とともに襄陽城の門に出て、関羽のおっさんを出迎える。
「まさか唐県の兵三千で、曹操の大軍を撃退するなど夢にも思わなかったぞ!」
そう。この劉表という臆病者は、曹操軍三万五千の荊州侵攻を聞いて、襄陽に駐留する二万の兵を率いて出立しようとしていた。北の唐県に、ではなく、南の江陵城に。まったく、何を考えているのやら。
きっと曹操軍に恐れをなして、戦火を避けて疎開しようとしていたのだろう。
荊州軍の総司令のくせに、なんとも情けない話だ。
「そこでじゃ。こたびの大勝利の褒美として、関羽殿に討逆将軍の号を授けたいと思うのじゃが……」
関羽は慌てて辞退した。
「とんでもありません!こたびの戦では、劉表様が後詰として荊州軍二万を率い、襄陽を出陣したとの報らせを受けて、勇気百倍、兵は皆沸き立ちました。劉表様の勇敢な援軍のおかげです」
「うむ。わしは総司令官として当然のことをしたまでじゃ」
劉表は性懲りもなく胸を張って答える。よく言うぜ。
「それに、私が州境で曹操軍を迎撃したのは、我が主君の劉備将軍に指示されたまでのこと。背後の崖上に趙雲・陳到の兵を潜ませ、敵を逆包囲できたのは、劉備将軍の知謀から生まれた作戦。私は盤上で動く駒の一人にすぎません」
「ほう。あの劉備将軍が、ねえ……」
「ですので、かたじけなくも私ごときが劉備将軍を飛び越えて、戦勝の褒美をいただくなど不忠の行為。どうか劉備将軍に厚く褒賞下さいませ」
と言って、関羽は重ねて褒美を辞退する。
「あっぱれじゃ、関羽殿!主君を思うその謙虚な心意気、しかと承知したぞ。なれど、わしはそなたの武勇にも報いたい。どうじゃ、何か欲しい物はないか?」
関羽はしばらく考えて、
「でしたら、私に従って従軍した兵士どもに金一封を授けてやりたいと存じます。
私は一歩たりともこの荊州の地に敵兵を踏み入れさせるつもりがなかったので、敵の死骸はすべて豫州側に散乱させたまま。したがって、敵兵五千を壊滅させた証は何もありません。これでは、敵兵を倒し奮闘した兵士のために、劉表様に恩賞をねだることも叶いません。
民を思う気持ちの篤い君子と評判の劉表様におかれましては、どうかこのことを含みいただき、兵三千に金一封を下賜いただきたく存じます」
「もちろんじゃ。金三万銭を渡そう。だが、わしの意図はそうではない。
わしはそなた個人に報いてやりたいのじゃ」
そう言うと、劉表は関羽を近くに手招き、その耳元で、
(わしは変節極まりない劉備よりも、忠義に厚いそなたを頼りにしておるぞ)
とささやいた。そこで関羽は、
「でしたら、楼船一隻をお譲りいただけないでしょうか?
我が唐県には漢水の支流である唐河が流れ、劉表様のおわす都城の襄陽や、孫呉との争いが激しい江夏にも通じています。万一変事が起こった場合、こたびの曹操軍撃退に活躍した我が精鋭三千の兵をすぐに送り、私が指揮して対処することが可能になるかと存じます」
と申し出た。外様の関羽に過大の軍事力を与えることを警戒する劉表は、
「ふうむ。蔡瑁よ、どう思う?」
「善き考えではございませんか?」
重臣の蔡瑁はそう述べると、すすっと劉表のそば近くに寄り、
(最大でもたかが数百の兵を積んだ楼船一隻、仮に関羽が反旗を翻して襄陽に攻め込んで来たとしても、撃退するのは容易でしょう。襄陽は二万の兵を擁し、楼船十数隻を有しております。
また、関羽に譲り渡すのは最新鋭ではなく、使い古した物であっても一隻の楼船には変わりありますまい。
リスクを恐れるよりも、関羽の武勇を生かし、曹操に隣接する唐県のみならず、襄陽都城の防衛、孫権と争う江夏救援の利を取った方がよろしいかと)
と耳打ちした。
「分かった。関羽殿には楼船一隻を譲り渡そう。
襄陽や江夏に変事が生じた場合、しっかり対応してくれよ。わしはそなたを頼りにしておるのじゃからな!」
「はっ、畏まりました!ありがたく楼船を頂戴いたします」
関羽は鄭重に礼を述べ、襄陽を後にした。
次回。徐庶が劉備に、関羽との和解を勧めます。一方、関興は潘濬とともに褒美の楼船を受取りに襄陽に出掛けます。しかしその楼船は思ったとおりオンボロで……お楽しみに!




