(3) デザイア・バウト
【お題】悪魔、裏取引、天
──汝が罪に解放を。清き世界は、我らが主の為。
何時からだろう? この惑星には、要らぬ者達が巣食うようになった。足元で無数の軋み
を抱えながらも、発展を謳歌する文明。林立するビル群。行き交う者達によるざわめきこそ
響き渡れど、各々が自身の暮らしの為に手一杯で、そこかしこに潜む幾つもの異変に気付く
ことすら出来ない。
「う……あ゛あ゛ッ……!!」
そしてその日も、路地裏の一角で。
一人の男性が、正面に立つ“白づくめ”の一団の前で、絞り出すような声を上げていた。
長く着古したであろう薄汚れた衣服に、バサついた白髪混じりの頭──いわゆるホームレス
の類であるようだった。そんな、間違いなく大の大人一人の身体を、白づくめの人物は直接
持ち上げる事なく宙に浮かせている。
「……」
目深に被ったフードと、それに一体化した全身を覆うローブ状の衣装。
不可視の力で男性に手をかざし、浮かばせている彼らの素顔は、はたして視えなかった。
昼間でありながらも路地裏の薄暗さも手伝い、まるで陰を作ったようにフードの下は不気味
さを湛えている。碌な抵抗も出来ず苦しむ男性の様子を、この一団のリーダー格と思しき人
物はじっと見つめている。何かを見出そうとするように観察している。
「! ぬんッ!!」
次の瞬間だった。ホームレス男性の胸元、この白づくめの人物がかざしていた掌の位置を
起点として、男性の身体から突如何かが零れ落ちた。ボシュ……ッ! と、青白い炎を纏い
ながら射出された何か。白づくめの面々は、地面に落ちたそれをすぐさま回収する。
「おお……」
「成功致しました。この者の“遺魂”です」
「うむ。これでまた一つ、清き世界への足掛かりが成された。主もお悦びになられるだろう」
そっと両掌で覆うように、左右から近付けた、複雑な文様の描かれた円──魔法陣のよう
なものに吸収されて消えてゆく塊。青い炎に包まれながら、男性より排出された罪。
部下の白づくめらにその回収をさせながら、リーダー格の人物は仰々しく、満足げに言葉
を紡いでいた。当の部下らもめいめいに深く頷き返し、気持ちフードの下で達成感の気色を
醸し出しているようにも見える。
「では、次に清めるべき対象を探すとしよう。どうやら今日は収穫が良い」
『はっ……!』
そうして彼らは、目的は果たしたと言わんばかりに、サッと踵を返すとその場から立ち去
って行った。
はためき、翻された揃いの白ローブ。何より意識を失って倒れ込んでしまった、このホー
ムレス男性を見向きもせずに放置したまま。
(──い、一体何なの?! 何なのよ!?)
今月は本当にツイていない。半田美雅は心の底から思った。本来運動用ではないカーキ色
のスーツと靴の姿で、周りの人々と同様に一心不乱で逃げ惑う。
“化け物”が出現した。
寝言と哂われるかもしれないが、それが今現在進行形で起きている目の前の事実だ。現実
に白昼堂々、お昼時の大通りに、まるでカマキリがそのまま二足歩行し出したかのような怪
人が現れて人々を襲っている。美雅もこの日偶然、何時ものように昼食を摂りに職場から出
て来ていた所だった。ギャーギャーと、普段なら先ず聞こえないような周囲の悲鳴達に、否
応なく自身も精神を乱される。
(何でこんな……。こんな、漫画みたいな事まで起こるなんて……)
繰り返し響き渡る、居合わせた他人びとの悲鳴とカマキリ怪人の叫びに、思わず何度も身
体がビクつく。逃げ惑いながらも、おずおずと後ろを振り向いた彼女は、その決して夢幻で
はない惨状を目に焼き付けてしまうことになった。
怪人の両手と一体化した鎌状の刃が、逃げ遅れた通行人達を無差別に切り裂く。血飛沫が
舞い、決して少なくない人数が通りのあちこちで倒れている……。
「何でよ……? 何で二度も、襲われなきゃ──」
だがちょうどその時だったのだ。怪人とはようやく道向かい。にも拘らず、彼女と怪人の
間に割って入るように、一人の青年がカツンと靴音を鳴らして歩いて来たのだった。呟きか
けた言葉を途中で呑み込んで、思わずその背中を目を見開いて見上げる。
「……よりによって真っ昼間に。舐め腐りやがって」
「!?」
しかし、美雅が驚いたのは彼の出現だけには留まらなかった。何を思ったか次の瞬間、彼
は上着の裏側から妙な道具──左右で黒と白、色の違うバイクハンドルのような物を取り出
すと、ぶつぶつと不機嫌にごちながらこれを自身のヘソの前へ。自動的に腰へと巻き付くよ
うに展開されたベルトが固定されたのを確認すると、更にもう一つ、金属製の保護網のよう
な物が巻かれた球を手にする。
『BAT』
カチリと上部の出っ張り、スイッチのような部分を押すと、そんな機械音声のような発音
が聞こえた。見慣れぬこの球は名の通り、コウモリを模した紋章のエフェクトを発すると、
そのまま彼の手によってバイクハンドル型の中央部へと挿入される。
いや、違う……。
美雅は直後、彼の腰に巻かれたそれが“ハンドル”ではないと解った。
彼から見て右手、逆ヘの字型のそれは白と無数の文様。左手、同じく逆ヘの字型のそれは
黒と無数の文様。中央に先程の球っころを添えた全容は、寧ろ──。
「変身」
『LAW-BIAS』
カマキリ怪人がこちらの存在に気付き、振り向いた。これとほぼ同時に、青年は右手側の
ハンドルをぐっと押し込んで一言。腰に巻かれたバイクハンドル型のそれは、さも“天秤”
のように白棒側に傾きながら、またもや別の機械音声を発したのだ。
何処からか、彼の周りをコウモリ型の黒い塊達が、群れを成して飛んでくる。だが彼は、
そんな変化をまるで慣れっこだとでも言わんばかりに動じず、寧ろ身を委ねて自身に纏わり
始めるままとする。全身が揺らぎ……次の瞬間、鎧姿の戦士へと変貌した。
「──」
「えっ。えぇぇぇーッ?!」
黒と鈍い銀色を基調とした姿。もっと表現するならば、パワードスーツとでも言おうか。
モチーフとなったらしい、コウモリを彷彿とさせる意匠が身体のあちこちに象られており、
特に頭部はそれと鉄仮面を合体させたかのようなフルフェイスだ。「……さっさと逃げろ」
美雅が驚愕、怪人の側もその変身に身構える中、彼はこちらを一瞥して言った。ざらりと腰
の長剣を抜き放ち、走り出す。
「ギギ……ッ! 貴様……“連盟”員カ!?」
(連盟員?)
まさかの怪人が、片言っぽくながらも人語を話すことにも驚いたが、美雅はそれ以上に目
の前で次々と起こってゆく事態についてゆく方で手一杯だった。まるで自分達を──この化
け物に襲われた人々を助けるべく、果敢にも立ち向かっていった彼の姿に、彼女や居合わせ
た人々は呆気に取られざるを得ない。
「ふんっ! はあっ!!」
まともに食らっては只では済まない鎌状の両手を、彼は得物で的確に受け流すと、すかさ
ず反撃の一閃を叩き込んだ。怪人から散る火花と、尚も返ってくる攻撃に更なる二度三度、
幾度にも及び斬撃・刺突。よろめきながらの場当たり的な刃に、青年は最初から怯む事なく
冷静に対応する。
「殺ス、殺ス、殺ス! オ前モ、コイツ等モ、全員ンンッ!!」
「……」
大振りな一撃。横薙ぎ。
されど彼は、これを直前大きく背中から翻らせた黒い布──マントを相手の視界一杯に映
していなしてみせたのだ。何より一瞬、これにより姿を見失った怪人の背後に、いつの間に
か転移していたのである。
ハッと気付き、驚く美雅。やや遅れて勘付き、焦るカマキリ怪人。
両の鎌で守られ易い正面より、ガラ空きになっている背中から捻りを加えた一撃を……。
「グガッ、アッ……!!」
「ぬっ……? 背中も硬えな……」
それでもどうやら、彼の攻撃は怪人に決定的なダメージを与えられずに終わったようだ。
先程までと同様、激しい火花を散らしながらもよろめくだけで、更なる殺意を漲らせて睨
み返す怪人側。対するパワードスーツ姿の青年も、予想以上に剣が通らないことに少し思案
する素振りを見せる。
「だったら──」
するとどうだろう。彼はスッと構えを解いてハンドル型の装置──天秤の傾きを一旦元に
戻したかと思うと、今度は左側の黒い取っ手棒に力を加えて押し込んだのだ。三度、その操
作に呼応して機械音声が告げる。
『CHAOS-BIAS』
背中のマントや剣を中心に集まっていた黒色、コウモリ型のエネルギー達が、今度は彼の
両手足を中心に向かって分離。纏わり付き始めた。左右の腕には、コウモリの片翼のような
大きな手甲。脚部には、牙を思わせる覆いが付随した具足。
気持ち……全体の雰囲気も、先程とは打って変わって荒々しい感じがする。
「らぁッ!!」
「?!」
事実、姿を変えた彼の攻撃は凄まじかった。それまで剣先で細々としたダメージしか与え
られていなかった怪人の外殻を、その強く踏み込んだ拳で初撃部分的に粉砕。そこから怒涛
の攻めで相手に反撃する隙をも許さなかったのである。
「グォッ!? ガァァァ……ッ!!」
半ば本能的に、怒号を吐き出しながら繰り出す鎌状の刃。
だが対する彼は、即座に手甲の背から迫り出す黒い片翼状のフォルムに力を込め、より大
きな半月刃として展開。これを真正面から受け止めて弾き返し、逆に二度三度と強烈な殴打
を叩き込む。
(──凄い)
美雅は、そんな通りの真ん中で繰り広げられる死闘に、思わず釘付けになっていた。他の
居合わせた通行人達の一部も、怪我をして介抱・搬送されてゆく者らを除いて、それぞれ遠
巻きに隠れながらも固唾を呑んで見守るなどしている。
「オ゛……。アァァァァァァァーッ!!」
だがしかし、最初彼に言われた通り、彼女らは早々に避難すべきだったのだ。
激しくぶつかり合うカマキリ怪人とパワードスーツの青年。そんな二人が忙しなく立ち位
置を変えてゆく中、前者の視界に美雅の姿が映ってしまったのだった。ギン、とあたかも親
の仇でもあるかのように眼を血走らせ、自身の衝動が彼によって満たされぬ怒りも手伝って
叫ぶ。大きく振り上げた右手の鎌が、エネルギーを纏って激しく発光し、直後彼女へ向かっ
てブーメラン状の斬撃が放たれる。
「っ?!」
「! おい、馬鹿! 何で逃げ──」
青年の方も、すぐさま事態の拙さに気付いた。ふとした拍子に、相手の狙いが自分ではな
く彼女へと向いてしまった。猛攻で押え付けていた身を返し、慌ててこれを撃ち落とそうと
駆け出して──。
「きゃっ!?」
されどはたして、その庇い立てを為したのは……彼ではなかった。彼女へと向けられた飛
ぶ斬撃は、次の瞬間全く別の方向から割って入った何か、針状の弾丸によってピンポイント
に相殺されていたのである。
「……。ふむ」
美雅はおずおず、ゆっくりと両腕を下げて目を開き、そこに立っている人物を見遣った。
焦げ茶と金色を基調としたパワードスーツ姿の、銃を片手にした新手である。全身に網目、
クモをモチーフにしたと思われる得物を構えたまま、彼女を含めた青年、及びカマキリ怪人
の方にも視線を向けている。とりあえず助かったのか……? 安堵する美雅や、この人物の
登場に青年も気持ち緊張を緩めたようだった。
「──ッ」
「あ、おい! 待て!」
だが、これ以上の劣勢を強いられるのは厳しいと判断したのだろう。そんな数拍の隙を突
き、肝心の怪人の方は一目散にその場から逃げ出してしまった。青年もすぐこれに気付き、
慌てて後を追おうとしたが……駆け出す頃にはもう間に合わなかった。
「チッ……逃げられちまったか。おい、ウィル! 邪魔すんじゃねえよ! その、そっちの
女をフォローしてくれたのは助かったけどよ……」
「気にするな、当然の行為さ。それに邪魔だと言うのなら、先ず彼女らの避難を最優先にす
べきだったんじゃないかな?」
尚も事態が畳み掛けられ、唖然と立ち尽くしている美雅。
そんな彼女をフッと、横目で微笑むように気遣ってあげながら、この二人目の人物は腰の
ハンドル型装置を水平に戻した。中央部分から青年と同じく、妙な球体を回収し、同時にそ
のパワードスーツ姿の変身が解ける。
「……言ってくれるぜ。“デザイア”が出たってのに、ちんたら遅れて来やがって」
にっこり。
同じ操作でもって変身を解除した青年の言葉に、当の本人は尚も柔らかな笑みを浮かべ続
けている。青年の方は、黒髪・黒ジャケットの気難しい日本人だったが、こちらは明らかに
外国人。やや癖毛っぽいアッシュブロンドの髪に、薄緑のセーター姿。ベルトも解除した件
の装置を、携帯するショルダーバッグにしまいながら近付いて来る。
「君の代わりに、付近の避難誘導やら何やらをやっていたんだよ。こんな白昼堂々の犯行、
どうしたって目撃者は多くなっちゃうだろうしねえ……」
にこにこ。
どうやら二人は、元より協力関係にあるようだった。尤も青年側の言動からするに、必ず
しも良好な相棒とは呼べないかもしれないが……。
「目撃者、ねえ……」
じとりと。だが次の瞬間、美雅は気が付けば、この二人からそれぞれに視線を向けられて
いた。片や面倒臭いと全身で表現してくるような、険のある。片や相変わらずにこにこと、
段々何を考えているのか分からず、不安になってくる。
「……えっと?」
本当に、今月は全くもってツイていない。
やがて耐え切れずにぎこちなく、彼女は苦笑いを零しながらそっと両掌を上げる。降参の
ポーズを見せる。
(はあ……疲れた。この前はあんな事もあったし、今夜も残業だったし……)
それから大体一週間ほどが経った。この日も美雅は、独りスーツ姿で足早に家路を急いで
いた。日はすっかり落ち、辺りは暗い。大通りから折れて随分と進んだ、慣れ親しんだ道で
あっても、やはり時間帯が違うだけで心細く感じる。
カツカツと、自身の靴音ばかりが嫌に耳に響く。点々と道端に灯っている外灯の明かりだ
けが、彼女の急ぐ道程を照らしていた。
(ただでさえ、毎日こっちは忙しくって気も休まらないってのに……。あんな漫画みたいな
話に巻き込まれて堪るモンですか)
『先ずは自己紹介といきましょうか。僕はウィリアム・オットー。“獣操連盟”っていう組
織のエージェントをしている。で、こっちは同僚の優弥。黒瀬優弥だ』
『おい、ウィル。何勝手に──』
『出来れば今日の事も、綺麗さっぱり忘れてくれると助かるんだけど……無理だよねえ?
あんな怖い目に、それも他にもいっぱい目撃者が出ちゃうとさあ』
例のカマキリ怪人の一件の後、パワードスーツの二人こと優弥とウィルはそれぞれこちら
にそう話しかけてきた。優弥の方は一貫して、部外者を巻き込むべきではないという立場だ
ったらしいが、現実問題美雅らの避難よりも敵の排除を優先したがために、却って面倒事を
増やしてしまったようだ。それとなく相方に皮肉られ、ぐぬぬと反論の弁も出ない。
『そ、そうかも……しれませんね。えっと、その……助けていただいてありがとうございま
した。何だか分からない内に、ご迷惑をお掛けしたみたいで……』
『そうだぞ? 俺、お前に逃げろって言ったよなあ?』
『えっ? あ、そう……でしたね。すみません……』
『こらこら、優弥。頭ごなしにレディを責めるモンじゃない。こちらこそすまなかったね。
突然の事とはいえ、君達を巻き込んでしまって』
『い、いえ……』
最初こそ胡散臭かったが、少なくとも彼の方は自分に優しい言葉を掛けてくれる。美雅は
苦笑いを零せど、そう逆に謝ってくれるウィル達を詰る気にもなれなかった。元より根が小
市民というのもあるが、やはりこういった雰囲気イケメンには弱いのだ。
『……言っとくが、そいつは妻子持ちだぞ』
『えっ!?』
『ちょっと、優弥~! いきなりバラしちゃ駄目でしょ~!』
『やっぱその心算はあったんじゃねえか。いい加減、出会う傍から口説く癖直さねえと、嫁
さんにブチ切れられるぞ?』
『いやいや、レディを見かけて声を掛けないのは寧ろ失礼に当たるだろう? 特にこの国は
小柄で可愛らしい女性がいっぱいだからさあ~、僕にとっては天国なんだよ~』
『知るか。後で嫁さんに報告しとくからな』
『……』
前言撤回。こっちもこっちで大概だった。
『HAHAHA! 優弥はいつも冗談がキツいんだよ~。自分が女性恐怖症だからって、僻
んじゃ駄目駄目~』
『…………』
『あ、ちょっ──。スマホ弄って何してるの!? 分かったから、分かったからあ! この
子は口説かないからあ! しまって、しまって、お願い!』
『……』
そんな茶番劇を、半ば強制的に見せられて暫し。
幸か不幸か、美雅はようやく落ち着きを取り戻し、彼らの本題に付き合う事になった。或
いは一連のやり取り自体が、こちらの緊張を解す作戦だったのかもしれないが……。うん、
少なくとも黒瀬という青年の方は、そんな器用そうには到底見えない。
『──こほん。話を戻そう。君がさっきまで襲われていた怪物は“デザイア”。ある僕達と
は別の組織が、人間の“罪”を切り離すことで生み出す存在さ』
曰く彼ら“連盟”は、そもそも怪人・デザイア達の元となる罪の石、遺魂を生成して回っ
ている組織“聖者の手”──通称「白づくめ」の脅威から人々を守る為に設立されたのだそ
うだ。
そして彼らが、デザイアないし「白づくめ」達に対抗する為に使っている力も。
『じゃあ、それが……?』
『ああ。どちらも遺魂だ。放置しておくのは勿論、元の宿主以外の身体に取り憑いても、デ
ザイアへと化ける危険性がある』
『え──』
『大丈夫だ。俺達が使っているのは、きちんと封印が施された物だ。野良の遺魂のように、
触れる者を見境なく取り込むことは無い』
優弥とウィルがそう語りつつ、改めて見せてくれた球体。確かにその二つには、金属製ら
しき見知らぬ保護網が巻かれ、見た目には話のような禍々しさは感じない。加えて単体では
何ら効力は無く、同じく彼らが携行する制御器──例のバイクハンドルのような専用の装置
によって始めて、その力を利用できる。
『……正直、にわかには信じられないですけど、実際使ってる所を見ちゃいましたし……。
本当にお二人は、漫画みたいな“正義の味方”なんですね』
『正義の味方、ねえ……。そんな綺麗なモンじゃねえけどな』
『はは。まあ皆、ちゃんとお給料を貰った上で戦っているからねえ。そういう意味では、見
返りを求めないヒーローではないかな?』
『給料……』
出ているのか。
職業・正義の味方。サラリーマンヒーロー……。
『え~っと。美雅ちゃん、だっけ。そういう訳だから、僕達の存在は出来る限り他言無用で
お願いしたいんだ。一応こっちでも、情報操作はするんだけど……どうしたってそれも限界
があるからね』
『は、はい。善処します』
おずおずと美雅は答えた。大体警察か何か、こちらの足取りを探られて事情聴取をされた
としても、こんな事を話して信じて貰えると考える方がおかしい。大方、ショックのあまり
馬鹿な妄想を垂れ流していると笑われるのがオチだろう。
『良かったのか? 別に一から十まで話さなくても問題はねえだろうに』
『そう思うんなら、普段からもうちょっと周囲を気にして戦って欲しいものだけど。上には
報告しておくよ。有耶無耶にしてコソコソ嗅ぎ回られたり、ある事ない事を広められるより
も、自分達の側に引き込んでおいた方が確実でしょ?』
曰く、最近“聖者の手”の動きが活発化しているらしい。元々カルト宗教的な性格を濃く
持つ組織ではあったが、昨今の世相も相まって新規信者の獲得──カモフラージュが順調だ
からと“連盟”は見ている。
今後も似たような事件があちこちで起きるかもしれないが、くれぐれも用心して欲しい。
奇妙な力を操る、白いローブの奴らには絶対に関わらず、万一遭遇したら何を優先してでも
先ず逃げること──念入りにそう忠告をしてから、二人は路地の向こうへと去って行った。
『……』
言われなくたって。
その時も、美雅は強く思った。そんな地雷臭しかしない連中、こっちだってお断りだ。た
だでさえ普段の生活すらも、ギリギリの所で綱渡りを続けているのだから……。
(だけど、まあ……。忘れろっていうのは無理な話よねえ。オットーさんも自分でぶっちゃ
けてはいたけど、あんなのすぐに記憶から消える訳ないじゃん。死にかけたのよ? 実際?
一度だけじゃなく二度までも!)
沸々。言葉にこそ出さないが、美雅は改めて先日からの“理不尽”に震えていた。ただで
さえ毎日、キャパシティが溢れ返っておかしくなりそうなのに、加えてあんな漫画みたいな
話を一方的に叩き付けられる。冗談じゃない。お陰でお昼時にだって、あの辺りを出歩けな
くなってしまった。結構お気に入りの、美味しいお店も幾つかあったのに……。
(……はあ。止め止め。早く家に帰って、お風呂入って寝よ……)
だがそうして、努めて自身の“日常”に戻ろうと歩きながら被りを振っていた、次の瞬間
である。災いは三度目の正直だった。ふいっと視線を感じて顔を上げ、点々と注ぐ外灯の下
に目を凝らしてみると──そこに待ち構えていたのは、あの時のカマキリ怪人。
「っ──! !?!?」
最初数拍、美雅は脳天を不意打ちされたような衝撃を受けていた。もしくは幻? また性
質の悪い夢でも見ているのだろうか? どうしてあいつが、今更になって私の前に……?
待ち伏せ。
そんなフレーズが彼女の脳裏に過ぎるのと、怪人がこちらの間合いに入って襲い掛かって
くるのは、ほぼ同時だった。悲鳴と鳴き声。あの時と寸分違わず、ヒトの身体など簡単に切
断出来てしまいそうな両手の鎌が、中空より──。
「ギャッ!?」
しかし、咄嗟に身を屈めて守ろうとした怪人からの攻撃は、はたして彼女の肉体を痛めつ
けることは無かった。寧ろ当の怪人の側が、すんでの所で何者かの横槍に遭い、強かに吹き
飛ばされてしまっていたのである。
「……やれやれ。本当に読みが当たっちまったみてぇだな」
「大丈夫、怪我は無いかい? 危ないから、僕達の後ろに下がっていてくれ」
優弥とウィルだったのだ。気付けば二人は美雅を庇うように前に立ち、近くの板塀へと盛
大に転がっていった怪人──マンティス・デザイアを油断なく警戒している。どうやら彼女
を守ってくれたのは、優弥が従える無数のコウモリ達だったようだ。
「あっ……」
だからだろう。直後美雅は急激に身体が震え出すのを自覚した。怒りではなく、純粋な恐
怖で身体の自由が利かなかったのだ。へたっとその場に思わず座り込み、二人の背中に隠れ
るようにして事の成り行きを見守っている。
「ウッ、ガアアアッ!! 邪魔ヲ……スルナァ!」
「それはこっちの台詞だっつーの。散々ちょこまかと逃げ回りやがって……」
「だがまあ、逃亡劇も今夜で最後だ。仕留めるよ、優弥」
「おうよ!」
『BAT』『SPIDER』
そして二人は変身する。あの時と同じように、例の制御器を先ず腰に巻き付けて装着。次
にコウモリとクモ、それぞれを象った紋章のエフェクトを発しながら、手にした遺魂のスイ
ッチを押して中央部へ挿入。ハンドル部分に力を込める。
『変身!』
『CHAOS-BIAS』『LAW-BIAS』
優弥は黒と鈍銀を基調とした、手甲と具足の形態。
ウィルは焦げ茶と金色を基調とした、クモ型リボルバーを主装とする形態。
逸早く飛び出したのは、やはり近接戦闘に特化させた優弥の方だった。まだ自身で崩した
板塀に足元を取られているのもそこそこに、彼はマンティスへと猛然と斬りかかってゆく。
一方でウィルはと言えば、彼の動きをよく観察しながら、基本美雅の傍を離れずに援護射撃
に徹している。
「……あ、あの。オットーさんも加わらなくて大丈夫なんですか?」
「うん? ああ、平気平気。流石に優弥も、今度は油断していないよ。寧ろ僕が横でチョロ
チョロしていたら、集中を掻き乱しちゃうし」
それに──。ウィルはにやりと、パワードスーツの面貌の下から言う。
「元々僕とこの遺魂の戦闘スタイルは、直接相手を殴るというよりも、アウトレンジからの
アシストに向いているから」
事実、彼のその発言は直後実演される事となった。優弥と激しく打ち合いになっているマ
ンティスにそっと狙いを定め、ウィルはクモ型銃の弾倉を回転。相棒が一度大きく前のめり
に突きを放ち、マンティスがこれにのけ反りながらも、両手の鎌を大きく斜め方向に振り下
ろす──優弥を挟むように切ろうとした軌道を見極めると、一発の弾丸を放ったのだった。
「ウィル!」
狙いは正確無比。直前叫び、ぐんっと相手の股下から横へと抜けた相棒と入れ替わるよう
にして、弾丸はマンティスの合わさった両腕に見事着弾。炸裂し、ネバネバした液体で、そ
の動きを封じ込める。
「ッ!? ッ……?!?!」
「よしっ! 作戦通り!」
「当然。決めるよ、優弥!」
おうよッ!! はたして二人は、この時を待っていたかのように必殺の一撃を放つ体勢に
入った。優弥は大きく飛び上がり、両手足の黒い片翼達を巨大化。全身を捻りながら錐のよ
うに高速回転し、マンティスへと突っ込む。ウィルは背中から、クモの足を思わせる爪達を
展開・射出させて鎖の戒めとし、これを逃さないように拘束してからの最大チャージの巨大
な針型弾を。
「グ……オオオオ、オオオォーッ!!」
最早回避できる筈もない。このカマキリ型の怪人は、そのまま断末魔の叫びを上げながら、
爆発四散する。
暫しの間、美雅を含む三人は撃破の余韻の中に浸っていた。辺りにはぐちゃぐちゃに荒ら
され、吹き飛んだ跡と、青白く燃えて燻っている奇妙な石塊が在る。
「……これは?」
「遺魂だよ。野良の方の、ね」
「触るなよ? きちんと封印されてない内に取り憑かれると、お前がさっきのデザイアみた
いになっちまう」
「うっ。それは……嫌です。というか、あいつの宿主さんは何処なんですか? まさか、あ
の爆発と一緒に死んじゃったんじゃあ……?」
「縁起でもねえこと言うんじゃねえよ。問題ない。今回の個体は──野良の遺魂がそのまま
デザイア化したモンだ。直接俺達の力で倒しちまって問題ねえ。まあ、どっちにしたって、
こうやって大元になった遺魂は残るがな」
言われ制止されながら、おずおずと現場に残った元凶たる物質を眺める美雅。優弥はそん
な彼女を余所に、そそくさと何やら頑丈な銀色の筒とトングでもって、これを慎重に回収。
蓋を閉めた上で更に専用のアタッシュケースへと収納した。にこにこと、傍らでウィルが、
補足するように話してくれる。
「優弥の白態で剣が通らなかったのは、その辺りが理由だねえ。宿主を持たないままデザイ
ア化した個体は、存在の維持こそ不安定になりがちだけど、宿主を覆う為に余分なエネルギー
を回さなくて済むから」
「へえ……」
つまり誰か他の人間に寄生して生まれたタイプは、攻撃こそ通り易くなるが、下手に削り
過ぎると中の人間まで傷付けてしまいかねない訳だ。予想以上にえげつない性質である。
「黒瀬さん。そのミルク缶みたいな奴、どうするんですか?」
「本部に持ち帰って、厳重に保管する。その上で、封印処理を施すんだ。俺達が使っている
制御器用の遺魂みたいにな」
「なるほど……」
「これのお陰で、僕達“連盟”員は“聖者の手”に対抗できるのさ。そもそも組織自体が、
封印する力を持っている長を中心にして生まれたものだからね」
にこにこ。一つまた一つ、疑問だった内情がひも解かれてゆく。
美雅はそう、ホイホイと質問に答えてくれるウィルに一抹の不安を感じはしたが、前回の
出会いの時点で口封じ──逆に引き込んだ方が都合が良いと目を付けられたのだ。確かに詳
しい事を知らされず、悶々と彼らへの不信が募るよりかは効果的ではある。
「そう、ですか。ならこれで、一件落着……ですね」
「事件自体は、ね。でも僕達にはもう一つ、確かめておかなければならない事がある」
えっ──?
だからこそ、次の瞬間ウィルから投げ掛けられた言葉に、美雅は揺らいだ。ただでさえ碌
な目に遭っていないというのに、未だ自分に面倒事を被せてくるというのか……? 優弥も
優弥で、何だか心持ち気の毒そうにこちらを見ている。
「前に話した通り、そもそも遺魂は白づくめ達によって、人間の罪を切り離す事で発生する
物なんだ」
「では今回の、このカマキリのデザイアを生み出す元となった人間は、誰だと思う?」
最初美雅には、彼が何を言っているのかよく解らなかった。事件は無事解決したんじゃな
いのか? まるでその言い様、このタイミングは、自分が元の宿主とやらと接点があるかの
ような……。
「今から四週間ほど前、君と出会った時点で半月ほど前、現場付近でとある通り魔事件が発
生している。幸い、犯人は駆け付けた警察官達によって確保されたが……合計九名の死傷者
を出す惨事となってしまった」
「──っ」
「やっぱな。顔色が変わったぞ? ……半田美雅。お前はその時、現場に居合わせた通行人
の一人だったんだろう? その事件を、犯人を、間近で目撃した一人だったんだ」
彼女は、半ば本能的・反射的に顔を引き攣らせる。優弥とウィルも、予めそういった反応
は織り込み済みのようだった。即ちそれは──こちらの身元を調べてきたという事。
「……最初に怪しんだのは、優弥の方だったんだよ。『何で二度も襲われなきゃ』そう君が
呟いていたと。君には悪いけど、あの後色々と調べさせて貰ったよ。半月前、あの近辺で同
じように人々が襲われる事件が発生していた。その捜査時期、君も目撃者の一人として取り
調べを受けている」
「──」
みるみる内に、蒼褪めて俯き加減になる美雅。この一週間音沙汰が無かったのは、間違い
なくその為だったのだろう。少なくともウィル達は、自分を傷付ける目的でこちらの事情を
探っていた訳ではないとは思うのだが……正直ショックには違いない。
「通り魔事件の犯人が、取り調べの途中から“おかしくなって”しまってね。僕達が調べた
範囲だと、まるで事件当時のことを綺麗さっぱり忘れてしまったかのようだった、と。何よ
り確保時にみせていた、見境のない凶暴性すら消え失せていたんだそうだ」
「……直接本人を見た訳ではないが、十中八九今回の遺魂の主だろう。お前には関係のない、
二度と関わり合いになりたくもない相手だろうが、伝えておくべき情報だと考えた。事実
最初に今回のデザイアと戦った時、お前を見た瞬間に俺から矛先を変えていた。奴の罪の中
に、お前という通行人を取り逃がした執念が遺っていたと考えれば辻褄が合う」
別に知りたくもなかった真実。それでも二人は、きちんと伝えるべきだと言葉を尽くして
話してくれた。そもそも今回マンティスの行方を突き止められたのは、未だ彼女を狙ってい
る可能性があると踏んだから。……その意味で、この一週間彼女を“利用”してきた自分達
には、その罪を詫びる必要がある。
「すまなかった」
優弥とウィル。二人は言葉少なく頭を下げる。深々と暫し維持されたそれに、美雅は激情
に駆られて詰り返すことも叶わなかった。確かに“囮”として利用されていたのかもしれな
いが、それは自分を、ひいてはこの街の人々全体を守る事にもなった筈で──。
「……頭を上げてください。もう終わった、ことですから……」
本音を言えば、あの通り魔がこの先も記憶を失ったまま裁かれる、その点は腹立たしくも
あった。かと言って、今回彼らが回収した遺魂を本人に戻しても全てが元通りになるかは分
からないし、何より彼を宿主としてまた化け物が生まれてしまっては元も子もないからだ。
たっぷり数拍の間を置いて、二人が顔を上げる。ついさっきまで勝利の余韻、安堵に浸っ
ていた筈なのに、お互いの間に気まずい空気が満ちてゆく気がして……。
「さて……。湿っぽい話はこれぐらいにしておこうか。あんまり長居していたら、また目撃
者が増えちゃうしね?」
「あっ」
だからこそ、ウィルが意図してか意図せずか、そう急に思考を現実に引き戻してくれたお
陰で美雅は救われた。そうなのだ。これまでの経緯を思って沈んだ気分に陥るよりも、今は
目の前でこれから起こり得る面倒──散々怪人と戦い、爆発まで起こしたこの場から、一刻
も早く立ち去らなければ。
「一旦、人通りの無い場所まで移動しよう。この辺りの住民には申し訳ないけれど……まあ
事後処理は、うちの専門部署が担当するから大丈夫」
「……つーかウィル。別にさっきの話、ここでしなくても良かったろ。それこそ先に離脱し
ておいて、それから話せば……」
「HAHAHA。細かい事は気にしない、気にしない。会話の流れでそうだっただけだよ。
それに、彼女を拘束する時間はなるべく短くした方が良いしね」
「お、恐れ入ります」
あははは……。二人に促され、案内されながら、彼女は夜の裏道を走り出す。言われてみ
れば確かに、遠巻きに救急車やパトカーのサイレンが聞こえてきていたが……ピンポイント
でこちらへ向かっていたのかは分からない。それでも優弥の言う通り、急ぎこの場を離脱す
るに越した事は無い筈だ。
(はあ~……。今日もまた、家に帰るのが遅くなっちゃうなあ……)
どうにもこうにも、内心災難続きな自身の巡り合わせを嘆きつつ。
遺魂。連盟。怪人。聖者の手。
彼らという“非日常”に振り回される日々は、どうやらもう暫く続くらしい。
(了)