(1) ANTENNA
【お題】地雷、歌手、意図
「はあ!? お前“唯歌”ちゃん知らねえの? 人生の半分損してるぞ」
そういう台詞を吐く奴は、大体信用ならないというか、話半分で聞き流すぐらいでちょう
ど良い。二十年そこらの人生ながら、響也が経験則として学んだものの一つである。
次の講義が始まる少し前、彼は入学時からの友人である中條からそんな素っ頓狂な反応を
貰い、静かに眉を顰めていた。周囲も思い思いにざわめく第二講義室。アーチ状に段々と高
くなっていく構造のやや中程上辺りの席から、ぐるんと椅子に逆向きで着いて身を乗り出し
てくるこの学友は、自身のスマホ画面を見せながらここぞとばかりに布教する。
「そんな事言われても……。知らんモンは知らん」
「枯れてんなあ。ほれ、見ろ。この子。今注目のアーティストだぞ? 小柄で可愛らしい系
のビジュアルもそうだが、歌の方も抜群に上手いんだよ。嘘か実か、曲も基本全部自分で作
ってるらしいって話だしな」
おそらくは、ライブか何かを撮ったショート動画だろう。ニコニコと心底楽しそうに笑い
ながら、ギター片手に歌声を披露している少女の姿がそこには在った。
背格好は──動画なのでイマイチ判り難いが、少なくとも自分達よりは年下だろう。女子
高生ぐらいだろうか? いわゆるアガる曲調で聴く者を盛り上げるタイプではなく、楽曲そ
れ自体で勝負するタイプか。
「……ふぅん」
言われて、されど響也はその実殆ど画面を直視していなかったに等しい。
他人に押し付けられてというのもあるが、こと彼にとって“音楽”というのは、それだけ
で過去の傷をほじくり返すには十分過ぎたのだから。
そっと長テーブルの下で左手の指先を包むように押さえ、逸らした視線を細めながら相手
の“推し”をやり過ごす。
「ゴラァ、奉太郎! 小平にそっち系の話題は厳禁だって言ってるでしょうが!」
だがそんな気まずい空気を、次の瞬間積極的に壊してくれる者がいた。後ろに緩く結わっ
た灰みの髪と怒らせた肩を揺らし、中條にキツい一発をぶちかましながら割って入って来る
女子学生──同じく響也とは入学時からの付き合いである、樋内忍だ。
「うえぇ?! そうだっけ……?」
「ったく、あんたは。歌う方でも演奏してる方でも、連想出来ちゃうでしょ。というか、そ
の娘、がっつりギター弾いてるじゃない。どうせその内飽きるんだから、衝動的に推さない」
「あ、飽きねえよ!? ただいいな~って思う娘が、どんどん世の中に出て来ているだけだ
よ? 愛でて何が悪い!」
「本物のファンなら、落ち目になろうがどうなろうが推すモンでしょうが! でもって、そ
れと小平の方とは話が別!」
「……ど、どうどう」
自分の身の上を知っているからこそ、幼馴染である彼を叱ってくれているのは分かる。
ただそれもケースバイケース、程度ものって奴で、あんまり大声で口論みたいな様相にな
れば周囲の視線はそれだけ注がれる。響也は程なくして恐縮というか保身が先に立ち、ヒー
トアップし始めた二人を宥めた。「俺はそこまで気にしてないから……」ようやく控えめに
そう告げてやると、ぶつくさと説教を垂れていた忍もちらっとこちらを見て矛を収める。対
する中條の方も、ホッと安堵したかのように息を吐き出して場に突っ伏した。
「お~い? 何騒いでるんだ~? 授業始めるぞ~?」
そうしてバタバタとしている内に、開始時刻のチャイムとほぼピッタリに担当の助教授が
講義室へ入って来て……。
「──悪かったね。あいつも知らない筈がないのに、君に話を振りやがって。ちったあ、相
手の顔色を窺いながら話をしろと」
「ははは……」
当該講義の後、互いに次に取っている齣までには空きがあるとのことで、響也は忍とキャ
ンパス内のカフェテラスに来ていた。先刻の詫びという形で一杯驕られ、ミルク多めのそれ
を彼はちびちびと口に運んでいる。
「っ、ふう。もう随分前の話だしなあ……。忍も忍で、あんまりほじくり返してくれない方
が助かる」
「む? そうか。そうだな。あんな他人目の触れるところで騒がしく言うべきでもなかった
か……」
若干男勝りな話し方と服装。それでも顔立ちは綺麗系だし、髪色も珍しい。響也も詳しく
は突っ込んで訊いてはないのだが、何でも母方に北欧の血が混ざっているとか何とか。
暫く流れた沈黙の中、響也は彼女の視線がじっと、自身の左手に注がれていることに遅れ
ばせながら気が付いた。円くて白い格子テーブルの上に置かれた掌の側面と指先、その内の
中指から薬指にかけての三本が、時折ピクピクと痙攣するような反応を見せている。
「後遺症は、別に歳月の経過で消えるものでもないんだろう?」
「まあね。縫い痕の方は、昔に比べると大分目立たなくなったとは思うけど……」
響也は中学生の頃、交通事故に巻き込まれて身体の左側を負傷した。当時の医師らが懸命
な治療を施し、一命こそ取り留めたが、左手の指には今も中~軽度の麻痺が残っている。少
し気を付けながらであれば日常生活にそこまで支障はないが、何分しっかりと力が入らない
ため、物の持ち運びなどには不便も多い。
「でもギターは」
「言うなって。そっちはもう、踏ん切りを付けたんだから」
ただ、こと小平響也という人間においては、この事故による後遺症は致命的だった。幼い
頃から慣れ親しみ、一時は将来像の候補としても夢想していたギターや音楽の道を、以来諦
めざるを得なくなってしまったという過去が彼にはある。
だからこそ、安易にそんな響也へ他のアーティスト、それも弾き語り式の姿をスマホで見
せようとしていた中條に、忍は激しく怒りを露わにした訳だが……。
(ぶっちゃけそうやって代わりに怒ってくれることも、こっちとしちゃあ同じぐらい気まず
くはあるんだけどさ……?)
努めてそのような胸中は口にしない。相手に悪意がないことぐらいは響也にも分かってい
るからだ。いや、なればこそ、過度に意識させ過ぎてしまう現状を正直良いものでないな、
とも彼はぼんやりと考えていた。多分こういう密かなモヤモヤ、沈黙の類も、彼女は彼女な
りの観察で勘付いてしまっているだろうから。
指先の後遺症を勘案すれば、肉体労働系の進路は難しいだろう。ならもう少し単純な作業
では? どちらにせよ両手が満足に動くことが前提の業務内容が殆どだ。時たま懐事情に合
わせてやっている単発バイトでも、それらは嫌というほど身に染みた。故に進学して、食い
っぱぐれの無いように資格を漁ってはいるのだが……。それと自身の興味・関心が、強く連
動しているかどうかはまた別の話である。
「……樋内はさ、これぞっていう好きなモンはある?」
「えっ? う~ん、どうかな……。奉太郎みたいに、何かに熱を上げた経験はあまりないか
もしれない。それよりもこの先どう安定して稼ぐか? みたいなことばかり考えている気が
するなあ」
「大体の人間はそういう感じだろ。きちんと生活できて、その上で自分の好きなことにエネ
ルギーを注げるんならともかく」
「あいつは逆だからなあ……。その癖、気付いたらあいつの中のトレンドが変わってる。私
からしてみれば、どうにも不誠実に思えてならなくてな」
「はは。やっぱ樋内は真面目だよ。ベクトルは違うけど、お前ら二人は似てるように俺には
見えるなあ。極端っつーか、何つーか」
「そ、そんなことは! ない、筈だ」
ガタンッ、と思わず立ち上がりそうになった忍だったが、先の講義室での反省を早速活か
したのかすぐにそのまま座り直した。言葉も、ゴニョゴニョと末尾が弱くなり、恥ずかしさ
が勝って否定し切れないでいる。響也は笑っていた。忍は見た目カッコイイ系だが、やはり
こういう等身大の姿でいる方がずっと親しみ易い。残りのカフェラテを飲み干し、静かに息
を吐き出してから言う。
「……別に働くことと、好きなことを分けなきゃいけないって訳でもないだろ? 俺の親父
の場合も、職人をやってる間にそれがワイフワークになってるパターンの人間だし、本人が
納得してるんなら周りがどうこう言う謂われもないんじゃないかって」
それは寧ろ忍よりも、他ならぬ自分自身に言い聞かせようとする言葉であったのだろう。
過去ギターをやっていた、音楽が好きだった。それはそれとして、今この先の人生でまた
楽しめるものが見つかるかもしれない。それは就いた仕事の延長線上かもしれない。もしそ
うなったら、それはそれで構わないのだと。
「君がそう言うのなら、私や奉太郎があれこれ口出しする筋合いもないがね」
くいっ。忍もまた、傍らに置いていたブラックを一口二口と付けてから若干の思案。スッ
とその油断ならない眼差しをこちらに向けて言う。
「ただ私の目には、君は今も、過去を捨て切れず迷っているように映ってならないんだよ」
「……」
昼間、あんなことを暫くぶりにやり取りした影響だろうか? その日の講義齣を全て終え
てアパートに帰って来た響也は、そのまま疲れてすぐベッドにダイブすると、知らぬ間に寝
入ってしまっていた。途中でこれは夢だと自覚が始まりながら、さりとて醒められない。ま
るで彼女が語ったように、過去からのメッセージをぐいと押し付けられているかのような心
地がして。
『わあ~! お兄ちゃん、凄い! 凄~い!』
『はは。まだまだ練習中なんだけどなあ。でも由乃葉が喜ぶんなら、ちゃんと成果はあった
のかな?』
それはずっとずっと昔、まだ自分が幼かった頃、父のギターを引っ張り出してきて弾き語
りの真似事をやっていた時の記憶だ。その際にはいつも、家の縁側に遊びに来てくれる女の
子がいた。故郷の田舎に引っ越してきて、自分を兄のように慕ってくれた、無邪気であどけ
ない年下の女の子。
……あの頃は、まだ両手の指とも満足に動かせた。まあ、当時は当時で、そもそも技術が
覚束なかったのだけど。
それでもあの子は、キャッキャと喜んでくれたっけ。物心付いて程ない年齢なら、何かよ
く分からない形の木の塊から音が出ることも、彼女にとっては魔法のように感じられていた
のかもしれない。
練習も兼ね、毎日のように縁側でお古のギターを弾いた。あの子が、由乃葉がやがて拙く
も一生懸命に歌も合わせてくれて、二人で延々セッションの真似事もしていたっけ。
『私も、大きくなったらお兄ちゃんみたいになる! お歌さんになる!』
『うんうん。そっか~。お歌さん、ねえ……。由乃葉なら、きっとなれるよ』
内心ちょっと吹き出しそうになって、でも微笑ましくって、自分は割と素直に応援してい
たと思う。幼少期特有の全能感というか、無責任さで肯定して、すっかり記憶の彼方に葬り
去ってしまったのだなあと思う。
でも結局、そんな二人の約束は終ぞ果たされることはなかった。果たされなくなった。
彼女はそれから暫くした後、親御さんの都合で再び余所へ転勤──引っ越して行方が分か
らなくなってしまったし、何よりこちらもあの事故で左手の指に後遺症が残った。もう二度
と昔のように、満足にギターを弾くことも出来なくなってしまった。音楽の道は諦めた。
……そうなんだよ。諦めたんだ。
なのに何で、またこんな夢を見るんだ? 何でわざわざ、どいつもこいつもこっちの古傷
を抉るような真似ばかりしてくるんだ……?
(嗚呼──)
もぞり。ようやく夢から醒めたと思えば、酷い倦怠感が全身を襲った。響也は自分がすっ
かり寝入ってしまっていたことを再認識すると、独りアパートの自室で目を覚ます。ベッド
の上で何度か身体をくねらせ、外出時のままの服装の自分をチラ見してゆっくりと人知れぬ
溜め息を吐く。
窓の外は暗かった。すっかり日が落ちてしまったようだ。幸い明日は朝早くに講義の予定
は無かった筈。朝まで寝落ちしなかっただけマシだと捉えよう。ポリポリと後ろ髪を搔きな
がら、一旦洗面所で顔を洗ってきて服も脱ぐ。シャツと部屋着の中ズボンを履き直した格好
になって人心地つき、どっかりと窓を横にした机の椅子に腰を下ろした。
「……」
“君は今も、過去を捨て切れず迷っているように映ってならない”。
忍の観察眼は当たっていた。確かに左手の後遺症で、もう昔のように自ら演奏することは
難しくなったが、時代は便利になったものである。いつしか響也は、PC上でソフトを使っ
た作曲を嗜むようになっていた。厳密には、ソフト側が鳴らしてくれる旋律でもって、失わ
れた自身のそれを代替するかのような。
虚しいなと思う。何度も何度も、折に触れては自分の行いに自己嫌悪を募らせるというの
に、今もこの趣味だけは手放せないでいる。デスクトップPCの周りに置かれた関連機材や
らガジェット、印刷した上でメモが書き殴られた楽譜の山。どれもこれも、かと言って仕事
になるでもなく仕事と呼べるほどのクオリティでもない。中途半端で未練がましい、何とも
生産性の無い営み……。
(唯歌、だっけ? 中條の言ってた例の子)
だからこそ。半ば自棄になって自虐的に笑って、彼は思い至る。
今朝講義室で、学友から聞かされたとある若い女性アーティストの名前。自分とはまるで
正反対に、歌に弾き語りに全力で向き合い、楽しんでいる風だった女の子。
止めておけば良いのに──。
脳裏で別の自分がそう嘆いているにも拘らず、響也はおもむろにPCを起動すると、件の
少女アーティストを検索し始めた。学友の推し具合、新進気鋭というのは嘘ではなかったの
か、画面には顔写真や代表曲の一覧、ライブ映像・各種MVなどがずらっと数多く表示され
ていた。ショート気味な栗色髪と、にこにこ人懐っこい笑顔、何より胸元に抱えたギター。
紹介文曰く『全力で皆さんと音楽を楽しむ、等身大系実力派アーティスト』。
(……確かに、良い曲だな)
中條に見せられた時に耳に入って来たのと同様、決して激しい訳ではないが、落ち着いた
優しい音色。そんな世界観としっかり噛み合っている本人の歌声。
幾つかライブ映像を、ショート動画をスクロールして、彼は暫し流し観ていた。そうして
ふと途中で行き当たったインタビュー的なそれに、思わず手が止まる。静かに目を見開いて
釘付けになってしまう。
『音楽を始める切欠? そうですねえ~』
『私、子供の頃は親がいわゆる転勤族で。それで色んな所に暮らしていたんですけど、その
時に出会ったお兄さん──三つ四つぐらい上でしたかね、そのお兄さんがよくギターを弾い
て聞かせてくれていたんです。私も歌を合わせて、毎日のようにセッションして……。楽し
かったなあ。だけどその内にまた転勤が決まって、引っ越しになってしまって』
「──」
『私も小さかったですし、もうあちこち転々として何処が何処だかすっかり分からなくなっ
てしまいましたけど、いつかあの時のお兄さんと、また会えたら良いなあって……。私がこ
うして音楽を続けてこれたのも、何処かで私の歌を聴いて、気付いてくれるかなあ? って
いうもありまして……』
ニコニコと、本当に嬉しそうに。若干頬を赤らめて照れ臭そうに。
動画内のインタビュアー女性さえも、思わず微笑ましげな表情を綻ばせることを抑えられ
なかったようだった。ただ一方で、そんな人気急上昇中の彼女が満面の笑みで語るエピソー
ドに対し、コメント欄には『誰だそのお兄さん?』『唯歌ちゃんの、初恋……?』などと、
嫉妬に狂うファン達のそれも多数並んでいるのが確認できる。
「…………由乃葉?」
ビクリと、麻痺の残る左手中指から小指が、刹那痙攣するかのように震えた。
動画群をスクロールし、暫く画面を凝視していた響也は、やがて辛うじて絞り出したかの
ようなか細い声でその名前を呟く。
遠い日々の記憶。かつて純粋なまま、共に音楽を楽しんでいた原風景。
あの頃、いつも自分の隣で笑っていた小さな女の子の面影が、この若き新進気鋭のアーテ
ィストのそれと重なったような気がして。
(了)




