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あらざらむ  作者: 松澤 康廣
14/21

13

 鎌倉道に接する深見村と隣の沢柳さわやぎ(後の草柳)村の若者は夜襲する方針だという。大悟に対する絶対の信頼が夜襲の方針を決定付けた。


 幸田村も夜襲に決まった。参加する若者は、河井家から一人、広川家から二人、山本家から一人、近藤家から二人、大野家から一人、それに、忠勝、合わせて八人だった。大悟の話では三村合わせて、参加者は40人を越えるという。

 どの家も大人は反対した。

 若者たちは、「今戦わなくても、いつかは戦わなければならない。戦闘の経験は必要だ。今回は相手が戦う気がないから、危険が少ない。だから、戦ったほうが良い」と説得した。


 大悟が指示した戦い方は緻密(ちみつ)だった。しかし、その戦い方は戦いとはほど遠い戦い方だった。

 鎌倉道に面した鶴間村の一角、一関(いちのせき)には山城が築かれていたが、奇襲場所はそこからだいぶ離れた、鎌倉道から幸田村に通じる細い山道が発している地とした。

 山城の存在は知られている。そこに村人が隠れていることも多いから先ずは狙われる。勝ち目のない相手の場合には全ての食糧を持ち、絶対に追ってこない地に隠れるのが常道だった。食糧さえ与えなければ、数日で食糧が尽き、帰るしかなくなる。


 夜襲場所は鎌倉道から土手が駆け上がっていて、とても道があるようには見えない。実際に道らしい道にはなっていない。

 周囲は鬱蒼とした森で、道といっても、下草が厚く生えた曖昧あいまいな道だった。隠れるのには絶好の場所だ。多くの人数が一度に動ける場所でないことが、逃げるのにも絶好だった。

「帰りの兵は略奪だけが目的だ。しかし、どの村もからっぽだろう。瀬谷辺りで少しは略奪は成功しても、たいした成果はあがっていまい。早く帰りたい兵と戦うのが一番勝機が有る」


 三月にしては、暖かい夜だった。

 忠勝は代表して深見村の伊藤大輔と探りに出かけた。

 半月があたりを照らし、ここかしこの山桜の花を浮かび上がらせていた。景虎の兵もこれを見て、心を許したのだろうか。戦う意欲を失せさせるに十分な満開の花々だった。

 兵は木々の周りに群がって寝ていた。

 篝火(かがりび)いていなかった。

 兵はよく寝ていた。起きている者がいない。

 運がいいことに、荷駄を積んだ駄馬が前方かなり離れた道に数頭見えた。

 目の前の道には2台の荷車があった。

「もし、荷駄があったら、それを盗む。無理はしない。盗めたら、盗め」が指示だった。

 立ち上がり、木陰(こかげ)から首を伸ばして荷車を見た。しかし、何も積まれていなかった。そのかわりに、その荷車の周りには乱捕(らんど)り(戦いの後で兵士が人や物を掠奪した行為)された、手足を荷車に(つな)がれた10人ほどの童が寝ていた。彼らを積んできた荷車だった。

 多くの兵は刀を腰から外していた。彼らも我々と同じ農民に違いない。乱捕り目的でここまでやってきたが、大した成果もあがらなかった。唯一の成果があの童たちだったのだろう。

 後もう少しで、相模を抜ける……。敵兵が(ひそ)む場所でもない。敵兵は安心しきっていた。


 味方の陣に戻ると、仲間は皆震えていた。初めての戦闘がこれから始まるのだ。

「敵兵は安心しきって、寝ている。乱捕りされた童が10人くらいいるので、これを手に入れる。気づかれたら、予定通り戦う。気づかれなかったら、そのまま帰る。童を手に入れたら、それだけで大成果だ。何も戦闘する必要はない」

 忠勝は大悟がするように大声で演説をうった。

 戦闘をしなくてすむかもしれないことが安心感を広げた。

 それは忠勝を不安にさせた。


 伊藤大輔も自分しかいないと覚悟していたのであろう。童を助ける役は忠勝と大輔の二人になった。

 他の者は土手から引き上げる者と、万一、戦闘になった場合石を投げる者とに分かれた。

 もともとは、全員で石をなげつける。それが戦い方だった。あとは逃げるだけだった。

 万一に備えて、全員に鎧通(よろいどお)しと竹槍が渡された。渡された武器はそれだけだった。

 人数は減らした方がいいということで、参加者は全部で24人となった。

 あとは集合場所に待機となった。


 二人は童が繋がれている荷車に近づく。

 一番手前にいた童は眼の大きい利発そうな娘だった。こちらを見ていた。助けに来たことが分かったのか、黙ってこちらを見ていた。

 一人ひとりの縄を鎧通しで切っていった。どの子も起きた。起きた子が隣の子を起こした。声を出さず、体を揺らして起こした。童たちは口に手を当て、声を出させないように指示して起こした。忠勝は逃げる方向を手で指し示すと、静かに、しかし、早く、移動しろ、と小声で言った。

 手を振って、童担当の者が手招きしていた。

 拍子抜けするほど、簡単に童たちを助けることができた。

 童たちが全て土手から引き上げられると、事件が起きた。

 突然、伊藤が声を上げた。「石だ。投げろ」

 崖の上から寝ている兵に一斉に石が投げられた。

 童を助けることだけを目的にした。何も起きなければ、そのまま帰るはずだった。

 伊藤はあまりに簡単に助けられたので、気が大きくなったのだろう。「石ぐらいぶつけるくらいはやらないと……。あとは逃げるだけだから」と考えたのだろう。

 しかし、事態はそれだけではすまなかった。多くの兵が起き上がった。

 すぐに忠勝も「槍だ。槍を投げろ」と叫んだ。

 襲撃場所に万一の場合として用意しておいた何本もの竹槍が投げられた。それも長い、長い竹槍だ。

 敵兵は恐らく突然の来襲に慌てていたのだろう。すぐには動き出さなかった。

 その(すき)に、忠勝らは逃げ出した。

 襲った兵がわずかだと分かったのだろう、予想通り、敵兵が追ってきた。その時には忠勝らは運よく土手を越えていた。

 忠勝と伊藤、石投げ部隊はすぐに童担当部隊と童たちに追いついた。

 敵兵は追ってこなかった。

 そこかしこに陥穽(おとしあな)を作った。陥穽(おとしあな)には糞尿(ふんにょう)()まっていて、さらに、竹槍が糞尿の中に立っている。何人もの兵がそこに落ちたに違いない。そこで敵兵は止まった。

 全て、大悟が言ったとおりになった、と忠勝は思った。

 忠勝らは一山を越えて、予定の集合場所に集まった。


 忠勝も震えていた。恐怖で冷静さを失っていた。忠勝を含め誰一人竹槍を持っていなかった。逃げるときに捨ててきたのだ。

 大悟は「クサとなり」と言った。皆が「消えざらむ」と言って、座る約束だった。

 紛れ込んだ敵兵を()りだすためだ。

 できないものが一人いた。大輔だ。

 周りのものが座らせた。

 興奮して、忘れてしまったのだ。

 敵兵ではないのは分かりきっていた。明るくて、顔が識別できるのが幸いした。

 しかし、大悟は許さなかった。

 大輔に近づき、刀を抜いて、顔に切りつけた。

 頬から血が吹き出した。

 大輔は座り込んで、頭を地面にこすり付けて命乞いした。

 他のものは蒼白(そうはく)となった。

 忠勝も声が出なかった。


「合言葉を言えないで切り殺されないとは、運がいいやつだ。お前たち、今日のことを忘れるな。二度と戦うなどと言うな」


 大悟は、その場で皆を眠らせた。そしてその後も、解放はしなかった。


 翌日、静かに、ゆっくり、皆が命をかけて、戦った場所に移動させた。

 童たちも同行させた。

 誰もが無言だった。

 最初はどこにいくのか分からなかった。

 そのうちに、戦いの場にもどるのだと自覚した。


 陥穽(おとしあな)に落ちた敵兵は斬り殺されていた。

 陥穽(おとしあな)の無数の竹槍に足を貫かれたのだろう。周囲に糞尿が飛び散り、悪臭が立ち込めていた。

 糞尿で隠れていた一部の竹槍はむき出しになっていて、血糊(ちのり)が厚く(おお)っていた。

 このまま連れて帰れないから、斬られたのだろう。哀れだった。

 道に下りると、そこにも1人死んでいた。

 後頭部が潰れ、竹槍が腹に刺さったままになっていた。 

 運悪く、石も竹槍も命中したのだ。

 この兵も足手まといと思われたに違いない。胸を槍で突き通されていた。


 誰もが黙っていた。

「次は、これがお前たちの姿だ」大悟がぽつりと言った。


 戦果となった10人の童は、沢柳村が3人、深見村が6人、引き取った。

 幸田村は1人だった。大悟が1人でいいと言ったからだ。

 童たちは村で出身を聞かれ、引き取り手が入れば、返すことになる。そのときにそれ相応の報酬を得る。引き取り手がいなければ、その村の労働力になる。成果とはこのことだ。

 幸田村が引き取った童は「いと」と名乗った。

 荷車の一番手前にいた利発そうに見えた娘だった。

 瀬谷村の出身で、引き取り手はいなかった。

 洞穴に隠れているところを発見され、父と母は殺された。洞穴に運び込んだ食糧に両親がしがみついて抵抗したから。いとは無表情で引き取り手がいない理由を説明した。

「この子は俺が引き取る」と大悟は言った。

 大悟も年をとった。村にいることも多くなった。いとに自分の世話をさせるのだろうと誰もが思った。

 この童は大悟に感謝し、世話を進んですることができる子だろうと忠勝は思った。              


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