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永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れた。
相模の地に激震が走った。
周辺の勢力図が大きく変わり始めた。
長尾景虎は、今川と強固な同盟を結んでいた北条の討伐をついに決意した。そのとき、北条は3代氏康から4代氏政が継いだばかりで、実質的には氏康が相模を動かしていると景虎は踏んでいた。
永禄3年8月末、景虎は北条氏康討伐のため出陣。
氏康もその対策として武田や今川に援軍を頼んだ。
が、そのことで景虎が計画を止める事は無かった。
景虎は北関東の北条の諸城を次々に落とした。すると北条を見限り、上杉に寝返る武将が相次いだ。氏康は武州松山城を退却し、小田原に戻るほかなかった。そして、翌年、いよいよ景虎の小田原攻めが始まった。
太田忠勝は小林大悟から「景虎が近々鎌倉道を通るかもしれない」と聞かされた。いよいよ上杉と戦う時が来た。
忠勝は永正4年(1507年)、幸田村に入った太田忠良の長女ふみと永正16年幸田村にやってきた広川小助の次男英助との間に生まれた3番目の男子だ。広川家の次男だった英助はふみのたっての願いもあって、婿養子として、忠良と同居した。忠良はそれを望みはしなかったが、太田家を残したいふみは、父を一人にしたくないという理由もあって、英助に頼んだのだ。英助にも、ふみのその気持ちはよく分かった。次男坊だから、いずれ家を出なくてはならない。英助に異論はなかった。
妻と長男を嵐で失った忠良の再婚話は何度もあがった。河井もこのまま太田家を終わらせる気か、と言って、再三再婚を勧めたが、忠良は全て断った。寿々の替りなど忠良には考えられなかった。ふみの存在もその気持ちに大きな影響を与えた。ふみは献身的に働いて忠良を助けた。精神的にも忠良を支えた。忠良は、ふみのむこうにいつも寿々を感じた。ふみは働き者の寿々そのものだった。
ふみは十五を過ぎると結婚相手を考えるようになった。忠良が、河井にその相手を頼んだことは人づてに伝わってきた。しかし、ふみは自分で探した。忠良抜きでの生活は考えられなかった。河井が探す相手も養子を前提にしてのことだろうと思ったが、知らない男は信用できないと思った。自分で探すほうが信頼できると思った。
ふみの探した相手は広川の家の次男英助だった。広川の家は男が余っていた。5人もの男子の中で、英助が一番ふみに年が近かった。2つ年上だった。広川は、かつて、太田家の納屋に住んでいたこともあり、忠良に恩義を感じていた。その子らは、太田家が幸田村の草分けであることで、ふみを一段上の存在としてみていた。それに、英助がふみを気に入っていることをふみは感じていた。英助だけではない。広川の家の男は皆、ふみを気に入っていた。だから、養子の話は受け入れてくれるに違いないと思った。広川家も、太田家の主人として迎えられるわけであるから反対することもないと踏んだ。
結婚して、英助は名前を忠親と変えた。
忠良が命名してくれた。ふみも英助もそれが嬉しかった。
そして、二人の間に、7人も子どもが生まれた。そのうち4人が育った。その4番目の子が忠勝だった。
忠勝が大悟を知ったのは姉のきよが甲斐に嫁入りする際に、大悟が何回か太田家に出入りするようになったからである。
幸田村の女が大悟の世話で甲斐に在るどこかの村に嫁入りするのはよくあることだった。河井家と太田家と広川家を除けば、この村の移住者はみな、大悟が甲斐から連れてきたのである。大悟はこの村にとって重要な役割を果たしていた。
忠勝は広川家の次男であった父がそうであったように三男坊の自分はいつかはどこかに養子に行くようになるのだろうと自覚していた。
できれば、大悟の養子になりたいと思った。どの家も次男や三男は男手のいない、他の村の家に養子になることが多かった。忠勝は村を出たくは無かった。大悟の養子になれば、この村を出なくて済む……。最初は、打算で大悟に近づいた。
大悟に近づくには、大悟に喜ばれる何かを忠勝はしなければならない。それは剣術を習うことだった。
「剣を教えてほしい」と忠勝は言った。「この村を守るために剣を習いたい」と言った。
大悟は最初は不審そうにみていたが、忠勝があまりに懇願するので、その熱心さに折れ、了解した。特に反対する理由もなかった。
最初は大悟に近づくためだけだったが、剣を通して次第に忠勝は大悟を尊敬するようになった。大悟はただ剣の使い方を教えただけではなかった。
「剣は最後の手段だ。使うときは死ぬときだと知りなさい。使うということは、相手を倒そうということだから、自分が倒されることも覚悟することが礼儀だ。自分は助かると思うことなど決してあってはならない」
そのうちに大悟の家に行くのは手段ではなく、目的になった。
幸田村を含む、長後から鶴間に至る幾つかの村々は、北条家の御馬廻衆の一人である関氏が治めていた。
「恐らく、出陣の命令が来るが、城詰めは鶴間村の者に命じられるだろう。お前たちは、鎌倉道を抜ける景虎の兵からこの地を守るのが役目となるはずだ。しかし、戦いなどしなくてもいい。黙ってみていれば、通過するだけだ。それに、まともに戦えば、負けるだけだ。手柄をたてたいなら別だが……。さて、どうする?」
大悟は、忠勝ら、戦いになったら参加することになるだろう幸田村の若者を前に、演説を打った。大悟は修験者のなりをして、村を出たり、入ったりしているが、どこから大枚が入るのか、大悟の家には不釣合いに豪華な具足や刀剣がいくつもあった。北条の家来には忍者もいるという。大悟はそこに入っているという噂もあった。風魔のことだ。
「戦わなくてもいいのか?」
忠勝はみんなの気持ちを代弁するように大声を出した。忠勝以外の誰もが、積極的に戦う気持ちはなかった。忠勝は戦いたいという気持ちはあった。父の忠親もそれを望むだろう……。
忠勝がどうしても戦いたいのにはわけがあった。
何日か前に、大悟が忠勝の家に来た。
その日は朝から雨で、畑仕事もなく忠勝は家で寝ていた。母に起こされた。土間に大悟がいた。
「頼みがあるそうだから、大悟さんの家に行きなさい」と母は言った。
大悟の家は相変わらず乱雑だった。たまにしか帰らない大悟にとって家はただの休憩場所に過ぎなかった。
「大事な客が近々来る。迎えに甲斐にいく。明日か、明後日には帰るから、それまでに綺麗にしておいてくれ」と大悟は言った。
翌々日の昼頃に、大悟と二人の山伏が大悟の家に帰ってきた。
忠勝は朝から待っていた。
「こっちは仲間。この方は甲斐の人だ。明日には小田原に行く」と大悟は囲炉裏の前で言った。
囲炉裏には粥の入った鍋がつるされ、そのまわりで、忠勝が捕ってきたなまずが焼かれている。
大悟の隣にいた、甲斐の人と紹介された山伏が、冷酒の入った土器をうまそうに口に当てながら、忠勝に話しかけてきた。
その男は足が痛むのか、しきりに足をさすっていた。そして、隻眼だった。
顔は皺が目立ち、更に黒光りしていて傷だらけで、思わず正視することがためらわれるくらいだった。
その隣の男も、右目の横に縦に大きな傷があった。しかし、表情は柔らかな男だ。
「大悟殿には本当に助かった。こんな人物はなかなかいない。これからも大悟殿を頼むぞ」と男は忠勝に向かって言った。
大悟は頭をかきながら、
「相模に来たら、やはり小田原にはいかないとね。どうしても小田原見物に行きたいというので、明日、出発する」と大悟は言った。「甲斐は海がないから死ぬまでに一度海を見たいのだそうだ」と続けた。
男はその説明に照れているのか、薄笑いをした。
しかし、景虎がこれから来るというときに見物もないだろうと忠勝は呆れた。
「景虎もこのあたりを通るだろうが、どうしろとか言われているのか」と男は、なまずをほおばりながら、大悟に振り向き、言った。
大悟は顔の前で手を振って否定した。
「ここを通ることはないと思うが。小田原への道はもっと藤沢に近い道か、相模川沿いに下るのなら、もっと北の道を通るだろう」
「ここを通るとしても」と男は言って、忠勝の方を向いた。
「戦わずこそ勝つということだ。それが百姓の戦い方だ。小田原の殿様も今回はそうしないとな」
大悟は同調した。
「北条は戦えとは言わない。食糧と生活に欠かせないものを持って逃げろと言う。景虎は食糧さえなければ、帰るしかない。家来たちはみな、略奪を楽しみにこちらに来る。奪うものがなければ、意欲もなくなる」
「大悟殿は戦い方を知り尽くしているのだから、敵が帰陣の際に戦うのも一計だ。景虎軍も帰るころには疲れて油断もあろう。戦ういい機会だ。帰りぐらいは北条殿も戦いを望んでいるのではないか。この若者たちにもいい経験になる。百姓がする戦いというものを見せるべきだ。逃げて勝つという戦いを……。今川があんなことになっていよいよ動乱の時代になる。いつかはこの者達も戦わなくてはならないときが来る。今から本当の闘いの姿を教えてもいいのではないか」隻眼の男は大悟に言った。
「いや、戦わぬことが一番と思う。どんな戦い方をしようと、戦うのは最後の、恥ずべき手段だ。北条の指示は理屈にあっている。景虎は今回のことだけで支配地が広がるなどと思っていない。越後に戻れば、また、味方についた武将も裏切ると思っている。そして、そうなる。今回の目的は自らの力を誇示することと越後の民に食糧と人を運ぶことだ。戦う意志などない。敢えて、こちらも戦う必要はない」と大悟は言った。
「さすが、小林殿だ。その考えは正しい。しかし、やはり今後のことも考えないと。時代は間違いなく急変する。小林殿。これから、何が起きるか分からない。本当に村を守るのはそこに住む百姓だ。越後に帰る時なら、戦ってもいいのではないか。いや、その時だから戦う。敵の食糧を奪う目的でね。景虎の兵も生きて越後に帰りたいだろうし、疲れてもいよう。逃げて勝つにもってこいではないか」
「やるとすれば、夜襲だな。食料を奪えれば大勝利だが、ともかく、襲って逃げる。経験が大事だ。おそらく、敵は追ってこない。追ってきても、あそこなら逃げ切れる」と大悟は言った。
大悟は戦うことを全く考えていないわけではないようだった。
忠勝は安堵した。
あそことはどこのことだろう、と忠勝は思った。そこで、戦えるかもしれないと思うと自然と身震いが起こった。
翌日、三人は小田原に向けて出発した。
忠勝は三人を大悟の家の前で見送った。
三人は山伏の格好をしていなかった。
翌々日、大悟は馬に乗って、帰ってきた。連れはいなかった。馬は両腹に、酒樽を抱えていた。
大悟は忠勝の家に来た。忠勝の父の忠親が迎えた。
「この度は、息子さんには、本当に世話になりました。甲斐の友人も楽しんで帰りました。この馬も酒もお礼にいただいた。わしは必要がないので、受け取ってほしい」と大悟は言った。
「息子が役に立つなど、思いもよらないことです。これはこれは恐縮です。一緒に、やりませんか。是非、あがってくだされ」と忠親は言った。
大悟は頭をかきながら、暫く考えていたが、
「では、あがらせていただきます」と言って、板場に腰をおろして、わらじを脱ぎ、忠親に導かれて、囲炉裏の脇に座った。
その隣に忠親は座った。忠勝を含む息子たちは、少し離れたところに正座して座った。
大悟が幸田村の百姓の家にあがることは先ずなかった。用向きがあっても、家にはあがらず、土間で済ませた。なぜ、今回は遠慮しなかったのか、その理由はすぐ分かった。機嫌がすこぶる良かった。
大悟は饒舌だった。連れの男のことを繰り返し話した。
連れの隻眼の男の名前は山本勘助、今は道鬼と名乗っている、甲斐で名のしれた武将で、今回は信玄殿の親書を北条殿に届ける重要な任務で来たということ、また、異形の理由も言った。道鬼殿は、子どもの頃、猪に飛び乗った末に振り落とされ、その際に木の枝に目が刺さって隻眼になったこと、足が不自由なのも、その時の怪我が原因であること、もう一人の島尾という男も同様な理由で右目の横に大きな傷を負ったこと、それで大笑いしたこと。勘助殿は武士のくせに戦いが嫌いであること、まともに百姓仕事ができないから、生きるために、武士になったこと……。
忠親も過去を話した。それは自分のことではなく、ふみの父、忠良のことだった。
父は若い頃は武士になることも考えたこと。この村にまだ、肥前守と父しかいないときに、権現山というところで、戦争をしたこと。負け戦で、死ぬ思いをして、武士を諦めたこと……。
忠勝は初めて知ることだった。
「忠勝は、好きにさせたい。この家は男が三人もいる。忠勝は末っ子だ。我が家は上の二人で十分だ。大悟殿を尊敬しているらしいから、武士になりたいのなら、大悟殿の養子になればいいと思っている。本人もそう言っている。何とか、一人前にしてほしい」
これも初めて聞く父の言葉だった。




