マヤの260日
まずはボードに圧倒された。遊人、明日香共に、そのようなボードを見るのは初めてだった。見慣れた質感のボードには大小様々なプラスチックの歯車が六つ。中央の一際大きな歯車の周囲に、据え付けられた中小の歯車が連動する形で噛み合っている。ボードの表面積半分近くはそれらの歯車が占めていた。
このゲームは未経験の二人がしげしげとボードを眺めていると、喜子は不意に問いかけた。
「いきなりですが、お二人はマヤ文明って聞いたことありますか?」
「メキシコとかそのあたりのやつ、ですよね」と自信なさげな明日香。
「なんか世界が滅びる的な予言してましたっけ? 昔テレビで見たような」補足する遊人も断片的な情報しか知らない。
「ありましたねー、そんな都市伝説」喜子は肯いて続けた。「このゲームのタイトル『ツォルキン』はマヤ文明が独自に作り出した暦、まさに副題となっているマヤ神聖暦のことです」
一年を二百六十日と規定したこの暦に即してゲームは進行する。ボード中央やや左に位置する大きな歯車は二十六の歯を持っており、一ラウンドが終わるごとに反時計回り方向へ1つずつ進む。これがちょうど一周して最初の歯が戻ってくる二十七ラウンド、つまりはマヤ暦が規定するところの一年を通して最も自分の部族を発展させたプレイヤーが勝利する、というのがこのゲームの概要である。
「一ラウンドは全員が一手番ずつ行ったら終わります。手番では各自二つの選択肢、ワーカーを配置するか、配置したワーカーを回収するかのうち、どちらか一つを実行することになります」
喜子は左手の指を二本立て、余った右手で赤い円柱の駒を取った。
「これがワーカーです。ゲーム開始時は各自三つずつ持ってスタートします。ワーカーを配置する場合は手元にあるワーカーを任意の数選んで、この大きい歯車の周りにある中小の歯車に配置します」
見れば中央の大きい歯車を除いた周囲の歯車には、歯と歯の間に丸いくぼみが設けられていた。喜子はその中の一つ、ボード左上に位置する緑色のシールが張られた歯車のくぼみに赤いワーカーを配置した。
「ワーカーはいくつ配置するか、どこに配置するかによってコストが掛かります。一つ配置するだけなら基本的にあまりコストは掛かりませんが、一度の手番にたくさんのワーカーを配置しようとすると、その分多くのコストを払うことになります。一つめなら0、二つめなら1という感じで、人数に掛かるコストについては後でサマリーを配るのでそれを参照してください。配置する場所のコストは」
「この数字ですか?」
遊人が指したのはボード上の、ちょうど歯と歯の間にあたるスペースだ。そこには小さい歯車なら0~7、中サイズの歯車なら十までの数字が描かれている。
「お、そうです。よく気づきましたね」喜子は口角を上げて肯いた。「その数字の背景に描かれてるトウモロコシがこのゲームにおける通貨、というかお金みたいなものをあらわす資源になっています。ワーカーはその配置コストが安い場所から順番に置いていかなければいけません」
喜子が指し示したボード脇にはトウモロコシ(コーン)と数字が描かれた大量のトークンが山と積まれている。
「コーンの使い道はワーカーの配置の際にコストとして支払う他、ワーカーへ供給する食糧となったり、アクションによっては他の資源と交換することが出来たり、最終的な勝利点に加算出来たりと色々です。まあ持っていたら何かと便利なリソースですね」
喜子は目を盤上に戻して続けた。ついでに赤いワーカーを四つほど拾って適当に配置する。
「さて、ではもう一つの選択、ワーカーの回収について。配置と違って回収には特にコストは掛かりません。任意の数のワーカーを回収できます。回収を選択したらワーカーを配置している場所の効果を発動してワーカーを手元に戻します。例えばここなら」
言いながら手に取ったのは緑の歯車のワーカーだった。対応するスペースにはコーンの絵と3の数字が描かれている。
「モロコシ3つがもらえると」
「正解です」
遊人の答えに満足して肯くと、喜子はさらに二つのワーカーを手元に戻した。
「例えば今回の手番でこのように三つのワーカーを回収したとしたら、コーン3に木材1、それから任意の建物1つを建設することが出来ます」
喜子が緑、灰色、赤の歯車をそれぞれ指しながら説明すると、遊人が肯き、明日香も肯いた。喜子は盤上に赤いワーカーを二つ残したまま続けた。
「今は説明のために続けてやっちゃいましたが、実際にはこの配置と回収のどちらかを各自一回ずつ行ったらラウンド終了です。そうしたら未回収のワーカーを歯車上に残しまして、ラウンドを示すこの歯車を一つ進めると」
反時計回りに一つ分、目盛りが進んだ中央の歯車に連動して、周囲の歯車も時計回りに一つ分歯を進める。その結果、歯車上に残っていたワーカーは先ほどまでより一段階右のスペースに移動することになった。
「一ラウンドの流れは大体こんな感じですね」
遊人は歯車とボードを見ていて気づいたことを尋ねた。
「さっきより一つ高いところに進むってことは、置いといたら段々効果が強くなるってことですか?」
「その通りです。一ラウンド目にノーコストで配置したワーカーも七ラウンド回収せずに置いておけば、七コスト払ったときのアクションが実行できるようになるわけですね」
「まあ、配置コストが高いからいいアクションってわけでもないんだけどね」
達樹先輩の発言の意味は盤面を少し観察してみれば初心者でも何となく理解出来た。緑の歯車に関してだけいえば、コストが上がるにつれて得られるリソースも増えているが、他の歯車に描かれている各種アイコン、特に黄色の歯車などは被るものが少なく、どちらが優れているのかと言う単純な比較が難しい。それに、回収せずに置いておくということは、その間そのワーカーによって何の利益も得られないと言うことを意味する。思考を停止してただ高コストのアクションを行えば良いというわけではない。周りや自分の状況を見極めた正確な判断力が、このゲームでは要求されるのだった。
「気をつけといた方がいいのは、配置したらそこでアクションが終わるってこと。回収して効果が発動されるのは必ず次以降のラウンドになる、つまり置いたら必ず歯車が一つ分進むことになるから、得られる効果は置いた所より先のアクションになるってのは、特に注意しといた方がいい部分だね」
部長のアドバイスに遊人は肯いた。今置いたばかりのスペースのアクションは実行出来ない。だからコスト0のスペースにはアクションが記載されてないのだ。喜子もうんうんと肯いて補足する。
「ちなみに、ワーカーのいるスペースより手前のアクションを実行することも出来ますが、その場合は余分なコーンを払う必要があります。一応救済措置というか、どの歯車も最後のアクションは回収し忘れたワーカーをフォローする効果になっていますが、まあそれは追々解説するということで」
遊人が肯き、明日香も肯いて喜子を見る。ご満悦の二年生は拍手を打って続けた。
「さて、流れがわかったところで、次はその各アクションの詳細について説明していきましょうか」
まず左上、緑の歯車はコーンか木材の資源を得るスペースである。両方とも他の歯車でも獲得可能な資源ではあるが、ここでのアクションは他に比べて量が多いのが特徴だった。
その右隣、灰色の歯車は木材、コーンの他に金や石、水晶髑髏と言った資源も得られる。得られる木材とコーンの数は緑に劣るため、あくまでも緑で得られない資源を得るためのスペースと言える。
さらにその右隣、赤の歯車はコーンと水晶髑髏以外のリソースを消費してアクションの効率を良くする技術を獲得したり、得点に直結する各種宗教の信仰度を上げたり、得点や特殊な効果を得られる建物とモニュメントを建設したり出来る。いずれも効果的なアクションとなっているが石や金や木材といったリソースへの依存度が高い。
中央右下、黄色の歯車はワーカーを増やしたり、コーンを支払ってさまざまなアクションを実行したりすることが出来る。青の歯車を除く全てのアクションを代替出来る強みがあるものの、こちらはこちらでコーンを大量に必要とするためそれをまかなうための手段がなければ多用は難しい。
最後に残った中サイズの青い歯車は水晶髑髏を供えることで即座に勝利点といずれかの宗教の信仰度を得られる。奉納した水晶髑髏は実行したアクションのスペースに残り続けるため、どのアクションを行うかは早い者勝ちとなっている。
各歯車のアクションを駆け足気味に解説しつつ、その他細々としたルールを全て説明し終えると、喜子は興奮のためか浮かせがちだった腰を椅子に落ち着けて、軽く息を吐いた。
「建物とモニュメントは出てきたものをそのつど説明するということで、一応一通りのインストも終わりましたけど、何か不明な点はありますか?」
問いかけに、明日香がおずおずと手を上げる。
「あの、勝利条件、もう一度聞いてもいいですか? とにかく何をしたらいいのか、途中でよくわからなくなっちゃって」
「もちろん」喜子はにこりと微笑んで指を四本立てた。「最も部族を発展させた、つまりは最も多くの勝利点を集めたプレイヤーの勝利、なんですが、その勝利点の稼ぎ方が四通りありまして、
まず一つ、勝利点を生み出すモニュメントを建設する。この、ボード右下に六つ出てくるタイルですね。効果はさまざまですが、全てゲーム終了時に計算するものなので、どれを建てるかはゲームの展開によって決めるのがいいと思います。
そして二つめ、青の歯車に水晶髑髏を奉納する。ボード左下のこの歯車に配置したワーカーを回収する時、所有している水晶髑髏を対応するスペースに置けば即座に得点が入ります。置けばといいましたが水晶髑髏を持ってない状態だとここに配置したワーカーを回収しても何も得られないので注意してください。
それから三つめが、各種宗教の信仰度や技術レベルの向上によって点を獲得する。技術の方は建築技術のレベルⅣが即座に3点の効果ですね。宗教の信仰度によって得られる点はゲーム中二回、中間と最終のタイミングで計算されます。信仰度の右側に描かれてる数字と、その段階でトップだった人には、その上の方に描かれてるボーナスの点が追加されますね。
で最後の四つめ、ゲーム終了時に余った資源を点に換える。何が何点になるかは一応ボードの左下に表が描かれています。水晶髑髏は一つ3点、各種資源は黄色歯車のアクションと同じレートでコーンに変換しまして、コーン4つにつき1点になります。
最終的にはこれらの方法で計上した点を合計して、最も多い人の勝ち、と言う感じですかね」
ボードを見、先輩を見て、必死に覚えようとする明日香の様子に、苦笑した部長がアドバイスした。
「色々あるけど全部こなすのは難しいかも。二つか三つ、他の人より先んじれそうなやつを絞って伸ばしてくのが無難かな」
「なるほど……了解です」
明日香は今度こそ重く肯いて見せた。次いで喜子は遊人に顔を向ける。
「相楽くんはどうです? 何か分からない点とかありませんか?」
「まあ、大丈夫です」
遊人は軽く頭を振って答えた。覚えることは今まで遊んできたゲームの中でも一番といって良いくらいに多かったが、それでも一応は理解出来た。
その返事を聞くと、喜子はいても立ってもいられないのか高々と拳を掲げて促した。
「では各自の色を選んで、それからじゃんけんして順番を決めましょう! 勝った人からスタートです!」
じゃんけんに勝利したのは初心者の妹尾明日香だった。そのまま時計回りに喜子、遊人、達樹先輩の順で暫定の手番が決まる。明日香は青、喜子は説明中から使用していた赤、遊人と部長がそれぞれ黄色と緑の駒とマーカーを取って準備は終わった。
時刻は午後五時二十分を回ろうかと言うところ。会議を終えた金井先生がやって来る気配はなかった。
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