咆哮
ピノが楠山に全てを話していた丁度その頃、化粧坂は思わぬ足止めにあってイラついていた。
他の解体工事は滞りなく進んでいるというのに、化粧坂の目の前の砂場だけは依然として変わらぬ姿を保ち続けている。滑り台やブランコよりも明らかに手っ取り早く終わる代物であるにも関わらずである。それもこれも目の前で半べそをかいているこの娘のせいだ。
天野沙也風。
天野は先ほどから下を向いて、泣きながら砂場の前に立ちはだかっている。
にらみつけながらなら分かる。猛然として立ちはだかるのなら理解も出来る。
何故、怖い怖いと震えながら泣いて立ちはだかるのか。
そんなに自信がないなら最初から刃向かうなよと化粧坂は思う。
ブルドーザでピノを弾き飛ばした時から天野の様子はおかしくなった。
ヒステリックになり、やりすぎだと抗議をし始めた。
確かにショッキングではあっただろう。だがしかし、アレは所詮は機械なのだ。確かにかなりの損傷を負っただろうが、再起不能と言うところまで痛めつけたつもりはない。修理をすれば治る。人の形をしてはいるが人ではない。
大体、今回の強制執行というのは「そういうこと」も含んでの行為だと言うのは天野も最初から理解していたはずである。今さら抗議するのもおかしい。どうも、ショックで錯乱して正常な判断力を欠いてしまっていたようだった。
とりあえず化粧坂はその場で理屈を説いて天野をなだめすかし、ブルドーザに乗せた。乗せたが天野の表情は青いままだった。今思えば、頭では理解していたが、感情が拒絶していたのかも知れない。
化粧坂は心の中で舌打ちをした。この時点で天野の変化に気づいておくべきだったのだ。
砂場に着いて工事を始めようとすると、意を決したように天野はこう言った。
「化粧坂さん、マンション作るの、やめにしませんか?」
こいつまで何を言い出すのだと化粧坂は心底絶望した。ブルドーザの運転手は酷く狼狽した。突然の仲間割れが起こったのだから当然だ。
「こんな事言うの間違っていると思います。だけどやっぱりこの公園を壊すの良くないと思うんです。誰かが大切にしている物を無下に壊すなんて」
「そんな事言ったら何も始まらないでしょう? 古い物は壊して新しい物を作る。これが世の摂理よ」
化粧坂は一蹴したが、天野はまだ納得がいかないようだった。イラついた化粧坂は核心を突いた。
「天野、あなたもしかしてあのロボットに感化されたんじゃないでしょうね」
天野はあからさまにぎょっとした表情を見せ、言い訳がましくぼそぼそと言葉を紡ぐ。
「よく分かりません。ただ、あのロボット必死だったんです。公園を壊したくないがためにブルドーザを受け止めようとしたんですよ。自分が壊れるのも省みず」
最後の方は消え入りそうだった。化粧坂に口答えするのが怖いのだろう。そのびくついた態度が化粧坂のイラ立ちに拍車をかける。
「機械だからなんとかなると思ったんでしょう。人間だったらしないわ」
この回答が不味かったのだ。突然、天野の表情が一変したのである。
「じゃあ、人間だったらどうするんですか、人間が同じようなことがしたら、化粧坂さんはその人を轢けるんですか?」
「考え過ぎよ、人間とロボットは違うの」
何とか落ち着けようとなだめたがこれも逆効果だったようだ。天野の表情はますます険しくなり、ついには泣き出した。
「違いません。あのロボットはロボットなりに何かを守りたかったんですよ。その気持ちだけは私たち人間と変わりません」
化粧坂さん、もう一度だけ考え直しましょうよう!と天野は叫んだ。
そして、小さな身体を小刻みに震わせながら砂場の前にびくびくと立ちはだかったのである。
それで、この有様だ。
いい加減にして欲しい。
やるかやらないかは散々話し合ってきたのだ。その上でやると決めて今日の強制執行は執り行われている。それをここに来てもう一度考え直せと言う。
ふざけるな。
もう、引き返せないところまで来ているのだ。
確かに天野の立ちはだかっている砂場は無事である。無傷のままだ。
だが、滑り台もブランコも既に打ち壊され始めている。後戻りなど出来るわけがない。やると言ったらやるしかないのだ。
「悪いけど」
化粧坂は毅然として言い放った。こういう場合は情け容赦なく突き放した方が良い。
「そんな時間はもう残されてないの。考えるのは後にしましょう。とりあえずこの仕事だけは何が何でも終わらせます」
天野の泣き顔はさらにだらしなく崩れた。
天野も分かっているのだ。
もう、駄目だと。
それでも反対したかったのだろう。
もしかすると反対することで自分を納得させようとしていたのかも知れない。
いずれにしても彼女はぬるい。既にここは信念なき者が異を唱えて良い場所ではないのだ。
天野は化粧坂さんっ!ともう一度叫んでその場にしゃがみ込んだ。
少々荒療治であったが何とか障害を取り除くことには成功した。化粧坂は運転手に指示を出し、今度こそ砂場に手を入れようとした。
が、その時である。
「やめろ!」
と声がしてピノを背負った楠山が駆けてきた。
彼は天野が泣き崩れている隣に立ちはだかり、再び彼らの作業を遮った。
面倒なのが来たと化粧坂は思った。
何があったかは知らないが、今の楠山は先ほどとは打って変わって信念に満ちあふれている。目つきも違う。何が何でもこの作業を止めようと言う気概に満ちている。こうなった人間を折るのは難しい。イラつきはピークを越え、頭痛へと変わりだした。
「あなた、まだいたんですか? もう話は済んだはずです。さっさとこの場を離れて下さい。でないとどうなっても保証しませんよ」
呪詛のように腹の底からゆっくりと言葉を吐き出す。最後の部分はおどしではなかった。それは誰の目から見ても明らかである。だが、楠山はひるまなかった。
「ここに入っちゃいけない! すぐに引き返すんだ!」
まだそんなことを…。
「いい加減にして下さい。場合によっては告訴しますよ」
「したいならすればいい! だから引き返せ!」
「どうしてもここに入れさせない気ですか。あなたといい、天野といい、どうしてみんな寄ってたかって私の邪魔をするのかしら」
私は邪魔をしているつもりはありませんと消え入るような声で天野が言った。化粧坂はそれを耳聡く聞きつけ、きっと天野をにらむ。
「仕事の邪魔をするなら同じ事よ!」
化粧坂の言葉がナイフに変わって彼女の胸元を突いた。
天野はひゅっと変な声を出して顔を白黒させる。邪魔者の一人に完全にとどめを刺し、悪鬼の如き形相で化粧坂は再び楠山と向かい合う。
「私は絶対に諦めない。このプロジェクトのために物凄い時間を掛けてきたんだから。こんな事で駄目にするわけにはいかないのよ」
「壊したいなら壊せばいい! だけど今日はやめてくれ。頼む」
「今日はやめろですって? 冗談じゃない。業者との約束は今日までなの、今日中にこの公園を業者に引き渡さないといけないの。そんなこと出来るわけないでしょう」
楠山は困った顔で時計を見た。何か意味でもあるのだろうか。
「じゃあ、あと10分で良い、10分で良いからこの砂場に入るのは止めてくれ」
「そうやって時間を稼ぐつもりでしょう。そんな手に引っかかると思うの?」
「違う! もうすぐここに人が現れるんだ。あんた達がここに入ったらその人はブルドーザの下敷きになってしまう。だから、もう少し待ってくれ」
もう、沢山だ。
何が気に入らないのだ。何が悪いというのだ。必要な手続きは全て済ませているではないか。反対される謂われはないのだ。なのにどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして…どうして!
化粧坂の中で何かが壊れた。
決定的な何かが音を立てて崩れ去った。
「今度はわけの分からない話で私を煙に巻こうって魂胆ね。いいからどきなさい。どかないと巻き込まれるわよ!」
化粧坂は呆然とことの成り行きを見ている運転手を押しのけ、ブルドーザに乗り込んだ。大型車の免許など当然持っていないが、前進させることぐらいは出来る。操作をマニュアルに切り替えて、セーフティモードも解除した。アクセルを踏むとブルドーザは従順に咆吼を上げる。
「化粧坂さん! やめて下さい! 今度は人間なんですよ!」
天野が叫んだ。しかし、既に化粧坂の耳には届いていない。一年間、化粧坂はずっと我慢してきたのだ。ずっとずっとずっとずっと! これ以上我慢は出来ない。
化粧坂はもう一度アクセルをふかした。再びブルドーザが雄叫びを上げる。地獄の底から召喚された魔獣のようだ。天野は腰を抜かし、あたふたと砂場から飛び退く。
楠山はあせった。どうして良いか分からない。話せば分かると思ったのは甘かった。化粧坂の怒りはとっくにピークを越えている。もう、取りつく島がない。このままではピノもろともブルドーザに轢き殺されかねない状況だ。必死で考えを巡らせるが良い案が思い浮かばない。
と、背中のピノがかすかに動いた。
「もう、すぐです」
「ピノ?」
「磁場が微妙に乱れてきています。もうすぐタイムホールが開きます」
「本当か?」
「急いでこの場を離れて下さい。でないと今度は私たちがタイムホールに巻き混まれてしまいます」
「だけどどうしたらいいんだ。向こうは突っ込んでくる気だぞ」
「ワタシに考えがあります」
「考え?」
ピノが楠山に耳打ちをした。
「え…? だけど」
「それしか方法がないんです。お願いします」
迷っている時間はなかった。楠山はゆっくりと頷き、ピノを降ろす。
楠山たちのその動きを見て、化粧坂は徹底抗戦と受け取ったのだろう。ブルドーザが激しくうなり少し後退した。勢いをつけるためだ。獲物に飛びかかる直前のライオンの如く殺気立っている。まわりで作業をしていた業者の人間たちもあまりの異様な光景に作業を止め、立ちつくして見ている。
「行くわよォ!」
ヒステリックに金切り声を上げ、化粧坂はギアを切り替えてアクセルを踏み込んだ。なだらかな加速度を伴ってブルドーザが砂場めがけて猛然と発進する。
天野が絶叫する。楠山とピノはまだ動かない。
事態を把握した作業員の間から叫び声が上がった。数名が砂場へと駆けだしている。
十分に加速したブルドーザは完全な殺意を持って砂場に突っ込んだ。大きな音と共に大量の砂が舞い上がり、辺り一面が濃い砂煙に包まれる。
誰が見ても絶望的だった。
ブルドーザは砂場の入り口付近で停車していた。まだエンジンは低く声を上げている。
ピノと楠山の姿は見えない。少なくとも、逃げてはいない。この状態で逃げていないというのは生きていないに等しい。
天野がしゃくり上げて泣いている。
作業員たちは立ちつくしている。
時が停止したような公園の中で、天野の泣き声とブルドーザのエンジン音だけが響いていた。