理由
取り壊しの始まった公園はすっかり慌ただしくなっていた。
ピノが弾き飛ばされた後、化粧坂の指揮で解体工事は迅速に開始された。誰も倒れているピノに目をくれない。ただひとり、楠山だけがピノの傍に付き添っていた。
例外的に天野だけが、ピノの弾き飛ばされる光景にショックを受け、ヒステリックに化粧坂に何か抗議をしていたが、結局聞き入れられなかったようだ。彼女はしゅんとして化粧坂についてブルドーザに再び乗り込み、公園の外れの砂場に向かった。
冷たいと思う。
あんまりだと思う。
確かにロボットは生き物とは違う。修理も大怪我をした動物を治すよりずっと簡単だろう。公園を立ち退かないがために迷惑も被ってイラつきもしただろう。
それでも、いくらなんでもこれはひどすぎる。
何かを探そうとして、何かを見つけようとして、必死にこの公園にしがみついていたモノがゴミのように放り投げられたのだ。まるで障害物を取り除くかのように。お前は邪魔だと言わんばかりに無感情にピノは切って捨てられた。
機械とは言え、彼は思考する。彼は話す。自分たちと変わらないはずなのに、どうして彼らはこんなにも冷たくいられるのだろう。
人間であろうと、機械であろうと用のない者は簡単に切り捨てられる世の中だ言うのに。
自分だって、いつ同じように切り捨てられるか分からないと言うのに。
誰だって何かを守ろうと必死に生きているというのに。
ピノと自分たちと何が違うというのだ。
なのに。
そこで楠山は気づいた。
ああ、自分たちと同じだからか。
自分もいつそうなるか分からないから、
だから、目を伏せているのだ。
見ない振りをしているのだ。
物理的にだけでなく、彼らは心からもピノを切り離して捨てたのだ。
楠山は叫びそうになった。
卑怯者! 卑怯者! 卑怯者!
頭にかっと血が上り、視界が真っ赤に染まる。
怒りで完全に理性を失った楠山は、身近にいる作業員に殴りかかろうと立ち上がった。
恐らく殴ったところであっさり負けるだろう。
だが、それでも楠山は反抗したかった。怒りをぶつける場所が欲しかったという方が正しいかも知れない。
が、作業員に飛びかかろうとしたその瞬間、楠山の足は何者かにつかまれてしまい、怒りと暴力は阻止されてしまう。がくんとつんのめってみじめに転ける。自分は人ひとりも殴れず、殴り返されてもいないのにこうして地面に這いつくばるしか出来ないのかと、楠山は心底絶望した。
自分は世界から嫌われているのだろうか。
運命を憎みながら倒れたまま自分の足を見ると、足首をつかんでいたのは何とピノだった。
「ピノ!」
楠山は思わず声を上げた。先ほどまで完全に停止していたのだ。もう活動は無理だと思っていた。慌てて、ピノに近づき、抱き上げた。
「ピノ、返事をしろ!」
「クスヤマ…さん」
「大丈夫か? 壊れたかと思ったぞ、馬鹿野郎」
最後の方は涙声になっていた。泣いてたまるか、ピノはまだ動いている。物語はまだ終わっちゃいない。
「…思い出しました」
「何? 何を思い出したんだ」
「何もかもです。今のショックが良かったみたいです。皮肉なものですね」
楠山は慌ててピノが弾き飛ばされる前の記憶を遡った。確か、ショートを起こす直前、ピノは「待っている」と言っていた。時々思い出す懐かしい顔。それが、ピノがこの公園に居座り続けた理由なのだ。
「待ってるって言ったよな? 誰を待ってるんだ」
「瀬戸博士です。ワタシを作ってくれた博士です」
「瀬戸博士? あの、ある日突然失踪したって言う天才工学者のことか?」
「そうです。ワタシが作られたのは今から100年前。瀬戸博士の手によって作られました」
瀬戸平助工学博士。
日本だけでなく、世界中で彼を知らない者はいない。
若干12歳にしてマサチューセッツ工科大学の博士号を拾得。専門は人間工学と人工生命、その延長上にある思考シミュレーションだが、宇宙物理学から音楽、絵画などの芸術の分野でも凄まじい才能を見せつけ、21世紀のダ・ヴィンチの名前を欲しいままにした天才の中の天才。
だが彼は、才能も名声も絶頂にいたまさにその時、妻子を事故で失ってしまい、それが原因で研究の第一線から離脱してしまう。私設研究所を建て、そこに閉じ籠もり、ほとんど隠遁に近い生活を送り出すようになったと言う。
そして、ある日を境に突然の失踪を果たす。
その行方は現在に至っても誰ひとりとして知らない。
ほとんど外界との接触を断っていただけに正確な失踪の日付なども分かっておらず、あまりにも謎が多いので現在でも瀬戸博士失踪の謎に関しては多くの議論が成されている。自殺したという説もあれば、暗殺されたという説もある。その超人的才能を欲してどこかの大企業が拐かしたなどという陰謀めいた説まであるが、それはないことは確実だ。真相はどうあれ、彼がいなくなったことで世界中の文明の進歩が50年は遅れたと言われているのだ。どこかの企業が拐かしたのならば、それらしい結果がどこからかほころびる。
隠そうとしても隠れない才能の持ち主。
ピノは自分を作ったのは瀬戸博士だと言った。
その言葉を聞き、楠山はしまったと思った。ピノを最初に見た時に気づいておくべきだったのだ。大昔にここまでのロボットを作れる人間は瀬戸博士ぐらいしかいない。だが、流石に100年も前の神話に近い天才工学者がこの件に関わっているなど、あまりにも突飛すぎて楠山には考えつかなかった。
気づけばきっとピノはここまで傷つかずに済んだ。
心中で愚鈍な自分に毒づくが、過ぎてしまったことは仕方がない。今は自分に出来ることを精一杯やるしかない。ピノは何かを伝えようとしている。今自分に出来ることは事態を把握することだ。
「100年も前から博士を待っているってどう言うことだ? 100年も前の博士なんか待ったって来ないに決まってるじゃないか」
「さっき突然失踪したって言いましたよね。博士が失踪する直前に研究していたテーマを知っていますか?」
「いや、俺はそう言う話は専門外だから詳しくは知らない。何を研究してたんだ」
「タイムマシン理論です」
「タイムマシン…?」
楠山は驚いた。まさか…そんな馬鹿な。
そんな彼の顔を見て、ピノも察したのだろう。
「今ではすっかり否定されていますけどね」
と断った。
声のトーンはいつもの通りだが、ひどく残念そうに聞こえた。
「当時はまだ可能性があると信じられていました。博士はその研究をしていたんです。亡くなった奥さんと娘さんを過去に遡って助けに行きたいがために」
「どういうことだ?」
「詳しく話している時間はありません」
楠山に支えられていたピノがゆっくり身体を起こす。大丈夫かと冷や冷やしたが、意外にもしっかりとピノは立ち上がった。取り戻した記憶と使命感が彼の身体を動かしているようだ。
「博士が失踪する、いえ、一般には失踪されたと思われているときの直前のことをお話しします」
ピノは今にも崩れ落ちそうな身体からは想像も出来ないほど強い声で真実を語り始めた。
「博士はタイムマシン理論の最重要課題であるタイムホール出現に要する膨大なエネルギィの発生装置の開発に成功しました。そして、それを使うことで遂にタイムマシンを完成させたのです」
その話に楠山は再び驚嘆した。
楠山が知る限り、世界最初のタイムマシンが制作されたのは60年ほど前のことである。それよりも40年も前に瀬戸博士は理論だけでなく、実際にタイムマシンを作成していたのだ。
「博士はタイムマシンに乗って10年前の過去に遡ろうとしました。過去に戻って自分の犯した過ちを取り戻そうとしたんです」
「過去に遡ろうとしたって? そんな無茶なことを試みたのか?」
「ですから、当時はまだ可能だと思われていたのです」
そうなのだ。瀬戸博士から遅れたとは言え、60年も前に第一号のタイムマシンが制作されたにも関わらず、楠山の住む現代ではタイムマシンは未だ実用化されていない。それどころか、完全に研究がストップしてしまい、役立たずの道具として放置されている。
なぜならば時間は遡れないものだと証明されてしまったのだ。
今タイムマシン理論が否定されているのはそれが一番大きい。時間の流れは過去から未来への一方向に決まっていることがタイムマシンのテスト走行の時に分かったのである。時間を飛び越えることは可能でも未来にしか行くことが出来ない。その為にタイムマシンで時間を飛び越えても元の時間には帰って来れないことか分かった。
タイムマシンの利点は過去の自分に未来の出来事を知らせることが出来ることだ。だが、未来の出来事をいくら知ろうとも、戻れないのであれば未来に飛んだこと自体が無駄である。
過去に戻れないタイムマシンには意味がない。無用なのだ。
「今では常識かも知れませんが、当時はほとんどの人間が過去にも遡れると考えていたんです。博士はそれを試みたが当然駄目でした」
後の研究チームのように数回のテスト走行を行えば、瀬戸博士もその間違いに気づいたであろう。だが、瀬戸博士は完成させたことそれ自体ですっかり舞い上がってしまったのだ。後悔を取り戻すという妄執に囚われて世界が見えなくなっていたと言っても良い。
彼はろくなテストも行わず、すぐに10年前に戻ることを試みた。
そして、無理に時間の流れを逆行させようとした反動でタイムマシンは暴走し、博士は時空の彼方に弾き飛ばされてしまった。瀬戸博士の家には、壊れたタイムマシンとピノだけが取り残された。
「ただ一人残されたワタシは急いでタイムホールの湾曲率から博士が飛ばされた場所を測定しました。計算がはじき出した結果はきっかり100年後。100年後のその時刻に博士はその場所に現れると言うことでした」
そこまで聞いて楠山は全てを理解した。
だから、ピノはこの場所にいるのだ。
「それでお前はずっと待ってたのか、博士が現れるのを、100年も」
雨の日も、風の日も、ピノは待ち続けたのだ。博士が現れるのを信じて。100年後に再会することだけを夢見て。
「そうです」
「どうして?」
楠山には理解出来ない。時間は相対的なものではない。体感する時間の長さは人間もロボットも変わらないのだ。想像を絶する長い時間をピノはただひたすら待っていたことになる。何故、待とうとピノは判断したのだろうか。何故そうまでして待ち続けたのだろうか。
楠山の疑問をピノは変わらぬ表情で受け止め、彼を見上げる。
「ワタシは博士にとってのたった一人の家族だからです。博士がそう言っていました。博士にはもう奥さんも娘さんもいません。希望だったタイムマシンも過去に遡れないことが証明されてしまいました。ワタシがいなければ博士はひとりぼっちになってしまいます。ひとりぼっちで100年後の世界に取り残されてしまいます」
「博士を一人にしたくないために? ただそれだけのために?」
「ただそれだけのために、ワタシは100年待っていました」
「ピノ…」
「だけどワタシは途中で記憶を失ってしまいました。何故ここにいるのか分からなくなっていました。だけど、ここにいなければというプログラムが残っていたのです。だからワタシはずっとここにいました。立ち退けと言われても立ち退くわけにはいかなかったのです」
楠山はいつの間にか泣いていた。絶対泣かないと決めていたのに、胸の奥からこみ上げてくるものを押さえることが出来なかった。
なんて純粋な思考。
なんて強靱な信念。
それ故に、背負った宿命は大きい。
泣いている楠山を見てピノは不思議そうに首を傾げた。楠山ははっと我に返る。泣いている場合ではない。このことを化粧坂たちに伝えなければ。事情を話せばきっと彼女たちも分かってくれるはずだ。楠山は思わずピノの肩をつかんだ。
「それで博士が現れるのはいつなんだ? 場所と時間さえ分かれば、あの市役所の連中に言って保護して貰うことは出来る」
「そうでした。急いで下さい」
ひどく嫌な予感がした。
「急ぐ? 急ぐってどう言うことだ?」
「今日なんです。博士が現れるのは」
楠山は思わず舌打ちをした。
くそっ! やっぱり俺は運がないみたいだ。どこまでもツイていない!
「何時に? 場所は!?」
「今日の午後12時37分。この公園のはずれにある砂場に。さっきブルドーザが向かったところです」
楠山は慌てて時計を見る。後5分ほどしかない。
「このままだと博士がブルドーザの下敷きに」
「くそおっ!」
とてもじゃないが走れそうにないピノを背負って、楠山は砂場へ走った。




