記憶
機械は夢を見るのかと言う問題に人間には答えられないだろう。
動物が夢を見るのかと言う問いかけ同様、それらは人間には観測が出来ない。動物の場合は脳波を測定すればそれらしいパターンを観測することは可能だろうが、脳のない機械の場合はそうはいかない。例え、ある種のパターンを観測することが出来ても、それが夢を見ているかどうかと確定することは難しいだろう。
だが、夢というのは簡単に言うと脳に蓄積された情報が睡眠中に整理される過程に垣間見せるものである。だとすれば、機械に搭載された人工知能がスリープ状態の時にデータ処理を行い、それらを垣間見ているとすれば、やはり機械も我々の知らないうちに夢を見ているのかもしれない。何しろ、機械は人に似せられて作られるのだから。
音も光もない、身体も動かせない世界でピノは夢を見ていた。正確に言うならば、ショックで一部の回路の電流が漏洩して、いくつかのデータが人工知能に流れ込んできたのだ。それが映像化されてピノの中で流れ始める。衝撃であらゆる機能がシャットダウンしてしまったために、中枢部にある最低限の処理部だけがそれを眺めている。
「ピノ! またどこかにぶつけて電源を切ったな。間抜けめ」
画面いっぱいに初老の男性が映し出されている。映像は乱れているが、顔の判別は可能だ。何度も見る顔だ。時々最下層から漏れてくる微弱なデータによく混じっている。
「おはようございます、博士」
ピノが答える。いつも通り、呑気で平淡な返事だ。その呑気さに呆れたのか、「博士」と呼ばれた初老の男は顔を緩めた。
「まったく、何がおはようだ。何度やったら気が済むんだ」
「申し訳在りません。気をつけてはいるんですが。どうもこの家は物が多くていけません」
それを聞いて「博士」はむっとした顔をする。この顔は不快だと言うことを示す顔だ。どうして不快になったのだろうと、ピノの中のいくつかの部分が議論を開始した。
「つまりは俺が散らかしているのがいけないと言いたいんだな」
どうやら「博士」はピノが誤って電源を落としてしまったのは自分に否があると指摘されたと思ったようだ。結論を受けて、処理部の過半数が最も適切だと思われる返答を導き出す。
「そうは言ってません。物が多いからぶつける確率が高いと言っているだけです」
「分かった分かった。今度からちゃんと整理整頓をするよ」
「そのセリフはもう何度も聞きました」
ピノは念を押す。会話のパターンに同じような事例が検出されたからだ。同じミステイクを減らすためには必要だと判断した。だが、「博士」はあまり聞いていないようだ。人間とは不思議だと、処理部の一部が囁く。
「博士」はそんなピノの内部での議論など気にしていない。それどころか、ひどく上機嫌で、ピノの言葉自体に興味を示していない。これも「博士」にはよく見られるパターンである。過去のケースと照らし合わせると、仕事が上手く行った時に一番顕著に見られる事例だ。メジャーコードの陽気な歌を口ずさみながら、ピノの方をにやつきながら見ている。
「そんなことよりも報告があるんだ」
もったいぶるように言う。なるほど、これが本題かとピノは判断した。
「何かあったのですか?」と聞き返すが、「博士」はなかなか続きを言わない。が、ロボットをじらしてもあまり効果がないことに気づいたらしく、少し残念だという風に肩を落とし、ゆっくりとピノに近づき屈んだ。
「遂に分かったんだ。究極のエネルギィ発生装置が」
それはここ数年「博士」がずっと取り組んでいた研究のはずである。いや、厳密に言うとメインの研究ではない。メインの理論を実践する裏づけとしてクリアしなければならない議題だったはずだ。
「本当ですか」
ピノはまた平淡に答えた。こう言う時に感情を強調するように作られていれば、人間が驚いたり、喜んだりするように音声を調整して出力出来るのだが、残念なことにそこまでのシステムがピノには搭載されていない。
「一週間寝てない状態でふらついてトイレに入ったらタイルで足を滑らせて便器で頭を撃った。その瞬間閃いたんだよ。これが実証され、実用化出来れば今まで誰もなし得なかった時間移動が可能になる」
「タイムマシン理論ですね」
「ああ、現在タイムマシン理論で最も難しいとされているのが時間を移動するトンネル、タイムホールの出現のさせる為のエネルギィだ。時空をゆがませてタイムホールを作るわけだから膨大なエネルギィを必要とする。今まで様々なエネルギィ発生装置が開発されてきたが、そのどれもがタイムホールを作り出すまでに至らなかった。俺の考えた装置を使えば、タイムホールどころかほぼ半永久的に無尽蔵にエネルギィを生産できる。しかも無茶苦茶クリーンなものだ」
間違いなく画期的な装置になると「博士」は結んだ。心拍数がやや上昇し、それに伴い体温も上昇している。発汗作用も活発化しているようだ。興奮している状態だとピノは判断した。こう言った時にどういう言葉をかければ良いかと言うのも過去の事例から学習している。
「おめでとうございます。博士」
ピノの言葉を聞いて「博士」は少し微笑み、ありがとう、ピノと答えた。
「だが、俺は他の事なんてどうでもいい。ただ、タイムマシンを作ることが出来れば良いんだ。そのためにずっと研究に時間と金を費やしてきたんだからな。これでようやく長年の夢が叶う」
「長年の夢」と言う部分が引っかかったのでワードを検索した。どちらも言葉の意味は分かっているが、発言者の意図が分からない。過去の事例も検索してみたが引っかからなかった。つまり、「聞いたことがない」と言うことになる。
「長年の夢? 何ですか?」
知らないケースに対面した時は発言者に聞くという風にプログラミングされている。ピノはその通り疑問をぶつけた。
その言葉を聞くと、「博士」は少し驚き、「そうか…話してなかったか」と呟くと顔の表情を硬くした。こういう状態のことを「決心する」と言うのだが、ピノには分からない。数秒の沈黙の後、「博士」はゆっくりと口を開いた。
「あの日、10年前のあの日に戻って、妻と娘が外出することを阻止すれば良いんだ。あの時私があいつらを引き留めていたら妻も娘も事故にあって死ぬことはなかった」
「事故でお亡くなりになったんですか、奥さんと娘さん」
「博士」は泣いているような笑っているような複雑な表情になった。初めてのケースなのでピノは戸惑った。感情の判断が出来ない。処理部が議論を開始する。
「お前が出来る前の話だからな。知らなくて当然だ。その頃の俺は、今よりももっと研究に命を燃やしていた。若かったせいもあるだろう。背伸びばかりして、どうやって他人を出し抜くかしか考えていなかった。妻も娘もほったらかしだった。ほったらかし所か、邪魔だと怒鳴ったことさえある。自分にとってあいつらは単なるオプションでしかなかった」
「オプション。付属品だったのですか」
そうだと「博士」は答えた。
「だがな。あの日、買い物に行くと言って出ていったきり二人とも帰らなくなったあの日、俺は始めて寂しさというものを知ったよ。家に帰っても誰もいない。数式を書いていてもコーヒーを運んできてくれる妻がいない。遊んでくれと急かす娘もいない。今までわずらわしく思っていた事が、全て愛おしくなった」
間抜けだよなと「博士」は笑った。どうして笑うのかピノには判断が出来ない。
「失ってから気づくなんて遅すぎたんだ。猛烈に後悔したよ。どうしてもっと大切にしてやれなかったんだって。どうしてもっと時間を共有してやれなかったんだって」
「ワタシは、後悔というものをしたことがありません。後悔は人間だけがするものですか?」
「後悔」と言う概念の事例を補完するための質問だったが、「博士」はピノの問いかけに少し戸惑った。難しい顔をして腕を組んで少し考えている。「博士」の中にもピノと同様に大勢の処理部がいて議論をするのだろうかとピノの一部が考える。
「そうかもしれない」と「博士」はうつろに言った。まるで思考の世界から現世に戻るための呪文のようだ。
「だから俺はタイムマシン理論の研究を始めたんだ。失った物を取り返すため、二度と後悔しないために。だが、その苦悩も遂に終わる。もう、ひとりぼっちじゃ無くなるんだ。俺は」
「博士にはワタシがいます。ワタシは博士の家族です」
ピノがそう言うと「博士」はハッとして、急に優しい表情になってピノの頭をなでた。
「そうだったな。すまない。ひとりぼっちだというのは言い過ぎた」
「博士には家族が必要です」
「ありがとう、ピノ」
「何故礼を言うのですか」
「人間は複雑なんだよ」
「そう思います」
突然画面の一部がゆがんだ。見上げると「博士」が泣いている。涙がピノの目の部分のガラスに落ちたのだ。知ってる限り、今の会話は人間が泣くようなケースではない。ピノには何故「博士」が泣いているのか分からない。何が悲しいと言うのか。悲しいのに何故礼を言ったのか。
それらの疑問を投げかけようとしたが、それは出来なかった。
ここから先はデータが破損しているのだ。「博士」の泣き顔を残したまま画面はフリーズする。
夢が終わった。
ピノの処理部の大半が深く眠ろうとしている。だが、ごくわずかな部分が眠ってはいけないとアラームを出している。非常に微弱な信号だ。とても重要なデータではなかったかと訴えている。どうでもいいと大部分が否定する。もう眠りたかった。
「ピノ!」
声が聞こえる。夢が終わったので外部の音声入力が復旧したのだ。誰の声だったか思い出せない。
「しっかりしろ! おい!」
誰かが呼んでいる。どうして呼んでいるのだろうか。どうして自分はこうして眠っているのだろうか。ああ、そうだ。自分はブルドーザにはじき飛ばされたのだ。身体の大部分が大きく破損してほとんど使い物にならない。「博士」に修理してもらわなければ、もう少しで逢えるはずだったのに。
……まて。
今、何と考えた?
急いで今の思考を遡る。
…どうして自分はこうして眠っている…違う…自分はブルドーザにはじき飛ばされ…ここでもない…もっと後の方だ…「博士」に「もう少しで逢えるはずだった」…?
その瞬間、ピノの眠ろうとしていた大部分が一斉に覚醒した。これ以上のショートを防ぐためにシャットダウンしていた手足への電力の供給も一時的に復旧させる。
そうだ。
自分にはまだやらねばならないことがある。
その為には、この身体にはもう少し動いて貰わなくては困るのだ。
ピノは、全てを思い出した。