決裂
それでは本当に関係ないのですねと化粧坂は僕に迫った。
はい、関係ありませんと僕は答える。これで三度目である。
ブランコに無理矢理座らされ、化粧坂と天野と名乗る二人組に僕は執拗な質問攻めにあっていた。
これではほとんど取り調べだ。
いや、事実取り調べられた事には違いない。
免許証から名刺、自宅の住所、電話番号、出版社の名前と電話番号まで、僕のありとあらゆる情報を彼女たちは聞き出せる限り聞き出した。
動揺していたとは言え、ほいほいと答える僕も僕なのだが、自分に何もやましいところはないのだから正々堂々と答えたに過ぎない。
それにも関わらず、二人は僕をじっと目を細めて観察し、名刺を見ては何かこそこそと耳打ちし合っている。どうやら身元を偽っているのではないかと疑っているようだ。
釈然としなかった。
納得もいかなかった。
大体僕は二人の素性をまだ知らないのだ。人を疑う前にまず自分の身元を明らかにするのが礼儀ではないだろうか。
「あの、いい加減にしてもらえませんか」
イラ立ちが頂点に達して、僕は始めて反抗的な態度を取った。
ぎょっとした表情で二人が振り返る。
「一体、あなたたち何なんですか。突然現れたかと思えば、いきなりなんか拘束して」
「こ、拘束なんかしてないじゃない」と化粧坂はとっさに反論した。
してますよ、拘束と僕は言い返してやった。化粧坂はぐううとうなる。
「立派な拘束ですよ、これは。何が目的なんですか。言っておきますけど、僕は腐っても文筆で食べてる男ですよ。場合によってはこの事を記事にしても良いんですけどね」
もちろんはったりだ。これくらいの事なんか話のネタにはなっても雑誌のネタにはならない。せいぜい編集長に「そんなのお前の行動が挙動不審だったからに決まってるだろうが」と一笑されるのがオチだ。だが、それでもこの二人には効果があったようだ。流石にこの対応はまずいと感じたのか、二人は二言三言耳打ちした後、ごほんと咳払いし、表情を変えた。
「これはこれは、大変失礼しました」
化粧坂が声を1オクターブ上げてやさしく話しかける。さっき相当鬼気迫った顔を見せられたので今さら手遅れだ。むしろこっちの方がある意味怖い。
化粧坂は慣れた手つきで名刺を取り出し僕に差し出した。それを見た天野も慌てて名刺を出す。
「はじめまして、化粧坂と申します。変わった名前ですが決して宝塚はありません。ここ時越市の都市開発部に務めています。こちらが私の秘書の」
天野ですと天野はぺこりと頭を下げた。上品なシャンプーの香りがふわりと鼻孔をくすぐる。
名刺を見ると確かに二人とも「時越市役所 都市開発部」と書かれている。偽っていたところで電話をすればすぐに本当かどうか分かる。第一、僕がここにいたのは偶然なのだ。彼女たちが身分を偽る理由など何処にもない。身分に間違いはないと僕は判断した。
「どうも、初めまして楠山です」
名刺を受け取る時のクセでついつい頭を下げてしまった。下げてから激しく後悔した。さっきまであれほど失礼な目にあっておいて「どうも」はないだろう。我ながら自分が情けない。
「失礼ですが、本当に物書きの方で?」
化粧坂は貼りついた笑顔のまま聞く。目が野獣のように血走っていた。
「嘘なんかついてどうするんですか」
「物書きの方が何故ここに」
「いてはいけませんか?」
流石にむっとした。僕のような三流ライターは公園に来ることも許されないのだろうか。完全に被害妄想であることは明白なのだが、何だかそんな風に言われた気がしたのだ。
「いえいえ、そんなことはありません。公園はみんなのものです。ただ…」
あのロボットと知り合いなのかと、と化粧坂は続けた。
ああ…。そういうことか。
僕はようやく拘束され、取り調べを受けた理由に思い当たった。
この二人は最初からピノに用事があってここに来たのだ。そこに偶然素性不明、挙動不審の怪しい男がいた。それでこの僕に興味を持ったわけだ。
「いいえ、今日が初対面です。そっちこそ、市役所の人がどうしてこんな所に?」
さり気なく質問し返してやった。相手の目的を探るためだ。いつも取材でやっているので、これくらいは手慣れたものだ。
「この公園は市が管理している土地です。来てはおかしいですか?」
「いや、そう言う事じゃなくて、何でわざわざという意味ですが」
ううん、と化粧坂は口ごもった。言い難い事情でもあるようだ。だが、これも予想範囲内だ。大抵が口ごもる。記者に聞かれて簡単に口を割るヤツなんていない。
ああ、大丈夫です。オフレコですからと僕は軽く言った。もちろん嘘だ。
「ただ、ちょっと気になったもので。随分と僕のことを疑っていたみたいだし、何か困ったことでもあったのかなと思って」
良かったら相談に乗りますよと僕は甘い蜜を垂らした。
先ほどの非礼を責めつつも、寛大な態度で迎える。一見心が広く見える言い方だが、逆に言えば、説明しないとどうとでも書きますよと言うニュアンスで相手が受け取ることも可能だ。無意識に説明する義務を求める。こういった隙が取材には必要だ。ガチガチに攻めると相手の防御は堅くなる。天野は素直に親切だと受け取ったようだが、言葉の裏を読めないほど化粧坂は馬鹿ではないだろう。
ううん、と再び唸った後、化粧坂はオフレコですよと強調した。
僕はうなずく。当然ながらオフレコにする気はさらさらない。
実はですね、と化粧坂は声を少し下げた。
「この土地にマンションを建てようと言うプロジェクトがありまして、私がそのプロジェクトの責任者なのです」
「プロジェクトですか」と僕は繰り返す。
「プロジェクトです」と天野が妙に力んだ。
化粧坂が邪魔だというように化粧坂の頭を殴った。痛いようと天野が泣く。ちょっとかわいい。
「近年の時越町のベッドタウンとしての発展は目を見張るものがあり、より一層の経済発展を試みてのマンション開発なのですが、実は現在ちょっと暗礁に乗り上げてましてね」
「暗礁、というと」
化粧坂の顔が一気にゆがんだ。天野が三歩ほど後ずさる。どうやらここが化粧坂の怒りの中心部のようだ。
「この公園に居住する権利を主張するモノがいましてね、それがここを退いてくれないが為に工事に着手できないのです。おかげでわたしは上と下からの板挟みにあって、精神疲労でこの美貌をカンナで削られるような日々」
おかげさまでこの様ですと天野が言った。
化粧坂がまた頭を殴った。痛いようと天野は再び泣く。どうもこの娘は空気を読むのがあまり得意ではないようだ。そうでなければ化粧坂に殴られたいかのどちらかだ。それが自分のチャームポイントと思っているのかも知れない。
「それって…」と僕が話を続けようと口を開いた時、
「ワタシです」と背後から声がした。
振り返るとピノがこちら側に歩いていた。立ってみると結構大きい事が分かる。子供くらいの背丈はある。120cm前後と言うところか。見た目はボロボロなのに足取りはかなりしっかりしている。僕は再び驚かされた。さっき会った時に首しか動かさなかったのは、他の部分が故障しているからだと勝手に思いこんでいたのだ。
「権利を主張した覚えはありませんが」
僕たちの前で立ち止まり、化粧坂を見上げてピノは言った。化粧坂は世界が三回終わったような、物凄く凶悪な顔になった。
「どかないと言うのならそう取られてもおかしくないでしょう?」
「今日は何の用でしょうか。泣かれても何を持ってこられても、私はここを離れるわけにはいかないのですが」
ピノは平然と返す。はっきり言って今の化粧坂にこんなこと言い返す度胸は僕にはない。天野はひいいっと僕の後ろに隠れた。ぶるぶる震えている姿がちょっとかわいい。いやいや、今はそんなこと考えている暇はないのだ。これ以上ない修羅場ではないか。化粧坂は鬼の形相で今にも殴りかかりそうな雰囲気だったがギリギリで踏みとどまり、深呼吸した後、震える声で言った。
「今日はお涙もお土産もないわ。話し合いに来たの。いわゆる最後通告ってやつ」
話し合いですかとピノはまたも呑気に答えた。
「もう一度言います。あなたが素直にここを退いてくれると言うなら、あなたが新しく住む場所も、その他の環境もこちらが全て用意しましょう」
「どかないと言うならどうする気ですか」
その言葉を聞くなり化粧坂は、ふうやれやれと言わんばかりに深くため息をついた。どうやらピノの返事は最初から分かっていたようだ。
「強制執行。力尽くで追い出すわ。悪いけどこれしか解決の方法がないの」
清々した顔で化粧坂は言った。その顔はまさに「言ってやった」と言わんばかりだ。僕は僕で結構な衝撃を受けた。強制執行を言い渡す場面なんてそうそう出くわすものではない。天野はこうなることが分かっていたはずなのに僕の後ろでドキドキしている。なんなのだ、この娘は。
「もちろん私としてはそれだけは避けて、出来れば話し合いで解決したいと思ってる。条件は悪くないと思うけど、考え直す気はないかしら」
「ありません。ワタシはここから離れるわけにはいかないのです」
化粧坂が一歩踏み出した。ひゃああと天野が悲鳴を上げた。遂に決闘かと僕も肝を冷やしたが、幸いにも事態は殴り合いまで発展しなかった。化粧坂は目を細めてピノをにらみつけ、
「どうしても?」と念を押した。
「どうしてもです」とピノは言った。
その瞬間、化粧坂の表情が酷く弛緩した。喜んでいるような、それでいて少し哀れんでいるような微妙な表情だった。
「分かったわ。交渉は決裂。話し合いで解決したかったけど。時間の無駄だったようね」
行きましょう、天野と化粧坂はこちらに背を向けた。
「え? え? は、はい!」と慌てて僕の後ろから天野が飛び出す。自分が今まで何処にいたかをようやく理解したようで、天野は僕にぴょこんとおじぎした。
「強制執行は明日執り行うから。それまでに気が変わるようなことがあれば連絡ちょうだい。ま、ロボットに気が変わるなんて事はないでしょうけど」
振り返りもせず、化粧坂はそう言い残すと颯爽と現場を去っていった。その後ろ姿には確固たる決意が見えた。決闘状を叩きつけた侍のようだ。あの凄味から推測するに、強制執行はおどしではないだろう。彼女はやると言ったからには確実にやる。
「おい」と僕はピノを呼んだ。
ピノはさっきいた場所から一歩も動いていない。また首だけこちらに向けた。
「何でしょう」
「今からでも遅くはないって、すぐにこの公園から立ち退くんだ」
「それは出来ません」
分かっていたが返事は変わらなかった。きっとあの二人はこの言葉をずっと聞かされてきたのだろう。聞かされ続け、説得し続け、それでも変わらないからああ言う手段に出るしかなかったのだ。
「何でだよ。向こうはお前が新しく住む場所の面倒見るって言ってくれてるんだぞ。そんなに良い条件なのにどうして。このままだとお前居場所失うことになるぞ」
見ず知らずのロボットにどうしてこんなことを言っているのか自分でも分からない。昔、編集長に取材対象には絶対感情を移入するなと言われた。記事が鈍るからと。そう言うものを省いて単純に面白くするのが仕事だと教わった。それから僕は随分冷たい人間になった。なったつもりでいた。そうしないと心が壊れてしまいそうだったことが何度もあったからだ。
なのに、ピノはどういうわけか僕の心を揺り動かす。
それはきっと、
いるべきではない場所にしがみついている姿が今の自分と重なったからだろう。
いるべきではないのに、そこでしか生きられない。
ここにいるしかないのだ。
そんな気持ちを知ってか知らずか、ピノは僕に近づいた。
「あなたの言っていることはよく分かりますし、非常に合理的な方法です。ただ、ワタシはどうしてもこの場所から離れるわけにはいかないんです」
そこまで解っているにどうして分からないのだろう。僕は流石にイラついた。
「さっきからそればかりじゃないか。何で離れられないんだ、理由があるのか?」
「理由は分かりません」ピノはきっぱりと答える。
「どういうことだ?」
ピノは僕の問いにはすぐに答えず、公園をぐるりと見回した。何だか、昔に思いを馳せているようだ。だが、ピノには思い出すような記録がない。彼は記憶を失っている。
「いつからここにいるか覚えていません。どうしてここにいるのかもわかりません。ワタシには昔の記憶が無いも同然なのですから。ただ、この場所から離れるわけにはいかないとワタシの中にインプットされているのです。インプットされている以上、ワタシはその指示に従うだけです」
まるで公園のどこかに自分の記憶が落ちているのではないかと言う風に、あちこちを見てながら、ピノはぽつぽつと言葉を吐き出した。雑草が成長する様も、滑り台に落書きがされていく過程も彼は見ている。この公園の全てを彼は知っている。だが、自分がどうしてここにいるのか、それだけは思い出せないのだ。この場所にはピノの過去だけが欠落している。
僕はピノの後にそっと従いた。
「ここが、君の昔の記憶と関係しているって事か?」
「分かりません。可能性は高いですが」
「ここに、大切な何かが隠されているのか?」
「分かりません。可能性は高いですが」
ピノの目はまだ公園を見渡していた。
長い間手入れされず、すっかり曇ってしまったガラスの瞳は、何だか泣いているように見えた。