憂鬱
化粧坂多賀子の機嫌は最悪だった。
切れ長の目は釣り上がり、高くとがった鼻からは荒い鼻息が蒸気機関車のように吹き出す。薄く形のいい唇も今はひどくゆがんでいる。普段は美人と評される化粧坂の顔だが、目鼻立ちがくっきりしている分、怒ると本当に鬼のような顔になる。
洋風にしつらえられた個室オフィス。豪奢な机にふかふかの椅子。来客用のソファに趣味の良い小物。何から何まで化粧坂が自分の趣味で揃えたものだ。これ以上ないほどゆとりに満ちあふれた室内であるにも関わらず、化粧坂の機嫌がここまで悪い理由はひとつしかなかった。
テーブルの上に目をやる。先ほどほとんど叩きつけるも同然に切った電話がある。受話器の部分が握力で壊れなかったのが自分でも驚きだ。投げつけていたらどうなっていただろうかと、最近の電話機の強度のことを考える余裕も当然今の化粧坂にはない。
「ああ…、本当。どうすれば…」
思わず髪を掻きむしる。ばっちりと決まった縦巻きパーマの美麗な髪型が台無しになってしまった。それに気づき、さらに腹立たしさがつのる。こう言う時は何をどうしても自分にとって悪い方向にしか転がらないものなのだ。
ドアをノックする音。
慌てて姿勢を直し、笑顔を作る。手櫛でヘアスタイルも直したが、完全に元の美麗な形に戻すことは出来なかった。髪が形状記憶物質だったらいいのにと思う。
「どうぞ」
努めて上品な声で答えると、ドアが開いてお盆にコーヒーを乗せた秘書の天野沙也風が現れた。小柄できゃしゃな身体。肩までの長さの髪にドングリのような瞳。小作りな唇には人気のルージュの今期最新色が品良く乗っている。服装も人気女性ファッション雑誌の見本をそのまま切り出したような定番スタイル。典型的現代娘。男受けはそれなりに良いようだが、化粧坂から言わせれば、個性がない平凡で平均的でどこにでもいる小娘だ。
「あの、コーヒーをお持ちしました」
先ほどの電話のやり取りがドア越しに聞こえていたのだろう。おずおずとカップをテーブルの上に差し出す。
気が利いているようだが、肝心のコーヒーが不味いのであまり嬉しくはない。一度で良いからコーヒーぐらいまともに炒れてみろよと化粧坂は心中で毒づく。
「ありがとう。いつもごめんなさいね」
心の中とは裏腹に落ち着いた笑顔で返した。部下に狭量な所は見せない方が良い。
「随分とやり合ってましたね…。また例の建設業者ですか?」
化粧坂の機嫌が思ったほど悪くないと判断したのだろう。天野がコーヒーを出した手つきよりも軽いフットワークで話を切りだした。デリカシィに欠けるというか、鈍感というか。とにかく天野は色々な点で人を見る目が甘くて間も悪い。にらみつけてやっても良かったのだが、にらみつけたところで問題は解決しない。
「無理もないわよ。工事が一年近くも遅れてるんだから。『不景気なんだから仕事させろ。させないなら最初から雇うな』って、もうカンカン。すごく野蛮。おどせば何とかなると思ってる。だから男って嫌なのよ」
「無理もないですよ。向こうにしたってウチの仕事を引き受けたから他の仕事取れないんですから」
化粧坂の仕事は時越市の開発とそれによる地域振興である。
3年前に時越市の都市開発部に配属された化粧坂は、それこそペンキで塗り替えるように時越の町を一新してきた。都市部からそれほど遠くないにも関わらず、どことなく田舎くさいと言うイメージから人気が集まりにくいこの町に、洒落たデザイナーズ・マンションを次々と建設し、通常なら家賃や購入金額が高価になるこの手の物件を公団住宅として安価で解放した。
ベッドタウンとして機能させることでまず人を集める。
これが化粧坂の都市開発プランの最初の段階だった。町は人がいてこそ町なのだ。所詮は器に過ぎない。器を整えなければ入れる水も入ってこない。
当然リスクは大きく、大きな反対に遭った。あまりに市の負担する金額が大きすぎる。しかし、リスクを避けてソフト・ランディングで建て直せるなら、とっくに建て直せているのだ。リスクを背負ってでもハード・ランディングで町を一気に再開発する。理屈をこねて先延ばしにしてもいつかはやらなくてはいけないことなのだ。化粧坂は多くの役員を随分と粘り強く説得してきたし、必要とあれば何度も頭を下げてきた。
その結果、この一大開発は多きく実を結ぶ。
結婚したての若夫婦や、子供が育って、そろそろ広い場所に引っ越したいと考えている多くの家族から申し込みが殺到した。元々利便性は良い土地だ。ブランディングにより、町の魅力に多くの人が気づいたのだろう。
器に水がたまったら、次は花を生けるだけだった。
道を舗装し、大手スーパーや娯楽施設を建てる。全ての点で化粧坂がこだわったのはデザインだった。それもひとつの建物のデザインが良いと言うものではなく、町を全体的に見て統制が取れているかと言う点に重点を置いた。個性が強いものが集まると、雑多で町が見苦しくなる。若者はそう言うのを好む傾向ではあるが、ターゲットのファミリー層はやはり落ち着いた雰囲気の町を求める。コストがかかる上に建築デザイナーと意見が衝突することも一度や二度ではなかった。だが、化粧坂はここでも根気よく説得し、それこそ花を生けるように、細部に渡って町をデザインした。
そうして、町のデザインも大分行き届いて来た頃だ。
町の外れにある誰も使っていない小さな公園を取り壊し、そこに新しいマンションを建設しようという話になった。このマンションは新たな試みを含んでおり、3LDKの室内の一部をワンルームマンションとして学生に貸し出し、家主の家賃の半額を負担するというものだった。家主の居住部分と貸し出しスペースは完全に遮断され、お互いに干渉することはない。成功すれば、さらに居住者を増やすだけでなく、学生という新たな顧客層も獲得出来る。この近くに大学もいくつかあるので、学生層が飛びつくのは火を見るより明らかである。それだけでなく、昨今の住宅事情を打開する新たな施策として、今後重要な意味も持ってくる可能性も大きい。このプロジェクトは大々的に取り上げられ、順調に進むはずであった。
それなのに。
思いもかけぬ邪魔が入ったのである。
取り壊す予定の公園にロボットが住み着いていたのだ。
化粧坂も噂でそんな話は聞いていた。聞いてはいたが深く考えていなかった。ロボットぐらいどうとでもなると思ったのだ。だが、実際会ってみるとこれが思いの外厄介だったのである。
ロボットはこう主張した。
ワタシはここを離れるわけにはいきません、と。
そんなこと言われても困る。
新しく住む場所を提供をすると説得したが同じだった。
ロボットは頑固だった。ロボットなのに。
何をどう言っても「それは出来ません」の一点張り。
おどそうがすかそうが対応は変わりない。
考えてみればロボットなのだから感情がないのだ。おどしてもすかしても意味がない。
第一、ここは市が管理している土地なのだ。ロボットにそんなこと主張する権利などない。
そこで今度は法的処置をとった。
しかし、
居住権を主張するロボットなど前代未聞である。前例がない。弁護士も困った。裁判所は頭を抱えた。ロボットに居住権はあるのか、ロボットは人間と違うのか、そもそも野良猫と野良ロボットはどう違うのだと揉めに揉めた。動物や物ではない。ある程度の思考力と会話能力を持つのだ。ロボットに対して法整備も整っていない現在の状態で、下手な判決は出せない。今後ロボット絡みの事件の判例として大きく影響力を持つ恐れもあるのだ。結局裁判所は、これは民事にも刑事にも該当しないと訴えを棄却した。
つまり、放り投げたのだ。丸投げである。
提訴しても良かったが、あまり大げさにすると町のイメージダウンにも繋がりかねない。何年もかけて町のイメージアップを図ってきた化粧坂としてはそれは避けたかった。
窮地に追いやられた化粧坂は、プライドを売って泣き落としにかかった。土下座をして文字通り泣いて頼んだ。ここから立ち退いて貰えませんかと。
だが、これも失敗に終わった。
何度も言うが相手はロボットなのだ。人間の感情に理解があるはずがない。土下座されたところでそんな慣習は理解出来ない。
それではと最後の最後は大金を用意した。汚い大人の世界丸出しで。
これに至っては冷静な判断力を完全に喪失していたと言わざるを得ないであろう。当然の事ながら通用しなかった。ロボットに大金の価値は分かるわけがない。分かったところで使いようがない。お金は人間のためのものなのだ。食べ物も水も服も必要のないロボットには使い道がないのだ。
そうして、プロジェクトは完全に暗唱に乗り上げた。
「ああ、もう! 頭に来る! 何で工事が一年も遅れてるのよ。あの公園は市のモノなのよ。どうしようが勝手じゃない。なのにあの忌々しいオンボロロボット。あいつのせいで何もかもぶち壊しじゃない!」
この一年の経緯を思い出し、マグマのようにぐつぐつと煮えたぎってきた化粧坂の怒りが爆発した。先ほどまで休火山だと思っていた天野は突然の噴火に驚き慌てふためく。
「お、落ち着いて下さいよ。しわが増えますよ」
和ませようと冗談を言ったつもりかも知れなかったが完全に逆効果だ。化粧坂の目はますます釣り上がり、きっと天野をにらむと、
「無いわよ! しわなんかっ。この美顔のどこに皺があるというのっ!」
と金切り声を上げて天野の頭を殴った。天野は痛いよう声を上げて涙ぐむ。
怯える天野の姿を見て、少し冷静になった化粧坂は、深呼吸して落ち着いていつもの自分のペースを取り戻そうと務める。
「とにもかくにも、もう限界。今日明日中には何とかしないとプロジェクト自体が破談になっちゃう。何とかしないと」
「何とかしないとってどうするんですか。随分色々やってきたけど全部駄目だったじゃないですか」
頭をさすりながら天野がぼやく。
「なんでよっ。なんで相手がロボットって言うだけでこうもうまく行かないわけ?」
「もういっそのこと諦めるというのはどうでしょう。相手が悪かったと思って」
「何言ってるの。このプロジェクトにわたしがどれだけ時間を費やしたと思ってるの? あそこにマンションが建つだけでどれだけの経済効果が期待できるか、あなた知ってるの?」
「ですが、事実もう手がないんですよ。どうやってあのロボットを公園から追い出すって言うんです」
いや、手段はあるのだ。
ただ、それを実行するのは自分のポリシィに反していたので化粧坂はためらっていた。が、プロジェクトが破談になりかけている今となっては選択の余地はもうないと言っても良いだろう。
「こうなったら最後の手段しかないわね」
静かに燃える炎のように化粧坂は言った。その言葉の迫力に天野がひるむ。
「さ、最後の手段? 何ですか、それは」
「決まってるでしょう。力尽くで追い出すの。野蛮だから絶対やりたくなかったけど、こうなったら仕方無い」
き、強制執行ぅ!?と天野が間の抜けた声を上げた。
「け、化粧坂さん。もっと音便に行きましょうよォ」
「わたしだってそうしようと今まで努力してきたけど…でももう駄目。それしか手がないの。業者がこの話、降りたいって言い出してるの。いい加減に決着をつけないと」
「こ、恐い。いつも恐いけど今日は特に恐い。こんな恐い化粧坂さんは初めてです」
迫力のあまり、天野はまた失言をこぼしてしまう。
化粧坂は無言で頭を殴った。痛いようと天野はまた泣いた。
「何か言ったかしら?」
「い、いえ。別に」
最高の笑顔を向けられ、天野は心底恐怖した。
「まあ、わたしも鬼じゃないわ。あいつにも最後のチャンスというものをあげましょう」
「最後のチャンス?」
「今日行って、交渉がうまく行ったら音便に事を済ますの。あのロボットにも新しい住む場所を用意してあげて、私たちはあそこにマンションを建てる。駄目だった場合は強制執行。力ずくで工事に乗り出す。どう?」
天野は考えた。乱心したと言っても化粧坂の言っていることには一理ある。もう一度ロボットと交渉し、新しく住む場所を与えるとまで言っているのだ。少なくともロボットの生きる権利(そんなものがあるのかどうかは別として)を尊重している。もっとも、あのロボットともう一度交渉したところで進展があるとは思えないのだが。
「それしかないなら仕方無いと思います」
考えた挙げ句、天野はそう返事した。いずれにしても自分はこちら側の人間である。立場上、下手な事も言えない。第一、今の化粧坂はここ数年で最も警戒レベルが高い。反対したら殴られるだけでは済まない。それだけは絶対に避けたい。
「よし、そうと決まれば早速出発ね。表に車用意しておいてくれるかしら」
化粧坂は不適に笑った。
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