4 今までの人生で一番大事にされている感じがする
なかなか眠れなかった。気づいたら朝になっていた。
大切そうに抱きしめてくれた腕は思いのほか力強くて、ずっと自分の心音がうるさかった。
(すごくいい香りだった……)
ドキドキと心地よさが混ざったような感じだ。どうにも自分ばかり意識している気がする。
使用人たちとの顔合わせをして、仕事に行く旦那様を送りだした。
結婚式のあとに旅行する人もいるようだけど、今のところは予定がない。上の方で式の準備が進められたから、式で初めて旦那様に会った。話が出るタイミングはなかった。
「姫様」
「エミリー。その呼び方はやめてください。わたしはもう姫様ではありません」
故郷から自分の世話のために、何人かの付き人が一緒に越してきている。その筆頭がエミリーだ。
シルヴァン様がいる時に姫様と呼ばれていないから、状況は見ている気がする。
「私にとっては姫様は姫様です。それに、乱世のこの時代、滅ぼされた国が再建することも珍しくありません」
「シルヴァン様の使用人たちがいないところとはいえ、そういうことは言うものではありませんよ。
わたしは納得してここにいます。これからは、ノア様か奥様でお願いします」
(奥様……!)
自分で言って、その響きに恥ずかしくなる。これからは奥様だ。ノア・アウラムではなく、ノア・ドゥ・オージェンタム。こそばゆくてそわそわする。
「ノア様。僭越ながら、あの男さえいなければ祖国は……」
「エミリー!」
思わず強く止めて、ハッとして謝る。
「すみません、声を荒げるつもりはありませんでした」
「いえ。余計なことを申しました」
国というものを第一に置くなら、エミリーの言うことが正しいだろう。けれど自分はそんな感覚になれない。
形の上では降ったけれど、何も被害を受けていないというのも大きい。
(むしろいいことばかりだものね)
そう思うけれど、自分の方が異端だという自覚はある。
エミリーには部屋を整えることを任せ、長年シルヴァン様の家に仕えてきた執事と家の中を見て回った。
結婚するにあたって新しい屋敷を下賜されて、シルヴァン様の信頼がある使用人だけが越してきているそうだ。シルヴァン様の両親が住む実家とは歩いて10分くらいの、ちょうどいい距離らしい。
(シルヴァン様はお父上に似ている気がするのよね)
結婚式で会った彼の父は、銀髪を短く整えて後ろに固めていた。ナイスミドルという言葉がよく似合うイメージだ。
シルヴァン様が歳を重ねたらあんな感じになりそうだ。仮面で隠れている部分は想像になるけれど。
1人で食べるお昼は味気ない。使用人たちと一緒に食べようとしたら、恐れ多いと言われてダイニングに戻されてしまった。
旦那様と食事をとれる時はいいけど、1人の時はみんなと食べられたらいいのにと思う。
そうして彼のことを考えていたら、5センチくらいの小さなエメラルドグリーンの鳥が舞いこんできた。
「きれい……」
見たことのない鳥だと思う間に、小鳥が口を開く。
『ノア、私です』
「シルヴァン様?!」
素が出て様づけに戻るくらいには驚いた。
『あなたが驚いている姿が目に浮かびます』
「はい! それはもう。魔法で鳥に化けているのですか?」
『魔法で鳥に化けているのかと思ったかもしれませんが、これは通信用に育てている使い魔です。話した音を記録して再生しているだけなので、あなたの声は聞こえていません』
(!!!)
つまり会話になっていたのは気のせいで、シルヴァン様がこちらの反応を予想して話した声を聞いていただけなようだ。恥ずかしくて小さくなる。
『用件に入ります。部下たちがあなたに会いたいと言っています』
「え……」
『式は国王陛下をはじめ、国の上層部と貴賓しか参列できませんでしたから。自分たちこそ祝うべき立場だと。
どこかの仕事上がりの夜、あるいは休日にと思うのですが、構いませんか?』
シルヴァン様が決めたら自分はそれに従うのにと思って、それをやめるように言われたことを思いだす。
対等や自由意志というのはまだよくわからないけれど、今までの人生で一番大事にされている感じがする。
(これってどうやってお返事すればいいのかしら?)
『と、すぐに送ってほしいと言われたので送りましたが、返事はゆっくりでかまいません。相談できればと思うので、考えておいてください。
頭を撫でると伝達を受けた証になり、私のところに戻ります』
(なるほど……)
言われたとおりに指先で軽く撫でると、小鳥は飛んで戻っていった。
帰ってきたシルヴァン様には、もちろん構わないと答えた。執事も交えて話し合い、次の休みに内輪のパーティを開くことになる。
訪ねてきた彼の部下たちはみんな彼を慕っているようで、関係のよさが伺えた。
(こんな上司と部下もいるのね……)
自分がいた王宮の緊張した雰囲気からは想像したこともなかった世界だ。
帰りぎわに見送っていると、副団長だと言っていた男性が声をかけてきた。魔法師の中では体が大きく、騎士にいてもおかしくないタイプだ。
「率直に、ノアさんはシルヴァンをどう思っているんだ?」
「どう……? 一言では難しいのですが。……芯のある強さを持った、優しい方だなと」
「そうか」
相手がニカッと嬉しそうに笑う。
「シルヴァンが降した国の姫様が嫁に来るって聞いた時は、刺されるんじゃないかってみんなで心配したものだが。来てくれたのがノアさんでよかった」
「ありがとうございます」
(これは多分、褒められたのよね?)
「それと……、寝不足が続いているようだから、ほどほどにしてやってくれ。これ以上は仕事に支障が出かねない」
「え」
現実とはだいぶ違うことを想像されていそうで恥ずかしい。
同時に、もしかしたらシルヴァン様が自分と同じように意識して眠れなくなっているのかと思うと、申し訳ないはずなのに嬉しすぎる。