第641話 残された時間で新たな力を
「はい、ここっ!」
「ですわぁっ!」
中宮さんの手拍子に合わせてティアさんがパンチを繰り出した。
「ぐうぅっ」
ティアさん渾身の正拳突きが受け手の田村の構えた盾にドカンと大きな音を立てて直撃する。
体ごとうしろにズレる田村だが、転ぶことはない。受けるのが上手くなってるよな。後衛職なのに大したものだ。
「もう少しだけ手前で当ててください。そこから押し込みです」
「うげぇ」
親指と人差し指で作った輪を二センチくらい離した滝沢先生のアドバイスがティアさんに飛ぶ。
元の位置に戻ろうとする田村がげんなりといった感じのうめき声を上げた。頑張れ。
「踏み込みの位置は間違っていないわ。上体の突っ込みを腰の捻りで調整して」
「わかりましたわ!」
先生に続く中宮さんの指示にティアさんは腰をクイっとさせて頷く。揺らめく金髪ドリルロールが輝くが、奇麗なお顔は汗でぐっしょりだ。
夜の談話室では先生と中宮さんがティアさんに付きっ切りで武術指導をしている。
中宮さんの手拍子は呼吸のタイミング調整で、踏み込み位置は絨毯の線。【視野拡大】を持っているティアさんは、正面を向いたままでも下を見ることが可能だ。
そこに【身体操作】を加えることで、ティアさんはゆっくりとだが着実に上達している……、と思う。
見えてもいるし理屈も教わっているのだけど、微妙過ぎて俺にはちょっと判別できないレベルの世界だ。
要するにティアさんはそんな領域に入りつつあるってことだな。
「……ハキオカさんは、もう少しだけ隙間を縮められますね。これくらいです」
「うす」
技術を教わる側のティアさんに代わり、教える方をしてくれているのはメーラさんだ。
これまではほぼ防御一辺倒だった騎士職たちは【剛擲士】の海藤も一緒になって、二人一組で受けてからの突きを交互に繰り返している。対人戦メインの技術ではあるが、いつかは魔獣にだって通用するかもしれない。
明確に何日後と決めたわけではないが、ティアさんとメーラさんと一緒に過ごすことのできる時間は残り少ない。
だからこそお互いに伝え合うことができるモノを少しでも多くしておきたいんだ。言葉でも技でも……。
数年前に拳士としての師匠を失っているティアさんにとって、先生と中宮さんという存在は大きい。帰還を目指す俺たちと相反するが、ティアさんからしてみればできる限り長ければいいという想いはあっただろう。
それでも一刻も早く俺たちを旅立たせようとしているティアさんは、真剣な表情で拳を繰り出し続けている。ただひたすらに、取りこぼしを少しでも減らそうと。
別れの日が来るまで、ティアさんたちはずっと女子部屋に泊まることになるんだろうな。
◇◇◇
「なんだか落ち込むなぁ」
「せっかく残ってもらったのに、すみません」
絨毯の端で足を伸ばして座ったベスティさんに綿原さんが声を掛ける。
「まあいいけどね。今日はじっくりお話できるし」
「何です、その顔」
「いろいろ聞かせてもらいたいなぁ、お姉さんとしては」
「個人的なことはダメですからね」
「えー?」
悪い笑顔なベスティさんを見た綿原さんが釘を刺しているが、俺としては悪い予感しかしない。
ミアの口封じが必要な気もするが、俺にそんなことは不可能だ。エセエルフはフリーダムだからなあ。
さておき、ウィル様とマクターナさんはすでに立ち去ったのだが、ベスティさんだけは居残ってくれている。
迷宮の日程を考えるとゆっくりと会話をする時間は今くらいしかないというのもあるが、本命は深山さんが取得した【魔術融合】の検証だ。アウローニヤに戻った際には是非ともシシルノ教授に伝えてもらいたい。
それがネガティブな情報であってもだ。
結果としてだが、深山さんの【魔術融合】はベスティさんにあまり効果が無かった。【冷術師】のベスティさんと【氷術師】の深山さんという取得技能が近い師弟コンビであるにも関わらずだ。
理由は明白だろう。『魔力の色』の違いに決まっている。
『クラスチート』によりクラスメイトたちの魔力の色は【魔力観察】で判別が難しいくらいに同一だ。対してベスティさんは薄っすらと緑色。この差が効いたのだと思う。
これだけでも検証にはなるし、ここから先はそうだな……、熟練度とか両者が【魔術融合】を持っていたらどうなるかって感じかな。
ちなみに俺たちと別れる時に十階位だったベスティさんは、現在十二階位となっている。アウローニヤに残した『芋煮会』ノウハウはちゃんと生きているのだ。
で、新規に取得した技能は【平静】と【痛覚軽減】だそうな。両方とも取得コストが軽いので内魔力が優位な後衛職の人なら余裕だろう。
これにてベスティさんは【睡眠】と併せ、俗に言う『勇者セット』を網羅したことになる。芋煮会はさておき、妙な流行を伝授してしまったなあ。
綿原さんとの会話でベスティさんが立ち直ったのは目出度い。それは置いておいて、事情聴取やタァンたちの来訪などもあって【魔術融合】の本格的な検証がこんなタイミングになってしまったのだ。
明日の迷宮に向け、後衛術師たちが中心となって調査を進めている。
『これは水。血は水のごとしよ』
『ごめん、無理』
さっきまで綿原さんと深山さんはサメの強化をしようとしていたが、結果は残念賞の側だった。
深山さんの得意分野は水と冷却だ。古韮の霧に介入できたのは、水が主体だったことが大きいのだろう。
綿原さんのサメをちょっとだけ大きくすることはできたが、深山さんの魔力コストからして運用は難しいという判定が下された。それに対して冷却は良好に働いたのだが、サメを冷やしてどうするんだということだな。
『対人戦で使えるわ。いけるに決まってる』
なんて綿原さんは前向きだったけど。
そういう経緯もあって、綿原さんは失敗仲間のベスティさんを励ましに行ったのかもしれない。
ちなみに綿原さんと同じくらい意気込んでいた夏樹の石も効果はちょっと……。ひんやりした石って使い道はどうなんだろう。
今現在のアイツはベスティさんの近くでうなだれながらも絨毯の上で石を転がしている。もうちょっとあのままだったら励ましてやろうかな。
「こんなもんだよねえ」
「技能ひとつで一気に強くなるなんて、とっくに諦めてたし」
ジメジメしている夏樹に対し、春さんや野来などはサバサバしたものだ。
野来の言うように、これまで一個技能が増えたからといって全員が一気にパワーアップするなんて都合のいい展開が起きたことなんてない。
強いて言えば上杉さんの【聖導術】が目立ちはしたが、アレだって【聖術】の上位互換だからなあ。
「うん。想像できてた」
落ち込んでいないのは白石さんも同じくだ。
【魔術融合】は春さんや野来の【風術】とも相性が悪かった。ただし冷風にはできたので夏場向き……、そもそも深山さんは空気を直接冷やすことができるからあまり意味がない。扇風機とエアコンの違いだからなあ。
それでも笹見さんが【魔術融合】を取得したら念願の通常ドライヤーが成立しそうだという希望が生まれた。俺はそういうノリをかもし出せてしまう仲間たちと一緒に騒ぐのが楽しいんだよな。
白石さんの【音術】は瞬間発動という関係もあり問題外で、【奮戦歌唱】にも効果が乗らなかった。丸メガネのご当人は想定内といった風で全く気にもしていない。
「残念だったね」
「仕方ありませんよ」
奉谷さんと上杉さんもまたケロリとしている。
今回の検証の主役たる深山さんは【魔術拡大】と【多術化】を使い、古韮の霧を巨大化させた。
となれば浮上するのが【聖術】と【魔術融合】を合わせたエリアヒールだ。なんなら【聖導術】や【解毒】、【覚醒】でもいい。
だがこちらも非常に残念なことに、目に見えた効果は得られなかった。【聖術】系は対象に触れる必要があるから、そうなんだろうとは思ってたけどな。
地上ということもあり、大きな傷で試すのは先生が悲しそうにするので憚られる。ただまあ、上手くはいかないだろう。【聖術】使いたちが揃って諦めムードになっているし、魔術については感覚でわかっちゃうんだよなあ。
で、俺の【観察】系だけど……、もちろん何も起きなかった。魔術と技能の境界線はややこしい。
「こりゃあ凄いね」
「やった」
そんな各人の思いを他所に、大柄な笹見さんと向き合う栗毛の深山さんは小さく喜び声だ。成功したのか。
加熱が得意な【熱導師】の笹見さんと【氷術師】の深山さんという組み合わせは一見正反対にも感じるが、二人の中間地点には野球ボール大の『氷球』がふよふよと浮いている。
笹見さんは水球の維持にだけ集中し、そこに深山さんが【冷術】を掛けたという寸法だ。
「へえ、面白いじゃない。わたしの『氷弾』より大きいねぇ」
これには【冷術師】として興味を惹かれたのか、立ち上がったベスティさんが二人の近くにやってくる。
「どうしよ、これ」
ベスティさんお得意の『氷弾』より大きい『氷球』だが、深山さんは完成時とは打って変わって困り顔だ。どうやら操作に苦しんでいるらしい。
すでに水球ではないのだから笹見さんは手を出す必要が無い。というか二重の意味で術に関与できないだろう。
高温特化型に育っている笹見さんは水が原料とはいえ氷とは相性が悪い。これがひとつ。
もうひとつは、古韮の霧に【魔術融合】を掛けた時に感じたらしいのだけど、魔術の主導権が深山さんの方に回ったのだ。【霧術】初心者が相手だからというのもあるかもしれないが、ここまでの検証で大なり小なりそういう傾向が確認されている。
綿原さんのサメと夏樹の石は抵抗が凄かったらしいけど。
「ええっと」
目の前の氷球をどうにかしようと頑張る深山さんだが、上下左右に不自然に揺らぐだけだ。何となくだけど理由は想像できる。
深山さんは『氷床』や『氷瀑』みたいなエリア魔術こそ得意とするが、精密動作はあんまりなんだよな。吹雪を起こしたといっても彼女が作り出したのは雪までで、風を吹かせたのは野来と春さんだし。
とはいえ食品の冷蔵に関してはエキスパートだから、風呂の笹見さんと並んで欠かせない存在であることに間違いはないんだけど。
ん、野球のボールか。これはもしかしたら。
「それって海藤のボール代わりに使えないかな」
深山さんのところに歩み寄り、ひとつ提案してみる。
笹見さん、深山さん、藤永の使う【水術】はほぼ真球だ。むしろ変形する方が一手間掛るくらい普通にボールをしている。膜にするときも基本的には円形なんだよな。
海藤のメイン武装は白球と短槍なんだが弾数制限があるし、投擲武器なだけにロストもしている。白球なんてペルメッダでは発注していないので残り五個だか六個のはずだ。
「ん? 俺か?」
「ユキノ。それ、わたしに頂戴」
名前を呼ばれ盾の訓練を止めた海藤がこちらを振り向くと同時に、ベスティさんが深山さんに声を掛ける。
「はい」
「ん。いただき。ほらっ、タカシ」
深山さんが術を解除したのだろう、すっと落下し始めた氷の球は絨毯に落ちる前に軌道を変えて、海藤の下へと飛んでいく。
やったのはもちろんベスティさんだ。小さい氷弾を使うベスティさんは、氷を飛ばすことに慣れている。
この辺りは長年の熟練か、それとも個人差かって感じだな。同じ系列の術師であってもそれぞれ個性があって面白い。
「縫い目が無いからコントロールが定まるか怪しいけど、まあいいか。八津、覚悟してくれ」
「え?」
左手で氷のボールを弄んだ海藤は、俺に向かって気軽に投球モーションに入る。覚悟ってなんだ?
「それっ」
「うおっ!?」
海藤としてはこれでも軽めに投げたのはわかる。それでも百五十は出てそうなんだけどな。
ヤバかったのは軌道だ。何度もキャッチボールをしてきた俺には、海藤がストレートの握りと腕の振りをしていたのが見えていた。
それなのにボールは曲がったんだ。いや、小刻みにうねったと言った方が正確か。
「へえ、さすが八津だ。ちゃんとキャッチするんだな」
「ギリギリだったぞ」
それでもなんとか左手で受け止めた俺を褒める海藤にジト目をくれてやる。
「ナックルみたいなもんだな。草間なら知ってるだろ。ピンポン玉だよ」
「うん。手で投げたら、うねうね曲がるんだよね」
海藤が談話室の端で鞘付きの短剣を振っていたメガネの草間に声を掛ける。ううむ、ここで卓球部ネタの登場か。
なんか騙し討ちされたみたいで悔しいな。よし。
「迷宮の中ならいくらでも作れるし、イザって時の非常手段ってこと、でっ」
セリフの最後でちょっと格好をつけつつ、氷のボールを握り砕く。後衛職でも十二階位なら、これくらいは軽いものだ。
これの材料は水と魔力だけなので、迷宮内なら無限に作り出せる投擲武器ってことになる。コントロールが難しくても、手数は幾らあっても無駄にはならないんだ。
「ダメだよ八津くん、絨毯濡らしちゃ」
「あーあ」
カッコいいことをしたつもりだったのに、クラスメイトたちから掛けられた言葉は冷たいものだった。氷だけに。
◇◇◇
「やっぱり一番使い勝手が良さそうなのは深山さんと藤永か」
「っす」
「んっ」
ひと通り検証した結果、俺の判定で対魔獣で最も有効そうに思えたのは深山・藤永ペアによる『大雷水球』だ。
膜状にも変形できるので、突進一辺倒の魔獣の前に置いてやれば、かなり効果的なスタンを生み出せるだろう。今回深山さんが緊急的に取得した【魔術融合】だけど、迷宮への応用としてはこの使い方が安定しそうだ。
いつもよりも真面目顔で頷く藤永はそれでも嬉しそうで、深山さんは両拳を胸の前に置いてガッツポーズをしている。微笑ましくも羨ましい光景ってヤツだな。畜生、楽しそうにしやがって。
「わ、わたしだって──」
なんだか綿原さんがサメを浮かばせて気炎を上げているが、対抗することじゃないと思う。
「ふんっ、しょ~いっ」
新しいことにチャレンジしているのは、何も後衛術師だけではない。
前衛メンバーで新技に挑戦しているのは、ムチ使いでチャラ子な疋さんだ。
彼女は今、両手にムチを持っている。バックラー装備はそのままで、右手がメインで左がサブって感じかな。左右で長さの違うムチを使うなんて本当に器用なものだと思う。
【握力強化】に慣れてきたというのが理由らしいが、ムチなんて触ったこともないと言っていた召喚当初が嘘のようだ。
日本に戻って階位や技能が消えたとしても、身に着けた技は残る可能性も高いし、彼女はムチが使える系の美容師にでもなるのだろうか。
「しょっ!」
「とうっ、デス!」
横と縦から同時に飛んでくるムチをミアが低くしゃがんで躱していく。
器用ステータスとセンスとの対決とでも言うべきか、攻撃側も防御する方もギリギリの攻防って感じだ。
疋さんが右手のムチを振る度にグリップエンドにぶら下がる誕生日プレゼントのストラップが揺れている。左手の方はどうするんだろう。自作かな?
「うわあ!?」
「ぬるいっしょ。春~」
ミアとシュバシュバした戦いを続ける疋さんの背後からこっそり忍び寄っていた春さんの足首にムチが巻き付き、そのままひきずり倒された。
【聴覚強化】を使っていたんだろうけど、ノールックかよ。
「うん。たぶんアタシ、こっちの方が性に合ってるかもねぇ~」
チャラい物言いだけど、疋さんには声には自信がこもっている。
うん、『一年一組』の中距離攻撃の手数が増えるのは大歓迎だ。
そんな感じで各人の想いを乗せながら、迷宮前日の夜は更けていった。
◇◇◇
「帰還のヒントか。どんなのなんだろうな」
「八津の見立てだと、魔族ってヤバそうな技能の使い方をしてるんだろ? その辺りじゃないか?」
男子部屋の天井を見上げた古韮に、ベッドの上で胡坐をかいた田村が合わせていく。
「技能かどうかすら怪しい。もう魔力の色がガンガン動いているんだ」
「それを僕たちに教えてくれるってことかな」
「さあ、どうなんだろうな」
曖昧な俺の声を聞いて、これまたベッドの上に座りながら革紐を結んだり解いたりしている草間が首を傾げる。
草間がやっているのは素材回収の効率を上げる練習だそうだけど、ファッション陰キャなクセして真面目だよなあ。
『あはははっ。それでどうなったの?』
『それがですね──』
女子部屋にはクラスメイトたちだけでなくティアさんとメーラさんもいて、今夜はゲストのベスティさんが泊っていく。
手紙では伝えきれなかったペルメッダでの出来事をベスティさんが聞きたがったのだ。
ティアさんとメーラさんにとっては、俺たちとの思い出を振り返ることになるんだろうな──。
『そこでワタシは広志と一緒に練習した技を繰り出したのデス!』
「あ、俺、寝るから」
昨日に続き壁の向こう側から不穏な声が聞こえてきたので、俺は就寝を宣言しつつ【安眠】を発動させる。
たぶん明日からの一泊二日がティアさんたちとの最後の迷宮になるだろう。それでも思ってしまうんだ。
魔王国で帰還にまつわる何かを得ることができたら、できればペルメッダとアウローニヤに顔を見せておきたいな、って。
次回の投稿は三日後(2026/04/19)を予定しています。投稿間隔が開きがちで申し訳ありません。
(2026/04/18 19:00追記)大変申し訳ありませんが所用(網戸がぶっ壊れました)により次回の投稿日を一日遅らせて(2026/04/20)とさせていただきます。ごめんなさい。




